こんにちは。ご訪問ありあがとうございます。
前回は、正統竹内文書では、八咫烏の正体でもあり
実は裏天皇として君臨したコトシロヌシ=アジスキタカヒコネ
についてご紹介しました。
正統竹内文書で伝えられているお話は、記紀とはかなり違って衝撃的な内容ばかりだったのですが、そもそも日本神話ではどのように伝えられ、どのように暗号として秘密が隠されているのか?
そのあたりについてもお伝えしたいな~と思っています。
タイの龍蛇族のシャーマンである私が、なぜタイの歴史ではなくこれほどまで日本の古代史にこだわってブログで紹介しているのかはなぜか?
以前から何度もお伝えしておりますが、私は日本人とタイ人のクォーターであり、日本から世界各地に散らばったツキヨミ族の末裔です。
私がシャーマンになる修行を積みながら学んだ、龍族のテーマである「愛と慈悲に満ちた日本人の精神・魂」を伝えるためには、日本人としてのルーツを知ることが大切だと考えたからです。
私は、あくまでもシャーマンとなるために、学問として日本の歴史を学びました。
そして、龍蛇族としての役割を果たす上においては、もっと高レベルな日本人の精神・魂世界のことをマスター達から学びました。
マスターシャーマン達からは、
多くの日本人や同族の者達へ伝えて行くためには、日本語を駆使できるあなたが、日本人に伝えて行くことが大切です
と教わりました。
ブログを書くという作業は、あまり慣れていないのと、あれもこれも伝えたいという思いから、うまく整理できなくてぐちゃぐちゃな内容になってしまったりしておりますので、毎回反省をしております。
ただ、なんとなく、私のへたくそうな難解な文章から
そんな隠された日本の歴史も存在するんだ~
ということを、みなさんに知っていただけたらありがたいなと思っております。
今、源九郎とよさんから、エジプト巡礼のお話を色々と聞かせていただいて、
やはりエジプトと日本は繋がっている
と確信しておりますし、かなり不思議な体験をされてきたことを知り、
さすが源九郎とよさんだな~
と納得しております。
源九郎とよさんは、少しずつご自身のインスタグラムでエジプト巡礼の様子をアップされているので、興味のある方はご覧くださいね~。
源九郎とよさんのインスタグラムはこちら
↓
さてさて、またまた前置きが長くなってしまいましたが、今回は、今まで正統竹内文書で伝えられている「出雲の国譲り」「大和の国譲り」をご紹介してきました。
日本神話が大好きな方であれば、これまでお伝えしてきた内容が、日本神話とどう違うのかについてはすぐに分かられたと思います。
けれど、古事記や日本書紀にあまりなじみのない方は、なぜ正統竹内文書が「いかに隠された日本の歴史を伝えているのか?」ということはわからないと思います。
そこでまずは、古事記&日本書記で描かれている「出雲の国譲り」が、どのように描かれいるのかについてお伝えしておく必要があることに気が付きました。
ということで、今回は、日本書紀に描かれている「出雲の国譲り」がどういうものであり、古事記との違いについてご紹介したいと思います。
出雲の国譲りは、天上界に住む最高神のアマテラスが、大国主が制定した地上界(水穂国)を自分に譲れと迫る物語でしたよね。
日本書紀ではどのように描かれているかといいますと・・・
まずアマテラスには5人の息子たちがいたことを思い出してください。
スサノオとの誓約で誕生した神様たちです。
5人の息子のうち長男は「オシホミミ」と言いました。
彼は、高皇産霊神(タカミムスビ)の娘と結婚し、その間に天孫降臨の主人公である「ニニギ」が生まれています。
タカミムスビは、古事記では造化三神として描かれている、とんでもなく偉い神様です。
このタカミムスビは、日本書紀では「皇祖」として描かれています。皇祖というのは、天皇の祖先という意味になりますが、古事記では「皇祖神」というのはアマテラスのことだと記されています。
そして、皇祖タカミムスビは、孫のニニギを特に可愛がったと記されており、ニニギを地上界である葦原中国のトップにしてあげたいと考えていました。
そのため、地上界は色々と騒がしい神様が多く住んでいるため、それらの神々を平定するのは大変だと考えたタカミムスビは、天上界の神々を集めて知恵を借りることにしたのです。
タカミムスビは、天上界の神々に
「私は地上世界の良くない神々を平定しようと思っているのだが、何か良い案はないだろうか?」
と尋ねました。
そこで、
非常に優秀なアメノホヒが適任ではないか?
