◎ELECTRIC DIRT
▼エレクトリック・ダート
☆Levon Helm
★リヴォン・ヘルム
released in 2009
CD-0233 2012/4/23
元バンドのメンバーでありソロのキャリアも長く続けていたリヴォン・ヘルムが、4月19日、ガンで亡くなりました、享年71歳。
数日前、家族により、「ガン闘病の最終段階にある」と公表されたばかりのことでした。
僕は金曜から昨日まで、札幌の自宅を離れて山のほうに遠征していました。
泊まった宿はテレビもなくラジオもろくに入らずネットも使えなかったので、その間は情報に疎くなり、携帯でネットを調べるのがやっとくらい。
ファイターズの動向はなんとか追っていて、斎藤佑樹がプロ入り初完封し4連勝したことを喜びつつ、昨夜帰宅して土曜日のスポニチを読んでいたところ、芸能欄にヘルムの死の報を見つけ、うれしい気持ちが一気にしぼみました。
昨夜上げたジョン・メイヤーの記事はその遠征に出る前に下書きしていたものを仕上げたものでしたが、その時点ではまだスポニチは読んでいませんでした。
ザ・バンドについて僕は、リマスター盤が出た際に全部CDを買い揃えてひととおり聴き中には大好きなアルバムもあるという程度で、正直、よくは知りません。
ザ・バンドはむしろこれからもっと聴き込んでいこうと思っています。
でも、リヴォン・ヘルムについては、2つの点で追悼の記事を上げたいと思いました。
ひとつ、リヴォン・ヘルムは、昨年記事にしたリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド
のメンバーとして来日し、僕も武道館にコンサートを見に行きました。
コンサートではリンゴは基本ヴォーカルで、ドラムスはヘルムとジム・ケルトナーが務めていましたが、リンゴもドラムスを叩く時があってトリプルドラムスだあ、となんだか圧巻だった記憶があります。
ただし当時は名前しか知らない人だったので、正直いえばそれ以外はあまり覚えていない、何か1曲歌っていたことくらいしか覚えていないと言わざるを得ないのが残念といえば残念です。
でも、コンサートで見た人だから、それ以降は僕の中でも少し特別な位置にいる人にはなりました。
コンサートで実際に見た人が亡くなるのはまた特別な思いがありますよね。
そのコンサートのメンバーで亡くなったのは、リック・ダンコ、ビリー・プレストン、クラレンス・クレモンズに続いてリヴォン・ヘルムで4人目、9人のうち4人までが鬼籍入りしたことになりました。
そしてもうひとつ、今の僕のリヴォン・ヘルムへの思いが出来上がったのは、このアルバムとその前のDIRT FARMERを聴いたことによるもので、まだ3年くらい前のことです。
この2枚はほんとうに素晴らしくて、DIRT...のほうはグラミー賞の「ベスト・トラヂショナル・フォーク・アルバム」を受賞したと書けば充実した内容であり評価が高いことが分かるでしょう。
それはまたいつか触れることにして、今回は続編の、結果としてはリヴォン・ヘルムの遺作となったスタジオアルバムを取り上げます。
タイトルにELECTRIC DIRTとあるように、これは評判がよかった前作の延長上にあるもの。
しかしエレクトリックというだけあって、前作よりしゃりっとした音作りになっていて、ロック側の人からすればこちらのほうが入りやすいかもしれません。
こちらもグラミーで「ベスト・アメリカーナ・アルバム」を受賞しています。
この2枚を聴いて僕が思ったのは、「カントリーっぽい音楽とカントリー&ウェスタンもしくはブルーグラスとの違い」でした。
これを聴くと、雰囲気は一般的なイメージとしてのカントリーっぽさを感じます、田舎臭さというべきでしょうか。
1曲目TennesseeJedなんて「俺をテネシーに帰してくれ」なんてちょっと情けないような声で歌い上げていて情感がこもっていたり、どう聴いても都会の音楽という雰囲気ではありません。
じゃあ、狭義のカントリーすなわち形式としてのカントリー&ウェスタンやブルーグラスかと言われれば、それは明らかに違う、少なくとも僕にはそう感じました。
音楽の雰囲気としてはまったくもって、アメリカのロッカーたちが持つ、一般的にいわれるカントリーっぽさというべきものです。
ニール・ヤングだったり、イーグルスだったり、ブリース・スプリングスティーンだったり、トム・ペティだったり、ジョン・メレンキャンプだったり、或いはR.E.M.だったりという音楽です。
この雰囲気、田舎にいる人が普通に歌うと自然と緩くなる、そのことをカントリーっぽいと呼んでいるのであって、音楽としての狭義のカントリー&ウェスタンやブルーグラスとは違う感じたのはその部分です。
