ラファエル前派はロンドンで1848年に、ジョン・エヴァレット・ミレー (1829-96)、ウィリアム・ホルマン・ハント (1827-96)、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ (182-82)を中心に、7人の若者たちから創立された。
この結成された英国の芸術会派は、正確にはラファエル前派兄弟団 (The Pre-Raphaelite Brotherhood)といって、これを略した「P・R・B」と旗印にした芸術結社だった。
ラファエル前派は、19世紀ロマン主義文学から世紀末デカダンス文学、そして西欧に拡がった世紀末象徴主義芸術へと流れる一連の運動に、影響力と霊感を与えた重要な位置に存在していた。
また、ラファエル前派の芸術活動に、ジョン・キーツ (1795-1821) の、中世のバラッドや物語詩を底辺とした作品「『Lamia』イザベラ、聖アグネス祭前夜その他の詩集」、「『La Belle Dame Sans Merci 』つれなき乙女」の詩からインスパイアされた作品が多く描かれている。
キーツの詩を題材にした後期ラファエル前派の、ジョン・コリア (1850-1934) の作品に『リリス』(1892)があり、それよりも早くロセッテが“リリス”を題材にしている。
1895年に発表された幻想小説に『リリス』があり、これは英国の作家であるジョージ・マクドナルド(1824-1905)の作品で、この人物はファンタジーの開祖ともいえる作家。
ルイス・キャロルに『不思議の国のアリス』の刊行を促したのはジョージ・マクドナルドでもあり、J・R・R・トールキンの「中つ国」や、C・S・ルイスの「ナルニア国」などに、影響を大きく与えた作家でもある。
そのジョージ・マクドナルドの晩年の代表作である『リリス』とは、人類の母であるイヴがアダムの肋骨から創造される以前に存在した女といわれる。
アダムの最初の妻とも伝わるリリスの神話は、本来はメソポタミアにおける夜の女の妖怪であり、夜の魔女として伝わっていた 。
カナン神話ではリリスは安産の女神でもあり、旧約聖書の『イザヤ書』では夜の妖怪か魔女の類いとして記されている。中世の伝説ではイヴへの嫉妬から人間の子供たちに妖気をもたらす魔性として伝わる妖女妖怪である。
ルイス・キャロルに『不思議の国のアリス』の刊行を促したのはジョージ・マクドナルドでもあり、J・R・R・トールキンの「中つ国」や、C・S・ルイスの「ナルニア国」などに、影響を大きく与えた作家でもある。
そのジョージ・マクドナルドの晩年の代表作である『リリス』とは、人類の母であるイヴがアダムの肋骨から創造される以前に存在した女といわれる。
アダムの最初の妻とも伝わるリリスの神話は、本来はメソポタミアにおける夜の女の妖怪であり、夜の魔女として伝わっていた 。
カナン神話ではリリスは安産の女神でもあり、旧約聖書の『イザヤ書』では夜の妖怪か魔女の類いとして記されている。中世の伝説ではイヴへの嫉妬から人間の子供たちに妖気をもたらす魔性として伝わる妖女妖怪である。
さて、ジョン・コリアの画題は『リリス』なのだが、描かれた女性の裸体に、大蛇が巻きついた場面は、キーツの詩に登場するレイミア (ギリシア神話のラミアー、ブルガリア民話のラミア) からインスピレーションを得て描かれたものである。
レイミアの物語は異種婚姻譚であり、蛇女が美女となって男を誘惑するとされたが、リリスもレイミアもファム・ファタールとして共通する女の妖艶なイメージなのである。
ファム・ファタール (宿命の女・運命の女) とは、世紀末デカダンス芸術の主要な存在でありテーマとなるが、その意味を訳語からは正確なニュアンスを伝えていない。形容詞のファタールには、確かに「宿命的・運命的」という意味はあるが、「致命的・命取りの」という意味もある。ここから、言葉を補足してファム・ファタールの意味を述べれば、「恋情を抱く男を破滅させるために、運命的に降誕した魅力ある女」とでも定義しよう。
