いつも脚本を読み漁る。
ま、大した量ではないのだけど、
そのクラスの人数、男女比に合った
クラスでの使用台本を選ぶためだ。
この週末から始まるクラスで何を使用しようかと
数冊の脚本を読んで、決めた。
シーラ・ディレーニーの『蜜の味』だ。
なんか懐かしい。
とりあえず、思い出しながら一読する。
いろんな記憶が甦る。
脚本は、ほんの1時間くらいで読み切れるので助かる。
そして主役のジョーという少女の台詞が、
相変わらず、そのほとんどを記憶していることに気づく。
この役、やったことがあるわけではない。
やりたかっただけだ。
そういう役(脚本)がいくつかある。
若い頃、やりたくてやりたくて仕方がなかった役の
脚本をむさぼり読んでいたせいだろう。
その役を一度もやったことがないのに、
そのセリフのほとんどを覚えているのだ。
その代表格が、
この『蜜の味』と清水邦夫さんの『朝に死す』
そしてやることが出来なかった私は、
若い生徒たちにやらせる。
この『蜜の味』という脚本を使用したのは、
私が演技講師を始めた最初のクラス以来だということを思いだす。
つまり20年くらいぶり。
最近、こうやってシナリオ探しで古い脚本を出してきて読むと
痛切に感じるのは、その古さだ。
ほんの10年くらい前に書かれたモノでも古く感じる。
それは、例えば、携帯電話を持っていない人が存在していたり、
勿論スマホや携帯端末がなかったり。
世の中は近年物凄い勢いで成長し続け、
数年前の事実を古く感じさせてしまっているのだ。
怖ろしい。
何故なら、
文化と言うのは、その古さの中にあったりもするのだ。
が、古さを感じるためにやりにくいことは多々ある。
でも、生徒には、古くてもいい作品はやらせるようにしている。
その時代の空気を感じ、
その古い言葉づかいにリアリティを持たせて貰いたいと思っている。
そこにリアリティを持たせることは役者の重要な才能だから。
しかし……
シェークスピアをやらせるとき、
そこには古さは感じない。
そもそもクラシックだと思っているから気にもとめないのだけれど、
それだけではないだろう。
さて、『蜜の味』
あれほど私がやりかった芝居、やりたかった役だけれど、
上記のように古さが感じられることもあり、
近年どこかで上演された記憶がない。
シーラ・ディレーニーという脚本家も
この本で脚光を浴びた後、
日本には他の作品は入ってきていないのではないだろうか?
でも、私は色々な意味で懐かしく感じる。
生徒がこのセリフを読み、動いた時、
果たして、
十代や二十代の彼らは、
リアリティを持って楽しんでやってくれるのだろうか?
ちょっと不安で、とても楽しみである。


