昨日銀座を歩いていて思わずカメラを向けた
 

あまりにも美しい青空に目を奪われ、
清々しい晴天を楽しむことが出来ました。

そういえば、一年くらい前もよく青空の写真を撮っていたなと気づく。
車を運転していて、
東京でも前方に青空が広がって見えることが多々ある。
信号で停止すると、
思わずスマホで青空を写真に収める。

そんなことが結構あった。

美しい青空を見ると写真に収めたくなる
これは多分ごく最近始まった私の感情だ。

そして昨日久しぶりに起こった。

それはそれは美しい秋晴れの空に。

今週前半は、秋晴れの素敵な気候が続くそうです。
しかし、
今週後半はまた不快な湿気で一杯の夏が戻ってくるそうです。

この少ない秋晴れを楽しみたいものです
気づいたら、女子バレーボールのワールドグランプリ決勝だった。
それも2戦が終わり、残り3試合しか見られなかった。
セルビア、中国、アメリカ戦
結果だけ見れば全部負試合だった。
でも、バレーボール大好きの私は
この3日間を本当に楽しんだ。
幸せだった。

仕事が終わって帰宅するとビデオが録画中だったりする。
雑用を済ませて落ち着いて試合を見るのだ。
楽しかった。

新生真鍋ジャパンは、
キャプテン木村沙織の下、
19歳の長身セッター宮下、
新たにメンバーに選ばれたWS長岡MB大竹と
若い将来有望な選手がたくさんいる。
新しい選手がどんどん出てこられる環境は決して悪くない。
それも3年後のオリンピックを目指しているのだから。

そして、大嫌いだった(私の勝手ですが)リベロがやっと変わり、
佐藤という見たこともない選手が素敵に活躍していた。
嬉しいな嬉しいな。

今回の戦いは、勝利の試合を見られなかったが、
中国戦とアメリカ戦でフルセットまで楽しませてくれて、
チーム平均身長が低くても
決めることが出来るスパイク、攻撃なども見せてくれて、
ほんと、次のオリンピック楽しみにしています。

と思ったら、なんとなんと明日から
世界バレーの出場権を掛けたアジア大会があるらしく(^~^)
また明日からバレーボールが見られるなんて
ハッピーハッピーハッピーです。


毎月八ヶ岳の山小屋生活を始めて一年が経過しました。
笹子トンネルが落ちた月だけ行きませんでした。
冬で雪が多くちょっと不安な時は、
月末ではない時に出向きました。
それでもとにかくこの一年間で12回以上出かけ、
長い時は12日間くらい滞在しています。

先月末も行きました。
でも八ヶ岳LIFEのブログはひとつも書けませんでした。

これまでは東京にいる時と違って
八ヶ岳に居る間は暇な時間がたーくさんあるので
ブログもたくさん書けたのだけれど…

ひとつはPC離れです。
田舎の自然の中にいると
身体にいいことをたくさんやりたいんです。
美味しい空気を吸う。
自然の中を歩く。
土地で採れた食材を食べる。
ご近所さんと遊ぶ。
そうなってくるとどうもPCは体にいいことではない。
実際、ちょっと悪いことのように感じられる。
(長時間のPCは間違いなく悪いと思っています)

それから一年経って、
向こうにも少しずつ知り合いが増え、
忙しくなってきたというコトもあります。
予定が少しずつ埋まってきた。

そんなわけで、こうなるといつブログを書くんだろう?とも思うけど、
以前のように頑張らなくても
その日の気分でいいのだとも思う。

残り少ない人生の時間をどう使うのか?
結構重要な問題なのですから

稽古場で休憩になるとタバコ吸う組と吸わない組に分かれる。
休憩を過ごすメンバーが確実に決まっている。
そしてタバコ吸わない組で、タバコの無駄さについて昨日語り合ったばかりだった。

今日のニュースで
最近の中学生に統計をとったら
将来タバコを吸ってみたいという人が
数年前よりもぐーんと減っていたという。
いいことだ。

一度も吸わなければ、禁煙する努力も必要ないモノ。
どうせ辞めるなら最初から吸わない方が楽…かも。

昨日私はこう言っていた。
「もう若くないんだからタバコ辞めたら?」

それこそ十代で悪いことや、禁止されていることに興味を持つ年代というのがある。
そういう時にタバコを始める人は多いと思う。
そして40代、50代になると
どんどん禁煙していく。
しかし禁煙はそれほど楽ではない。

でもやっぱり思うのだ。
タバコはもうトレンドではない。
なんかタバコ吸っている人は格好悪く見える。

私が18歳の時、
大人の女性がタバコを吸っているのを見て
格好いいな!と感じたあの感覚はもうどこにも存在しない。

時代遅れの産物といってもいいのかもしれない。

ということで、
辞めるのは結構大変な場合もあるから
一度も吸わないっていう選択肢は悪くないのかもしれない。

アメリカのニュース
「FACEBOOKをやっている人たちは不幸だ」
そうだ。

FACEBOOKをやるから不幸になるのか?
それとも不幸(寂しい)だからFACEBOOKにはまるのか?
両方なのか?

