そして最近、ここ2,3ヶ月の間に特に気になってきた返答に
今度は、「すみません」がある。
この言葉の使い方については、
「すみませんを使わない会」の会長である私はいろいろあるが、
今はそこには言及しない。
気になっているのは、
稽古場で、何か注意(駄目だし)をした時に
「すみません」と謝られることだ。
ある意味、稽古場ではダメだしすることが私の仕事であり、
その都度その都度、謝られる必要はない。
だからその都度私は「謝らなくていいから」と言っている。
例えば、昨日の新人クラスで、
一度、基本姿勢を教えてから、しばし発声をやっていると、
だんだん身体が緩んで来たり、
最初に注意したことを怠ってきたりする。
そこで、注意する。
そもそも、それは体の無意識部分に起こることなので、
私が言い続けることで治っていく。
だから、本人に意識がもてるようになるまでしつこく注意し続けるのが私のやり方だ。
で、言葉や身体を使って、緩んできたところを個人的に直す。
すると「すみません!」と言って、直すのだ。
(そこは謝る所じゃない!)と私の心の中の何かに響く。
そして「謝らなくていいから」と言ってしまう。
どうしてこんなことが起こっているのだろう?と改めて考えることになる。
先生に何か注意されると「済みません」と謝る。
という構図がどこかで作り上げられているのだ!!!!
これはおかしい。
[前述の「ありがとう」とは違って、
こちらの「すみません」は結構きちんと謝れている子が多い]
どこで作り上げられたか分からないが、間違っている。
から生徒たちに説明することになる。
私が注意する(駄目だしする)のは、
正しくないことをしていて、今後良くするための注意なので、謝る必要はない。
そもそも、謝るというのは悪いことをした時に謝るのであって、
稽古場で間違えることは悪いことではないのだ。
稽古場はどんどん間違えていいし、
出来ないことも仕方がない。
(だから学んでいるわけだし)
だから謝らなくていいのに~~!!!!
日本のどこかの教育で、間違った言葉が多発され、
それがそのまま、まかり通ってきている。
どちらかと言うと、稽古場で思い切ったことを出来る人が少なくなっていく傾向にある。
みんな人に迷惑を掛けないように、
失敗しないように、
そういったことに気を使いすぎて、
どんどん小さく縮こまっていく。
それが大きなマイナスになっている。
どこかで学んできたこの価値観を崩し、
新しい価値観を持ってもらうことに時間を使うことが正直もどかしい。
「いいのよ、そのままで!」
「そのままが、いいのよ!」
「作らないで、自由になって、思いっきり、あなたらしく」
良い子が多いのだ。
それが役を演じるという職業の時にマイナスに働くことが多いことが可哀そうに感じる。
どうして、こんなにいい子ばかり製造しているのだろうか?この国は!
今度は、「すみません」がある。
この言葉の使い方については、
「すみませんを使わない会」の会長である私はいろいろあるが、
今はそこには言及しない。
気になっているのは、
稽古場で、何か注意(駄目だし)をした時に
「すみません」と謝られることだ。
ある意味、稽古場ではダメだしすることが私の仕事であり、
その都度その都度、謝られる必要はない。
だからその都度私は「謝らなくていいから」と言っている。
例えば、昨日の新人クラスで、
一度、基本姿勢を教えてから、しばし発声をやっていると、
だんだん身体が緩んで来たり、
最初に注意したことを怠ってきたりする。
そこで、注意する。
そもそも、それは体の無意識部分に起こることなので、
私が言い続けることで治っていく。
だから、本人に意識がもてるようになるまでしつこく注意し続けるのが私のやり方だ。
で、言葉や身体を使って、緩んできたところを個人的に直す。
すると「すみません!」と言って、直すのだ。
(そこは謝る所じゃない!)と私の心の中の何かに響く。
そして「謝らなくていいから」と言ってしまう。
どうしてこんなことが起こっているのだろう?と改めて考えることになる。
先生に何か注意されると「済みません」と謝る。
という構図がどこかで作り上げられているのだ!!!!
これはおかしい。
[前述の「ありがとう」とは違って、
こちらの「すみません」は結構きちんと謝れている子が多い]
どこで作り上げられたか分からないが、間違っている。
から生徒たちに説明することになる。
私が注意する(駄目だしする)のは、
正しくないことをしていて、今後良くするための注意なので、謝る必要はない。
そもそも、謝るというのは悪いことをした時に謝るのであって、
稽古場で間違えることは悪いことではないのだ。
稽古場はどんどん間違えていいし、
出来ないことも仕方がない。
(だから学んでいるわけだし)
だから謝らなくていいのに~~!!!!
日本のどこかの教育で、間違った言葉が多発され、
それがそのまま、まかり通ってきている。
どちらかと言うと、稽古場で思い切ったことを出来る人が少なくなっていく傾向にある。
みんな人に迷惑を掛けないように、
失敗しないように、
そういったことに気を使いすぎて、
どんどん小さく縮こまっていく。
それが大きなマイナスになっている。
どこかで学んできたこの価値観を崩し、
新しい価値観を持ってもらうことに時間を使うことが正直もどかしい。
「いいのよ、そのままで!」
「そのままが、いいのよ!」
「作らないで、自由になって、思いっきり、あなたらしく」
良い子が多いのだ。
それが役を演じるという職業の時にマイナスに働くことが多いことが可哀そうに感じる。
どうして、こんなにいい子ばかり製造しているのだろうか?この国は!