なるようにしかならん -204ページ目

なるようにしかならん

ダラダラと長く続けてます。(もはや続けてると言っていいのか不明なぐらいたまにしか書きませんが…)

ヘーベル CUBIC 1111仕様についても書いてました

私は博士課程の成果を論文に出来ていない.
そう,私は学部と修士の成果を元に博士号を取得するのだ.

もちろん,今,博士の成果をまとめるべくやっているが,
これをきちんと形にするには,多少データが足りず,
ちょっと困難な状況である.

結局,精神的に崩れ,それを持ち直すことで終わった3年.

これが,私の博士3年間であろう.


このことからも,少なくとも現状の自分を比較対象とし,
自分の能力を伸ばすという観点から考えると,
私の博士課程進学は間違いであったと言えると思う.

それとも,この精神的な崩れは,今後の自分にとって
何か良いことをもたらしてくれるのであろうか?

正直なところ,この崩れは,ストレス耐性を低くしただけであり,
この崩れにより得たものはないと思うのだが・・・・.

本当に,何も得るものがなかったのか,
それとも,実は大きな(いや,小さくても)何か得るものがあったのか,
これは,きっと,数年後にならなければ判断できないと考える.


願わくば,この3年を有益なものであったと,少しでも思いたい.
正直,それ以降のことは良く覚えていない.

D3の春から再開したセンセとのミーティングが苦痛で,
毎回泣くように実験し,怒られ,実験し・・・.

ただ,ひたすら泣きまくり,センセの目を見て話せなくなり,
顔を見ても話せなくなり,センセの方も向けなくなり,
センセが来る可能性のある自分の机に居ることすら無理になった.
そして,大学に行けなくなった.

でも,そのときの感覚は,もう遠い昔のようで,戻ってこない.

そして,カウンセラーさんのおかげで,なんとか持ち直せた.

それが,D3の秋.




その後は,フラッシュバックと戦いながら,
博士論文を仕上げ,現在に至る.




結局,医者からは「病気じゃない」と言われたが,
それでも,安定剤は処方された.

そして,当初は安定剤があることで,楽になれた.
(今は服用すると,最悪な状態になるので,もう服用していない)

いったいD3の一年間に意味はあったのか,
いや,そもそも博士課程の3年間に意味があったのか・・・.
そして,D2の年の卒業式の日.

それまで,後輩に対し何度も言ってきたことに対し,
後輩が「そんなの知らね~よ」とふざけたことを言っていたのに対し,
私が,ついに怒ったんです.
(まぁ,同じことが1年間続いていたので・・・,ブチッと)

「耳蛸だといっていたのは誰だ!」
「きちんと上の代に聞いて準備しろって言っていただろう!」
「耳蛸だと言ったからには,ちゃんとやれ!!」と.

そんな私に対し,センセは,
「ちゃんと伝えていなかったんだろう」
「後輩たちの代は,そういう代なんだからほっとけ」
「雑用なんかしてくれと,いつ俺が頼んだ?お前の仕事じゃない」
と.

あぁ,そうか.
わかっていたのにほっておいたんですか.
ダメな代だってわかっていたのに,ほっといたんですか.
まかりなりにも,教育者なのに,放置ですか.

そして,そんな代が言ったことを真に受けて,
私が言ったことは信じないんですか?

その上で,私がやってきた雑用なんかする必要がないと.
私がやってきてくれて,ありがとうでもなく,
全て無駄だと.



研究室のほとんどの人間が居る前で,
ダラダラと涙が止まらなくなり,
しゃくりあげ,もう,どうしようもなくなり,
自分がいかにセンセに信用されていないのか悟り,
あぁ,無駄だったなぁと・・・.

何を自分がしていたのだろうかと.




これが致命傷となり,これ以降は,
何かあれば簡単にボロボロと泣く人間へと成り果てました.
そして,D2後期には
・旦那の転職
・私の就活
・依頼されたサンプルの測定
が私に圧し掛かってきました.

まず,私がやらなくても良い測定の大量の測定の仕事が,
研究をがんばっていた私にド~ンと圧し掛かってきました.

「なぜ,私がこの仕事をやる????」
「なぜ,M1がこの仕事をやらない????」
「なぜ,こんなにかかりっきりになっているのに,
 研究をしたいのに,できないのに,
 研究が進んでいないと怒られなければならないんだろう????」

こんな疑問が頭の中をぐるぐる回り,
ただ一人で測定器の前に朝8時から夜0時近くまで座り続けて2週間.

研究も停滞し,何をやっていたのかすらわからなくなり,
精神的にも落ち込みやすくなってきた.



そして,就職の志望企業への問い合わせ.

その結果:他の学部生たちと同様に就活してください
と言われ.見学などは,センセに黙って行っていましたが,
エントリーシートを提出するのを黙っているのは,
まずいと思い,就活でエントリーする旨を伝えました.

そのときのセンセの台詞
「研究進んでないから,推薦書は書けないからな」

まぁ,自由推薦で行くつもりだったので,「大丈夫です」と応えました・・・.

でも,他の企業さんの説明会へ行っても,推薦書は必要とのお達しでした.

で,あちこちの先生方や企業さんへ,
「絶対に推薦書が必要ですか?なくてもなんとかなりませんか?」と
騒ぎまくっていました・・・・.



測定をやらせて,研究が進んでいないって・・・.
私にどうしろと????と,
落ち込み始めた時期です.



そして,D2になった年の4月.私は旦那と結婚しました.

この年は,助手や今までいた博士課程の先輩の卒業に伴い,
研究室の体制が大きく変化した年でもあります.

居なくなった助手から頼まれたこともあり,
私の中では「私が研究室をまとめねば.雑用もこなさねば」と
義務感を強く有していた年です.



まずは,研究室内の細々した雑事に追われつつ,
研究を行うことに慣れることでいっぱいいっぱい.
その上,結婚したことで旦那との生活に慣れるのもいっぱいいっぱい.



そんな私に対し,センセは,同じことに対し
「なぜ,○○しないんだ( ̄へ ̄#)ハァ?」とか
「なぜ,○○するんだ( ̄へ ̄#)ハァ?」とか
矛盾することを言ってくるようになりました.

今考えれば,一回一回の状況は異なっているから,
同じことに対し言う台詞が異なったのでしょうが,
その説明を受けておらず,いっぱいいっぱいだった私は,
徐々に,そのセンセの台詞に対処できなくなってきました.

結局,自分の頭で考えずに,言われたことだけを,
言われたように行うことだけに忠心するようになりはじめました.

今思えば,このころから少しオカシカッタノカモ.

センセの台詞を一言一句全部覚えていて,
このときにはこう言った,あー言ったと言うのを
全部言えたんです.