ラファエル前派を創立したメンバーのロセッティは、1868年前後に『レイディ・リリス』を描いたが、このリリスの絵姿が、その後の世紀末まで通低するファム・ファタールの原形となったといえよう。
ファム・ファタールを画題にして先鞭をつけたロセッティは、ロイヤル・アカデミーで、ミレーや ハ ントと出会った。ロセッティの父は、イタリアのナポリ王国からの政治亡命者で、キングス・ガレッジの教授だった。母方のロセッティの叔父がジョン・ポリドリだというのもおもしろい事実であり、ポリドリは医師にして作家で、あのバイロン卿の友人でもある。
1816年にスイスのジュネーブ近郊のレマン湖にある別荘で、バイロン卿とポリドリ、そこにロマン派の詩人パーシィ・シェリーとその妻メアリーが滞在中に創作された物語は今では誰もが知る近代ホラーの原点となる。それはポリドリの『吸血鬼ドラキュラ』と、当時19歳のメアリーが書いた『フランケンシュタイン』である。このエピソードを映画化したのが巨匠ケン・ラッセルが描く1986年の映画『ゴシック』であった。
さてさて、掲 載した最初の絵はロセッティの『レイディ・リリス』(1868)というタイトルの作品で、次はジョン・コリアの『リリス』(1887年)であるが、大蛇と女を画いた作品をもうひとつ紹介させてもらおう。
それは、ドイツのミュンヘン分離派の創始者であるフランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928)の『罪』(1893)という作品でる。
この絵に描かれた女は、胸から腹部だけが光を浴び、顔からそのほか全体は陰鬱に暗い構図である。長く黒い髪と蛇がその闇に描かれていて、蛇と共犯関係にあるような、その女の視線には影の中から意味ありげに胡乱に光る。挑発的にもみえる目の暗い輝きは原罪をテーマにした象徴的表現で、その女はイヴが題材である。
この創世記の失楽園に至るところの物 語は、多くの画題になり描かれてきたテーマだが、シュトゥックの蛇に誘惑されるイヴの作品には、それまでのキリスト教絵画の概念とは、あきらかに異にするファム・ファタール信仰ともいえる退廃的な匂いを彷彿させている。
リリスにしても、イヴにしても、人類の始祖としての原形的な イメージを内包しているが、絵の構図に蛇が描かれることで象徴的な意味が強くなる。しかし、ロセッティの画いたリリスの絵姿はベネツィア風で、華麗で、装飾的で美しく女性像が優勢的に描かれている。
このロセッティ風の女性像は、世紀末象徴主義を越えて、さらにアールヌーボーの時代まで昇華する美的イメージを有している。ファム・ファタールの概念を越えて、女性崇拝を内包した普遍的理念すら感じるエロティシズムを垣間見る思いがする。
ラファエル前派の美学が映画に受け継がれているとしたら、それは1981年のカレル・ライス監督による『フランス軍中尉の女』であろう。ジョン・ファウルズの小説を、ハロルド・ピンターが脚本家した作品。カール・デイビィスの音楽も秀逸で、映像と美術もきわめて高純度の作品である。
主演はメルリ・ストリープ、ジェレミー・アイアンズ、ヴィクトリア朝の古典的ラブ・ストーリーにして、物語は映画を撮影してる現代からも、役者たちの不実な恋愛関係が同時に進行する劇中劇の構造をもつ映画だ。
英国南部の港町ライム、時は1857年、考古学者で、当時としては進歩的なダーウィンの進化論を信望するチャールズは、資産家の麗しき令嬢と婚約する。しかし、嵐の防波堤で、或る日、フランス人将校に捨てられた悲劇の女、うつ病患者、身持ちの悪い元家庭教師と、港町で変人あつかいされるサラと出逢い恋に落ちる。
やがて、婚約者を捨て、サラと恋に落ちたチャールズは破滅していく。財産も名誉も捨て、サラを求めるが、サラはチャールズの求めに応じず、チャール ズのもとから忽然と消えてしまう。落魄するチャールズはロンドンの場末である貧民街や娼館にサラの姿を探しつづける。
