不動産購入にまつわるトラブルを乗り越えて | 岐阜県郡上の妊婦さんや母乳育児中のママのための鍼灸院

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数千例を超える出産や母乳育児に立ち会ってきた助産師です。病院の検診だけでは安心して出産が迎えられない妊婦さん、通常の母乳指導に満足できない‘子育てにこだわりたい’ママのためのに身体と心にアプローチする針灸院です。

移住ネタ最終回です。

2011年5月から郡上の不動産を探し始めました。

私は車がないので

名古屋から毎回、高速バスで向かい
ふるさと郡上会の小林さんに送迎をしてもらいました。

いきなり素人の私が不動産屋さんに行かずに
ふるさと郡上会を通して
各社と面接をしてもらったおかげで

思っているより早く
候補地を決めることができました。

6月には工務店も決まり、
順調そのものだったのですが

実は8月に地鎮祭が3日前に延期になってしまうという
トラブルが発生しました。

地鎮祭の前までに土地代の入金が
終わっているということがこの業界の常識なのですが

私が正確な土地代を知らされたのが
3日前のメール。

請求書などの書類もなく
メールに書かれた
現在の土地所有者にお金をふりこんでくださいという
ものでした。

夫の名義になっている口座から払うつもりでしたので
仕事が忙しい夫が銀行の手続きにいきなり
いけるはずもなく

土地を取り扱う不動産部門と
工務店が同じ会社だったのですが

それまで週1ペースで
郡上にいったり
工務店の人に名古屋に来てもらったり
家の設計や予算やローンの事で
直接あって打ち合わせしていたのに

急に‘雑な’仕事ぶりに疑問を感じました。

まずは地鎮祭を延期し
どうしてこのような経過になったのか

地鎮祭の予定の日だった
8月13日に名古屋に
夫と両親たちに同席してもらって
今までの会社側から経過について説明してもらいました。

私はせっかくここまで着々と準備してきたのに
どうしてここにきて
こんなことになってしまったのか
精神的にとても混乱していました。

夫は「いきなりお金を払えなんて
信頼できない会社はダメだ。
移住の話そのもの諦めてもらうから
というし

実家の母は
「あなたがしっかり事前に確認しないから
こうなった。あなたが悪い。
所詮、女がひとりで非常識なことをやろうとしたから
バチがあたった。」

と事情も聞かないで一方的に
私が責められたり

2週間くらい何も考えられない状態が続きました。

私がその工務店にこだわったのは
土地が気に入っていたのと

‘生体エネルギー’の施工をしているという点でした。

生体エネルギーの普及をしている
‘住まいネット’のホームページをみていたら

一般のお客さんからの個人相談にものってくれると
いうことでメールを送ったら
早速、面接をしてくれると言うので
名古屋市西区の事務所まで伺いました。

その頃は精神的にだいぶ落ち着いた頃で
自分も冷静になって考え直すことができていました。

住まいネットの方からは
「工務店的には特に法的に落ち度はないから
問題はないので、加藤さんの感情の問題です。

そこ工務店とは直接のとりひきはないから
よく知らないけど

生体エネルギーの研究会にも熱心に参加されているし
そういうものを大事にする会社が
お客さんをだまそうとしたりするような
会社じゃないと思いますよ。」

と言ってもらえて、
あらたに気持ちをリセットすることができました。

ずっと打ち合わせをしていたのは
工務店の設計の営業の人で

土地に関しては不動産部門の他の人が担当していて
不動産の人が営業の方が
私の方に必要な連絡などしてくれていると
思い込んでいたようです。

特に何か魂胆があったわけでなく
単純な行き違いだったと

8月13日の郡上踊りで一番忙しいときに
工務店の社長自らが説明に来てくれました。

営業の方は
「もし、これが自分の娘の身におこったことなら
親の立場ならその工務店の対応に
疑問を持ったと思う」と

自分の落ち度を素直に認めて
謝罪してくださったので
信頼することができました。

もし、ここでその工務店をあきらめて
違う工務店にしても
土地探しから始めなければならず

2012年4月には間に合わない。

だったら、その次は次男が小学校に入学する
2014年に移住を目指す?

だったら、それまでの2年間はどうする?

郡上で賃貸物件はほとんどない。

ならば、名古屋で私は何をする?

また助産師の職場を探す?

それは私が本当にやりたいこと?

その住まいネットの会社は私が生まれてから
中学校卒業まで育った地元で
考えながら歩いていたら

いつの間にか
私は20年以上ぶりに自分が小さいころに
通った氏神様の小さな神社に来ていました。

私は明治生まれの祖母と同居していて
生後2か月から働きにでていた母に代わって
面倒をみてくれた祖母といつも
この神社にきていました。

生後1か月のお宮参りも
七五三もこの神社。
祖母は私が14歳の時に亡くなりましたが

今の私をみたらなんていうかな、なんて
思いながら、しばらくそこに佇んでいました。

きっと、35年前に私が生まれたときに
祖母は私の将来を祈ったと思います。

私がいつまでも健康でいきられますように。

いつも温かい人たちに支えられ、
笑顔で暮らせますように。

人に優しく思いやりのある子に育ちますように。

私の名前の祐里の「祐」の字には
「人をたすける」という意味があります。

姓名判断の人につけてもらって名前で、
いくつかの候補のなかから
両親と祖母が話し合って決めたそうです。

自分の原点ってここなのかもしれないな、って
感じました。

祖母があの日、神様に私の未来を祈ってくれたように
私の人生は想像されている。

どこに住むとか、どんな家に住むとか
じつはどうでもよくて

私が幸せに、そして困っている誰かを助けられるように
生きていくことが私にとっての天命。

迷うことはやめよう。

誰かを疑ったり、不信に思うのでなくて

自分の直観を大事にして
明るい方向をみて歩いて行こう。」


そのトラブルがあったおかげで
自分の方向性がさらにはっきり定まりました。

土地も買ったし、
今更後戻りができないということもありますが

何が起きても大丈夫という
ブレない軸ができました。