こんにちは。ご訪問ありあがとうございます。
前回は、
アジスキタカヒコネ=コトシロヌシ=八咫烏 ? 怖い正体 その2
ということで、正統竹内文書で伝えられている八咫烏の正体について推測しました。
結論としては、正統竹内文書の伝承からは、
アジスキタカヒコネ=コトシロヌシ=八咫烏
だと推測されました。
アジスキタカヒコネはオオクニヌシの息子になるのですが、
・アマテラスが出雲の国譲りをして来た際には出雲を出て大和に行き、大和の王のニギハヤヒに妹の下照姫を結婚させて大和と手を結ぶ
・次に神武天皇が日向国から大和を攻めてきたときには、大和を裏切って八咫烏として神武天皇の味方になる
ということで、2回も彼の運命・地位・権力にかかわるすごい選択をして、どちらも成功しているのです。
すごい先見の目がある人物になるのですが、日本神話ではその正体は「八咫烏」として描かれ、歴史の表舞台からはひた隠しにされている人物になるんです。
今回は、再度話を戻しますが、イワレビコ(後の神武天皇)が大和に東征して来た頃
大和には、ナガスネヒコというとんでもなく強い武神がおりましたし、
アジスキタカヒコネも武神(別名:タケツノミ タケがつくのは武神であるこを意味する)だった
ので、大和国は鉄壁の武力を誇る国だったんです。
なので、神武天皇が簡単に攻め入り征服することができるような国ではなかったんです。
しかし、ちょうどこの頃、初代大和の統一王であったニギハヤヒは病に倒れ危篤状態にありました。
そのため、大和は大混乱中だったんです。
大和には、
・出雲からやってきた役職名大物主のアジスキタカヒコネ(コトシロヌシ)
・最強武神のナガスネヒコ
・ニギハヤヒの息子のウマシマジ
・ニギハヤヒの息子のタカクラジ
が権力者としていました。
ところが、神武天皇が攻め入って来た時、日本神話では、ナガスネヒコ以外の
・アジスキタカヒコネ
・ウマシマジ
・タカクラジ
は、すんなりとイワレビコ側に寝返ったことが描かれているのです。
これはどういうことになるのでしょうか?
正統竹内文書では、どのように伝わっているのか見て行きましょう!
実は、この戦争の裏には、イワレビコが平和的に大和を手に入れようとする策略が存在したのです。
どういうことかといいますと、イワレビコは真正面から大和と戦争をしても勝算がないことは最初からわかっていました。
そのため、イワレビコは、大和側に対して、ニギハヤヒと下照姫の間にできた娘との政略結婚を提案していたのです。
そして、戦争を望まない、アジスキタカヒコネ、ウマシマジ、タカクラジ達は、この政略結婚に賛成していたのです。
しかし、元々大和にいたナガスネヒコは、この政略結婚に大反対します。
そのため大和は、和平はと徹底抗戦派の2つに真っ二つに分かれてしてしまったのです。
そんな中で、徹底抗戦派のナガスネヒコは、イワレビコの兄であるイツセを殺してしまいます。
これにより、日向国側は一旦撤退する形になり、ニギハヤヒの死後に大和のトップになるのはナガスネヒコだという流れができてしまったのです。
この流れはヤバイと判断したアジスキタカヒコネやタカクラジ達は、イワレビコの味方をしてナガスネヒコを破り、日向国と和平に持ち込もうとします。
ここで、アジスキタカヒコネが隠密裏に進めて来た策略が功を成します。
というのは、アジスキタカヒコネは、非常に賢い人物だったので、大和国において大物主という役職につき権力を手にした際、
「出雲に国譲りを迫り、出雲を手に入れたアマテラス軍の日向国は、出雲の次はいずれ大和を狙いに来る」
と予測していたのです。
それで、日向国にもパイプを作る策に打って出るのです。
以前にご紹介した、正統竹内文書で伝わる系図を再度思い出してください。
正統竹内文書では、イワレビコ(サノノミコト=のちの神武天皇)の父親は、ウガヤフキアエズとなっております。
けれど、実際には、ウガヤフキアエズと言われ日kおとは血が繋がっていなかったとされているのです。
そのため、系図では母親となっている「玉依姫」はイワレビコの実の母親ではなく、育ての親でした。
