龍族の女王「源九郎とよさん」を覚醒させた秦氏一族とは? | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

前回は、私達シャーマンの間で伝わっている

稲荷神イコール、龍神なのかという理由について

お話をしました。

 

 

その中で「秦氏」がキーワードであることをお伝えしましたが、

この秦氏の末裔に当たる人が、源九郎とよさんと深いつながりがありますので、

もう少し秦氏についてお話したいと思います。

 

 

以前、お話した中で、源九郎とよさんが警察官をしていた頃、奈良県の斑鳩町法隆寺で勤務することとなった際に、

Hさんという地域の役員さんにとても気にいられて、

宗教的なことからスピリチュアル的なことまで、

様々なことを教えてもらったというお話をしました。

 

そのHさんこそが、秦河勝の末裔に当たる人になるのです。

 

Hさんは、秦一族同様にかなりの資産家であり、さらに、宗教的・スピリチュアル的な力も兼ね備えていました。

Hさんの家には、常に、高僧、神主、巫女、宗教家、霊能者といった面々が出入りしていました。

 

そんなメンバーの中に、なぜか宗教にもスピリチュアル的なことにも全く無関心だった源九郎とよさんが、Hさんに気にいられて参加することとなったのです。

 

 

 

Hさんは、人間が発しているオーラを見ることができる能力があり、源九郎とよさんに初めて会った時

今までに見たこともない不思議なオーラを放っている人

だということで、とても関心を持ったらしいのです。

 

そして、その後、とよさんのオーラの正体が、

Hさんの元で働く元春日大社の巫女のKちゃんという霊能者の霊視により

 

大海原の竜宮城の屋根の上にいる龍神の大王

 

が放つ光だとわかりました。

 

 

 

さらに、もう一人の霊能者であるKちゃんからも霊視を受け、

 

過去世で、龍族の女王の神功皇后だった

 

と言われたそうです。

 

 

 

この霊視を受けて、Hさんは、源九郎とよさんの中に眠る龍族の魂を目覚めさせるために、

和歌山県の丹倉神社に連れて行きました。

 

れから以降とよさんには不思議なことがたくさん起こるようになったのです。

つまり、龍族としての覚醒のスタートが切られたのです。

 

 

この不思議なことについては、また詳しく紹介していきますが、とにかく源九郎とよさんが、龍族として覚醒するきっかけを作ったのが、Hさんこと秦氏の末裔の方になるのです。

 

 

 

さて、秦氏のお話をする前に、

なぜタイのシャーマンなのに、そんなに日本のことを勉強しなければいけないのか?

という質問がありましたので回答しておきますね。

 

 

 

私が修行を積んでいるタイのパヤナーガ国のシャーマン達は、

 

・過去世で日本人だった

・現在、日本人とタイ人のハーフやクォーター等、日本人の血を引いて生まれてきている

 

といった者がほとんどなんです。

 

 

さらに、修行を積んだ後も

・日本に渡り、シャーマンという姿を隠しながら、日本人のために働いている

という者が多くおり、日本語を話せる人が大半なのです。

 

 

それがなぜなのか?

については、とても長いお話になりますので、今は、

 

タイ人と日本人は同じ一族であり、太古では一緒に仲良く暮らしていたからだ

 

とだけ申しておきます。

 

 

 

ただ、

タイ人は人間と龍とのハーフである半人半龍であり、本当の姿(高次元での姿)は

上半身が人間で、下半身が龍

になります(三次元で人間として生きている間は、普通の人間の姿をしております)

 

そのため、純粋な龍の姿をしている日本人の龍族とは見た目が違うので、私たちは

日本人の一族を龍族

タイ人の一族を龍蛇族(タイではパヤナーガと呼ばれており、それを直訳すると龍蛇になります)

という言い方をして、分けて呼んでいます。

 

 

 

 

では、話を戻して「秦氏」についてお話していきますね。

 

