空閨残夢録

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言

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 ヒトの耳垢(みみあか)と腋臭には大きな関連がある。つまり、耳垢はアポクリン腺分泌物で、湿型(完全優性)と乾型のメンデル遺伝形質である二通りの耳垢があり、ボクは耳垢がウェットなタイプで耳掃除は綿棒で行っていて、耳掻きという道具で耳掃除をしたことはない。



 ヒトの耳垢型は湿型がヒトの原型であり、乾型は耳垢を欠くか固形質の垢がある。乾型は東アジア人に高頻度(80-95%)で、白人・黒人にはほぼ皆無(~1%)である。他人種は中間値を示す (3~50%)。




 日本人は朝鮮人より湿型が多い民族だという。最近の人類遺伝学によれば、日本人を含む34民族における解析で、約2万年前の最終氷河期にバイカル湖付近で生活定住していた人類が、湿型→乾型変異が起き、その後、乾型が世界中に拡散したことを示差するデータがある。



 何故、湿型から乾型に変異が起きたかというと、耳垢が湿っている状態であると氷河期の寒冷地では不適応であるからだ。その前に、何故、ヒトは耳垢が湿っていたかというと、温暖な場所や熱帯では耳穴に虫や細菌が侵入してきた場合に、湿ってべたついた状態だと異物の進入を抑えられることが大きな理由である。



 耳垢腺(じこうせん)からの分泌物には、免疫成分や塩化リゾチームを含み、弱酸性なので、耳垢自体が細菌の繁殖を防ぐ作用を持っている。耳垢を取り過ぎたりして、昆虫類の進入した事例も多々あるようだ。



 例えば、日本の旧陸軍軍人で、太平洋戦争終結から29年目にして、フィリピンのルバング島から帰国を果たした小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - 2014年1月16日 )さんは、ルバング島で耳穴に虫が侵入して鼓膜を損傷されている。ただ、小野田さんの耳垢が湿型か乾型かは明らかではないけれども、乾型の可能性は高い。




 さて、腋窩部からの腋臭の発生の原因は、腋窩部のアポクリン腺から分泌される汗が原因であるが、アポクリン腺の分泌物自体は無臭である。しかし、その汗が皮膚上に分泌されると皮脂腺から分泌された脂肪分やエクリン腺から分泌された汗と混ざり、それが皮膚や脇毛の常在細菌により分解され、腋臭を発する物質が生成する。



 毎日入浴したりしていれば、神経質になることもないだろうが、アポクリン腺による分泌以外にも、体臭には様々な要因もあるし、人それぞれに個別な体臭があり、不快な体臭もあれば、健康的な快い体臭もあり、快も不快も感じ方や嗜好にもそれぞれに違いもある。

 







  『オズの魔法使い』(The Wonderful Wizard of Oz)は、米国の作家で、ライマン・フランク・ボームの作品、1900年に発表されたものが、後に、舞台化されミュージカルとして、また映画化もされている。



 主題歌の「オーバー・ザ・レインボー」はあまりにも有名である。「オズの魔法使い」は児童書なので、絵本のように挿絵があり、W・W・デンスローの挿絵がボクはお気に入りである。



 主人公のドロシーは、カンザスの大草原に、ヘンリーおじさんと、エムおばさんと、愛犬トトと幸せに暮らしていた。ところが或る日、愛犬のトトと一緒に家ごと竜巻に巻き込まれて、やがてオズの国へと辿り着く。



 そこで、脳みその無い案山子男と出逢う。更に、心臓の無いブリキの樵(きこり)と、臆病なライオンと出逢い、それぞれの願いを叶えてもらうために、魔法使いのオズに会いに行くため、エメラルドの都へ黄色いレンガ道を辿っていく、お話しなんですが、作者のライマンは、或る日、自分の子供(男の子)を寝かせつける為に、この物語を創って聞かせていたのだが、ベッドの中のライマンの息子は、その冒険物語に質問をしてきた・・・・・・。



 「それは、どこの国のお話なの?・・・」



 その時、ライマンは部屋の隅にある整理棚に目がいった。その引き出しの一番上には、《AーG》の、整理用ラベルが貼られていた。二段目には、《HーN》、そして三段目には、《OーZ》とあり、咄嗟にライマンは息子に、「《OZ》オズの国のお話さ・・・」と答えた。つまり、その引き出しの中から物語は生まれ。



