私が今気に入っている店の一つに
メイド・イン・アースがある。
最初は、(ブログにも書いたが)石けんに凝ろうかと思って、
液体せっけんをネットで検索していて引っかかった。
液体せっけんを購入して、
吉祥寺に店舗があることを知り、
もう数回訪ねては、買い物している。
ネットでも……

この店は、オーガニックコットン製品を売っている。
100%オーガニックコットンなので商品は安くはない。
が、肌触りがよく、優しいので、少しずつ購入する。
包装も簡易で、しかし、ださくなく、気に入っている。

毎日のようにDMが届く、
ほとんどの紙をリサイクルに回す。
DMの中には、冊子になっているモノもたくさんあるから、
その冊子をばらして古紙の袋に入れていくのだが、
ホチキスの針をはずす作業がなんか厭な感じなのだ。
トゲトゲしくて、ツメツメしくて、
なんか爪で黒板を引っ掻くような
あの厭な感じに近い厭な感じ。

メイド・イン・アースで買い物しても、
商品一覧みたいな冊子がついてくる。
チラシではなく、パンフでもなく
きちんと数ページがある冊子なのだ。
しかし、ホチキスの芯がない!
開いて、バラシテ、古紙の袋に移動できる。
その時、いつも感じるのだ。
優しさを……(^~^)

無駄なモノを使わず、
天然素材にこだわり、
人にやさしい商品を作っているのだと感じる店です。
いいモノ作っていても過剰包装だったり、
過剰宣伝がされていると、
そこの商品単価が疑問になってくる。
宣伝にお金かかってるんじゃないの?って。

本当に地球のコトを考えてエコをすると、
きっとこういった優しさに包まれるんじゃないかって
最近、思うんです。
今朝、南三陸のお魚屋さんに注文した魚がクール便で届いた。

それまでスーパーでお魚を買っていた私は、
今は時々、南三陸、十三浜、石巻などからお魚を購入する。
ネットで買えるからとっても便利。
そもそものきっかけは……
そう、東日本大震災だ。

以前書いたが、
あの震災のお蔭で知り合った東北のお店がたくさん。
ミュージックセキュリティーズを通じて、投資したことが最初で、
十三浜と石巻は、訪ねることも出来たし、
実際にそこの漁師さんたちと会話することも出来た。
今は、基本的に商品を買うという形で繋がっている。

これが美味しいのだ。
ある意味、当たり前なのかもしれない。
だって、スーパーで購入していた魚と金額が違うから。

主婦のみなさんは、みんなそうではないかと思うが、
野菜でも魚でも、基本的な金額が頭の中で決まっている。
大根は150円くらいとか、トマトは1個100円とか?
その金額を上回ると、今は高い!と言うことになる。

基本的にエコ生活(切り詰めた生活ということですね(^▽^;) をしてきた私の
基本的な金額はかなり低かったのだと思う。
お魚の切り身は1切れ100円。
それが今、東北から購入する漬け魚は、2.5倍から3倍の金額だ。
おいしくて当たり前なのかもしれない。

それでも思うのだ。
出逢えて良かった……と。
そもそも100円で当たり前のモノを300円で購入するには勇気がいる。
勇気と言うよりも、なにかきっかけ。
私の場合は、東日本大震災と言う災害で、
私はちっとも被害に遭わなかったくせに、
美味しいお魚と出会うことが出来た。
「量よりも質」という年代に入ってきたので、
丁度いい感じ。

朝、クール便が届くことになっていた。
届いて、開けてみて、中に手紙が入っていて
幸せな気分になる。

そして今夜は美味しいお魚を戴ける。
なんてラッキーなのだろう(^~^)

そういえば、私の知り合いが言っていた。
「安い(マズイ)魚食べさせるから子どもが魚食わなくなるんだ!」
確かに、美味しい魚を食べさせたいが、
子どものいる家庭で、そうそう単価を上げられない。
とにかくスーパーに並んでいる生鮮品には
美味しいモノが少ないのだ。

その土地で、新鮮なモノを手に入れて食べるのが一番。
今は、ネットを使えば全国から食べたいモノを取り寄せることが出来る。
もう少し安く、美味しいモノを探すことは絶対に出来るはず!
と、信じて、今日もネットサーフィンしてみますか?
今、荏胡麻に凝っている。
というか、最近出会い、大好きなもの。 
普の胡麻より粒が小さく、プチプチしている。
{F22D559E-D643-4B5B-84E4-CCDCCE486894:01}

そもそも荏胡麻という名前だけは知っていた。
「荏の胡麻がらか真胡麻がらか
   あれこそホンの真胡麻がら
   ガラピーガラピー風車」
そう、外郎売りの一説に出てくるからだ。
これからすると、真胡麻より落ちるものなのかもしれない。
よく知らないのだ。

