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空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言


 

  

 1989年に、アカデミー賞作品賞を含む4部門を受賞した映画『ドライビングmiss デイジー』は、ドイツ系ユダヤ人の老婦人と、初老の黒人運転手による、25年間に及ぶ交流を描いた心温まる作品。 

  
 主演の未亡人デイジーを演じたのはジェシカ・タンディで、この作品で歴代最高齢の80歳で主演女優賞を獲得している。ミス・デイジーの息子のブリー役は、『ブルース・ブラザース』や『ゴースト・バスターズ』でお馴染みのコメディアンであるダン・エクロイド。ブリーに雇われた運転手役にモーガン・フリーマン。

 

 

 物語の舞台は、ジョージア州アトランタで、アメリカ合衆国の綿花産業の中心地にして、深南部の商業と経済の中心地である閑静な住宅街から、物語はさりげなく始まる。

 時は、1948年のある日の事、通いの黒人のメイドを一人雇っている独り暮らしの未亡人デイジー・ワサンは、外出のために車庫から自動車を出すが、誤って隣の生け垣を超えて庭へ陥っちてしまい事故を起こす。

 母のデイジーを心配して、出勤前に息子のブリーがかけつける。この時にメイドが作ったと思われるバター・ミルク・ビスケットを、ブリーは朝食がわりにいただいている。母のデイジーは息子の忠告を殆ど無視しながらキュウリのピクルスを拵えていて、それを口やかましい息子の口へ押し込むが、ブリーは美味しくそれを食べる。

 この母デイジーと息子ブリーの軽妙なやりとりで、如何にミス・デイジーが気難しい婦人であるのかがよく判るが、別に偏屈であったり、変わり者という訳ではないが、かなり強情な一面はあるご婦人がミス・デイジーと云えよう。

 そんな少し面倒な母だが、親孝行の息子は彼女のためにお抱え運転手を雇うことにする。ブリーはアトランタでも大きな綿布や布袋を製造販売する“ワサン産業”の社主で、彼に運転手として雇われたのが初老の黒人男性であるホーク・コバーンであった。




 ミス・デイジーは、黒人の運転手を抱えるのを否定し、買い物や外出には電車を利用すると言ってきかない。しかし、彼女は差別主義者ではないが、雇われたホークに、運転も、掃除も、庭仕事も、意地悪みたいに、頑なにさせないのであった。

 裕福だが決して見栄を張ることもなく、質実にして厳格、信仰に篤くて実直なデイジーは、生まれ育ちが貧しい事もあり、勤勉で努力家であった。アトランタ市長も教え子の一人だったという、元は教師であったデイジーは偏見のない進歩的な思想家でもあった。またアフリカ系アメリカ人による公民権運動の盛んな時代で、深南部は白人至上主義団体が台頭しているのが、デイジーと息子、そしてデイジーとホークの軽妙な会話からうかがえてくる。

 ホークは雇われて6日目に、頑なに車での外出を拒む婦人を後部座席に乗せることに成功した。これよりミス・デイジーは月に何度も亡き夫の墓参りに車で行くが、ホークが字を読めない事を知ってしまう。1953年のクリスマスの夜、デイジーはホークに、自分が教師の時に使っていた教材の“ゼイナー式書き方読本”を贈る。
  
 翌年、デイジーとホークはアトランタからお隣の州であるアラバマのモービルに遠出する。それはデイジーの兄の誕生日祝いの為だった。この小さな旅でデイジーは黒人に対する差別を体験する。後にデイジーはキング牧師に傾倒していく伏線になる小さな出来事でもあった。

 1966年の雨の日、デイジーは礼拝に会堂へ向かうが、途中で渋滞にあう。ホークは警官に事態を聞くが、白人至上主義団体によるテロで会堂が爆破されたと知る。このディープ・サウスというエリアはユダヤ人も人種差別の対象であることがうかがえる一場面。

 1971年のある朝、デイジーは認知症を発症して錯乱してしまう。しかし、この事により、デイジーとホークは心深く強い絆で結ばれる出来事となる。そしてデイジーは老人専用施設に入る。ホークも年齢の為に自動車の運転を止めて、静かに余生を暮らし棲む。

 1973年のとある日、ブリーとホークはデイジーを見舞いに行く。認知症が次第に進行するデイジーであったが、25年前に初めてホークと出会った軽妙なやりとりで二人は会話をかわしエンディングになる。




