30年ぶりの「アレナ・サンファン・パンティトラン」訪問 | プリンシペ・オリエンタルのブログ

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誰も知らない元覆面ルチャドール(プロレスラー)“プリンシペ・オリエンタル”のブログです。リングネームだったプリンシペ・オリエンタル=東洋の王子様。しかし、素顔は王子とはかけ離れた男であります。今はプロレスとはまったく関係ない毎日を送っています。

先週の土曜日、「アレナ・サンファン・パンティトラン」を訪れた。


1994年の大学の卒業旅行以来だから、実に30年ぶりだった。


以前このブログでも書いたと思うが、そのときに観戦した強烈な経験が、ルチャリブレに大きな興味を持つことになったのだ。


いわば、人生を変えた思い出の地。


当時の印象としては、超場末の会場で、観客のエキサイトぶりが凄まじい、というものだ。


日本人ルチャドールのグラン浜田選手がメインのタッグマッチに出場し、こんなところで日本の選手が大声援を受けて戦っているのか、と感動した。


しかも味方の選手がルード(悪玉)に寝返り、浜田選手は流血させられてしまうという展開。


周りの子どもたちと一緒に浜田選手を応援した。


試合後にはサインももらい、感動の夜だった。




話が長くなったが、とにかく忘れられない場所なのだ。


試合がないのはわかっているが、せめて会場周辺の雰囲気だけでも味わおうと思い、この日の午前中に実行した。




30年前と同じように、地下鉄1号線終点のPantitran駅へ向かう。


しかし不通区間が生じているらしく、途中駅で下車させられた。


代行バスに乗り換える。


ようやく着いたPantitran駅。




当時は駅前からバスに乗り、さらにタクシーに乗り換えて会場に行った。


スペイン語がまったくわからなかったし、詳細情報もなかったので、とにかく会場名を周りの人たちに連呼してたどり着いた。


時代は流れ、今やスマホの位置情報もあるし、ネット検索で情報は容易に入手できる。




今回はこの駅始発の地下鉄A号線に乗って向かう。


乗車。


2つ目のCanal de San Juan駅で下車。


改札を出た後、高架橋を渡る途中で撮影。


歩道は露店で埋め尽くされ、車道脇も水たまりなどの悪路が続く。


途中、ポスター発見。


次回は3月26日金曜日らしい。


すでにメキシコ・シティを離れてしまっているな、と残念に思う。




駅から歩くこと10分あまり。


ついに到着。


この町に溶け込んだ雰囲気がたまらなくいい。


30年前の記憶とつながる。



会場前に駐車していた3輪タクシー?にもポスターが貼られていた。


この店でチケットを売っているらしい。




店のお姉さんに声をかけてみた。


昔来たんですよ、みたいに話をしていたら、中を見ていきなさいよ、と言ってくれた。


予想外の展開に気持ちが昂揚する。


ありがたく中に入らせてもらった。




わー、ここだ!


当時よりきれいになっているかとは思うが、それでもアレナ・メヒコのように洗練された感じはまったくない。


まさに地に根付いたルチャリブレ会場の趣だ。


どの辺りに座ったのかな、と歩き回ってみる。


懐かしい。





これは新しそうな絵。










記念自撮りもしておく。




自己満足の極みここにあり。


お姉さんに何度も礼を言った。


何か買い物して貢献を、と考えたのだが、残念ながらほしい物がなかった。


ありがとう、アレナ・サンファン・パンティトラン。




往路とは別の道を気分良く歩く。

土曜日の昼前、道行く人たちも穏やかに見える。

超庶民的な市場をのぞいたりもした。

「治安の悪い場所」と言われるであろう道も。


表通りはフツーに露店が連なっていた。

こういう光景自体が、もしかしたら「治安が悪い町」というレッテルを貼られてしまうのかもしれないが、


何が起こるでもなく、地下鉄の駅の高架橋が見えてきた。




お店のお姉さんがくれたチラシを眺める。

(画像は後日撮影)




時代を超えて、思い出が確かなものになった気がした。