 ドロシーはヘンリーおじさんとエムおばさんとカンザスの大草原の真ん中で暮らしていたが、或る日、竜巻にさらわれて愛犬のトトとお家ごとオズの国へ行ってしまった。竜巻で運ばれたお家はドスンとオズの国へ墜ちると、不運か幸運か東の悪い魔女が家の下敷きになって死んじゃった。ドロシーは死んだ魔女の銀の靴と、北の老いた良い魔女の魔法のキスを受けてエメラルドの都を目指す。




 それはオズ大魔王とエメラルドの都で逢ってカンザスへ帰る方法を授かる旅であった。道のりは長いが黄色い煉瓦道をどこまでも辿れば行き着く旅であったが、途中で脳みその無い案山子、ハートを失ったブリキの樵、勇気を求めるライオンたちと出逢い、それぞれの夢を叶えてもらうためにエメラルドの都を目指すのでした。


 されどやっとこ辿り着いたエメラルドの都で出逢ったオズ大王は、西の悪い魔女を殺すことを条件にドロシーたち一行の願いを叶える約束としました。西の魔女を探しに案山子とブリキの樵とライオンたちにドロシーと愛犬トト一行は更なる旅にでます。不運か幸運か西の魔女をドロシーは殺すともなく殺してしまい結果的に西の魔女は死んじゃったのです。そして西の魔女の金の帽子を手に入れましたとさ。


 されどところがどっこい、オズ大魔王の正体は魔法使いじゃなかったのです。苦労した旅から旅の冒険も無駄になるかと思いきや、南の良い魔女グリンダがドロシーたち一行の願いを叶えてくれることがわかって、またまた旅に出るのでした。「オズの魔法使い」のあらすじはコンナところですが、黄色い煉瓦道をはずれて、エメラルドの都を目指す途中で、ドロシーたち一行は罌粟の花咲く草原に迷いこみます。この花は Opium poppy のようで紅い芳香のある花々でありました。



 オズの国では罌粟の花の香りが眠りへ誘う匂いを発するらしく、ドロシーとトトは草原の真ん中で深く眠ってしまいました。眠りが深いと命も危険で、ライオンは草原を走り抜けて罌粟の花々の草原を越えましたが、疲れ果てて眠りに落ちてしまいます。案山子とブリキの樵は生身じゃないから誘眠作用のある匂いは効かずドロシーとトトを草原から運んで助けます。





 オズの国はいざ知らず、この世界ではヒプノティック(hypnotic)という英語で誘眠剤こと睡眠薬は、ギリシヤ語のヒュプノス(hypnos)が語源でありまして、ヒュプノスは眠りの意味で、擬人化された神話のヒュプノス(Hypnos)こと眠りの神に通じます。


 ヒュプノスの父はニュクスこと夜の神で、兄弟にはタナトスもいたりします。ヒュプノスの眠る深山の奥深き洞穴には象牙の寝台の周りに一面の罌粟の花々に、無数無限の夢(オネイロス)が宙空を漂っておりまして、気だるく屯したオネイロスの肢体が美しく馨しく死の深淵へと誘っていると伝わります。それがつまり夢のしじまということでしょうかしら・・・・・・



 さて、クリスチャン・ディオールの香水に「ヒュプノティック・プワゾン」という紅い香水壜の商品がかつてありましたが、今は廃盤のようですネ。これに変わり透明な香水で「ピュア・プワゾン」ってのがあるようです。プワゾンのシリーズはいくつかあるようですが、緑色の「タンドール・プワゾン」もあります。お香にも罌粟の花の香りがあるようですが、これらはすべてモルヒネのような作用はありません。心穏やかにはしてくれるでしょうが、眠りを誘う作用は秘めていないと思われます。



 また罌粟の実も誘眠作用はありません。罌粟の未熟果である朔果を傷つけることで獲られる乳液の成分が阿片(アヘン)です。この阿片乳液を精製したものがモルヒネで、これを更に科学的に変成させた物質をヘロインと呼びます。麻薬でありますから Opium poppy の品種は庭に植えられませんが、東京小平市にある東京都健康安全研究センターの薬用植物園において観賞できます。







 
 『砂漠の流れ者 / ケーブル・ホーグのバラード』(The Ballad Cable Hogue)は、サム・ペキンパー監督による1970年公開の西部劇であるが、前年の1969年に製作された最後の西部劇とも呼ばれた『ワイルド・バンチ』とは全く違がった作風の異色な西部劇。



