あの日を忘れない | 【魂とこころの学校・Guardian-Angels♡】魂カウンセラー&講師:飯山ゆみのブログ

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心の癒やしに携わること23年。
インナーチャイルドの癒やしを軸に、考案した「なないろセラピー」「レイキ伝授」で本来の自分らしさへと導くお手伝い&セラピスト養成もしています。


気づけば10日ぶりの更新です。


ちょっとここのところ、
感覚的に非日常的な中にいまして。


怒涛のごとくな6月―――。


大事な人を目の前で失ったことが
今になってじわりじわりと来ていて。。。


○○ロス、とか、燃え尽き症候群のようでもあるのかな。


今日は自分のために綴らせていただきます。




11日に左足を捻挫して、人生初の松葉杖!
逆にそれでちょっと着地したような気がします。
(たくさんの方にご心配いただき感謝です✨)


ちょっと応急処置が大げさだったものだから
↓ みんなに心配かけちゃった。(^^;


骨には異常がなく、だいぶ良くなりました。 


この怪我にも意味があったなぁと
今になれば思えます。




・・・2月半ばに義母が怪我で入院してから
あれよあれよという間に亡くなりました。
72歳。私の母と同い年で、この二人仲が良かったです。


なんせ気取らない、性格の良い義母でした。
明るくサバサバ。いつも笑ってた。
私のことを嫁と思わず『由美ちゃんは由美ちゃんだから!』なんて。笑
尊敬すらしてくれた、お義母さん。


怪我によって肝臓癌と糖尿病とわかり
そこから再入院して、帰ってくることはありませんでした。
 

余命はもうわからない、と告げられてから
義父、夫、義弟夫妻、義妹、私も毎日病室へ通いました。


約2週間。正直、みんな体がキツかったです。
特に義父は。。。涙もろく、つらそうでした。


義母は意識があったりなかったり。
容体が安定している時もありました。


お義母さんがそんな大変な中、
長野の出張が前から決まっていて。
泊まりで行っていいものかすごく悩みました。


でも、延期したところで
義母の容体はいつどうなるかわからない。。。


義父と夫が『行ってきなさい』と背中を押してくれていて
『私のことはいいから、』といつも言ってくれていた義母の言葉も思い出し
長野へは予定通り行くことに決めました。
本当に迷ったけれど。



そして。。。



出張の日、 6月4日
その朝(夜中)に、、、


義母はあの世へ旅立ちました。。。


混乱しながら夫と必死に向かったけれど
着いたとたんに、息を引き取りました。


義母の目頭に、涙が。。。


頑張って待っていてくれたのですね。。。


最後の方は息が苦しそうだったので
やっと安らかに眠れた、そんな穏やかな表情でした。



そこからは悲しむ間もなく現実が待っていて
みんなで義父をサポートするべくいろんな手配に追われました。


その最中、、、またも背中を押されました。
『行ってきなさい』と。夜明けでした。


そして家に戻る早朝、
実家の母に報せる電話で やっと泣けました。
『長野に行くんでしょ、気をつけてね。』 
という励ましの言葉に、ほろり。


私はずっと夢の中にいるような感じで
電車に乗りました。
Facebookではいつも通り。
こういう時ってハイテンションなんですよね。




車中はずっと夢見心地。

約25年間の義母との思い出に浸りながら長野(上田)に到着。


丸2日間、皆さんのインナーチャイルドと向き合いながら
私の中のインナーチャイルドも笑ったり泣いたりして
とても有意義で充実した、忘れられない癒しの連日となりました。 



長い長い1日となった6月4日―――。
ロクヨン!
あの日のことは 生涯忘れないでしょう。


グループセッションの最後で泣けたこと。
朋ちゃんや皆さんが温かくて。
それにもグッと来ました。


次の日の講座では、個性豊かな皆さんが
とても励みになりました。


インナーチャイルドの学びは
人生の学びでもあります。


義母の人生も感じながらの講座となりました。



それにしても。
今ごろ哀しみが湧いてくる。


最後の方は手を握るしかなくて。
家族の中で一番こねこねしてたのは私かな。笑


義母は決して社交的ではなかったし
家庭的でもなかったけれど(ゴメンナサイ)
自分に正直で、何事も笑い飛ばす偉大な人でした。


夫は『長男なのに、、、』と自分を不甲斐なく思ったりしていたけれど
何年も前から義母は『長男は長男!』と言っていました。


最初はその言葉が嫌味に感じていたけど
(長男なのに私の実家寄りに家を建ててしまったし)
全然そうではなかったのです。


『長男は長男。やっぱり長男だよ。』


入院中も、何度も言ってくれました。
その言葉は夫に対して、究極の褒め言葉だったのです。


あの独特な訛りが混じった言葉をもう聞けないのか、
と思うと本当に寂しいですが


私たちの中には永遠に残るのでしょう。


お義母さんのお陰で、
飯山家の絆が深まったよ。。。



葬儀前に徹夜で作ったボードです。



そして。
左足を怪我して思ったことは
動けなくて『悔しい!!!』でした。


お義母さんも、左大腿骨骨折してずっと動けなかった期間があって
これ以上に悔しい想いをしたのだと初めて気づきました。


亡くなってから、やっと大泣きできました。


一緒に浄化できたかなぁ。
本当に悔しかったよね。(T_T)


怪我してわかったことがたくさんあり。
すべて無意味なことはないのだなぁと改めて思いました。


この期間、実母や姉に支えてもらい ありがとう
人は人に支えてもらって成り立つ『人』の字のごとくだと。
今までもそうだったけど、身をもって知る今日この頃です。


しかし。こんなに義母が好きだったなんて。
つらすぎる。
最後の方で『死ぬー』って言ってて
『みんな死ぬんだよー』なんて返したけど
わかっちゃいるけど寂しいね。



若かりし頃の義母。カッコいい。



自分の人生を悔いのないように。
そう言ってくれているのかもしれない。


思い残すことはない、とも言っていた。
私もそんな人生を送れたらいいな。


長い、短い、ではなく。



最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。


飯山 ゆみ