繁栄を謳歌した大英帝国の首都ロンドンだが、一歩裏通りに入ると、貧しい女性たちの群れが見えるのが、哀しみをさそう。華やかなブルジョワジーとは対蹠的に描かれている現実の侘しさが映像に焼きついている。
サラを演じる現代のアンナ、チャールズを演じるマイクは、お互いに家庭があり結婚しているが、映画の撮影中に不倫な愛を結び合う。そのアンナが映画の台本を読み、また資料を読み上げる場面がある。1857年当時ロンドンでは、8軒の宿の1軒が売春宿で、男性125万人に対して娼婦が8万人もいた。というデータをアンナはマイクに伝える。ロンドンのような大都 会では、失業した家庭教師の独身女性などは娼婦になるしかなかったのだ。
チャールズの元から去ったサラは娼婦になったでろうと、その姿を3年間ロンドンの裏通りを探しつづけた。ここまでだとファム・ファタールの物語であるが、意外にも、サラはチャールズを呼び求め再会を果たす。しかし、現実のアンナとマイクの恋が悲劇的に展開して結末をむかえる。
主演はメルリ・ストリープ、ジェレミー・アイアンズ、ヴィクトリア朝の古典的ラブ・ストーリーにして、物語は映画を撮影してる現代からも、役者たちの不実な恋愛関係が同時に進行する劇中劇の構造をもつ映画だ。
英国南部の港町ライム、時は1857年、考古学者で、当時としては進歩的なダーウィンの進化論を信望するチャールズは、資産家の麗しき令嬢と婚約する。しかし、嵐の防波堤で、或る日、フランス人将校に捨てられた悲劇の女、うつ病患者、身持ちの悪い元家庭教師と、港町で変人あつかいされるサラと出逢い恋に落ちる。
やがて、婚約者を捨て、サラと恋に落ちたチャールズは破滅していく。財産も名誉も捨て、サラを求めるが、サラはチャールズの求めに応じず、チャール ズのもとから忽然と消えてしまう。落魄するチャールズはロンドンの場末である貧民街や娼館にサラの姿を探しつづける。
繁栄を謳歌した大英帝国の首都ロンドンだが、一歩裏通りに入ると、貧しい女性たちの群れが見えるのが、哀しみをさそう。華やかなブルジョワジーとは対蹠的に描かれている現実の侘しさが映像に焼きついている。
サラを演じる現代のアンナ、チャールズを演じるマイクは、お互いに家庭があり結婚しているが、映画の撮影中に不倫な愛を結び合う。そのアンナが映画の台本を読み、また資料を読み上げる場面がある。1857年当時ロンドンでは、8軒の宿の1軒が売春宿で、男性125万人に対して娼婦が8万人もいた。というデータをアンナはマイクに伝える。ロンドンのような大都 会では、失業した家庭教師の独身女性などは娼婦になるしかなかったのだ。
チャールズの元から去ったサラは娼婦になったでろうと、その姿を3年間ロンドンの裏通りを探しつづけた。ここまでだとファム・ファタールの物語であるが、意外にも、サラはチャールズを呼び求め再会を果たす。しかし、現実のアンナとマイクの恋が悲劇的に展開して結末をむかえる。
また米国映画で、日本未公開の1964年の映画で、ロバート・ロッセン監督・制作・脚本による『リリス』もファム・ファタール映画として秀逸な作品である。主演はリリス役にジーン・セバーグ、作業療法士役にウォーレン・ベイティ、リリスに惹かれる患者役にピーター・フォンダ。
物語は私立の精神病院に作業療法士として職を得た退役軍人のビンセントが、入院患者である統合失調症のリリスに次第に惹かれていく。リリスはニンフェットのように無邪気にして妖艶な女で、知的で幻想的な魅惑を秘めている。やがてリリスの世界に誘引されるビンセントは現実と幻想の境界を見失っていく。
この映画はサイコ的なファム・ファタール映画かも知れないが、エロスの情熱や情動という熱源より、醒めた心理的なエロスの劇場を湛える水分を感じさせる物語である。
リリスを演じるジーン・セバーグはあのセシルカットではなくて長い金髪のヘアスタイルで登場する。ジーン・セバーグの不安と妄動の演技力は高く評価されるであろう。そしてファム・ファタールに魅せられた男たちの行き着く先は狂気か死しかないのである。(了)