これからお話することは、ちゃんと文献にも記されている部分もありますが、ほとんどは、私達シャーマンの間で口伝として伝わっている話なので、お伝えする話が全て正しいとは証明できないことをご了承ください。

 

 

秦氏は、応神天皇の時代に、百済から多くの人を率いて日本に渡って来た、弓月君を祖とする一族のことを指します。

 

 

秦氏は、土木、養蚕、製鉄、機織り、酒造りなど、多くの高度な技術を、古代の日本にもたらしたとされています。

 

これらの技術を伝達することで、彼らは渡来人ながら朝廷から支配権を認められていました。

 

また、古代の豪族である「曽我氏」とも良好な関係にあったとされていて、曽我氏の末裔である厩戸皇子こと聖徳太子も、秦氏と深くかかわっていました。

その人物の名が、秦河勝です。

 

秦氏が、最初に渡来したのは、

九州とも、奈良県の葛城とも言われ、諸説ありますが、

それらを起点に、日本中に散らばって活躍していきます。

 

 

さらに、この秦氏は、大きく3つの部族に分かれています。

 

1つが、太秦を中心とするエリアを治める部族

1つが、伏見大社を中心とするエリアを治める部族

もう1つが、聖徳太子を支えた秦河勝が治めた(奈良県の斑鳩町や飛鳥等)エリアの部族

 

です。

 

 

なので、源九郎とよさんが出会ったHさんというのは、秦河勝の末裔になります。

 

秦河勝は、聖徳太子の側近でもあり、パトロン的な人物でもありました。

 

聖徳太子は、四天王寺や法隆寺など、多くの素晴らしい仏教建築を建立していますが、その財源も秦河勝が出し、

建築に関わった者も秦一族の者だったから、

あのような偉大なお寺が建立されたと言われています。

 

この功績を称えられて、秦河勝は「冠位十二階の位のひとつを授けられた」そうです。

 

また、聖徳太子から弥勒菩薩を譲り受け、それを奉るために建てたのが京都の広隆寺であり、このお寺は秦氏の氏寺として有名ですよね。

 

 

 

さて、この秦氏ですが、教科書とかでは詳しく紹介されていないですよね。

それはなぜかというと、

秦氏のルーツがどこなのか?

に、色々と公にできないことがあるからかもしれません。

 

 

秦氏の祖とされている弓月君(ゆづきのきみ)は、日本書記に記されていることを要約して引用しますと

 

弓月君は、百済から一族の者を連れて日本へ渡来し、帰化することを望んでいたが、新羅に邪魔され加羅の国に留め置かれた

弓月君は、応神天皇に助けてほしいと懇願して来た

応神天皇は、葛城襲津彦を遣わし、彼らを迎えに行かせた

しかし、3年経っても葛城襲津彦は戻って来ない

そのため、平群菟宿禰達を遣わし、邪魔する新羅を抑え

葛城襲津彦と弓月君が率いる一族を日本に連れて来た

最初、葛城襲津彦の本拠地である葛城地方に住んだが、

その後日本各地に散らばって行った

(九州に上陸し、各地に散らばったという説もある)

 

と記述されています。

 

では、弓月君は百済の一族だったのでしょうか?

どうも、そうではないようです。

 

815年に書かれた「新撰姓氏録I(しんせんしょうじろく)」には

弓月君は、秦の始皇帝の末裔だという記述があるんです。

 

実際、明治時代以前まで広隆寺の敷地内にあった「大酒神社」には、

秦の始皇帝が祭神の一柱として祀られていました。

確かに、秦氏の「秦」という字と、秦国の「秦」という字は同じですよね。

 

 

では、秦氏、中国の秦をルーツとする一族だということでしょうか?

