空閨残夢録 -22ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言






 Tristan and Isolde / John William Waterhose -1911



 「愛のどんな敵も、愛がみずからを讃える炉で溶解する」 

                    『狂気の愛』アンドレ・ブルトン



 

 中世ヨーロッパにひろく流布された、『トリスタンとイゾルデ』の物語は、起源はケルトの説話とされるが、ギリシア神話とローマ神話にある『ピュラモスとティスベ』の物語りが原型とされる。12世紀にフランスで物語としてまとめられると、これはアーサー王伝説の物語に組み込まれた。しかし、元々は独立した文学作品なのである。

 円卓の騎士の一人として数えられるランスロットと並ぶ武勇を誇る騎士であるトリスタンは、主君マルク王の妃となるアイルランドの王女イゾルデと、誤って媚薬をトリスタンとイゾルデが飲むことで悲劇的な恋の物語に発展する。

 トリスタンという名前は悲しみを意味する。悲恋の主人公にふさわしい名ではあるが、トリスタンは生まれたときに両親を亡くし、不幸な身の上は出生からの宿命であった。叔父のコンウォール王マルクのもとに引き取られて成長することになる。そして、やがて立派な騎士に成長する。

 あるとき、叔父の命令でアイルランドへ赴き、叔父の妻となるべき金髪のイゾルデを迎いに行き、帰りの船中で一日会わなければ病気になり、三日会わなければ死ぬという、魔法の効能をもつ愛の媚薬を二人は口にして、忽ち燃えるような恋愛におちいいり、道ならぬ関係となる。

 イゾルデという名前はドイツ語である。フランス語ではイズーと発音するようだ。そこで王の妻となったイゾルデとトリスタンは密会を重ねるが、これが公になり、トリスタンは国外に追放されるが、ノルマンディーでイゾルデという名前の別の女性と結ばれる。

 このノルマンディーのイゾルデを「白い手のイゾルデ」と物語では区別され、マルク王妃のイゾルデを「金髪のイゾルデ」と表現される訳なのだ。そして、トリスタンはある戦争で重症を負い、病床に身を臥すが、死の間際に、もう一度「金髪のイゾルデ」との再会を希うが、嫉妬のため「白い手のイゾルデ」の姦計により、トリスタンは絶望のうちに死ぬ。

 そして、間もなく駆けつけたイゾルデも、悲しみのあまり絶命してしまうのが、この悲恋物語の骨子である。この物語からシェークスピアは『ロミオとジュリエット』を戯曲化した。またワグナーもオペラにして、ジャン・コクトーは映画化している。

 ドニ・ド・ルージュモン(Denis de Rougemont、1906 - 1985)はその著作『愛について(エロスとアガペー)』で、こうした極端な恋愛の形を「情熱恋愛」と名づけて、あらゆるロマンティックな破滅的な恋愛の原型とみなしている。苦悩を求めて、不自由な試練により、永遠に結ばれない恋、快楽の拒絶、不幸な悲恋でなければ、激しい情熱の燃焼はない恋愛の魔力を、「情熱恋愛」という言葉に封じ込めてこう表現したのである。




 


 ピエール・アベラール(1079~1142)は中世フランスの大学者で、パリ・ノートルダム大聖堂付属学校で神学と哲学の教師をしていた。アベラールは1117年、ノートルダム大聖堂参事会員フュルベールの姪エロイーズ(1101~64)の家庭教師となり、16歳の美少女エロイーズは、男ざかりの美男子である38歳のこの大学者にすっかり魅了され、二人はやがて恋におちる。

 そんな二人の恋愛関係はやがてエロイーズが妊娠したことにより暗転する。彼女をひそかにブルターニュの親類のところでお産させて、結婚を申し込んだアベラールに、意外にも、エロイーズは反対して、才能ある大学者は妻子にわずらわされずに学問を選択するようにと述べて、自分は日陰者でもかまわないと答えたという。

 しかし、エロイーズはそれでもよかったのだが、保護者である叔父のフュルベールが激怒して、アベラールに二人の男を派遣させて復讐を企てたのである。なんとその復讐とは去勢するという暴行事件に発展する。この事件はスキャンダルとなり、男性器官を失ったアベラールはサン・ドニ修道院の修道士となった。

 エロイーズは子供を預けてアルジャントゥイユ修道院の修道女となった。そして、エロイーズの二十年間に及ぶ、アベラールへの火のような恋文を書きつづけては送る日々が始まる。その愛の往復書簡は、あまりにも有名な伝説となる。