 さて、この終幕は折しも感謝祭である。デイジーに供された施設の料理は、パイで、ホークはデイジーにパイをスプーンで口へ運んであげるシーンは泣けるほど微笑ましい場面。このパイは、多分・・・・・・ボクは、南部風のピカンパイと推察する。それはピカンナッツが南部名産の一つだからだ。

 1963年に雇われていたメイドのアデラが亡くなった。その後はデイジーが料理をするが、ホークもアデラのしていた仕事をする。そんなデイジーが作っていたのがフライドチキンのオクラのロースト添え。そして、この映画の場面に何度も登場する飲み物は“サンティー”であろう。これはつまり南部風アイスティーである。  

 いずれにしても、『ドライビングmiss デイジー』では、事件も料理もさりげなく起こり登場する。軽妙な会話やそのやりとりが、この映画の妙であり、ラストのパイに二人の友情が収斂し、愛がさりげなく込められている料理として映り物語は終焉する。(了)

 昨日、札幌を流れる豊平川源流の定山渓温泉に行き、渓流沿いを散策した。カタクリ、エゾエンゴサク、エンレイソウ、ヒトリシズカが花を咲かせていた。シラネアオイも発見するが花が開くまでには至っていなかったのが残念である。上流に向かってヤマセミが飛んでいたのも初めての観察である。



















初恋のきた道 (The Road Home)



 『紅いコーリャン』『菊豆(チャイトウ)』などの中国の農村部を主に舞台にした映画で知られるチャン・イーモウ(張芸謀)監督による2000年の作品『初恋のきた道 (The Road Home)』は、美しくも清らかな光彩を放つ珠玉の恋愛映画である。

 中国北部の寒村である三合屯に馬車で半日はかかる町から教師が赴任して来る。しかし、小学校の先生はやってきたが、学校の校舎さえ未だ無い貧しい村であった。

 赴任してきたルオ先生は、その時20歳、その先生に恋心を抱く娘は18歳のティである。やがて文化大革命前夜の1958年に反右派闘争にまきこまれるルオとティは、二年後に結ばれことになる。

 それは自由恋愛の無いとも思しい時期であり、また二人の身分の差にも愛の障害があった時代の物語である。

 映画の冒頭は、黒白の映像で町から村への道をルオとティの一人息子が、父の突然の死によって帰還するところから始まる。それは寒い冬の悲しい出来事であ った。村は以前にもまして老人と子供だけの働き手は都会に出てしまい淋しさと貧しさのために閑散としていた。

 父の遺骸は町の病院にあった。村長と息子は葬式の打ち合わせをするが、母が旧い慣わしにより仏となった亡骸を家路まで棺を担いで運ぶことを主張している。しかし、村には棺を担ぐ人手もお金もなかった。そこで村長は息子にトラクターで棺を半日かけて運ぶように母を説得して欲しいと説く。

 だが母は強い意志で頑なに仏となった父を担いで運ぶため、壊れた機織を直して棺にかける布を夜なべをして織り始める。母は父が死んで二日間学校の校舎の前から座ったまま疲れ果てていたので、息子は布は町で買うからと説く、布は織らないで休むように説得しても言うことを聞こうと しなかった。

 そして映像は過去の息子のナレーションによる回想場面となるのだが、このシーンからカラーへと映像に変わる。

 よく映画の手法としては、現在がカラーの映像で過去の回想シーンが黒白の映像となるのが一般的なのだが、この作品は逆の手法にすることで、母の初恋を活き活きと、母の父への想いを熱く、恋愛の激しい情念を映像とするべく、寒村の風景をカラー映像で描写することにより、一途でひたむきな愛、いじらしく清冽な恋を、鄙びた田舎の牧歌的な風景の中で、情念を抑えた静かな映像としていくことに成功している。

 しかし、その恋愛力はチャン・ツィイー(章子恰)演じるところのなんともいじらしい恋心、ひたむきな愛情を見事に一身に表現しきっていたの が、心深くに、心に響いて、清冽な輝きが、哀しみの琴線にふれてしまう。

 村の校舎は建設されて、女たちは建築に携わる男たちにお弁当を作る。ティはルオ先生に食べて欲しくて、葱のお焼き、栗ご飯に炒り卵、茸餃子と一生懸命に料理をするが、その姿が美しくて、何ともいじらしく可愛らしいこと・・・・・・。



 村には井戸が二つあって、校舎に近い裏井戸と、ティの家に近い表井戸があったが、ティは天秤を担いで遠い裏井戸でルオ先生の国語の朗読を聞くために、40年間も、そこへ通い続けた。