 当時、暴力の巨匠と卑下されて、或いは、絶賛されていたバイオレンス映画の監督であったサム・ペキンパーの西部劇の作品のなかでは、心温まるハート・ウォーミングな作風であり、またコミカルですらある映画が『ケーブル・ホーグのバラード』だ。



 砂漠を放浪していた砂金堀りのケーブル・ホーグは、仲間のボウエンとタガートに騙されて、水と馬を奪われ砂漠のど真ん中に放り出されてしまう。四日間の放浪の果て、砂嵐の中でいよいよ進退極まったホーグは、神を呪い、仲間たちへの復讐を誓うが、その瞬間、倒れた砂漠の地面から、水が溢れ出る奇跡に遭遇する。


 ここが駅馬車のルートであることを知ったホーグは、井戸を掘り、好色牧師ヨシュアの勧めに従って土地を登記して、駅馬車の休憩所を作る。気のいい娼婦のヒルダに振り回されたり、気まぐれな銀行家カッシングや頑固者の運送業者クイットナー、駅馬車の御者フェアチャイルドとの交流の中で、砂漠のささやかなオアシスの時は流れていくが、しかしホーグは、自分を裏切った仲間の復讐を忘れることはなかった。


 ついに偶然通りかかった裏切り者のボウエンとタガートを捕らえたホーグは、タガートを射殺するが、ボウエンを許し、彼に休憩所と井戸を譲って、自分は都会へ行った恋するヒルダの居る新天地に乗り出す決心をする。


 すると、まるでメルヘンの如くに、そこへ愛しのヒルダが砂漠の中へ自動車に乗って現れたのであった。都会で妾暮らしをしていたヒルダは、お金持ちの旦那が死んで財産を相続しホーグを迎えに来たのであった。しかし、ここでハッピーエンドで映画は終わらない。



 映画『ケーブル・ホーグのバラード』は1908年の時代設定であり、アリゾナの砂漠が主な舞台である。この時にヒルダが乗っていた自動車はT型フォードと思われる。







 このT型フォードが現れる前の場面にも、自動車が砂漠を走るシーンが登場するが、こちらは1903年にフォードが設計開発したモデルAからDのタイプであると思われるが、1908年(明治41年)のT型は20番目の車で、1927年(昭和2年)までの20年間に15,000台も生産された最初のモデルであった。


 この自動車を運転していた黒人の御者(運転手)がブレーキをかけていなかったのか、無人のT型フォードはかつて自分を裏切ったボウエン目掛けて走りだしてしまって、ボウエンを助けて自らホーグは車に轢かれてしまう。



 ホーグは車に腹部を轢かれたが意識はしっかりしていた。失われていく西部開拓の精神を寓話的に歌い上げるペキンパー監督の、ハートが温まる和やかな詩情を添えた演出であり、『ワイルド・バンチ』や『パット・ギャレットとビリー・ザ・キッド』とは、明らかに違う作風をしめす西部劇である。西部開拓魂の挽歌である物語はペキンパー西部劇の共通したテーマの作品でもある。

















 世界で最初に『不思議の国のアリス』を映画化したのは、1903年の、「アリス・イン・ワンダーランド」である。もちろんサイレント映画なのだが、監督はセシル・ヘプワースとパーシー・ストウ、アリス役はメイ・クラーク。



 この映画は上映時間が15分にも及ばない作品で、アリスが、ウサギの穴に入り、身体が何度も大きくなったり小さくなったり、変身を繰り返す場面を巧みにトリック映像で演出しているのには関心した。



 1915年のW.W.ヤング監督、アリス役にビオラ・サヴォイの「アリス・イン・ワンダーランド」は、映像の技術的トリックこそないのだが、ジョン・テニエルの挿絵を美術的に応用した演出は見事である。役者が不思議の国キャラクターの着ぐるみで登場するが、アリスの自分が流した涙でネズミと泳ぐ場面(映画では演出上は川に流される)のネズミの着ぐるみがネズミにはあまり見えなかった以外は美術的には、とてもよくできている作品。




 両作品ともルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』を忠実に物語として映像化しているのだが、この二作を一緒に納めDVD化されて近年発売され二作品で収録時間が60分の映像である。




