我が家の「前者・後者論」 | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

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数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

岐阜県郡上八幡の
助産師&針灸師の
加藤祐里です。

カウンセラーの
心屋仁ノ助さんの
「前者論・後者論」
今、とっても熱いです。

今でこそ、
私は「スーパー前者」と
褒めていただくことも
多いのですが

もともとはだいぶ
後者よりの気質です。

おっちょこちょいだし
仕事の覚えも出来も悪いし
自分の世界が好きだし
空気を読むのも
苦手です。

それでも前者の素質が
開花したのは

たぶん父も母も兄も
「後者」
だったからです。

前者は困ったことが
起きた時に
平常の以上の力と
才能を発揮します。

後者はただパニックになって
慌てて困っているだけなので
めちゃくちゃにして
結局、何も変わっていません。

自分の子どものことを
かまったり
先回りして
段取り良く
やってくれるような
親じゃなかったから

おなかがすけば
自分でご飯を
作るしかなかったし

忘れ物しても
持ってきてもらえないし

学校からの連絡帳も
まともに読まなくて
先生から嫌味を言われても
母は反省する気は
まったくなし。

私のほうが
申訳ない気持ちに
なってました。

休みの日に
習い事の用事があっても
着いてこないか

写生大会で動物園に
いったとき
父が連れて行って
くれたのだけど

父はパチンコに
行ってしまって
携帯なんてない時代だから

閉園後の動物園で
一人寂しく
待たされたときは

「二度と父には
頼まない。

今度は一人で
電車に乗ってくる」と
覚悟した記憶があります。

人に頼むより
自分でやったほうが
早いと気づいたのも
この両親のおかげ。

夏休みに同居していた
祖母が入院することに
なってしまい

母が一週間
出張で家にいない、という
ことがありました。

たぶん母が前者なら
出張をやめるか
短めに帰ってくるかしたはず。

後者はただパニックになって
それ以上考えようと
しないので
急な予定変更に弱いのです。

祖母が入院していた
病院は朝ごはんだけ
家族が配膳をする
決まりがありました。

父は夜勤の仕事だったため
朝の世話ができず

それだけ、
「あんたたち
兄妹がやるんだよ」と
出て行った母。

もし、私が母の立場なら
誰か近所の人とか
隣のベッドの人とか
看護師さんに
事情を話して
子どもに任せることだけは
しないだろうなぁ。

もちろん中学生の
兄は三日も
もたず朝寝坊の日々。

結局、小学4年生の私が
毎朝、ごはんを炊いて
お仏壇にお供えをして
おばあちゃんの病院に行って
言われた以上の
結果をだしました。

父は何をしていたのか
記憶にありません(>_<)

そんなでも
私が死なずに
生きてこれたのは

一緒に暮らしていた
父方の祖母が
今思うと「前者」
だったんですよね。

祖母は11人兄弟(みんな男だった)の
長男の嫁として
小さな義弟たちの
面倒をみながら

厳しい姑に仕えながら
戦後の貧しい時代を
生き抜いてきました。

私が生まれた時には
おじいちゃんはもう
亡くなっていたので
どんな人かは
よく知らないのだけど

親戚からは
「お酒飲んで
ウロウロしていた」と
しか聞かないので

たぶんあてになるような
性格ではなかったのでしょう。

若いころは和裁の
先生をしていて
私が生まれたときには
とっくにやめていたのだけど

それでも生徒さんが
よく訪ねてきていました。

専業主婦で
車はもちろん
自転車も乗れず
遠出をすることもなかったし
趣味もなく
家をあけることも
なかったけど

季節の行事は
きちんとやるし
毎月のお墓詣りも
法事やお仏壇のことも
全部、おばあちゃんが
していました。

お世話になった人への
お礼はかかさず
電話一本、
てがみ一枚を
面倒がる人でなかったです。
(母は絶対に
こういうことを
しなかった…)

誰かの家に行く時も
何か必ず手土産もって
「あんたには
いつも世話になっとるで」
って言ってました。

母は私を産んで
産後2か月で
職場復帰したので

私は祖母とは
母より一緒に
過ごした時間が
長かったです。

祖母には特別
厳しくしつけられた
記憶はないけど

前者のそばにいることで
自然に前者的思考が
身についていったのだと
思います。

3つ上の兄も
同じような環境で
育ったはずだけど

まったく性格が
違うのは

やはり前者は
追い詰められたときに
能力を発揮するけど

後者は結局
何もしないので

おなかがすいても
ご飯を作って
くれる人を
待っているしかしないし

疑問に感じたり
アイデアを働かせたり
しないということかな。

ちなみに今の兄は
仕事大好きなお嫁さん
(この方は天然
お姫様方後者)を
もらって
3人の子どものパパになって

自分より後者傾向の
強い方と一緒に
生活するようになって

「段取り良く」生きる
ことを学ばせて
もらっているおかげか
家事は完璧にこなせます。

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