 やがて学校が建てられて完成する。その校舎の梁に村で一番美しい娘が紅い布を織って飾るのがティの役目になった。

 学校に通う遠い家の教え子はルオ先生が送ってくれていたが、その町につながる山道をティは遠くから夕暮れの下校時に待ちぶせを続ける。

 やがて、そんなティの恋心を感じてルオは紅い服の似合うティに紅い髪留めを送る。それに校舎のティの織った紅い布がいつも見え るように、ルオは天井に板を張らなかったのは、ティをいつも、紅い服の似合うティを思い出すためでもあった。

 お互いに心が通じ合ったが、ティの母は身分が違うと恋心を諫める。そんな二人をやがて来る文化大革命の不吉な予兆が、二人の愛を引き裂くことになる。

 だが、二年の月日を乗り越えて、やがて冬の遠い町から、凍土のこの村への道をルオは辿って帰ってくる日を路傍で、寒さにふるへもせずティはひたすらに毎日待ち続けた。

 茸餃子が好きなルオがティの家で食事をする約束の日に、二人の最初の別れが訪れる。それは秋の日である。村の山々は白樺が黄金色に変わり、遠く唐松の森も黄色くなりはじめた。羊や馬の放牧された牧草も夕暮れと同調している風景に村と町を結 ぶ曲がりくねった道が見える。

 その道は、小麦の穂を垂れる畑や山々の色づく森の風景に映し出され、その道が初恋がきた道であり、愛する人が辿って来た家路だ。

 その道で、少女の無垢で純情な恋の全てが映画でチャン・ツィイーは見事に演じる。その初々しい恋の輝きはどんな宝石より美しく輝き、寒村の紅一点であるその少女の服と髪留めを、その映像は心情の象徴として美しさの全てとして収斂していく。

 やがて過去の恋の仄かな熱情は黒白の映像である現在へと移行し、母の願い通りに父の棺は担いで運ばれた。

 その為に36人を金で雇って運ばせる予定が、訃報を聞きつけて、100人もの過去の父の教え子たちが、その棺を担いで無事に村まで吹雪の中を運ばれたのである。遠 くは広州から来た人間もいた。また雪のために間に合わなかった者も中にはいた。

 葬儀が終ると、死んだ父の念願が叶って、村に新校舎が建つこととなった。やがて廃校となる古い校舎から、ルオ先生の国語の朗読が聴こえてきたのを、老いたティは耳にする。

 それは、幻聴ではなかった。ティは急いで校舎へと足を運ばせると、すると、そこには、村で初めて大学に入った自分の息子が、子供たちを集めて国語の朗読をしている最中であったのだ。



 その姿は、ティの愛する夫ルオ・・・・・・そのもの姿であった。


 ルオ先生の墓は校舎を見下ろす裏井戸のそばに建てられた。


 やがて、いつの日にかティもいずれ自分もそこに眠ることを心よりせつに願って涙した。(了)





 現代の日本で高純度の恋愛小説を発表して、それも女と女の恋愛だけをテーマに連作している中山可穂の作品のなかで、『白い薔薇の淵まで』は彼女の一連の恋愛小説の傑作であろうし、この著作は第14回山本周五郎賞を受賞したこともあり、同性愛という偏見を越えて世間からも認知された文学作品である。


 中山可穂は1960年、愛知県名古屋市に生まれる。早稲田大学教育学部英語英文科卒業。大学卒業後に劇団を主宰、作・演出・役者をこなすも、のちに解散となる。この劇団での出来事を小説化した1993年に、マガジンハウスへ持ち込んだ『猫背の王子』でデビューする。


 『猫背の王子』の続編である1995年に『天使の骨』で第6回朝日新人文学賞を受賞。2001年、『白い薔薇の淵まで』で第14回山本周五郎賞を受賞。2002年『花伽藍』が第127回直木三十五賞候補作品となる。


 『猫背の王子』は芝居に情熱の全てをかける王子ミチルとその主催する劇団での物語である。またミチルは女から女へと淫蕩なほどに性的な関係も精力的に構築しながら、ミチルの小劇団での公演により女性のファンたちに夢幻的な熱狂も巻き起こす女優でもあった。

 そんなミチルの劇団が信頼していた仲間の裏切りにより解散するまでの経緯が、中山可穂の自伝的な要素を交えながら物語は展開する。彼女は公私ともに同性愛者であることも肯定していて、恋愛小説のほとんどは女と女の愛の物語になっている。