このアルバムはブルーズやゴスペルの影響を受けているのがところどころ見え隠れしていて、Move Along Trainには"Gospel train"という歌詞もありますが、それはもはやどんな音楽においても普通のことですからね。
このアルバムは、すべての曲の歌メロがよくて聴いた後はよく口ずさんでいます。
ここでの歌メロは作ったという感じがほんとうになくて、自然と出てきた歌メロであることをこちらも自然と感じられるものであり、間に余計な概念も何もなくただ単に歌として響いてきます。
胸倉を掴まれるような強烈な歌メロではないんだけど、身の周りにあるとほっとするような自然な音ですね。
とにかくこのアルバムは、田舎の雰囲気にひたれます。
曲名も、、Golden Bird、White Dove、Kingfishといったいかにも片田舎を思わせるものが多いですね。
リヴォン・ヘルムの声がまたこの雰囲気にぴったり、これ以上の適任者はロックの世界ではいないというくらい。
少ししわがれ系だけど張りがあって高音も伸びているし力強く響いてくる、けれど、でも、どこか間の抜けたような、突っ込みを入れたくなるような余韻がたっぷりの声です。
でもその余韻があるからこそ、こちらの気持ちがすっと入っていきます。
リヴォン・ヘルムは、ローリングストーン誌の「100人の偉大な歌手」の第91位に入るくらいアメリカでは歌手としても定評がある人のようですが、RS誌のそれはこれらのアルバムの前のことであって、このアルバムのヴォーカルはそんな評価を証明したような素晴らしい歌声です。
しかし一方でロック的な芯の強さは忘れておらず、だらだらしていなくて、しめるところはしっかりとしめている、そんな響きの音楽だから、ロック人間の僕も素直にすぐに気持ちが入って行ったのでしょう。
最後の11曲目I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free、これはテレビドラマの最後に流れる曲のような、いかにもアルバムが終わるぞという盛り上がりを見せる曲で、ある種の感動を覚えます。
この曲が僕は特に大好きですが、こういう曲があって予定調和的に流れていくというのは、ポップソングを聴いている身としては妙に安心します。
でも、ふと、「自由であることでどんなふうに感じるのか僕は知っていたかった」というのは、なにか意味深ですね。
彼の病気は1990年代に既に発症していたもので、闘病生活はここ1年や2年ではなかったことを亡くなった記事を読んで知りましたが、そのことと頭の中で結びついてしまいました。
そして今回聴いてあらたに思ったのが、全体的にサザンソウルに近いのりと雰囲気があるアルバムだな、ということでした。
そうか、そうだったんだ、と自分で思ってみたり(笑)。
演奏の雰囲気もブッカー・T&ジ・MG’sのようなタイトさと切れがあります。
でもそれ以上に、娘のエイミー・ヘルムとテレーザ・ウィリアムズの2人の女性ヴォーカルがずっとリヴォンをサポートして歌っており、これがまたとっても音楽に深みと幅を与えていて、声も素晴らしい。
そのことに気づいて、僕がどうしてこのアルバムが大好きかがあらためて分かりました。
そういえばサザンソウルも田舎臭いというか土臭いと言われていたっけ。
ここで自分の中でも話がつながったのですが、実はこれ、この記事を書き始める時には思っていなかったことで、書き進めているうちに思いついたのでした。
こんなことってあるんだな。
僕は、記事を書く際にある程度書くことを固めてから書き始めます。
だから、よく聴いているCDでも書くことが浮かばなければ保留先送り果てはそのまま消滅となることもあります。
でも、今日のようなことがあるなら、もう少し緩く構えて記事に臨んでいこうかと思いました(笑)。
なんて僕のことはどうでもよく、このアルバムを聴くのは久しぶりでしたが、まさかそれがこんな機会になろうとは。
次を楽しみにしていたのですが、そうした事情があったのですね。
これからもずっと聴いてゆけるアルバムだと、今回聴いて確信しました。
1940年生まれというのは、ジョン・レノンやスモーキー・ロビンソンと同い年。
闘病生活の果てに命のともしびが失われてしまったリヴォン・ヘルム、そう考えるとこれは、生きることへの希望を捨てずに音楽に向き合って作られたアルバムであり、だからこんなに力強く響いてきたんだなって、今になって納得しました。
これだけの音楽を残してくれたことに感謝です、ありがとう。
安らかにお眠りください。