 「あなたにとって、《妻》という名がより神聖な、より名誉ある名に思われたとしても、わたくしにはいつも、あなたの《情婦》と名のることのほうが、ずっと嬉しく思われたのでございます。いえ、もしあなたさえお気を悪くなさなければ、いっそあなたの《娼婦》と名のりたいのです」


 アベラールは、燃えるような恋情に乱れたエロイーズを落ち着かせるために、精神的な愛の領域へ導くのだが、彼女は納得できずに恋心を一層につのらせるだけであった。


 「わたしが気に入られたいと思うのは、あなたにであって、神にではありません。わたくしを尼僧にしたのは、あなたのご命令であって、神への愛ではないのでございます」


 エロイーズは神への愛を説くアベラールに対して痛烈に反撥している。今では不具者で性的な激情を失ったアベラールは彼女をもてあましていた。

 この男とは名ばかりの恋人に宛てて、二十年間も燃えるような恋文を書きつづけたエロイーズの情熱を想うと、今では燠火となった我が胸底に明々と恋の焔がたちあがってきそうである。いずれにしても恋愛力を燃え尽きるまで持続させたその情熱と情動を讃えたいと思う。





 ラファエル前派はロンドンで1848年に、ジョン・エヴァレット・ミレー (1829-96)、ウィリアム・ホルマン・ハント (1827-96)、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ (182-82)を中心に、7人の若者たちから創立された。

 この結成された英国の芸術会派は、正確にはラファエル前派兄弟団 (The Pre-Raphaelite Brotherhood)といって、これを略した「P・R・B」と旗印にした芸術結社だった。

 ラファエル前派は、19世紀ロマン主義文学から世紀末デカダンス文学、そして西欧に拡がった世紀末象徴主義芸術へと流れる一連の運動に、影響力と霊感を与えた重要な位置に存在していた。

 また、ラファエル前派の芸術活動に、ジョン・キーツ (1795-1821) の、中世のバラッドや物語詩を底辺とした作品「『Lamia』イザベラ、聖アグネス祭前夜その他の詩集」、「『La Belle Dame Sans Merci 』つれなき乙女」の詩からインスパイアされた作品が多く描かれている。  

 キーツの詩を題材にした後期ラファエル前派の、ジョン・コリア (1850-1934) の作品に『リリス』(1892)があり、それよりも早くロセッテが“リリス”を題材にしている。


 1895年に発表された幻想小説に『リリス』があり、これは英国の作家であるジョージ・マクドナルド(1824-1905)の作品で、この人物はファンタジーの開祖ともいえる作家。  

 ルイス・キャロルに『不思議の国のアリス』の刊行を促したのはジョージ・マクドナルドでもあり、J・R・R・トールキンの「中つ国」や、C・S・ルイスの「ナルニア国」などに、影響を大きく与えた作家でもある。

 そのジョージ・マクドナルドの晩年の代表作である『リリス』とは、人類の母であるイヴがアダムの肋骨から創造される以前に存在した女といわれる。

 アダムの最初の妻とも伝わるリリスの神話は、本来はメソポタミアにおける夜の女の妖怪であり、夜の魔女として伝わっていた 。

 カナン神話ではリリスは安産の女神でもあり、旧約聖書の『イザヤ書』では夜の妖怪か魔女の類いとして記されている。中世の伝説ではイヴへの嫉妬から人間の子供たちに妖気をもたらす魔性として伝わる妖女妖怪である。



 さて、ジョン・コリアの画題は『リリス』なのだが、描かれた女性の裸体に、大蛇が巻きついた場面は、キーツの詩に登場するレイミア (ギリシア神話のラミアー、ブルガリア民話のラミア) からインスピレーションを得て描かれたものである。

 レイミアの物語は異種婚姻譚であり、蛇女が美女となって男を誘惑するとされたが、リリスもレイミアもファム・ファタールとして共通する女の妖艶なイメージなのである。

 ファム・ファタール (宿命の女・運命の女) とは、世紀末デカダンス芸術の主要な存在でありテーマとなるが、その意味を訳語からは正確なニュアンスを伝えていない。形容詞のファタールには、確かに「宿命的・運命的」という意味はあるが、「致命的・命取りの」という意味もある。ここから、言葉を補足してファム・ファタールの意味を述べれば、「恋情を抱く男を破滅させるために、運命的に降誕した魅力ある女」とでも定義しよう。