ある人がインタビューで答えていた。
その人は、他のSNSはやっているけど
FACEBOOKは自分に合わないから辞めたと言っていた。
理由は、FACEBOOKは表面的で自分に合わないから。

すごく分かる!と思ったのだ。

私は時々やっている。
時々開くと、他の人の記事も読んだりする。
ちょっと興味のあるモノだとLIKESポイントを押す。
私は時々しかやっていないので、
自分の記事にはいつもほんの少しのLIKESポイントしかつかない。
ある人のくだらない記事には数十、数百のLIKESポイントがついている。
その差は……?
一生懸命FACEBOOKをやってるかやっていないか?の差だ。
その写真や文章(内容)が面白かったり好きだったりするわけではない。
そこがとても表面的だと思う。

人間だから自分の書いたモノに反応があるのは嬉しいだろうし、
そのために人の記事も読んで一生懸命LIKESボタンを押す気持ちも分からないではないが、
それはやはり薄っぺらなお付き合いにしか感じられない。

アメリカのニュースは、
結局はSNSではない人付き合いをしている人の方が
幸せを感じられるというようなまとめ方をしていた。

そもそもFACEBOOKにそんなに時間使っていたら忙しくて
本当の人付き合いをする時間が無くなってしまうと思う。


facebookは基本的に英語でやっている。
だから、こっちの方が言いたいことが書ける。
つまり日本語だから
英語だと言いたいことがうまく表現できなかったり
異常に時間がかかったりするから。

今日は、アメリカの友人のコメントに答えるために
久々に辞書片手に(PCだけど)英語の文章を書いた。
記憶から消え去っていたいくつかのヴォキャブラリーがよみがえってきたりして
ちょっと嬉しかった。
しかしうまく表現できないことはストレスだ。

私が一番英語を使っていたのは、
かれこれ23,4年前だから
その後は、日本に居る限りほとんど使っていないのだから無理もないと思うが、
もう少し使いたい。

英語さえできれば、世界中の人とコミュニケーションが取れるのに
それはそれは素晴らしいことなのに

そんなわけでアメリカの友人から紹介されて始めたFacebookだけは
英語を使う場所としている。
日本語で書いたら、
そもそも紹介してくれたその友人が疎外感を感じるという
とても失礼なことが起きるからだが、
でも使える場所をキープしているのも目的のひとつ。

しかし、出来ない。
書けない。
ヴォキャブラリーがない。

一度は、comfortable(日本語ではここちよいと訳すけど…)に感じていた言語だけに
ちょっと残念なのだ。

でも勉強したって使う機会が持てなければ
消えていくのとの戦いをしているだけのことだ
もっと日本でも英語使う機会が作れたらいいのにな。
人はいつから若くなくなるのだろうか?
それは人それぞれだろう。
今や40代は本当に若いから
50代のどこかか、
60歳で赤いちゃんちゃんこを着た時か?
はたまた70代のどこかにあるのか?

いくつでもいいのだが、
50歳を過ぎて忙しく頑張ってそれを自慢している人を見ると
私はどうも痛みを感じる。
周りは「頑張ってるねぇ!」と褒めるのだけど…。

頑張ることはそれほど難しいことではない。
頑張ればいいのだ。

年と共に、もっと大切なことを見つめ
頑張らない努力の方がもっと難しい。
というのは私の生き方。

若者の中に頑張れない人が増えてきている感じがする。
若者は頑張れ!
体力的に頑張れるのだから、
今のうちに頑張れ。
頑張れ!頑張れ!

しかし、ある年齢からは、
頑張ること以外の生きざまをきっちり後輩たちにも見せるのもいい。

いくつから若くなくなってもいいのだが、
自分で決めることが出来たらいいと思う。
周りが決めるのではなく、
周りの人は若くないと思っているのに、
本人だけが勘違いして若ぶって頑張るのでもなく、
自分で自分の生き方を決め、
若くなくても魅力的な人になることが、
後輩たちに良い生き方を見せられるのではないか?
と思って、頑張らないように頑張っている(^-^)/

終戦記念日ということで放映された『火垂るの墓』(実写)という映画を見た。


戦争映画はいろいろあるし、見て来たけれど、

とても身近な、とても普通の人たちを描き、

戦争の悲惨さ、厳しさがひしひしと伝わってくる作品。


主演が松島菜々子さんなので、戦争映画とどうもフィットせず心配だったが

そんなこと気にならずにどんどん映画の世界に引き込まれていった。


戦争はあらゆる人々を狂わせる。

だから二度とこんなことがあってはいけないのだと、

きっと誰が見てもそう感じることのできる作品だった。


それなのに世界中で、戦争が絶える時がない。


日本も、この戦後を眺めた時、

今が一番戦争の危機を感じる。

のは私だけではないと思う。


二度と戦争なんかしない。

と頭の片隅で思っている私たち日本人だが、

尖閣諸島沖で今、この瞬間起きていることは、

戦争にかなり近い緊張感ではないだろうか?