 さて、近年では2010年に公開されたティム・バートン版の「アリス・イン・ワンダーランド」もDVDで見てみた。こちらはルイス・キャロルの世界のアリスというよりは、ティム・バートンの世界のアリスである傑作ファンタジーである。さらにアリスが19歳になって再び『不思議の国』と『鏡の国』へ舞い戻る設定となり、少女から大人へのビルドゥングス・ロマン(成長譚)にもなっている。




 主人公のアリス役のミア・ワツコウスカはまるでジャンヌ・ダルクを思わせるような凛々しさと美しさを感じさせてくれる北欧風の美女。存在感としてはジョニー・デップのマッド・ハッターの演技力が一際印象深いであろうが、赤の女王を演じるヘレナ・ボナム=カーターの怪演ぶりもさることながら、白の女王を演じるアン・ハサウェイの美しさにも目を瞠る。




 トゥイードルダムとトウィードルディーやチェシャ猫などのお馴染みのキャラクターも、実写とモーションキャプチャという映像技術で存在感が活き活きとしているのが面白かったが、ハンプティ・ダンプティが登場していなかったのがチョイト不満な気分でもある。












 『不思議の国のアリス』、『鏡の国のアリス』を書いたルイス・キャロルは、本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンといって、オックスフォード大学の数学と論理学の教師だった。また英国国教会の聖職者でもあった。イギリスのチェシャー地方のデアズベリーで1832年1月27日に生まれた彼は、父親は牧師で、ドジソン家には11人の子供があって、チャールズことルイス・キャロルは第3子の長男。




 キャロルは10代の前半から詩を書いていた。他人の作品のパロディーや、意味のない言葉遊びが、詩作の特徴であった。13歳の時に書いた詩が現存するが以下にその作品を紹介する。




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 ぼくの妖精               

                  高橋康也 訳


  
 ぼくについている妖精が

 眠っちゃいけないって言うんです

 あるとき怪我をして叫んだら

 「泣いたりしてはいけません」



 つい楽しくてニヤリとすれば、

 笑っちゃいけないって言うんです

 ある時ジンが飲みたくなると

 「ものを飲んではいけません」



 ある時ご飯が食べたくなると

 「ものを食べてはいけません」

 勇んで戦(いくさ)に馳せ参じたら

 「喧嘩をしてはいけません」



 悩み疲れてぼくは訊く

 「していいこと なにかあるの?」

 妖精しずかに答えていわく

 「質問してはいけません」



 《教訓》 汝すべからず




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 「汝すべからず」という強迫観念はキャロルに終生つきまとったようで、一生を独身で通したのにも斯様な心理が働いていたかも知れない。・・・・・・それにしてもこのような強迫観念をすりぬけて、自分の願望を満たしてくれたのはアリス・リデルをはじめとする少女たちであった。そして、この少女たちを喜ばせるために不思議な物語を創作したのである。




 ルイス・キャロルは作家としての創作活動よりも、写真家として多くの作品を撮影していて、技術的にも当時に於いては有数な腕前であった。1855年に親戚のおじさんが写している写真機に興味を覚えて、翌年にロンドンで写真展を見て更に刺激され、カメラ一式を購入する。




 1880年に何故か突然に写真撮影を辞めるまで、キャロルは24年間にわたり少女たちを撮りつづけた。そのネガは三千枚に及んだらしいのだが、多くは破棄されたらしく、残った映像は1988年に新書館から刊行された『ヴィクトリア朝のアリスたち(ルイス・キャロル写真集)』に収められている。



 さてさて、 1933年に「不思議の国のアリス」は3度目の映画化となるが、これはボクは観ていない。この作品にはゲイリー・クーパーやケイリー・グラントなどが配役されているので、一度みて観たいものである。



 1951年のディズニーによるアニメーション映画である「ふしぎの国のアリス」が、多分、アリスという映像的に視覚的な効果が大衆のイメージに印象づけた作品であると思われる。アリスのイメージとしてのファッションはこの映画により大きく反映しているからだ。



 1988年のポーランドのアニメーション作家であるヤン・シュヴァンクマイエルの作品である「アリス」は特筆すべき映画であろう。2010年にティム・バートンが「アリス・イン・ワンダーランド」を実写とモーションキャプチャで映画化するが、この映画とは対比をなす作品ともいえる。