 ラファエル前派を創立したメンバーのロセッティは、1868年前後に『レイディ・リリス』を描いたが、このリリスの絵姿が、その後の世紀末まで通低するファム・ファタールの原形となったといえよう。 

 ファム・ファタールを画題にして先鞭をつけたロセッティは、ロイヤル・アカデミーで、ミレーや ハ ントと出会った。ロセッティの父は、イタリアのナポリ王国からの政治亡命者で、キングス・ガレッジの教授だった。母方のロセッティの叔父がジョン・ポリドリだというのもおもしろい事実であり、ポリドリは医師にして作家で、あのバイロン卿の友人でもある。

 1816年にスイスのジュネーブ近郊のレマン湖にある別荘で、バイロン卿とポリドリ、そこにロマン派の詩人パーシィ・シェリーとその妻メアリーが滞在中に創作された物語は今では誰もが知る近代ホラーの原点となる。それはポリドリの『吸血鬼ドラキュラ』と、当時19歳のメアリーが書いた『フランケンシュタイン』である。このエピソードを映画化したのが巨匠ケン・ラッセルが描く1986年の映画『ゴシック』であった。

 さてさて、掲 載した最初の絵はロセッティの『レイディ・リリス』(1868)というタイトルの作品で、次はジョン・コリアの『リリス』(1887年)であるが、大蛇と女を画いた作品をもうひとつ紹介させてもらおう。

 それは、ドイツのミュンヘン分離派の創始者であるフランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928)の『罪』(1893)という作品でる。





 この絵に描かれた女は、胸から腹部だけが光を浴び、顔からそのほか全体は陰鬱に暗い構図である。長く黒い髪と蛇がその闇に描かれていて、蛇と共犯関係にあるような、その女の視線には影の中から意味ありげに胡乱に光る。挑発的にもみえる目の暗い輝きは原罪をテーマにした象徴的表現で、その女はイヴが題材である。

 この創世記の失楽園に至るところの物 語は、多くの画題になり描かれてきたテーマだが、シュトゥックの蛇に誘惑されるイヴの作品には、それまでのキリスト教絵画の概念とは、あきらかに異にするファム・ファタール信仰ともいえる退廃的な匂いを彷彿させている。

 リリスにしても、イヴにしても、人類の始祖としての原形的な イメージを内包しているが、絵の構図に蛇が描かれることで象徴的な意味が強くなる。しかし、ロセッティの画いたリリスの絵姿はベネツィア風で、華麗で、装飾的で美しく女性像が優勢的に描かれている。

 このロセッティ風の女性像は、世紀末象徴主義を越えて、さらにアールヌーボーの時代まで昇華する美的イメージを有している。ファム・ファタールの概念を越えて、女性崇拝を内包した普遍的理念すら感じるエロティシズムを垣間見る思いがする。






 ラファエル前派の美学が映画に受け継がれているとしたら、それは1981年のカレル・ライス監督による『フランス軍中尉の女』であろう。ジョン・ファウルズの小説を、ハロルド・ピンターが脚本家した作品。カール・デイビィスの音楽も秀逸で、映像と美術もきわめて高純度の作品である。

 主演はメルリ・ストリープ、ジェレミー・アイアンズ、ヴィクトリア朝の古典的ラブ・ストーリーにして、物語は映画を撮影してる現代からも、役者たちの不実な恋愛関係が同時に進行する劇中劇の構造をもつ映画だ。

 英国南部の港町ライム、時は1857年、考古学者で、当時としては進歩的なダーウィンの進化論を信望するチャールズは、資産家の麗しき令嬢と婚約する。しかし、嵐の防波堤で、或る日、フランス人将校に捨てられた悲劇の女、うつ病患者、身持ちの悪い元家庭教師と、港町で変人あつかいされるサラと出逢い恋に落ちる。

 やがて、婚約者を捨て、サラと恋に落ちたチャールズは破滅していく。財産も名誉も捨て、サラを求めるが、サラはチャールズの求めに応じず、チャール ズのもとから忽然と消えてしまう。落魄するチャールズはロンドンの場末である貧民街や娼館にサラの姿を探しつづける。

 繁栄を謳歌した大英帝国の首都ロンドンだが、一歩裏通りに入ると、貧しい女性たちの群れが見えるのが、哀しみをさそう。華やかなブルジョワジーとは対蹠的に描かれている現実の侘しさが映像に焼きついている。

