行政書士試験 令和元年度問47 日中関係に関する問題 | 行政書士試験 独学チャレンジ!!

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法律知識「0」から独学で数冊の参考書と「過去問だけ」で、資格を取得しました。
独学は「理解」から、、、
  過去記事は、改正には対応していません。
   修正予定もありませんので注意して下さい。      

こんばんは。

 

日曜日、ゆっくり気分転換できましたかはてなマーク

 

それでは、お弁当晩御飯の時間はてなマーク zzz寝るの時間はてなマーク 少しだけでも過去問を解いてみましょう。

 

毎日、少しだけでも「やる」と言う癖をつけることで、

 

今日は日曜だし、受験勉強はいいかな。。。」って気持ちをやっつけましょう。

 

継続は力なり」、そして、自信にもなりますからね。

 

今日は、令和元年度問47の過去問○×式で解答してみましょう。

 

各年に起こった日中関係に関する記述について、正誤判定をしてみましょう。

 

 

それでは、早速。

 

 

 

問題

1894年に勃発した日清戦争は、翌年のポーツマス条約で講和が成立した。それによれば、清は台湾の独立を認める、清は遼東半島・澎湖諸島などを日本に割譲する、清は日本に賠償金2億両(テール)を支払う、などが決定された。

 

 

 

正解は?

×

 

 

 

今日のメインテーマは、「日中関係」についてです。

 

1問目は、この問題なんですが、、、

 

日清戦争

 

この戦争は、1894年に勃発しました。

 

朝鮮半島の支配をめぐって、日本と清(中国)が戦った戦争です。

 

調べてみたところ、いろいろと細かい間違いがあるようなんですが。。。

 

・清は台湾の独立を認める→清は「朝鮮」の独立を認める

・遼東半島・澎湖諸島などを日本に割譲→このとき「台湾」も割譲

 

割譲=国家間の合意により領土主権の全部又は一部を譲渡すること。

 

2つ目は、「など」ですから良いのかもしれませんけど。

 

清が日本に多額の賠償金を支払ったってのは、正しい記述です。

 

ただ、この試験でこんな細かいことを問うとは思われません。

 

もっと簡単に判断できるもので、過去問にも出てきているワード。

 

ポーツマス条約

 

過去記事で見てますね。

 

行政書士試験 平成25年度問48 戦後日本の外交に関する問題

 

ポーツマス条約は、1905年日本とロシアとの間で結ばれた日露戦争の講和条約のことです。

 

日清戦争で結ばれたのは、1895(明治28)年4月の「日清講和条約下関条約)」です。

 

ですから、この肢は、間違いです。

 

 

 

問題

1914年の第一次世界大戦の勃発を、大隈重信内閣は、日本が南満州の権益を保持し、中国に勢力を拡大する好機とみて、ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した。1915年には、中国の袁世凱政府に「二十一カ条要求」を突き付けた。

 

 

 

正解は?

×

 

 

 

2問目は、この問題なんですが、、、歴史問題は難しいですね。

 

第一次世界大戦=1914年7月から1918年11月にかけて。

 

ですから、勃発時期は問題ではありません。

 

それと問題の最後、、、

 

1915年には、中国の袁世凱政府に「二十一カ条要求」を突き付けた。」も第一次世界大戦からの流れで間違いではありません。

 

二十一カ条要求=第一次大戦中に日本が中国に要求した満蒙における権益問題や在華日本人の条約上の法益保護問題をめぐる21か条の要求と希望のこと。

 

では、正しいのかはてなマーク って言うとそうでもない。(

 

大隈重信内閣は、日本が南満州の権益を保持し、中国に勢力を拡大する好機とみて、ロシアの根拠地であるハルビンなどを占領した。」

 

この部分。

 

第一次世界大戦と「ハルビン占領」が結びつきません。

 

ハルビン占領で出てくるのは、「満州事変」です。

 

満州事変=1931年(昭和6年)9月、奉天(今の瀋陽)郊外での柳条湖事件を契機に始まった、日本の中国東北部への侵略戦争。

 

ですから、この問題は間違いです。

 

 

 

問題

1928年に関東軍の一部は、満州軍閥の張作霖を殺害して、満州を占領しようとした。この事件の真相は国民に知らされず、「満州某重大事件」と呼ばれた。田中義一内閣や陸軍は、この事件を日本軍人が関与していないこととして、処理しようとした。

 

 

 

正解は?