 シュヴァンクマイエルの「アリス」は、実写と人形、縫ぐるみ、剥製などのオブジェをつかい3年の歳月をかけてアニメ化した長編映画である。



 実写に登場するのはアリスと子豚、鶏、針ネズミくらいで、あとは布製、木製、ブリキ、セルロイドなどの人形に、剥製標本の動物たち、紙製のトランプの王様と女王である。また芋虫は靴下だったり、シュールレアリスム的なオブジェも登場するのが見どころ。



 この映画では、アリスが黒いインキを飲むと小さくなるが、小さくなったアリスはお人形になるのも面白い演出効果であろう。クッキーを食べて大きくなったアリスは、巨大な人形になって、まるで蛹からかえるように等身大のアリスが人形から抜け出すのもまたまた面白い。



 ボクが思うに幼少の子供たちには、現代的なSFX映画である「アリス・イン・ワンダーランド」よりも、ヤン・シュヴァンクマイエルの古典的な特撮作品である「アリス」のほうが楽しめるであろうと感じた次第。それにしてもルイス・キャロルの描いた“アリス”という少女は夢幻的に魅力ある少女である。




 その少女を描いた『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の挿絵画家であるジョン・テニエルのアリスが、数多い画家や映画のアリス像を越えられない気がしてならない。挿絵画家のアーサー・ラッカムの描いたアリスも素敵で可愛らしい少女なのだが、テニエルの描いたアリスはラッカムが描いた可愛い少女ではないし、少し不気味さを感じさせるのがボクは魅力あるキャラクターを造成していると感じている。



 ルイス・キャロルの文学を高く評価しているシュルレアリストたちは、物語のアリスを夢想的に讃えているが、その中でもシュルレアリストしては傍系のクロヴィス・トルイユの描いた“アリス”の画は、個人的には大のお気に入りで秀逸だと感じている。この絵のアリスは後のディズニー映画を彷彿とさせる少女にも見えてくる不思議な画風なのである。



 少女を画題にしてよく描いた作家のバルテュスの絵には部屋の中で少女、楽器、鏡、猫、犬などが印象的な装置として構図の中で収まっている作品が多い。少女も動物も愛らしい雰囲気で穏やかである。鏡をもつ裸体の少女に淫靡さは微小も感じられない。片膝を立てて、半睡の少女は太腿も、白い下着も露わだが、エロティックな視線を断たれた場所で描写されているように見える。












 バルテュスの描いた少女は、夢を見る少女と夢の中の少女にも思える。少女の姿は演劇的な構図で描かれていて、お芝居の一場面を固定した印象もあるが、エロスが充電されていない無垢な描き方はバルテュスの筆致でもあろう。



 バルテュスが描いた少女とルイス・キャロルが物語にした少女は、ともに男性的な視線から描かれているかもしれないが、テニエルの描いたアリスはエロティシズムが充填されない作風であるから、童話としての挿絵として、これからも、その絵姿が永遠にアリスという少女像として印象深く物語と連関して残るであろうと思われる。











 



 



 





  


 





 1981年製作の英国映画の『TIME BANDITS』は、本邦では83年に公開された映画で、邦題のタイトルは『バンテッドQ』という作品。英国の中産階級の住宅地にケビン少年はパパとママと静かに暮らしていた。ケビンは10歳ぐらいの歴史好きの少年で、パパとママはバラエティーTV番組に夢中だが、古代ギリシアの軍事に興味を示す、なかなかの物知りの男の子なのである。



 古代史の本をもっと読みたいケビンをパパは寝室に追い込み寝かしつけるが、しかたなくベッドに入るケビンの部屋に、突然、クローゼットの内部から騎乗の騎士が忽然と現れる。ケビンの寝室は森と化して騎乗の騎士は壁の中に消えて行くのであった。翌日の夜にケビンは昨夜の幻が起こる期待に早く寝床へつくと、今度はクローゼットの中から、六人の小人が登場する。



 製作と監督はテリー・ギリアム、少年役はクレイグ・ワーノック、アガメムノン王と消防士役でショーン・コネリーが出演しているのだが、この映画の冒頭のあらすじを述べると、一見ではイギリスのファンタジー映画風なのであるが、この作品はそう簡単なシロモロではないのである。



