無差別は怖れから紡ぎ出された
虫が怖い。
幽霊が怖い。真っ暗闇が怖い。その他にも怖いと感じるものがいくつかある。よく考えてみると、得体の知れないものや、目で見えないもの、つまり何が何だかよく分からないものが怖いと感じるらしい。
怖がられている方は迷惑な話だろう。虫は偶然虫として生まれただけ、幽霊はいるのかいないのかは知らないが、もしいるとすれば死んで成仏できない悲しき魂、真っ暗闇は光がないだけの日常の空間。
もし人体に有害な物質を虫が放出しているのなら、虫を怖がり退治する事も仕方がない。しかし、虫の出す有害物質から逃げて来た無害な虫も同じように怖がり退治してしまうのはどうだろう。仕方のない事なのか、馬鹿げている事なのか、あまり深く物事を考えない自分には解らない。
ただ、退治する方もされる方も、お互いが哀れな事だけは解る。
大きなものに愛されているか
鳥インフルエンザが話題になっている。
去年は豚インフルエン ザだった。インフルエンザに限った事ではないが、毎年のように新たな病原菌が出現して、少なからず不安を感じている。
しかし、医療や医薬品の進歩によりある程度は乗り越えてきた歴史を見れば、いつかはそれも駆逐するのだろう。
駆逐すれば新たに姿を変えた病原菌が現れ、現れてはまた駆逐する。これはきっと永遠に続いていくに違いない。
ふと思った。人類が病原菌を駆逐する為に新薬を開発するように、地球が人類を駆逐する為に開発するのが病原菌ではないかと。
なにはともあれ、地球に愛されなくて生きてはいけない。
恐怖よ、この杖の前に屈せよ
雪道を歩いているとき、雪に隠された果ての無い穴が開いていたらどうしようと不安になる事がある。
まだ誰の足跡もない無垢な雪面を歩きながら、自分が残す足跡を楽しんでいるさなか、何の前触れもなく深淵なる闇の中にただただ落ちてゆく。そんな想像をしただけで足がすくんで一歩も踏み出せない。
寒風にさらされながら冷え切った頭で考える。落ちるリスクを低減する為には点よりも面だと、足が点だとすれば地面に横たわる事が面だと。どうしても恐怖 に勝てない時は、地面を転がるしかないと思い至る。
バカバカしい話だとは思うが、真剣に怖いので仕方がない。そんな話を家族に打ち明けてみる。杖で前を探りながら歩けばいいとアドバイスを受ける。
なるほどと思った。
今なら受け入れられる ~透明なもの~
自動販売機でジュースを買った時、ありったけのジュースが出てきたり、お釣りが止まらなくなったり、そんな経験てみんなけっこうあるだろうと思う。でも、こんな経験はあるだろうか。
あれは忘れもしない10年前の今日、12月25日の夕方。デパートに買い物に行った帰り道の出来事。あたたかいココアを飲もうと自動販売機に千円を入れた。
ほんのり灯ったココアの赤ランプを押す。「ガラガラッガヅゴンッ」といつもの音が鳴り響く。そして「ウィーン、チャリン、ウィーン、チャリン」としっかりお釣りも返ってきているようだ。おもむろに商品取り出し口に手を伸ばす。透明の蓋を押し込ながら受け口の中をまさぐってみる。
ない。もういちどまさぐってみる。まだない。仕方がないので中をのぞいてみる。やっぱりない。たしかにガラガラと音はしたのだけれど、なぜかココアはそこになかった。
すこし混乱しながら、おつりだけでも手を伸ばす。ない。人差し指を激しく動かし、もう一度釣り銭返却口をかき回す。まだない。仕方がないので覗いてみる。やっぱりない。お釣りもない。なーんにもない。
千円を入れ、ボタンを押し、ガダダンと音がして、チャリンチャリンの音もした。手を伸ばす、ココアはない、首をかしげる、手を伸ばす、お釣りもない、ベソをかく、自動販売機を叩く、手を痛める、走って帰る。
もし今同じ事が起こったら、ベソをかきながら泣き寝入りなんかしない。「透明なココアあったか~い」ぐらいの事は言ってやるさ。
跪け、無意味な光の前に
先週末、1泊2日の急な出張が入った。
新幹線で1時間ほどの場所だったが、次の日が休日という事もあり車で行く事にした。仕事はすぐに片付いたがホテルも予約した事だし、せっかくなので宿泊した。
翌日は、10時ごろホテルをチェックアウトして周辺を観光する。車だったせいもあって足を伸ばし過ぎ、帰路も半ばですっかり真っ暗になる。渋滞を避けるために入った裏道があだになり、少々迷い気味。
見知らぬ農道を走り抜け、名前も知らない川を渡る。そして目前にそびえる山へ向かう灰色の一本道。オレンジ色に浮かび上がる道路脇の人家がなんとなく不気味に見える。
引き返すわけにはいかないので、くねくねと曲がりくねった峠道に挑む。30分も挑み続けた頃だろうか、かなり距離はあるものの前方に青白くにじんだ光のドームが見えた。
UFOか幽霊か、いずれにしても尋常なものではないのではと胸が高鳴り嫌な汗が噴き出す。しかし近付くにつれ、それは人家のイルミネーションである事が分かった。