 サラを演じる現代のアンナ、チャールズを演じるマイクは、お互いに家庭があり結婚しているが、映画の撮影中に不倫な愛を結び合う。そのアンナが映画の台本を読み、また資料を読み上げる場面がある。1857年当時ロンドンでは、8軒の宿の1軒が売春宿で、男性125万人に対して娼婦が8万人もいた。というデータをアンナはマイクに伝える。ロンドンのような大都 会では、失業した家庭教師の独身女性などは娼婦になるしかなかったのだ。

 チャールズの元から去ったサラは娼婦になったでろうと、その姿を3年間ロンドンの裏通りを探しつづけた。ここまでだとファム・ファタールの物語であるが、意外にも、サラはチャールズを呼び求め再会を果たす。しかし、現実のアンナとマイクの恋が悲劇的に展開して結末をむかえる。




 また米国映画で、日本未公開の1964年の映画で、ロバート・ロッセン監督・制作・脚本による『リリス』もファム・ファタール映画として秀逸な作品である。主演はリリス役にジーン・セバーグ、作業療法士役にウォーレン・ベイティ、リリスに惹かれる患者役にピーター・フォンダ。

 物語は私立の精神病院に作業療法士として職を得た退役軍人のビンセントが、入院患者である統合失調症のリリスに次第に惹かれていく。リリスはニンフェットのように無邪気にして妖艶な女で、知的で幻想的な魅惑を秘めている。やがてリリスの世界に誘引されるビンセントは現実と幻想の境界を見失っていく。

 この映画はサイコ的なファム・ファタール映画かも知れないが、エロスの情熱や情動という熱源より、醒めた心理的なエロスの劇場を湛える水分を感じさせる物語である。

 リリスを演じるジーン・セバーグはあのセシルカットではなくて長い金髪のヘアスタイルで登場する。ジーン・セバーグの不安と妄動の演技力は高く評価されるであろう。そしてファム・ファタールに魅せられた男たちの行き着く先は狂気か死しかないのである。(了)




 

 


 ウラジミール・ナバコフの小説『ロリータ』は、アメリカで出版社各社から出版を拒否された後に、ようやく悪名高いポルノ出版社であったパリのオリンピア・プレスから、1955年9月に初版が出版される。

 そして、1962年には名匠スタンリー・キューブリック監督により映画化され劇場公開された。1998年には、エイドリアン・ライン監督が『ロリータ』をリメイクしている。

 オリンピア・プレスによる初版、そして精神分析学者によるコンプレックスの症例の烙印などにより、“ロリータ”という美しい響きは、現代では通俗の匂いを強く纏うことになる。

 さて、主人公であるエドガー・H・ハンバート教授は、初めてロリータと出逢った時は、原作では、この少女は 、年齢が12歳と7ヶ月であった。ハンバード教授はニンフェット・マニアであり、彼にとって、ニンフェットとは、 9歳から14歳ぐらいまでの少女なのである。

 キューブリックの映画ではロリータをスー・リオンという当時15歳の少女が演じている。ライン版はドミニク・スウェインがロリータを演じていて、彼女も撮影当時は15歳であったが、映画では14歳の設定とされている。

 キューブリック版では、原作とスー・リオンの年齢に誤差が、微妙に曖昧とされているが、ライン版のロリータは14歳の設定で映画化されている。ライン版は、ナバコフの小説が1948年~52年頃の設定であると思わしいのだが、この時代考証により美術、衣装、風俗、舞台設定が行われ撮影されている。キューブリック版は映画制作年代の60年代初頭の設定で撮影されている。

 キューブリック監督により映画化された『ロリータ』は白黒 の作品であり、脚本はキューブリックがナバコフに依頼し、これをキューブリックは脚色して作品化した。オープニングの映像は少女と思われる素足のクローズ・アップから始まる。

 その小さめの白い片足はロリータの素足と想像される。その足先にペディキュアを塗る男の指先、それはロリータの義父ハンバートと想像されるであろう。この爪先に化粧を施す男の奉仕と、白く小さめの足には、エロティックな関係性と、フェティシズムを発散させる場面ともなっている。

 しかし、少女と義父のエロティックな関係性は、この象徴的な冒頭にある僅かな場面以外では濃密に描かれていないのがキューブリックの作品であった。本人も『ロリータ』をリメイクして、ロリータとハンバートの関係性にエ ロティシズムを濃密に描き直したいと語っていたと伝わる。

