ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
ソロモン諸島の戦い 目次 鋭意更新中
昨年手に入れメモリースティックに埋もれていたこの要図について調べを進めてみました。
.作戦期間が昭和17年11月4日~12月4日となっております。
第二師団総攻撃が昭和17年10月24日~26日、従って二師団総攻撃失敗以降の戦闘です。
また要図には上から
Point CRUZ クルツ岬
Point LUNGA ルンガ岬
TETERE テテレ
と並んでおりますのでルンガ飛行場より東の一帯となります。
米軍の参加部隊はこの要図からは読み取れませんが
CARSON`S PATOL
とありますのでグーグル先生に問い合わせましたところ
↑記事がヒットしました。
CARSON`S PATOL に参戦した米軍部隊は、第二海兵奇襲大隊 、2nd Raider's
当時、奇襲大隊は二つ存在し「エリート中のエリート」という位置づけで他の一般海兵隊員からは良く思われていなかった節があります。
1st Marine Raider's 第一海兵奇襲大隊はエドソン奇襲大隊、フロリダ諸島の横浜航空隊が位置したガブツ・タナンボコで上陸作戦を行っております。
また、第二師団総攻撃の際はムカデ高地第一線へ援軍として補強配備されました。
日本軍呼称「むかで高地」
米軍呼称「プローディ―リッジ」又は「エドソンリッジ」←このエドソンは1st Marine Raider'sから来ています。
今回のCARSON`S PATOLは
2nd Marine Raider's 第二海兵奇襲大隊でカールソン奇襲大隊となります。
※書によっては「襲撃大隊」又は「突撃大隊」と翻訳されているものもあります。
何故カールソンと呼ばれるのかと言うとエバンス カールソン少佐が大隊長だったからであります。
日米開戦前は中国共産党軍の軍事顧問(傭兵?)として大陸で暗躍しており左翼的思想の持ち主だった疑惑もあります。
さらに調べを進めるうちにこの大隊のやらかした不快な行為に辿り着いてしまいました。
米軍がガダルカナルへ上陸した十日後、昭和17年8月16日日本軍の注目を他へ向けさせるためギルバート諸島のマキン環礁ブタリタリ島へ、大隊から選抜した二個中隊が潜水艦からゴムボートに乗りかえ奇襲攻撃を敢行しました。
参考までに自分が2018年ギルバート諸島へお邪魔した時の → 目次
↓今も残るマキン環礁ブタリタリ島の戦争の跡、オンチョンワーフの銃弾痕 2018年撮影
砲台の残骸であろうか・・・鉄製の歯車
ブタリタリを守備する海軍陸戦隊は不意を突かれ46柱の犠牲をだして全滅している。
米軍の被害は戦死21人、収容作業時の溺死者7人、負傷者14人。
此処で奇襲大隊の兵隊は戦死した日本兵士の股間を切断し口に押し込む遺体凌辱事件を起こしていjます。
何とも公平に事実だけを追いかける自信が揺らいでしまう事件であります。
が、気を取り直して調べを続けたいと思います。
:
つづく
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。