こんにちは。
今日の問題は、中学校の時に「社会」で勉強した内容と言っても良いかも知れません。
試験前に友人と年号問題とか出し合った記憶が蘇りました。
こう見えて「暗記だけ」は得意でした。(笑)
今日の過去問は、平成24年度問49の問題を○×式で解答してみましょう。
諸外国における革命及び憲法に関する記述について、正誤判定をしてみましょう。
それでは、早速。
問題
ドイツでは、1919年にボンで開かれた国民議会で、民主的な憲法であるボン基本法が制定された。1933年のナチス党のヒトラーの政権掌握までの共和国は、ボン共和国と呼ばれる。
正解は?
×
今日の1問目は、ドイツの歴史ですね。
この問題は、まさしく中学校・社会って感じですよね。(笑)
ドイツと言えば、「ワイマール」でしょう。
1918年にドイツ革命の勃発によってヴェルサイユ条約に調印し、帝政が終了。
ドイツ帝国は崩壊し、ドイツ共和国が誕生します。
その翌1919年にワイマールで開かれた国民会議で、民主的憲法のワイマール憲法が制定されています。
このワイマールは、ドイツ・テューリンゲン州の都市で、主要な歴史的文化都市の1つです。
制定されたワイマール憲法は、国民主権、男女平等の普通選挙、議会制民主主義などを規定し、現在の民主主義憲法の先駆け的な存在となったものです。
ちなみに、ボンは第2次世界大戦後の旧西ドイツの暫定的な首都で、ボン基本法は、戦後1949年に西ドイツで制定されたドイツ連邦共和国の憲法典のことです。
それと、1933年にナチス党が政権掌握するまで続いた共和国はワイマール共和国と呼ばれています。
ですので、問題にある「ボン、ボン基本法、ボン共和国」は×で、
「ワイマール、ワイマール憲法、ワイマール共和国」にすると○ってことになります。
問題
1917年にはロシアで社会主義革命が起きた。ロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4ソヴィエト共和国は連合して、単一主権制のソヴィエト連合人民共和国を建国し、新憲法が公布された。
正解は?
×
今日の2問目は、ロシアです。
問題を~~~っと読むと「ん」って違和感を感じますよね。(笑)
ロシアは、1917年の社会主義革命(ロシア革命)後、ソヴィエト政府を成立し、世界初の「社会主義国家」を誕生させています。
1922年にロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ザカフカースの4ソヴィエト共和国は連合して、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」を建国。
そして、新憲法が公布されています。
「内乱」と「戦争」で衰退した国民経済を「民主主義的要素」を取り入れることによって回復を図り、建国がなされています。
問題では、国名を「ソヴィエト連合人民共和国」と社会主義国の中国(中華人民共和国)っぽくしていますが、正式名称は、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」です。
国の名前が間違っています。
問題
フランスでは、1789年に国民議会で人権宣言が採択された。この宣言は、すべての人間の自由・平等、主権在民、言論の自由、生産手段の国有化など、近代市民社会の原理を主張するものであった。
正解は?
×
今日の3問目は、フランスです。
問題にある1789年に国民議会で採択されたのは、「フランス人権宣言」です。
ですから、問題前段は間違いではありません。
この宣言は、フランス革命の「基本原則」を記したもので、
・人間の自由と平等
・主権在民
・言論の自由
・三権分立
・所有権の神聖
これらの内容が規定されていますが、「生産手段の国有化」は、規定されていません。
この「生産手段の国有化」は、社会主義国家に多く見られるものです。
ですので、この肢は間違いと言うことです。
問題
1776年に北アメリカ北東部のイギリスの13植民地が独立宣言を発表した。さらに、その後、フィラデルフィアの憲法制定会議で合衆国憲法が制定された。
正解は?
○
今日の4問目は、アメリカです。
問題の1776年当時は、アメリカはイギリスの植民地でした。
国旗の横縞は13本ありますが、この縞模様は独立当時の13の入植地を表し、星は現在の州の数を表しています。
ですから、当時のアメリカは、北アメリカ北東部の13の植民地だったと言うことです。
植民地ですから、いろんな制限を強いられていた訳なんですが、そのことが原因となって、独立戦争に発展し、1776年に独立宣言をすることになりました。
そのため、問題前半、「1776年に北アメリカ北東部のイギリスの13植民地が独立宣言を発表した。」ってのは、正しい内容です。
それと、現在の国旗のデザインは27代目、、、
つまり、今までに26回デザインが更新されているってことのようです。
独立宣言後、1783年にパリ条約において、イギリスはアメリカ合衆国の独立を承認。
1787年にフィラデルフィアの憲法制定会議で合衆国憲法が制定されました。
・1776年、アメリカ独立宣言
・1783年、イギリスがアメリカ合衆国の独立を承認
・1787年、フィラデルフィアで合衆国憲法の制定
時系列的に間違いはありません。
問題
イギリスでは、1689年に、議会がまとめた「権利の宣言」を国王が受け入れる名誉革命がなされた。議会は同年に、この宣言を「イングランド人権宣言」として制定した。
正解は?
×
今日最後の問題は、イギリスです。
問題の「名誉革命」は、1689年におきたクーデターのことです。
クーデターによって新国王となったウィリアム3世は、王位に対する議会の優位を認めた「権利の宣言」に署名し、同じ年に、それを成文化した「権利の章典」が発布されています。
つまり、「権利の宣言」を成文化したのが「権利の章典」で、「イングランド人権宣言」では、ありません。
ちなみに、「フランス人権宣言」ってのはありますが、「イングランド人権宣言」ってのはありません。(笑)
この「権利の章典」が発布されて以降、イギリス国王は、
「君臨すれども統治せず」
この原則に従うことになりました。
ですので、1689年にイギリスにおいて名誉革命を受けて制定されたのは、「権利の章典」ってことです。
そして、この「権利の章典」により、イギリスで「立憲君主制」が確立されました。
この法典は、現在も有効で、イギリスでは不文憲法の根本法となっています。
今日は、ちょこっと昔を思い出しました。
結構覚えてるもんです。。。(笑)
今日のところはここまでです。