ウガヤフキアエズは、早くに亡くなったため、美しい育ての親の玉依姫は未亡人となります。
この未亡人となってイワレビコ達を育てた玉依姫に寄り添って力になり、そのハートを射止めたのが、なんと大和にいたアジスキタカヒコネだったんです。
そのため、正統竹内文書の系図では、しっかりと
玉依姫とアジスキタカヒコネの別名武角身命(八咫烏)が結婚したとして記されているんです。
↓
ということは、イワレビコからするとアジスキタカヒコネ(武角身命)は、血はつながっていないものの叔父的な存在になるわけなんです。
こうなると、そもそもイワレビコがニギハヤヒの娘と政略結婚しようと提案したのも、実はアジスキタカヒコネの策略だったとも考えられるのです。
こうして、順調に賢い頭を使って権力を手にしていったアジスキタカヒコネですが、唯一思い通りにならなかったのが、ナガスネヒコという存在でした。
アジスキタカヒコネとしては、元々は出雲の国の人であり、大和でも日向国でもすでに権力を手に入れていたので、どちらの国が頂点に立っても良いと考えていました。
しかし、大和側が勝って、ナガスネヒコが頂点に立つことだけは排除したかっため、日向国につくことを選択し、八咫烏としてイワレビコを助けることになったのです。
そんな裏側の背景が存在した中で、八咫烏に助けられたイワレビコ軍がナガスネヒコを破ります。
日本神話では、ナガスネヒコは殺されたとなっているのですが、正統竹内文書では、死なずに東北に逃げたと伝わっています。
というわけで、アジスキタカヒコネ(八咫烏)という、とんでもないバックアップがあってイワレビコは大和国を手に入れ神武天皇となります。
その頃には、ニギハヤヒこと大和の統一王の大歳は、病気ですでに亡くなっていたそうです。
そのため、イワレビコは橿原の地ですんなりと即位することができました。
その後、神武天皇はある人物と結婚することになります。
それが、ヒメタタライスケヨリヒメです。
ヒメタタライスケヨリヒメの父は、
古事記では大物主(オオモノヌシ)
日本書記では事代主(コトシロヌシ)
先代旧事本紀では事代主(コトシロヌシ)
と記されいます。
そして、ヒメタタライスケヨリヒメの母は、もちろん
玉依姫
となっています。
アジスキタカヒコネは、
出雲では事代主(役職名)
大和では大物主(役職名)
を賜っており、妻は玉依姫です。
なので、ヒメタタライスケヨリヒメは、
アジスキタカヒコネと玉依姫の娘
であることは間違いないのです。
そして、初代神武天皇とヒメタタライスケヨリヒメが結婚して生まれたのが
第二代 綏靖天皇
になります。
こうして正統竹内文書から見て行くと、アジスキタカヒコネ(コトシロヌシ)という人物は、
・出雲の国譲りの時に、父オオクニヌシの元を離れた大和に亡命
・妹の下照姫をニギハヤヒと結婚させることで大和の権力者となる
・大和が危ういとなると日向国につき、八咫烏として活躍する
・神武天皇を勝利に導くと娘のヒメタタライスケヨリヒメと結婚させて、第二代綏靖天皇の祖父となる
・絶対的な権力者となったアジスキタカヒコネは、表には登場しないものの「カモノオオカミ」と呼ばれる最高クラスの存在となり、加茂氏=裏天皇として君臨する
という、とんでもない人物だったのです。
正統竹内文書で伝承されている内容には、本当に驚かされることだらけなのですが、まだまだこんなもんじゃないと第73世武内宿禰ことむっちゃん先生(故竹内睦泰氏)はおっしゃられているので、これからもどんどんご紹介していきますね~。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログサイト
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne
ということで、「秦氏」と「加茂氏」&「鴨氏」の氏神を調べてみても、同じ出雲の神様を祀っていはいるものの、同じ神様が祀られているわけではないことがわかりました。
このことも、巧妙に重要なことが隠されているということになるのかもしれませんが、八咫烏の氏神は「事代主」だとわかったため、この先は、事代主について検証していきたいと思います。