 このミチルの青春物語は続編の『天使の骨』で、青春のエネルギーをほぼ傾注していた演劇の挫折から、ヨーロッパへの放浪と彷徨の日々のなかで自己を回復する物語と、パリでめぐり逢う小劇団の日本人女優との恋愛譚が主なテーマになっている。やはり事実として世界各地を若き日にさ迷い歩いた経験が小説に反映しているようだ。


 この中山可穂の体験としてのアジアからヨーロッパそしてアフリカへの放浪と彷徨は、『白い薔薇の淵まで』のアジアへの探索紀行、『マラケシュ心中』でのアフリカへの逃避紀行で、小説世界に共通するもうひとつの大きな要素となっている。





 2000年に発表された『感情教育』では女と女の情熱恋愛のテーマが高純度に輝きをみせはじめてくる。ひとりの女は逆境に生まれつく。産院で産み落とされた赤ん坊を母親は見捨てて消える。3歳の時に孤児院から養女として建具職人に育てられたが、養父は酒乱で、その家を早く出ることばかり考えて育った。


 専門学校を卒業すると、内装会社のデザイン部に就職し、店舗や飲食店などの内装のデザインや施工の監理をした。仕事を通じて知り合った男性と結婚して、傍目には幸福そうな家庭を築くき一女にも恵まれて、その娘を溺愛した。そして彼女は一級建築士を目指して幸せに生活していた。


 もうひとりの女もやはり逆境に生まれつく。その女の父親は自分の子供である幼い我が身を祖父母から連れ出して、遊園地に置き去りにし、母親の祖父母から金を巻き上げるような人でなし。母は男と酒に溺れるような生活をして、子供をヤクザの親分に預けたり、寺の住職である祖父母に預けたままでも平気な女であった。


 やがて演劇を学びたいと東京の私立大学を志望するために母親のパトロンに学費を支援してもらい、上京して入学するや学生仲間と劇団活動に情熱を燃やす。劇団が解散するとフリーランスのライターとなって、忙しく仕事をこなす日々がはじまる。その取材中に、自分と同じような逆境に育った相手と出逢うことになる。


 そして、このふたりの女は、出逢って、恋におちる。やがて、激しく愛は燃え上がると、ひとりの女の幸福な家庭にひびが入る。・・・・・・この小説でもひとりの女が自伝的要素で登場する。このフリーランスのライターもレスビアンであり、もうひとりの女は最初は同性愛者ではない既婚者である。この既婚者が同性愛の恋愛に傾くことで幸福な家庭が崩壊しつつ、逆境の過去と対峙する物語になるのが、この小説の展開である。


 『白い薔薇の淵まで』は主人公は婚約者がいるキャリアウーマンである、だが、或る日、ジャン・ジュネの再来とまで呼ばれた新人女流作家の山辺塁と出逢い、平凡なOLが破滅的な恋におちていく。幾度も修羅場を繰り返しては、別れてはまた甘美な性愛に溺れ求め合いながら、ひたすら破滅に向っていく極限の愛の物語である。この中山可穂の高純度な恋愛小説は極限まで昇華して作品化された。







 『マラケシュ心中』は心中に至るのは男女だが、物語の軸は既婚者の女性が女流歌人に抱くプラトニックな愛が、やがて性愛として結ばれるまでの試練にみちた愛の彷徨のドラマである。


 いずれも100%恋愛小説の完成品として読めること間違いはない中編小説であり、中山可穂の『感情教育』、『白い薔薇の淵まで』、『マラケシュ心中』は、この作家による代表的な恋愛三部作であり、サフィストの情熱恋愛の傑作トリロジーであろう。



 寡作な中山可穂のわりと最新刊と思われる短編集の『サイゴン・タンゴ・カフェ』は、数年前に角川書店より文庫化されている。著者による文庫本のあとがきをまずは掲載しておこう。


 「なぜわたしはタンゴにこれほど惹きつけらるのだろう。同じラテン音楽でもサルサやボサノヴァにはわたしの琴線は何も反応しないのに、アルゼンチンタンゴだけがわたしを一瞬にして別次元までさらってゆく。タンゴという音楽に宿命的に流れている暗い情念と狂熱が自分の血の中にも滔々と河のように流れているのを、はっきりと感じることができる。自分の心臓の律動に一番近いのはタンゴのリズムである。わたしはタンゴダンサーやバンドネオン弾きになるかわりに小説家になって、この血の中に流れているものを表現しているに過ぎないのだと思う。」


