20世紀前半のウィーン文化を扱った本をいくつか読んでいます。これらの本ではしばしば新ウィーン楽派、とりわけシェーンベルクに重点が置かれて、マーラーからシェーンベルクへという線の引き方がされていることが印象に残ります。
当時ブゾーニやコルンゴルトやヨーゼフ・マルクスの存在感も大きかったはずなのですが、評価もネガティブな場合があり記述の量もかなり少なくなっています。これは当時のありかたそのものの反映ではなく、戦後の人々が過去をどのようにとらえたかのあらわれなのです。
戦後、マーラーからシェーンベルクへの流れを主流とする音楽観の影響力は、現在ふつうに想像するよりも余程大きかったのでした。
現在コルンゴルトやブゾーニ、マルクスへの興味が生じはじめているのは、史料の発掘や新事実の発見に基づくというよりも、我々の考え方や感じ方の変化によるところが大きいのだと思います。
現在、ウィーンについても、ウィーンのユダヤ系音楽家についても、我々の意識や考え方は変化しつつあり、たとえば、すでに現在では『死の都』は傑作と見なされはじめているように感じます。
考えてみれば、かなり最近まで、ヨーゼフ・ロートのモニュメンタルな小説『ラデツキー行進曲』は翻訳では入手困難だったのでした。ハプスブルク神話に研究者がしばしば冷淡であるにしても、これもまた踏まえておくべき時代の一面であると思います。
3月に新国立劇場で『死の都』が上演されます。私は行けるかどうかまだよくわからないのですが、これが日本音楽界にどのような衝撃を与えるか期待しています。
私自身も、3月1日にはユダヤ系の音楽家たちとヨーロッパ史の流れを、自分なりにまとめて説明したいと思っています。