とにかく、八ヶ岳で購入してから久しく、真胡麻は使っていない。
おにぎりを結ぶ時も、荏胡麻をサッと炒って握ると、それはそれはいい香り。
そして、食感がたまらないのだ。

ゴマはこれまで炒りごまを買っていたので、いちいち炒るコトはなかった。市販の普通の胡麻だって、使うたびに炒ったら香りは素敵なのだと思うのだが、、、

今日は味噌田楽の味噌に炒った荏胡麻を加えて見るつもり。

そもそも胡麻好きな私は、この荏胡麻に出会って、更に胡麻をよく料理に使う人になった。

胡麻は身体にいいということで、しばし荏胡麻料理を研究して見るつもり^o^
次の日曜日都知事選挙があり、
そろそろ町が騒がしくなってきました。
今週一週間は、あっちこっちで選挙活動が行われうるさかったりするのですが、
私は、期日前投票に行くので、
そろそろ決めています。

実際、この人に投票したい!と言う人がいなくて、
ちょっと残念なのですが、
それでも最善の人を選ばなければ……

政治家に限らず、
私は筋の通っている人が好きです。
というよりも、
八方美人の人、
言ってることとやってることにずれがある人、
調子のいいことを先に言う人は、
信じることが出来ず、嫌いです!

政治家ですから、
更にそういったことが大切だと思います。
人間は意見が変わることは仕方がないけれど、
あっちについたりこっちについたり、
言ってることが二転三転したり、
選挙中に言ってることが変わったり、
あまりにもそれが見える人はちょっと……

人を見る目は、役者生活で少しは養われているので、
その人をよく見て、
私が信じられる人を選びます。

何を悩む必要があるのでしょうか?
議論を戦わせる必要なんてないのです。
脱原発について条件も必要なければ、討論も必要ないのです。

東日本大震災後、原発が全部止まっても
停電にはなりませんでした。

私が子どもの頃は、時々停電がありました。
それはそれなりに楽しかった。
お母さんがロウソクに火を入れてくれて、
私はベランダ越しに真っ暗な町を見て、
だんだん電気がついてくるのも楽しめた。

今、日本では災害の時以外停電は起こりません。
それでいいじゃないですか?
それ以上、何を求めるのですか?
こんなに豊かなのに。

原発を推進する人たちは、
経済のため、結局はお金のためです。
でも、経済が良くなったとしても(今なら分かりやすいと思いますが)
それで得をするのは一部の人たち
そのことで起こるのは多分、貧富の差です。
今以上に金持ちが儲け、そうではない人には回ってきません。

そもそもお金があったって、原発事故で死んでしまったら何もならないじゃないですか。
死なないまでも、安心して生活していきたいじゃないですか。
原発がもし安全だとしても、
あの大量の廃棄ゴミを今後どうするのでしょうか?

考えることも、話し合うことも、条件闘争もなく、
脱原発で何も問題ないのです。
これ以上経済大国になる必要もないし。

経済界や政治家で原発を推進する人(それの必要性を訴える人)の
言葉を間に受けて聞く必要はないのです。
というより聞かない方がいい。
彼らは頭がいいから、言葉で任されてしまうかもしれません。

根源は、人の命が最も大切であるという事。
電気があって明るくても、
そこに住む人たちが不安で明るくなければ何の意味もありません。

世界中を見渡しても、類がない、
最も被害者である、私たち日本人が、
どうしてあっさりと脱原発を推進できないのか?
まったくもって疑問なのです。

土曜日の道路事情は全く読めないのだ。
渋滞情報をいつものようにチェックして家を出ても、
その混雑状況は走ってみないと分からない。

だから土曜日の仕事は嫌い。
昨日も仕事で出かけた。
通常だったら45分で着くところに
恐ろしく時間が掛かることがあるから、
いつもよりも早めに家を出たら、
1時間以上前に現場着。
ま、早く着く分にはよいだろうと考えるしかないが、
そのための朝の時間はちょっともったいなく感じることも……。

それでも行きは良かったのだ。
帰りの環八は、久々の大渋滞。
246から曲がる時点で環八渋滞情報が真っ赤だったので、
覚悟はしていた。
裏道を取る手もあったのだが、
とにかく疲れていたので、
のんびり帰ることにした。

サンデードライバーの後ろにいるだけでイライラするので、
運転の上手い、トラックの後ろにぴったりつき、
オーディオのSDカードを洋楽から邦楽に変える。
あとは、カラオケタイムだ!!

混雑の環八を抜けるのに1時間以上、
中島みゆきと山口百恵を中心に
大声で歌い続けた!