という意見が出ました。
アメノホヒというのは、アマテラスの次男に当たります。
そんなことから、アメノホヒは地上世界に送られることとなりました。
古事記では、
一番最初にアマテラスの長男のオシホミミが地上に降りることになったが、地上を覗き込んだオシホミミが「地上は騒がしいから嫌だ」
と言って断っています。
さらに、命令を下すのはタカミムスビではなく、アマテラスと記されています。
地上界に降り立ったアメノホヒは、素晴らしい人格で地上世界をまとめあげたオオクニヌシと対峙しますが、アメノホヒはオオクニヌシの人柄に惚れ込んでしまい、そのまま地上世界に住み着いてしまいました。
次に、アメノホヒの息子が続いて地上界に降ろされるのですが、彼もまた地上界に行ったきりで天上界には戻ってきませんでした。
そんなことから、タカミムスビは再度天上界の神々を集めて会議をします。
そこで意見を出したのが、タカミムスビの息子であり、歴代の知恵者でもある「思金神(オモイカネノカミ)」でした。
オモイカネは、
天津国玉神(アマツクニタマノカミ)の子である「天若日子(あめのわかひこ)」を遣わすのはどうでしょうか?
と言いました。
そんなことから、アメノワカヒコは、高天原の神宝であり、天の神様の証明となる
天真鹿児弓(あまのまかこゆみ)
天羽羽矢(あまのははや)
を授かり、地上界に降りました。
こんどこそ成功するだろうと、天上界の神々は期待しましたが、それもむなしく・・・
なんとアメノワカヒコは、オオクニヌシの娘である下照姫と結婚してしまうのです。
さらに、地上世界を我が物にしようと企み、8年住みついてしまいました。
これにはタカミムスビもアマテラスも怒り心頭となりました。
それで思金神が再び
雉である鳴女を遣わすし、アメノワカヒコに帰らない理由を問いてこさせましょう
と意見を述べたことから、鳴女が地上界に降ろされました。
地上界に降りた鳴女は、アメノワカヒコの家の門の前止まり、うるさくカーカーと鳴きながら、天界からの指示を伝えました。
これをアメノワカヒコに仕えていた「天探女(アメノサグメ)」という女性でした。
そしてアメノサグメは、アメノワカヒコに
「門の前で泣いている雉が不吉なことを言っていたので、弓矢で射て殺してしまいましょう」
と助言したのです。
その助言を受けたアメノワカヒコは、なんと高天原の神々から授かった
天真鹿児弓(あまのまかこゆみ)と天羽羽矢(あまのははや)を使って、雉の鳴女を射殺してしまうのです。
アメノワカヒコから矢を受けた鳴女は、そのまま天界のタカミムスビとアマテラスのところまで飛ばされてしまいます。
鳴女の亡骸を見たタカミムスビは、通常であればここでブチ切れると思うのですが、なんと鳴女の体に刺さっている矢と、矢についている血を見て
「これは昔私がアメノワカヒコに与えた矢である。矢に血がついているということは、アメノワカヒコは地上界とがんばって戦っている証拠だ」
と、とんちんかんなことを言ったことが記されています。
そして、鳴女の体から抜き取った矢を地上界に再び放り投げたところ・・・
なんと!!
