ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
現在鋭意更新中 ケ号作戦 陸上戦目次
歩兵第十六連隊より派遣→船舶工兵第三連隊配属→独立速射砲第九中隊・青木部隊
歩兵第十六連隊 市島仙三中尉の記録
2月3日 朝
軍司令部より派遣された田熊参謀が同行し敵状偵察。
先行の速射砲中隊が敵と接触し交戦となる。
速射砲中隊の100m後方に位置する市島隊にも敵弾が飛来、「機関銃前へ!!」の命令速射砲中隊位置へ前進すると100m前方椰子林に敵影を認め狙い撃つと敵は姿を消した。
※速射砲中隊と言っても速射砲がある訳では無く装備は軽機関銃・小銃・擲弾筒で総勢約40名
米軍の兵力は一個連隊(実際は一個大隊)との情報、追撃せず陣地構築、敵の出現を待つ事となった。
市島隊現在地
マルボボより更に東方に布陣する市島隊
※市島隊と対峙しているのは米陸軍第132歩兵連隊第二大隊(イリノイ州編成)
現在地で不気味な数日を過ごす市島中尉。
二回目の転進作戦が2月4日成功の報を聞く。
三回目は成功するだろうか・・・互いに溜息が出てくる。
冗談も消え次第に言葉も減り互いに顔を見合わせるようになって来た。
落ち着こうと自分に言い聞かせながらも空ろな気持ちが心の底から湧いてくる。
2月6日早朝
ポーンと迫撃砲の発射音。
市島中尉は50m前方に配置してある分哨へ駆け付けると前方のバナナの葉が風で揺れている。
注意を怠らぬよう指示し陣に戻ろうとしたところで一斉射撃を受け分哨に戻るに戻れず後方の陣まで飛ぶように戻った。
周辺の密林には米兵が満ち溢れ銃口をこちらに向け撃ち込んで来る。
暫くして銃声も絶えたところで前方に派遣した下士官斥候の安否が気遣われる。
少時経過、密林より人の声が聞こえ、時折笑い声が交じる。
下士官斥候達は敵の包囲の中悠々と帰って来た訳で、先程までの戦闘を話すと狼狽し青ざめて居た。
斥候が戻り約400m後退して陣地構築なのだが円匙も無く椰子の樹陰で敵を待っていると再び敵の一斉射撃を受ける。
陣地と言っても壕も無く、敵弾を遮蔽するのは凹地や大木の陰しかない。
敵の射撃が途絶え「敵の今日の進撃は此処までか」と安堵したのは既に夕刻だった。
日暮れと共に激しいスコールが襲来、身体の芯まで濡れ食事もとれず寒気に震えている頭上を迫撃砲弾が通過し後方で炸裂している。
後方からの連絡で「迫撃砲弾はカミンボの揚陸点(撤退地点)に着弾している」
がガダルカナルの米軍迫撃砲兵
頭上では迫撃砲弾が後方へ通過、スコールは降り続く中、黙々と任務遂行の為持ち場を守る兵を見た市島中尉は越後兵特有の粘り強さを感じ「只々頭が下がる」と表現している。
大木に寄り掛かって指揮を取る市島中尉、突然寄りかかる大木の根元に砲弾が炸裂。
同時に右肩を何かで殴られたような衝撃、電流が走り続いて痛みを覚える。
右腕を挙げてみると挙がるので安堵し軽傷と判断、衛生兵を呼ぶと泥の中を這いながら手探りでやって来る。
その泥だらけの手で治療を開始する衛生兵、後刻徐々に痛みが増しズキンズキンと脈動に合わせ痛みが走り遂に右腕が挙がらなくなってしまった。
痛みに耐え現在地を守りながら2月6日の夜は更けて行った。
参考文献:新発田連隊史 あやめ戦記歩兵第十六連隊と太平洋戦争
つづく
※私事で恐縮ですが明朝より出張となり再び4~5日不在となり更新が滞ります。
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。