安堵のあまり、イルミネーションを見るでもなく通りすぎる。それからまた20分も走っただろうか、3軒目の人家が現れる。その時ハタと気がついた。
イルミネーションの家は、隣家にいくまで20分の道のり。峠を走っている間、対向車の1台もない道だったと。「あの家の人は自分の為だけにイルミネーションを飾っているのかな、イルミネーションを自宅に飾っている他の人はどうなのかな」などと考え、「まあ、趣味の世界だから」と納得してみる。
誰かに見られても、見られなくても同じように光り輝くイルミネーション。そこに差別や不公平さはなく、ただただ輝くだけの青と白の光。誰に認められるわけでもなく、まして自分の為でもなく輝き続ける光ってどうだろう。
それはとても凄い事なのだと思う。
体を洗わない夜はヤツが来る
芸能人は体を洗わない人が多いと聞いた。
お湯にじっくり浸かっていると、老廃物は勝手に体から落ちてゆくという。しかも、歳をとっても肌の張りが保持されるというからすごい。体を洗わない=汚いというイメージは捨て去らなければいけないのかも。
しかし、子供のころに言われ続けた「垢太郎が出来るぞ」とか、「わきの下に苔がむす」とか「毛穴から小人が出てくる」という言葉が呪詛のように頭から離れない。
今にして思えば、お風呂で体を洗わないと、なぜ毛穴から小人が出てくるのかよく分からない。
それが代名詞
最近近眼になった。
コンタクトは怖いのでメガネを買った。最初は違和感があるが、しばらくするとかけていることを忘れてしまう。するとメガネをしたまま目をこすったり、顔を洗ったり、サングラスをかけようとしたりと憧れの事故が頻発する。しかし、残念なことに、メガネを頭に上げたまま、「ネガネ、メガネ」と探すというチョンボはまだない。あれをやって初めてメガネの仲間入りという感じがする。
そういえば、以前同僚が片方レンズの入っていないメガネをしていた事があった。どうしたのかと尋ねると、そこではじめてレンズがない事に気づいていた。当時は、この人完全に天然超えだななどと思っていたが、今は分かる。
あれこそがメガネのベテランだったのだ。
確かにそうではあるけれど。
会社へ帰ると「うなぎは冷蔵庫に入っています。」というメモがあった。
そうか、今週の月曜日は土用の丑の日だった。会社の付き合いで買ったうなぎが回ってきたらしい。そういえば最近うなぎの蒲焼なんて食べてないなと思いつつ冷蔵庫を開け蒲焼の具合を確認してみる。
するとそこには蒲焼ではなく、さばく前のうなぎそのものがビニール袋に入って死んでいた。冷蔵庫の奥まで覗き込んでみるが、やはりうなぎの死体以外なにもない。
うなぎなどさばけないので貰っても仕方がない。とりあえずうなぎの入ったビニール袋に「こまります」とマジックで書いておいた。
これで済めば嬉しい。
勝算アリと思っているのだろうか。
会社の花壇に水をまいていた。
土の中から蟻が現れ外の様子をうかがっている。どうやら水が蟻の巣にかかってしまったらしい。
よく見ると、蟻は巣穴の前で後ろ足4本で立ち上がり、前足2本をグイグイと動かしている。
もしかしてアレか? ファイティングポーズなのか? 間違いない。威嚇されている。
蟻に威嚇されたのは初めてなのでどうしていいのかが分からない。ただ「蟻のくせに」という怒りだけが込み上げてくるばかりだった。
末尾ゼロ
電話が鳴った。
ディスプレイを見ると着信番号が表示されている。市外局番があり次に市内局番がデジタル文字で浮かんでいる。受話器を取ろうとしたその時ふと違和感を感じ手を止めた。
もう一度番号をよく見ると、市内局番の末尾がゼロになっている。いままで市内局番の末尾がゼロの番号に電話した事があっただろうか。またかかって来たことなどあっただろうか。
記憶の糸をたどっている間に電話は切れてしまった。表現しようのない気持ちが胸にひろがり、思わず電話帳を手にとる。しかしいくら調べても末尾がゼロの市内局番などどこにもありはしたい。
やりすぎとは思いつつ局番案内へ電話してみる。住所までは教えられないが、町名程度までなら教えられるとの事なので、末尾ゼロの市内局番を伝える。しばらくして返ってきた答えは次の通りだ。
まず番号からいえば、市内局番はこの町のものである事。しかし市内局番の末尾は1~9のみを使用しており0は存在しないという事。つまり、市内局番的に言えばこの町に割り当てられた番号で間違いはないが、ただ末尾がゼロはあり得ないという事だ。
世の中に電話局で把握していない電話番号などあるのだろうか? 末尾にゼロを使える特権でも存在するのだろうか? それとも別の何かなのか。いくら考えてみてもそれは想像の域を出る事はない。
着信履歴を前にリダイヤルすべきか消去すべきか悩んでいる。