この矢がアメノワカヒコに突き刺さって、アメノワカヒコは亡くなってしまうのです。
アメノワカヒコは、天上界の神様でしたが、天上界を裏切り大国主の娘である「下照姫」と結婚して、8年間も地上界に住み着きました。
そのため、次の王様になる可能性があった人物になります。
そのため、地上界はアメノワカヒコの死で騒然とします。
妻の下照姫は嘆き悲しみ、その悲しみの声は天上界に住む、アメノワカヒコの親神である天津国玉神(アマツクニタマノカミ)の耳にまで届きました。
息子が死んだことがわかったアマツクタマノカミは、すごい風を地上界に送って、アメノワカヒコの屍を天の世界まで引き上げました。
そして、天上界に遺体を安置する喪屋を作り、「殯(もがり)の式」を行いました。
多くの神々がアメノワカヒコの喪屋を訪れました。
その中には、アメノワカヒコの親友であったアジスキタカヒコネがいました。
アジスキタカヒコネは、大国主の息子なので地上界の神であるため、わざわざ天に昇ってきて喪屋を訪れたのです。
すると、アジスキタカヒコネの姿を見た、アメノワカヒコの両親は大変驚きました。
アジスキタカヒコネは、アメノワカヒコと外見が非常に良く似ていたのです。
アメノワカヒコの父であるアマツクニタマは、アジスキタカヒコネを息子と勘違いして抱き着きました。
アジスキタカヒコネは、これに激怒し「穢わしい死人と一緒にするな」と叫び、腰に差していた神度剣を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまいました。
こうして出雲の国譲りは失敗に終わってしまいました。
そこで、タカミムスビは、再び天界の神々に相談したところ、今度は武神である「タケミカズチ」と「フツノミコト」の2柱の神を遣わしてはいかがかということになりました。
この2柱の神は、出雲の国にある稲佐の浜に到着しました。
そして、持っていた十握剣を抜いて、逆さに大地に突き刺し、この切っ先に座ってオオクニヌシに
「タカミムスビ様が、アマテラス様の孫のニニギノミコトを地上に下らせて、地上界に君臨させようと考えておられる。それを聞いて、お前はどう思うか? 譲るか否か!」
と尋ねました。
それを聞いた大国主は、
「私からは何とも言えないので、私の息子のコトシロヌシに聞いてくれ」
と答えました。
それで、コトシロヌシがどこにいるのかを尋ねると、美保の崎という場所で釣りをしていることがわかりました。
そのため、オオクニヌシは三重県の熊野から、使者を乗せた船を出して、コトシロヌシの元に遣わし、タカミムスビの言葉を伝え、返事を求めました。
コトシロヌシは、
「タカミムスビの孫に任せよう」
と答え、波の上に「青柴垣(あおふしがき)」を作り、船の板を傾けて、そのまま海中に消えてしまいました。
それを見た使者はオオクニヌシの元に戻り報告しました。
これを聞いたオオクニヌシは、フツヌシとタケミカヅチに向かって、
「息子は降参したので、私は国を献上します。もしここで私が抵抗すれば、地上の神々はあなたがたに逆らうでしょう。なので、私が身を引けば争いは起こらないはずです」
と答えました。
そんなことから、オオクニヌシは平和的に争いを回避する道を選び、地上を平定するときに使っていた矛をタケミカズチとフツヌシに渡し
「私はこの矛を使って地上を平定しました。この後地上に降りて来られるであろうアマテラスの孫のニニギノミコトも、この矛を使って国つくりをすれば、きっと平和な世の中になるでしょう」
と言いました。
そして、オオクニヌシは、
「私は幽界に行ってきます」
という言葉を残して、地上から姿を消してしまいました。
幽界というのは、死後の世界のことをさすので、日本書紀ではまるでオオクニヌシがここで亡くなったようなシーンを強調して描いているんです。
古事記では、オオクニヌシは「出雲大社を建ててくれたら身を引く」と条件を出していますが、この点が日本書紀では大きく違うのです。
ここまでの内容で、古事記と日本書紀とで違う所をあげると
・ 日本書紀=タカミムスビが皇祖、古事記=アマテラスが皇祖 となっている
・ 古事記ではアマテラスの長男であるオシホミミが地上に向かうが、地上がうるさいから嫌だと言って行かなかったというシーンがカットされている。
・ アメノワカヒコの喪屋を切り倒したアジスキタカヒコネは、その後、まるで鳥がどこかに飛っていったかのごとく、「出雲の国から飛び立っていった」と記されている
・ 古事記にはフツヌシは登場していない
・ 古事記で描かれたオオクニヌシの息子のタケミナカタの登場シーンは丸々カットされている
等なっており、なぜ国内向けと海外向けという目的の違いだけのために、こんな風に内容が違うのかが不思議ですよね~。
次回は、この古事記と日本書紀との内容の違いについて、もう少し突っ込んでご紹介していきたいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログサイト
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについて、活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne
ということで、「秦氏」と「加茂氏」&「鴨氏」の氏神を調べてみても、同じ出雲の神様を祀っていはいるものの、同じ神様が祀られているわけではないことがわかりました。
このことも、巧妙に重要なことが隠されているということになるのかもしれませんが、八咫烏の氏神は「事代主」だとわかったため、この先は、事代主について検証していきたいと思います。