ミスは必ず発生します。不注意や軽率な作業だけでなく、ソフトのバグや思いもしなかった仕様からも発生します。技術的な困難によって、史料のデジタル掲示にはミスがあることを前提とすると、問題となるのが、史料公開に際しての考え方についてです。
デジタル文書館構築に際して、慎重に、可能な分量の史料を少量ずつデジタル掲示していくという考え方もあると思います。旧来のアーキヴィストや歴史研究者の立場からいえばなじみやすい方法論だと思います。そして、これまでデジタル文書館の分野でも実績をあげてきたシステムです。この場合はミスは相対的に少量にとどまり、修正も行われやすいはずです。
ただ、これとは違った考え方もあるのです。それはインターネットと情報についての違った考え方から生まれています。
すくなくとも数年前には、不十分な状況でもできるだけ多くの情報をネット上に公開して、利用者からの意見や不満に従って修正していくという、当時のネット世界で注目を浴びはじめていた考え方にもとづくシステム構築も行われていました。
このシステムでは不正確・不十分は仕様です。そして、不備は後から利用者の声を反映して改善していけばいいということなのです。
もし、公開された史料の量が限られていて、利用者が練達の歴史家かアーキヴィストに限られていて、すべての利用者が公開された史料の内容と目録データについて事前に遺漏のない充実した知識を持ち、しかも、その史料が多くの利用者から注目を集めるものであれば、このシステムが機能する可能性もあるかもしれません。
しかし、もし、このような条件が満たされていないならば、利用者の意見を反映させても不正確・不十分な点は残ります。そうした不正確・不十分な点を踏まえた上で、デジタル画像による史料掲示を利用するためには、歴史学と史料についての大きな知識が必要です。
(予告に反して公開できました)