 ・・・・・・まさにボクもそう思うのである。せつない愛の物語ばかりを、情熱恋愛だけを描いてきた小説家である彼女がタンゴに魂を奪われるのは必然的なことであり、それが短編小説に五編もタンゴをテーマに編まれたのが今回の作品集なのである。


 「すぐれたタンゴの曲は、官能的なのにストイックで、どこまでいってもエレガントである。ひとつの曲のなかに光と闇があり、高揚と失墜を繰り返し、透徹した様式美に貫かれている。もともとわたしは様式美というものにたいへん弱い。そういえばタンゴの曲の構造は、世阿弥言うところの物語の基本構造である『序・破・急』のセオリーに正しく則っているように思われる。三分間のなかで緊密にドラマが展開し完結しているのだ。」


 ・・・・・・わずか短い文章のなかにタンゴ論を明解に言葉として表現し、己の小説世界を端的にも語っているところに納得させられるが、この短編小説の五つの作品を概略紹介しておこう。

 まずは、「現実との三分間」から始まる。美夏は会社の転勤でブエノスアイレスに行く。そこで八尾という上司のもとで働く。この八尾は頗る仕事のできる男であるが、部下には全く人気の無い嫌な上司である。或る日、美夏はタンゴ教室でダンスを習うことにするが、タンゴ教室で八尾と偶然に出逢い、美夏は彼と踊りを通じて恋愛感情をしだいに傾けていくが、しかし、八尾は美夏に人生をおとしめるほどの裏切りをすることになる。

 次の、「フーガと神秘」は、母と娘の物語である。娘はアルゼンチンに移住してタンゴダンサーを目指す、やがてバンドネオン奏者と結婚することになり、ブエノスアイレスで行われる結婚式に母が独りで出席するのだが、娘と父親との秘密を娘から聞く事で、自分が封印していた過去の記憶と対峙することになる。それはタンゴを始めて踊ったことによる官能的な神秘であり、タンゴの魔力による禁断の扉でもあった。

 「ドブレAの悲しみ」は、ブエノスアイレスの場末の野良猫がバンドネオン奏者の老人に拾われて、老人にアストラル・ピアソラの名前を付けられて幸せな生活が始まる。やがて、アストルを飼ってたいた老人が亡くなると、同じアパートに棲む殺し屋のノーチェに飼われることになる。ノーチェは猫語が解せる男で、しかもピアソラ嫌いであるから、アストルをアニバル・トロイロの名前に変える。アパートの住人はこの猫を、アストルのA、アニバルのAから、ドブレ(ダブル)Aと呼ぶことになる。猫による一人称で語られる人間の悲劇をタンゴで奏でた作品。

 「バンドネオンを弾く女」は現代の日本における状況を描くことで、本編のなかで一番庶民的な雰囲気と可笑しさをたたえている。今、テレビでドラマ化するならば面白いと思える物語構造ではないだろうか。夫の浮気相手とサイゴンに旅をする主婦の物語なのであるが、もちろん、ここにもタンゴというテーマは結末に隠されている。

 さて表題作でもある最後の「サイゴン・タンゴ・カフェ」は、タンゴの国から遠く離れたインドシナ半島の片隅の迷路のような場末の一画にそのカフェは、・・・・・・あった。主人はタンゴに取り憑かれた国籍も年齢も不詳の老嬢。しかし東京から取材で訪れた孝子はその正体が、もう20年も沈黙を守り、行方知れずとなった異色の恋愛小説作家・津田穂波ではないかと疑う。彼女の重い口から語られた長い長い恋の話とは・・・・・・

 この「サイゴン・タンゴ・カフェ」は、中山可穂の代表作にして、2001年に第14回山本周五郎賞を受賞した『白い薔薇の淵まで』に登場するヒロインの塁が、もしもアジアの辺境で死なずに、もしも生きていたら・・・・・・という設定で書かれたとも想像できるであろう小説。

 中山可穂の作品でも、謎めいて、猫好きで、ジャン・ジュネの再来ともいわれた小説家の塁は、彼女の作品では最も魅力的な女性であり、愛さずにいられない哀しい存在であった。それがサイゴンで老女として、亡霊として再登場したのがこの作品といえるかも知れない。(了)











 札幌市南区真駒内でカタクリの群落をみつけた。カタクリの他にエゾエンゴサクとエンレイソウが混じっている。またオオウバユリの葉が芽吹いているから夏になると林床には白い花畑になると想像される自然林。