そしていつも百恵ちゃんの「秋桜」を歌い
ベーべー泣く。
私にとって確実に泣ける曲のひとつ。

う~ん、スーッとした。
車を運転しながら、
ぼろぼろ涙を流している幸せ者は
世界中探しても、それほどはいないだろう~

周りは渋滞でくったびれているドライバーばかり。
その中で大口開けて笑ったり泣いたりしながら歌い続ける私は
ホント幸せだと思う。

ただ、家に帰ったらくったびれていた。
仕事で疲れた上に、1時間のカラオケはなかなかハードでした。
でもストレスで疲れるよりもずっと良いのだ(^O^)/

私のメインPCは、ビデオデッキの上に乗っかっている。
ビデオをDVDに焼くために繋がっているからだ。
お蔭で机の上が狭い。

そもそも、見ないビデオテープを捨てたいのだ。
だが、捨てられない。
そこで、DVDに焼くことにしたのだが…
焼いても焼いてもまだたくさんある。

そのすべては私が以前出演したテレビ番組のモノなのだが、
段ボールにほんの数箱だったと思うのだが、
DVDに焼くとなると大変な作業。
そしていつからか中断していた。

今年こそ、すべてのビデオテープを捨てようと思う。
そしてビデオデッキも捨てる!
そのために今日からまた焼き直しを始めた。

レポート番組などは、DVDに焼いたからって、
今後二度と見るコトはないだろうな~と考える。
だから、せめて……
焼きながらしっかり見ようと

番組をDVDに焼く、
そして静止画を撮って、タイトルをコピーして
記念のDVDを作るのだ。
かなりの確率で二度と見るコトはないだろうDVDを。
それを記念と言うのかもしれない。

しかし、こうやって作業しながら見るのは悪いことではない。
レポート番組の場合は、すべて私服。
自分の若い頃の顔を見るよりも
その頃持っていた服を見るのがかなり楽しいのだ!!
もう全く忘れていた洋服の数々。
懐かしい服、服、服!!

その時の流行。
それは服だけにとどまらず、化粧にも、髪型にも。

この家に引っ越して来た7年前。
私はスーツだけでも50着廃棄した。
仕事用の衣装という奴ですね。
それが映像の中に現れる。
それはそれは懐かしいのです。

それを楽しみながら、
あまり思い出すことのできない取材現場を見て、
記憶の不思議さをかみしめつつ、
今日は3番組デジタル化しました。
これで実はビデオテープ1本です。

先は長いですぅ……


郵便局で切手を買っていたら、
チラシが目に入った。

4月から郵便料金が値上げになるらしい。
基本の郵便料金は、
葉書が50円→52円
封書が80円→82円

随分長いこと郵便料金は据え置かれていた気がする。
しかし、ショック……

聞くと、消費税分の値上げらしい。
なら、仕方ないか……と思いつつも
ショック……

どれほどの人がショックなのだろう?と考える。
会社などDMを多く出すところは大きな差額が出るだろうが、
普通の人はそんなこと気にもとめていないのかもしれない。

私がショックな理由は、
とりあえず金額のことだけではないのだ。

私の元には、山ほど記念切手がある。
素敵な切手を見つけると購入する癖がある。
別に収集しているわけではない。
使用するためだ。
だから、記念切手のシートを購入してきては、
すぐにバラシて切手ケースに移す。
最近はシール式の切手も増えてとっても便利。
そして美しかったり、可愛かったり。

年賀状を戴いた人に寒中見舞いを書いた。
50枚くらい寒中見舞いを書いて、
最後に、それぞれの宛名を見ながら、
インスピレーションで、その方に合った切手を選んで貼っていった。

それでもまだ山ほどある記念切手に、
四月からは、新たに購入する2円切手を貼ることが厭なのだ。
面倒なこともあるが、美しくない。

さらにシール式の便利な切手があるのに、
その下に2円切手を貼るなんて論外!って感じ。

とりあえず郵便局には、シール式の2円切手を販売してもらうことを期待する。

そして、私は一日も早く
今持っている切手を使い尽くすことを……
何年かかるかなぁ~

そして最近、ここ2,3ヶ月の間に特に気になってきた返答に
今度は、「すみません」がある。
この言葉の使い方については、
「すみませんを使わない会」の会長である私はいろいろあるが、
今はそこには言及しない。

気になっているのは、
稽古場で、何か注意(駄目だし)をした時に
「すみません」と謝られることだ。

ある意味、稽古場ではダメだしすることが私の仕事であり、
その都度その都度、謝られる必要はない。
だからその都度私は「謝らなくていいから」と言っている。

例えば、昨日の新人クラスで、
一度、基本姿勢を教えてから、しばし発声をやっていると、
だんだん身体が緩んで来たり、
最初に注意したことを怠ってきたりする。
そこで、注意する。
そもそも、それは体の無意識部分に起こることなので、
私が言い続けることで治っていく。
だから、本人に意識がもてるようになるまでしつこく注意し続けるのが私のやり方だ。
で、言葉や身体を使って、緩んできたところを個人的に直す。
すると「すみません!」と言って、直すのだ。
(そこは謝る所じゃない!)と私の心の中の何かに響く。
そして「謝らなくていいから」と言ってしまう。