 映画はエロティシズムよりも、ミステリー性の高い作品であり、コミカルにして、通俗的な陽気さをたたえている。原作の殺人事件のクライマックス・シーンを、映画では冒頭にもってきており、その後のストーリーを回想形式で綴っている。映画を見る観客は、謎めいた衝撃的な殺人事件から始まる物語の展開に飽きることはない仕組みとなっているエンターテイメント性の趣きさえ感じる。




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 「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。

 朝、四フィート10インチの背丈で靴下を片方だけはくとロー、ただのロー。スラックス姿ならローラ。学校ではドリー。

 書名欄の点線上だとドロレス。しかし、私の腕の中ではいつもロリータだった。」

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 ウラジミール・ナバコフの小説『ロリータ』第1部第1章の冒頭にある書き出しが、上記の文なのであるが、ロリータの片方だけ靴下をはいた姿がロー、ただのローとあるが、もう片方の靴下は、米国はニューイングランドの夏に、ハンバート教授は執筆と休養をかねて、訪れたロリータの自宅で発見することになる。

 キューブリックの映画では、ハンバート教授は長期滞在する下宿を探していて、未亡人シャーロット ・ヘイズ宅を紹介されていた。その下宿の下見にヘイズ邸を訪問する。シャーロット夫人に2階の部屋を案内される途中で、キッチンや浴室、シャーロットのおしゃべりが進行しつつも案内されるが、廊下にある籐椅子に片方だけの白い靴下がかけられていて、シャーロットはハンバートに気がつかれないように素早く、それを隠す。

 小説では、第10章で、ロリータが脱ぎ散らかした靴下の片方が、客間と並びのキッチンにつづく部屋の床の上に落ちていた。第19章では教会へ出かけたシャーロットの留守にハンバートはロリータの白い靴下の片方で不貞を働くことが告白されている。

 斯様にして、小説では、ハンバートがロリータの足(靴下)にフェティシズムを抱く描写を、キューブリック監督は、 映画冒頭のワンカットで表現している。映画は言葉よりもひとつの映像をもって表現するのだが、ハンバートの詩は読み解こうとするとあまりにも難解で、小説『ロリータ』とは、この難解な言葉と文法によりハンバートから紡ぎだされる集積なのであろうが、これを漠然と読めば面白くも可笑しくもない文学作品に見えてしまう。

 しかし、キューブリックの映画『ロリータ』は、文学性よりも、エンターテイメントの手法が前面にでたミステリー風のような展開で、時には心理劇でもあったり、コミカルな演出にして、ナバコフの文学性と接点をあまり感じさせない。

 キューブリックの『ロリータ』は、結論として、原作のエロティシズムが希薄な世界として、ナバコフの文学と核心は通低していないような気もする。こ の希薄なエロティックな部分をエイドリアン・ライン監督のリメイク版『ロリータ』で満たせるであろうが、しかし、ライン版のロリータには、片方の白い靴下は登場しない。


 ウラジミール・ナバコフはスタンリー・キューブリック監督の「ロリータ」の脚本を手がけたが、監督によりかなり脚色されてしまったらしい。その後、ナバコフはそれに不満だったのかは、いざ知らず、1970年に再度、映画用の「ロリータ」を脚本を表した。これはミュージカル上映されて、『ロリータ・マイ・ラブ』の題名で上演されている。

 エイドリアン・ライン監督が『ロリータ』を1997年にリメイクしているのだが、キューブリック監督と同じくクライマックスの殺人事件の事件現場から車で移動するハンバード教授の姿から物語の冒頭をすすめている。その形式はキューブリックと同じ方法であるが、映画全体はナバコフの小説に忠実に物語はほぼ展開する。

 ライン版はキューブリック版のエロティックな関係性が希薄だったのを埋めるように、ロリータのニンフェット(小悪魔)ぶりを十分に描き、性的描写にも余念がなかった。そして表面的にはモラリストとして演じて生きているハンバートの内面的な葛藤や孤独を、エンニオ・モリコーネの音楽が儚く虚しく奏でるのが切なく印象的である。

 それとは対照的にロリータはダンスに夢中で、落ち着きが無くいつも脚をバタバタさせていて、ハリウッドの映画俳優に憧れ、当時の流行曲(エラ・フィッツジェラルドのテイント・ホワット・ユー・トゥ・ドゥーなど)がお気に入り。ポップで奔放な通俗的な女の子なのであるが、モリコーネの深淵な音楽性がハンバートのテーマ曲になっているのと、ロリー タのテーマ曲は当時の流行歌で対照的に演出されている。