原爆の唯一の被爆者として世界に伝えられることがある一方、

原発を輸出しているこの国は、

一体どこへ進んでいくのだろう?と

若くない私は心配で不安で仕方なくなることがある。


それにしても餓死してゆく節子役を演じた佐々木麻緒という子役が素晴らしかった。

あれほど元気に明るく闊達な少女を演じているだけで素晴らしかったのに、

栄養失調になって死に近づいていく彼女の演技は圧巻だった。

子どもが本当に感情を持った時、

その芝居は、大人たちすべてを食いまくる。

大絶賛!!



タイムトラベル出来るなら、どの時代に行きたいですか?

以前はどうでも良かった質問だが、
最近は、行きたい時代がいくつもある。

そもそも「未来に行きたい」という人の気がしれない。
自分の未来なんて見たくない。
見たら最悪。
良くても悪くても見たくない。
自分の未来を知ってそこに向かってこれから生きていくなんてありえない。

過去……
若い頃に戻りたいなんて感覚は全くない。
またあそこからやり直すなんて…
どの時代にも戻りたくない。

そんな私だった。

しかし、見てみたいという意味では行きたいところがたくさんあることに最近思い知らされる。

まず、会いたい人がいる。

今は亡き母。

タイムトラベルしたら、母に会える。
それほど素晴らしいことはない。
しかし、逆に辛くなる。
これからもずっと一緒にいられるわけではないのならば
会うことは、次に身を切られるような別れがついてくるのだから。

そして最近、よく考えるのだ。

あの時の自分を見てみたい。

自分だから、もちろん会ってみなくていい。
覗き見てみたい。

若くて頑張っていた頃の自分だ。

17歳で役者中毒だった自分。
27歳で、死にたいくらいどん底だった自分。
30歳で恋に落ちていた自分。
41歳でとっても頑張っていた自分。
そしてほとんど記憶に残っていない4歳の自分。

時々、友人から、昔の自分のことを聞くことがある。

私の記憶から抜け落ちてしまっている自分が友人の記憶の中に居たりする。
そしてとても嬉しい気持ちになる。
その時の、自分を見てみたい。

声は掛けられないだろうけど、
頑張っている自分を見て、
今の私はもっともっと元気になれるような気がするのだ。
楽しみにしていた『Woman』やっと見始めました。
遅くてごめんなさい。

第一話を見て、うーん、ちょっと不幸すぎる話でしょう。
第三話まで進んで、まだまだこれ以上不幸になるか…
なんか私が子どもの頃から
ジャンルは違うけど、作りも違うけど、
やっぱり日本人はこういう薄幸のドラマ好きなのかしら?と

しかし、一番感じたことは、
今回も『Mother』に続き、娘を捨てた母親役で田中裕子さんが出演されている。
事情を知らない娘は母親をずっと憎み続けてきたし、
母親もその娘があまり好きではない……様子。

それを見てて思ったのです。
お母さんを好きではない人って不幸せですよね。

大半の人は、お母さんが大好きなのではないでしょうか?

私はお母さんが大好きでした。

生徒の感情を呼び覚ますために
大好きな人を利用する時、よくお母さんを出すのですが、
大体の生徒は、
特に女子は、お母さんが本当に大好きです。
(男子も大好きです。ただ、ストレートに言えない人が多いだけ)

そんな中、最近ある友人が言っていました
「母とは合わないのよ」と

そういうこともたくさんあると思うのです。
我が家にもそういう関係があったように思います。

私のようにお母さん大好きで、仲良しで
愛されていた実感があって、
亡くなってしまっても大好きな人間から見ると、
その絶対的な存在である母親を
大好きではない人は不幸だなと感じたのです。

色々な理由があると思うし、
行き違いや、誤解や、
でもそういう問題ではなく、
絶対的な存在として愛している(愛し合っている)母と子どもの関係を持てずに
育ってしまった人は、アンラッキーだなぁと。

その分、このドラマのように
自分の子どもとの間にそういった親子の絶対的な愛情を築き上げることができたらいいですね。