どうしてこんなことが起こっているのだろう?と改めて考えることになる。
先生に何か注意されると「済みません」と謝る。
という構図がどこかで作り上げられているのだ!!!!
これはおかしい。

[前述の「ありがとう」とは違って、
こちらの「すみません」は結構きちんと謝れている子が多い]

どこで作り上げられたか分からないが、間違っている。
から生徒たちに説明することになる。

私が注意する(駄目だしする)のは、
正しくないことをしていて、今後良くするための注意なので、謝る必要はない。
そもそも、謝るというのは悪いことをした時に謝るのであって、
稽古場で間違えることは悪いことではないのだ。
稽古場はどんどん間違えていいし、
出来ないことも仕方がない。
(だから学んでいるわけだし)
だから謝らなくていいのに~~!!!!

日本のどこかの教育で、間違った言葉が多発され、
それがそのまま、まかり通ってきている。

どちらかと言うと、稽古場で思い切ったことを出来る人が少なくなっていく傾向にある。
みんな人に迷惑を掛けないように、
失敗しないように、
そういったことに気を使いすぎて、
どんどん小さく縮こまっていく。
それが大きなマイナスになっている。
どこかで学んできたこの価値観を崩し、
新しい価値観を持ってもらうことに時間を使うことが正直もどかしい。

「いいのよ、そのままで!」
「そのままが、いいのよ!」
「作らないで、自由になって、思いっきり、あなたらしく」

良い子が多いのだ。
それが役を演じるという職業の時にマイナスに働くことが多いことが可哀そうに感じる。
どうして、こんなにいい子ばかり製造しているのだろうか?この国は!

「ありがとう」は私が最も好きな日本語のひとつ
その言葉をここ数年間違った使われ方をしてむかつくことがある。

役者に指導している立場上、正しい日本語を使う事のみながらず、
そのニュアンス、音、感情などが正しくないと気持ち悪いのだ。

演技指導をしていて、
あまりいい所のない子でも、成長が見えてくるととても嬉しい。
ある日以前より少し声が出てくるようになった子に
「声が出るようになったね。」と言うと、
「ありがとうございます」と言われる。
教える立場としては、
褒めて延ばすという目的も時々あるので、
たいして褒めているわけではないことも多々ある。
そんな時、その言葉を言われて、むかつき(講師なのにσ(^_^;) )
「褒めてないから!」と言い返してしまう私がいる。
何にむかつくかと言うと、正しくない日本語の使い方に、だ。

何度か生徒たちに向かって話をしたことがある。
稽古場と言う場所で、
以前よりも、ここがよくなったと、それだけのことに対して、
「ありがとう」という言葉で返す生徒がここ5年くらいだろうか俄然増えた。
どこかでそういう教育をされているとしか思えないのだ。
先生に褒められた時の返事は「ありがとう」だったっけ?と
心の中で反芻する。
確かに、その返事がいつも間違っているわけではない。
では、何が間違っているのだろうか?
ニュアンスだ!

たいして良くない子に、
つまり他の生徒の方がよっぽど声が出ているのだ。
だけど、以前よりも少し(ほんの少し声が出たようになったから)
その子の今後のためにも「声が出るようになったね」という。
それに対して当たり前のようにニュートラルな音で
「ありがとうございます」と即答されるから、この返答は間違っているのだ。
嬉しい!なんて感情は全く載っていない。
単なる即答なのだ。
これは一体どこで学んできたのだろう?

生徒たちに聞くと、
彼らはそれに対して疑問を持っていない。
当たり前の返答になっている。
多分、小学校とか、中学校とか、
育ってくる間で、
大人たちに何か入れた時にそう言っておけば問題なく済んだのだろう。
と予測する。

しかし、「ありがとう」という言葉を取り立てて愛する私は、
あの無表情で、感動もなく、普通の抑揚のない音で
「ありがとうございます」と言われると
むかつくのだ!!

それは、まさしく私の会話しているわけではなく、
感情なく言葉を返しているだけ。
会話を教える立場としては、
それはそれは気持ち悪いのだ。

ありがたいと思わなければ
「ありがとう」と言わなければいい。
ありがたいと思う気持ちがあれば、
きっと言葉にその気持ちが現れる。
それをくみ取ることが得意なのが、
私たち演技講師だから、
それを見過ごすことは決してない。