 この二つの対極的な音楽性という視点からだけでも、ボクはライン版の『ロリータ』を評価したいと思う。この映画のモリコーネの作品はあまり知られていないが、モリコーネの映画音楽の作品の中でも真骨頂といえる。それはエドガー・H・ハンバート教授の苦悩と悲劇を如実に表現していることの評価なのだが、ドロレス・ヘイズ(ロリータ)のテーマ曲ともいえる当時の流行歌による音楽監修が、小説でしか表現できない部分や、映像化の齟齬を音楽で埋めていると感じたからである。

 ライン版の映画『ロリータ』は終幕に、ロリータをハンバートから奪ったクィルティを拳銃で殺し(キューブリック版も同じ)、放牧地の丘で警察に追 い詰められて自動車から降り、丘の上から街を望むシーンがある。眼下の街からは子供たちの声が聞こえてくる。








 「高い崖からその音楽的な振動に耳を傾け、控えめなつぶやき声を背景にして個々の叫び声が燦めくのに耳を傾けていると、私にはようやくわかった、絶望的なまでに痛ましいのは、私のそばにロリータがいないことではなく、彼女の声がその和音に加わっていないことなのだと。」




 この映画の場面の最後のシーンにある朗読は小説のものであり、モリコーネのオリジナル曲は背景で美しい旋律を伴う。さて、このライン版の「ロリータ」はかなりポップな女の子である。ラジオから流れる流行歌、カー・ラジオの音楽、モーテルのBGM、ソーダ・ファウンテンのジュークボックス、ロリータのお好みの曲は1950年前後のヒット曲。このリズムとサウンドをモリコーネはうまく編んでいるのが心憎い。


 ナバコフは当初、「ロリータ」の執筆にあたり、タイトルを仮題として『海辺の王国』(kingdom by the sea)とした。このタイトルはポーの『アナベル・リー』(Annabel Lee )に出てくる詩の一節にある。『ロリータ』の小説では、主人公ハンバート・ハンバートの少年時の回想から始まるが、少女アナベルとの初恋の思い出が重要なエピソードとなっている。

 ハンバートの初恋の相手であるアナベルの再来として、ロリータが登場し物語りは悲劇的に展開する。そもそもロリータなる愛称は、ハンバートが14歳の時に純粋に愛して忘れられぬアナベル、そして、アナベルの転生と信じて惹かれたドロレス・ヘイズの複合化したネーミングこそが「ロリータ」という愛称なのだ。

 ロリータの本名はドロレス・ヘイズ、ドロレスは父を早くに亡くし、母と二人きりの母子家庭である。学校の友達からは「ドリー」の愛称で呼ばれ、母親のシャーロットは「ロー」と更に簡略な愛称で呼ばれている。

 それが何故、「ロリータ」とハンバートは名付けたかというと、初恋のアナベル・リーとドロレス・ヘイズの名がハンバートの愛の幻想のなかで昇華して、アナベル・ヘイズ、またはドロレス・リー、さらに別の名を「ロ・リー・タ」という金色にして褐色の姿でハンバートの前に登場する言葉となり名前となる。

 それは「Lo、Lee、Ta」 と表すと、“Lo”が「ドロレスのロ」、“Lee”が「アナベル・リーのリ」となり、ハンバートの可愛い「カルメンシータ」と麗しき響きへと重なっていくのだ。

 ハンバート・ハンバートの名前も一見奇妙なのだが、正確にはエドガー・H・ハンバートであり、エドガーの名前はポーと重なるのも仕組まれたものであろう。それでも翻訳ものしか読めないボクにはいろいろと謎があり、深い構造を秘めた文学なんだと改めて思うだけである。

 ウラジミール・ナバコフの『ロリータ』が、当初、発表された時には『海辺の王国 』(The Kingdom by the Sea)という仮題であったと先に述べたが、これはまぎれもなく40歳で亡くなったエドガー・アラン・ポーの最晩年の詩で、バラード(物語体)形式の詩『Annabel lee』からの引用なのである。

 エドガー・アラン・ポーは27歳でヴァージニアと結婚する。ポーの花嫁となったヴァージニアはその時、13歳9ヶ月だった。1842年の1月、ヴァージニアはピアノを弾きながら歌をうたっているときに喀血する。それ以降ポーは、愛する妻の死という現実から逃れようと深酒を繰り返し、また神経症的なメランコリーを深めていくこととなる。ヴァージニアは1847年1月30日、24歳の若さで結核で亡くなった。

