ガダルカナル戦書籍一覧   
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)

2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次    
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

 

 

現在鋭意更新中 ケ号作戦 陸上戦目次 

 

矢野大隊(臨時編成歩兵第二百三十大隊)配属

山砲兵第三八連隊 第八中隊

第二小隊長 佐野 徳太郎 少尉 

矢野大隊残置予定部隊(松田部隊戦闘詳報による)だった山砲土肥中隊と歩兵一個小隊(実際は一個分隊)は大隊主力より1日遅れて5日夜ボネギ左岸陣地撤退を開始。

土肥中隊長よりエスペランスへ先行せよの命を受けた佐野少尉と今泉軍曹は中隊主力を後に懸命に歩度を伸ばした。

エスペランスの海岸道より山へ少し入った所に将校の指揮する検問所があった。

中隊の状況報告、この検問所は撤退行動の秩序を保つために設置せられたと思われた。

佐野少尉と今泉軍曹は此の検問所で中隊主力を待つ事とし落ち着いて周囲を見渡すと警備の兵の元気の良さに驚いている。

「後方には食料があったのか・・・」

 

大凡二時間遅れて中隊主力到着、大休止。

検問所の指示によりエスペランス岬(峠になっている)を越えカミンボに向かう。

やがてガ島では見た事も無い美しい高原(草原)に出た。

遮蔽物は一切無く日中の通過は困難に思えたが幸い夜間で何事も無く通過する。

 

※峠に遮蔽物の無い高原??? とは初めて知る情報であります。

海岸道を通らずに峠を越えた・・・ ↓のようなイメージでしょうか。

いずれにせよ撤退時にエスペランスで峠越えをしたという記述は佐野少尉記録が初めてで驚きました。

エスペランスの海岸道を歩くと発見される恐れが高いので検問所を設置し峠を行くよう指導したと想像します。

疲れ果てた身体に鞭打っての峠越え・・・ 想像を絶します。

参考までにサバウル二師団歩兵16聯隊が撤退時乗艇した辺りです。

2012年にお邪魔しましたがGPSを装備していなかったので正確な位置は不明。

↑△灯台と書き入れた辺りがエスペランス岬と思われ↓が其の辺りから見たサボ島

2012年撮影 然しながらGPS非装備の為大凡であります。

 

7日朝、カミンボ到着。

矢野大隊主力は既に集結しており、此の地で初めて糧秣(圧搾口糧)の補給を受ける。

下士官以下全員に撤退の事が告げられたが、この時には皆薄々判っていたようであった。

手榴弾・小銃・砲兵の大切な装備「照準眼鏡」・背嚢等、装備一切を埋没処理の命。

携行許可品、将校は軍刀、兵は帯剣のみ。

 

7日夜の乗艇位置が示された。

命により中隊を二分、土肥中隊長以下指揮小隊と第一小隊はカミンボ集結地点。

佐野少尉以下第二小隊と弾列はカミンボ集結地点より2km西方地点。

隊を二分したのは全滅を危惧しての事だ。

 

※カミンボ西方2km??? とは・・・ ?マーク付近になってしまう。

ガ島第三次撤退の最期の船舶工兵となった吉田 武 中尉 の手記「ガダルカナル最期の日」

の↓付図より↑の矢印が撤退乗艇位置と思い込んでいたのですが・・・

今は赤い屋根の一軒家など確認する術も無く・・・ 解決したつもりの位置が怪しくなって来てしまいました。

 

日没を待って乗艇位置へ移動し乗船を前に全員整列、涙を流しながらガ島に眠る戦友の御霊に黙禱を捧げている。

19:30 乗艇指示。

何処の部隊か多数の兵が殺到し我先に乗艇、瞬く間に大発は鮨詰となり身動きもとれなくなった。

暗夜の中、沖合まで出て海上待機。

21:00 駆逐艦が誘導灯を点滅させながら入泊。

各艇一斉に駆逐艦に向け発信するが佐野少尉の大発だけが発動機が始動しない。

艇内騒然となるが船舶工兵の懸命な修理で艇は発進、最寄りの駆逐艦に接弦、胸を撫でおろしたところで「一杯だから沖の艦に行け」と乗艦拒否。

艇内再び騒然、周囲を見渡すと他の艇は全て移乗を終えている。

漸く指示された沖の駆逐艦に接弦、水平に助けられながら移乗を終える事が出来た。

22:30 駆逐艦は30ノット(時速約54km)の全速でガ島を後にした。

ガ島に於ける中隊の戦没者は21名(ボ島戦没含む)

山砲兵第38聯隊第八中隊 御戦没者名簿

戦傷者5名は上陸後直ちに野戦病院へ入院。

残る者も殆ど下痢・マラリア患者で中隊の戦力は半減していた。

 

以上 山砲兵第38聯隊史 佐野徳太郎少尉の手記より

 

※此処まで佐野少尉の手記を読み進めてまいりましたが、殿部隊の認識はあっても置き去りにされる残置部隊という認識は無かったようです。

残置部隊に残置するなど兵に伝える訳にも行かず土肥中隊長一人苦悶していたように感じます。

ボネギ左岸陣地撤退開始時の独歩患者残置処置も中隊全員残置がなくなった後であるとすれば一人でも多く撤退させるのが中隊長の使命からかも知れません。

残念ながらアルリゴに残置された福岡歩124聯隊の宮野政治中尉に指揮された患者部隊の記録を読み取ることは出来ませんでした。

此処で佐野少尉の手記概略を終えたいと思います。

 

ガ島で散華された山砲兵第38聯隊第八中隊 御英霊  の御冥福を此処より祈念申し上げます 合掌

 

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山砲兵第三八連隊 第八中隊のガ島戦

 

 


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