 

 

ちょっと待った! ということで、別の話があるんです。

そして、この別の話の方が、私達シャーマンの間では口伝として伝えられてきたのです。

 

どんな話かといいますと

3世紀から6世紀にかけて、現在のカザフスタン辺りに弓月国という養蚕で栄えた国がありました。

 

この国に関しては、実際に中国の歴史書「資治通鑑」に記述があり、弓月君の一族は、この弓月国にルーツを持つ人々だったと言われているんです。

 

この弓月国は、イエスキリストとその弟子たちが、現在のパレスチナの一角で教えてお広めた原始キリスト教を信仰していたと言われているんです。

 

この原始キリスト教は、ローマ帝国が拡大するにつれて、北アフリカや中近東まで広がったんです。

 

弓月国が原始キリスト教を信仰していたのは、この国のルーツが古代イスラエルにまでさかのぼるから、もし、弓月君が弓月国の王であったとしたら、そのルーツはイスラエル、つまりユダヤ人であるかもしれないということなんです。

 

 

旧約聖書の話になりますが、

 

アブラハムの孫であるヤコブには、12人の息子がいました。

この息子たち一人ずつを族長とした十二部族が形成されました。

 

彼らは古代史の中では、一時期バラバラになってしまうものの

紀元前995年頃、ダビデ王の元で、12部族が1つの国を形成することになります。

これが古代イスラエルになります。

 

ダビデ王の息子のソロモン王の時代になると、民は厳しい労役を強いられるようになり、次の代のレハブアム王に対して、民たちは労役を軽くしてくれうように懇願したのですが、聞き入れてもらえませんでした。

 

それで、北部にいた民たちは別の王を立て「北王国」を建国してしまいます。

以後、北王国をイスラエル、南王国をユダ王国と呼ぶようになります。

 

そして、北王国は12部族のうちの10部族が占め、南王国は残りの2部族が占めるという形になりました。

 

ところが、紀元前722年、アッシリアにより北王国は滅ぼされてしまいます。

この時、各部族の指導者層の人々が捕まり、アッシリアに連行されてしまいます。

虜囚となった人数は、2万7290人と記録されています。

 

これは、なんと北王国滅亡直前の人口の20分の1だったそうです。

そして、20分の9の人々はどうなったかというと、記録に残っておらず、行方知れずとなってしまうのです。

そのため、ユダ王国の人達は、彼ら10部族のことを、「失われた10支族」と呼ぶようになりました。

 

この失われた10支族の人々は、世界各地に散らばっていったと考えられており、この10支族のうちの一部が弓月国を建国したとも考えられるのです。

 

実際に、現代になってから、10支族の行方を追うために、彼らが辿り着いたと推測される様々な国の地域の人々を対象として、DNA検査がなされたこともあるそうです。

 

ちなみにこの検査対象には、一部の日本人も含まれていたそうです。

その一部の日本人というのが秦氏の末裔になります。

 

この検査結果を受けたからなのかどうかはわかりませんが、10支族のうちの一部は日本に辿り着いていたことは、ほぼ間違いはないようで、今でも継続してイスラエル政府が日本に調べに来ているそうです。

 

そんなことから、

弓月国の王であった弓月君を祖とする秦一族は、ユダヤ人である可能性が高い、

と、私達は教えられてきたのです。

 

 

ここまでのお話は、SNSやブログなど様々なところで紹介されていますので、私以上に詳しく知っている人がいるかもしれません。

 

 

また、アッシリアに滅ぼされるまでのイスラエルの民は、

鼻が低くて鼻先が丸い、目が細い、肌の色が黄色い、今の東洋人近い姿

をしていたと伝え聞いています。

 

アッシリアに滅ぼされてから、アッシリア人と交わることで、その混血児が今のユダヤ人のような顔になっていたそうです。

 

 

 

さらに、秦氏にまつわる寺や神社には、イスラエルに関連するものが残されています。

 

その痕跡については、長くなりますので、次回で紹介したいと思います。

 

 

 

 

★ 龍族の女王「とよさん」のブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
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