 その後、ポーの生活はかなり荒んだものとなっていく。ヴァージニアの死から2年半後、ポーは40歳で亡くなるのだが、ポーの死後2日目に地元新聞『ニューヨーク・トリビューン』紙に、ヴァージニアへの愛を詠ったとされる『アナベル・リー』が発表される。

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  「アナベル・リイ」


 在りし昔のことなれども
 わたの水阿(みさき)の里住みの
 あさ瀬をとめよそのよび名を
 アナベル・リイときこえしか。
 をとめひたすらこのわれと
 なまめきあひてよねんもなし。

 わたの水阿のうらかげや
 二なくめでしれいつくしぶ
 アナベル・リイとわが身こそ
 もとよりともにうなゐなれど
 帝郷羽衣(ていきやううい)の天人だも
 ものうらやみのたねなりかし。

 かかればありしそのかみは
 わたの水阿のうらうらに
 一夜油雲(いううん)風を孕み
 アナベル・リイさうけ立(だ)ちつ
 わたのみさきのうらかげの
 あだし野の露となさむずと
 かの太上(たいじやう)のうからやから
 手のうちよりぞ奪(ば)いてんげり。

 帝郷の天人ばら天<示止>およばず
 めであざみて且さりけむ、
 さなり、さればとよ(わたつみの
  みさきのさとにひとぞしる)
 油雲風を孕みアナベル・リイ
 さうけ立ちつ身まかりつ。

 ねびまさりけむひとびと
 世にさかしきかどにこそと
 こよなくふかきなさけあれば
 はた帝郷のてんにんばら
 わだのそこひのみづぬしとて
 﨟(らふ)たしアナベル・リイがみたまをば
 やはかとほざくべうもあらず。

 月照るなべ
 﨟たしアナベル・リイ夢路に入り、
 星ひかるなべ
 﨟たしアナベル・リイが明眸(めいぼう)俤(もかげ)にたつ
 夜のほどろわたつみの水阿の土封(つむれ)
 うみのみぎはのみはかべや
 こひびと我妹(わぎも)いきの緒の
 そぎへに居臥す身のすゑかも。


                        (創元選書 『ポオ詩集』 日夏耿之助 訳)
 






 日夏耿之助によるポー詩集の訳文は、今では旧い文語体なのであるが、おくゆかしい日本語の真髄と文学の王道を感じさせてくれる。しかし現代の口語形式で咀嚼しないと文学を飲み込めない時代でもあるから、次に岩波文庫の『ポー詩集』で加島祥造による 翻訳詩もあわせて掲載しておこう。

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 「アナベル・リー」



 幾年(いくとし)も幾年も前のこと 
 海辺の王国に 乙女がひとり暮らしていた、そしてそのひとの名は
 アナベル・リー
 そしてこの乙女、その思いはほかになくて ただひたすら、ぼくを愛し、ぼくに愛されることだった。

 
 この海辺の王国で、ぼくと彼女は 子供のように、子供のままに生きていた
 愛することも、ただ愛ではなかった
 愛を越えて愛しあった
 ぼくとアナベル・リーの
 その愛は、しまいに天国にいる天使たちに
 羨まれ、憎まれてしまった。


 そしてこれが理由となって、ある夜 遠いむかし、その海辺の王国に 
 寒い夜風が吹きつのり ぼくのアナベル・リーを凍えさせた。
 そして高い生まれの彼女を、ぼくから引き裂き連れ去った
 そして閉じ込めてしまった 海辺の王国の大きな墓所に。


 天使たちは天国にいてさえぼくたちほど幸せでなかったから
 彼女とぼくとを羨んだ
 そうだとも!  それこそが理由だ
 それはこの海辺の国の人みんなの知ること
 ある夜、雲から風が吹きおりて 凍えさせ、殺してしまった、ぼくのアナベル・リーを。

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 ヴァージニアが死ぬ直前に、ポーに対して語りかけた言葉が記録に残っているのだが、最後にその言葉を添えておこう。


 「私が死んだなら、あなたの守護天使になってあげる。あなたが悪いことをしそうになったら、その時は両手で頭を抱えるの。大丈夫、私が守ってあげるから……」。(了)






 ギリシア神話とローマ神話にある『ピュラモスとティスベ』は、オウィディウスの『変身物語』に挿入されている悲恋物語である。
 
 
 バビロンの都に、ピュラモスという美青年とティスベという美女が住んでいた。二人の家は隣同士で、二人は恋に落ちたが親たちに反対された。二人は、両家を隔てる壁の小さな場所で密会していた。そして、或る夜、町外れのニノス王の墓の近くの木陰で落ち合うことを二人は決めた。


