吉村 昭は「記録文学」と言われる緻密な取材に基づいた歴史小説を書いた作家。息苦しいまでに取材を突き詰めたとわかる作品が多数ある。可能なかぎり現地に足を運び、関係者を訪ね歩くのが常だったらしい。
エッセイ『史実を追う旅』に、 資料調べでお世話になった 名寄市の図書館で講演した話がある。そのとき、地元の郷土史家を紹介される。
その人「菅野さん」は貴重な資料多く収集し、自宅に私設図書館を持っていた。その縁で吉村氏はソ連占領時の樺太から脱出した人々の話を聞き、忘れることができなかった。
一年後、吉村氏は改めて菅野さんを訪ね、協力を得て取材をし、ソ連の監視船をかわして逃げ、あるいは亡くなり、運び屋のグループがいたことなどを、まだ存命であった関係者から聞きとった。それは『脱出』という短編小説になった。
のちに、菅野さんの私設図書館の資料は、そのまま町に寄贈されたそうだ。
このエッセイを初めて読んだとき、町が菅野さんの資料を亡くなったあともしっかり保存するのだろうと安心した。大きな歴史の舞台には出てこない、町だからこそ守っていくべき郷土資料が多数あったろう。
ところが。
最近話題の某図書館が、「郷土資料を廃棄」したと聞いて驚愕した。
町が町の来し方として大事にすべき郷土資料は唯ー無二で、道立や国立国会図書館ではカバーされていないことが多いだろう。またその価値は後世になってみないとわからないものだから、今の人気や価値しか考えない蔵書方針ではどんどん捨てられる可能性がある。
「人気のない資料は廃棄する」という基準で図書館を運営すれば、私たちは依ってたつ歴史も文化も失うだろう。失ったものは二度と回復できない。
図書館運営を監督する教委は (……というか教委長は自治体首長の配下になったらしいので、首長は? または協議会?) そこんとこを慎重に押さえてほしい、、、。