 

 

 

3問目は、この問題です。

 

この問題、「張作霖爆殺事件」、日本では、「満洲某重大事件」と呼ばれていたものです。

 

殺害された張作霖さんは、奉天軍閥の指導者でした。

 

問題に書かれているように、内閣は陸軍の調査で真相を知ったにもかかわらず、終戦まで犯人を公表しなかった事件です。

 

田中義一内閣は、実行犯の厳罰を昭和天皇に約束したようなんですが、陸軍の圧力に屈するように、首謀者だった元関東軍参謀・河本大作大佐を、警備の不備を理由に停職にするなど、処罰を行政処分にとどめたってことのようです。

 

当時は、天皇主権でしたから処分内容を天皇にとがめられて総辞職することとなりました。

 

この肢に書かれた内容は、正しい記述です。

 

 

 

問題

1937年の盧溝橋事件に対して、東条英機内閣は不拡大方針の声明を出した。しかし、現地軍が軍事行動を拡大すると、それを追認して戦線を拡大し、ついに、宣戦布告をして日中戦争が全面化していった。

 

 

 

正解は?

×

 

 

 

4問目は、「盧溝橋事件」です。

 

この事件、私は、映画かなんかで見た記憶があります。

 

早速、調べてみますね。

 

盧溝橋事件=1937年(昭和12年)7月、北京郊外の盧溝橋で夜間演習中の日本軍が実弾射撃音を聞いたことをきっかけに、近くの中国軍と戦闘になった事件。日中全面戦争の発端となった事件。

 

調べてみるといろいろと出てきますね。

 

中国側の許可は不要だったけど、演習をする通知を出していたとか、

 

日本軍支那駐屯軍第3大隊は北京議定書に示されていない豊台に駐留していたとか、

 

きっかけの「実弾射撃音」は謎のままのようです。

 

ってことで、この肢は正しい肢なのかって言うとそうでもない。(

 

問題に書かれた、「不拡大方針の声明」は、第一次・近衞文麿内閣が出したものです。

 

ですから、「東条英機内閣」としているこの肢は、間違いです。

 

第一次・近衞文麿内閣は、第34代の内閣で、東条英機内閣第40代の内閣です。

 

 

 

問題

1972年に佐藤栄作首相は中華人民共和国を訪れ、日中共同宣言を発表して、日中の国交を正常化したが、台湾の国民政府に対する外交関係をとめた。さらに、1978年に田中角栄内閣は、日中平和友好条約を締結した。

 

 

 

正解は?

×

 

 

 

今日の最後の問題です。

 

このブログを読んで試験を受けられた方、ラッキーですね。(

 

試験5日前に、たまたまこの内容をやっています。

 

行政書士試験 平成25年度問48 戦後日本の外交に関する問題

 

1972年に佐藤栄作首相×は中華人民共和国を訪れ、

日中共同宣言×を発表し、日中の国交を正常化した

田中角栄首相○、日中共同声明

 

1978年に田中角栄内閣×は、日中平和友好条約を締結した。

福田赳夫内閣

 

運も実力のうち

 

運があったからこそ努力が表面化する訳です。

 

今日の五肢のうち、二肢は過去記事がありました。

 

ただ、他の肢が、、、難しい。。。びっくり

 

 

それと、、、

 

同じ試験なのに、令和元年度は、「日中共同宣言」、平成25年度は、「日中共同声明」。

 

これ、同じものではありません叫び

 

国交正常化は、「日中共同声明」。

 

日中共同宣言」は、平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する日中共同宣言のことで、1998年11月、江沢民国家主席と小渕恵三首相が発表した共同文書の略称です。

 

知ってたはてなマークガーン

 

 

 

毎日やること。。。

 

とても重要だと思います。

 

独学は1人でやることが多いので、弱い気持ちが出てくると「今日は、、、」って気持ちに負けてしまいます。

 

そのために、そう言う気持ちが芽生えないように、毎日ブログをUpし、過去問を解くように勧めています

 

尻を叩くってやつですね。(

 

まぁ、究極的にはブログを見に来ないって対抗策はあるんですが、、、ガーン

 

ただ、やるのは自分のためですからね。

 

継続してやったと言う自信記憶の定着を考えると

 

 

やるしかないでしょ。」

 

 

 

今日のところはここまでです。

 

 

お疲れ様でした。

 

 

んでねい。バイバイ

 

 

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