 夜陰に乗じて、ティスベは、ヴェールで顔を隠して、墓までやって来ると、大きな桑の木の下に座った。すると、一頭の牝獅子がやって来た。そのライオンは牛を食い殺したばかりで、口を血だらけにして、近くの泉で渇きを癒そうとしていた。遠くから月の光でその姿を見たティスベは、洞穴に逃げ込んだ。その時、ヴェールを落としてしまった。


 獅子は、水で渇きを癒し、森へ帰って行く途中、そのヴェールを見つけて、血だらけの口でそれを引き裂いた。後から来たピュラモスは、血に染まったヴェールを見つけ、約束の木陰までそれを持ってゆくと、そのヴェールに口付けをして、腰につけていた剣を、わき腹に突き立てた。その流れる血を浴びて、そばの桑の実は、どす黒い色に変わり、根も、血を吸って、垂れ下がる実を赤く染めた。
 

 この時、ティスベがもどって来て、ピュラモスを見つけると、「ああ、なんてことでしょう。あたしのお父様も、このお方のお父様も、わたしたちをお許しくださらなかったけれど、でも、お願いがあるのです。確かな愛が、こうして結びつけてくれるのです。ですからどうか、わたしたちを、同じお墓に葬っていただきたいのです。それから、この桑の木にもお願いがあります。これからは、わたしたちの死の形見に、嘆きにふさわしい黒い実をつけてほしいの。ふたりの血潮の思い出にね」・・・・・・ティスベはこう言うと、胸の下に刃をあてがうと、血のぬくもりがまだ残っている剣を胸に刺し入れた。



 ウイリアム・シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』は、ケルト系の『トリスタンとイゾルデ』の伝説よりも、『ティスベとピュラモス』のギリシア・ローマ系の悲恋伝説を原作にしているようだ。

 このシェークスピアの戯曲を映画化した作品は、米国映画、ジョージ・キューカー監督(1936年)、(ロミオ)=レスリー・ハワード、(ジュリエット)=ノーマ・シアラー 。

 英国映画、レナート・カステラーニ監督(1954年)、(R)=ローレンス・ハーヴェイ、(J)=スーザン・シェントル 。

 旧ソ連、レオ・アルンシュタム、レオニード・ラブロフスキー監督、1954年、(R)=U・ジダーノフ、(J)=ガリーナ・ウラノワ。

 伊映画、リカルド・フレーダ監督(1964年)、(R)=ジェロニモ・メニエル、(J)=ローズマリー・デクスター 。

 伊映画、フランコ・ゼフィレッリ監督(1968年)、(R)=レナード・ホワイティング、(J)=オリビア・ハッセー。

 米国映画、バズ・ラーマン監督(1996年)、(R)=レオナルド・ディカプリオ、(J)=クレア・デインズ 、等があるけれども、ボクが観た作品はF・ゼフィレッリ監督の映画だけである。





 そのあらすじは、舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。そこではモンタギュー家とキャピュレット家が、血で血を洗う抗争を繰り返している。


 モンタギューの一人息子ロミオは、ロザラインへの片思いに苦しんでいる。気晴らしにと、友人たちとキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、キャピュレットの一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。二人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚した。ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打つことを期待する。


 しかし結婚の直後、ロミオは街頭での争いに巻き込まれ、親友のマキューシオを殺された仕返しにキャピュレット夫人の甥ティボルトを殺してしまう。ヴェローナの大公エスカラスは、ロミオを追放の罪に処する。一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに大公の親戚のパリスと結婚することを命じる。


 ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てる。しかしこの計画は追放されていたロミオにうまく伝わらず、ジュリエットが死んだと思ったロミオは彼女の墓で毒を飲んで死に至り、その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追う。事の真相を知り悲嘆に暮れる両家は、このことでついに和解することとなる。


 ゼフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』も好きな作品であるが、この映画は宗教的で禁欲的な作品であり、反カトリック的な要素も含まれているのも確かである。


 『ロミオとジュリエット』は情熱恋愛をテーマにしているので、反キリスト教的な側面を『ブラザーサン・シスタームーン』よりは感じられるかも知れないが、ゼフィレッリ監督は汎神論的なキリスト教徒のようである。


 いずれにしても、『ブラザーサン・シスタームーン』よりは、『ロミオとジュリエット』は性的な情熱のカタルシスを与えてくれるので、エロス的な恋愛力を信仰するものには聖典として語り継がれる作品なのである。