 登場する六人の小人は創造主、つまり、神の創造を手伝う仕事をしていたのだが、樹木係担当の仕事に不満を抱いて、タイムホールの地図をボス(神=創造主)から盗みだし逃亡する。そしてケビン少年を仲間にして六人の小人たちは世界の時空を越えて、財宝を盗む悪事を企むのであった。創造主のボスに追われ、悪魔がこの地図を横取りする算段に巻き込まれながら、時空間を越えた超ドタバタ劇、スラップスティックな展開を見せる。



 つまり、この映画は『ハリー・ポッター』やイギリスのファンタジー系の映画好みには、多分に期待を裏切られる事であろうが、ボードヴィルとしての映画の原点が満載されていて、ファンタジーを装ったSF風のボードヴィル・ショウだから、大人向けの風刺映画でもあり、モンティ・パイソンの愛好家にはたまらない映画作品なのである。



 そもそも、ボードヴィル(vaudeville)とは、米国においての舞台での踊り、歌、手品、漫才などのショー・ビジネスのことであり、ボードヴィルを演じる者はボードヴィリアン(Vaudevillian)と呼ばれる芸人。米国におけるボードヴィル(イギリスでのミュージック・ホールに該当する)は、初期サイレント映画の歴史の中で重要な位置を占めている存在。



 トーマス・エジソンは最初の映画の題材のいくつかにボードヴィルの見せ物を取り上げている。また、ボードヴィルやミュージック・ホールのための演芸場は、映画を観客に見せるための最初の公共の場所(巡回公演もその一つ)でもあった。



 ボードヴィルやミュージック・ホールのための出し物をフィルムに記録することは、初期映画にとって重要な要素であり、ボードヴィルやミュージック・ホールには他の人気のあった劇場とともに、多くの演者(見せ物師)がいたからである。



 チャーリー・チャップリンやバスター・キートン、ローレル&ハーディ、マルクス兄弟、ジミー・デュランテといった、1910年代から20年代のスラップスティック・サイレント・コメディの有名なスターたちは、ボードヴィルやミュージック・ホールに出演したのちに映画産業に入った。



 そして彼らはボードヴィルの伝統をトーキー映画の時代になっても続けていった。しかし、結果的に映画はボードヴィルという形態を、皮肉にも衰滅させた主要な要因になってしまう。



 その衰退したボードヴィルを映画によって再生しようとする試みを感じさせてくれる作品が、この『バンテッドQ』なのだが、およそ日本の配給会社もその真意を捉えきれずに、円谷プロの「ウルトラQ」でもあるまいし、愚かしき邦題を冠してくれた訳なのだが、それはさておき、ケビンの寝室から最初に時空を移動した場所は、1796年のカステリオーニの戦場であった。そこはナポレオンがイタリアに遠征して布陣した場所に、巡回するボードヴィリアン一行がナポレオンのご機嫌を伺いながら興行のシーンがある。



 次の時空移動は中世のシャーウッドの森で、つまりケビンと六人の小人は国際的な時空盗賊団として、ロビン・フッドに挨拶にいくようなエピソードの後に、アガメムノン王の時代へ移るのだが、ここでも古代のボードヴィルを六人の小人たちは演じている。因みにアガメムノン王を演じるのがショーン・コネリーであり、ケビンは王子として迎えられるのだが・・・・・・。



 アガメムノン王の養子になるつもりだったケビンを六人の小人はタイタニック号の船中に連れて行くのであった。この航海で六人の小人は伝説時代の世界最高のお宝があると伝わる暗黒城を目指す計画を練る。そこは全知全能の創造主である神が、悪魔を封じ込めた場所でもあった。



 すべてあらすじを述べると、この映画を見たこと無い人の興を削ぐので、ここらでやめるが、暗黒城に辿り着いたケビンを含めた七人の小人は、ケビンのパパとママが楽しんでいたTV番組の、「モダン・キッチン社」提供によるボードヴィル・ショウのステージで、悪魔と七人の小人と、これに神様が三つ巴の超ドタバタ最終戦争に巻き込まれるのであったが、悪魔に挑む六人の小人は三人のカウボーイ、中世の騎士団、はてまて戦車に、最新鋭のハイテク戦闘機で応戦する場面は、もはやモンティ・パイソンのドタバタ劇を彷彿とさせるテンヤワンヤの圧巻なのである。



 この映画はファンタジーやSFというジャンルを装ったスラップ・スティックな時空を超えたボードヴィル・ショウなのであるが、モンティー・パイソンのファンであれば屈託なく楽しめる映画作品である。