◎グループワークにまつわるさまざまな問題
○背景の問題
私は学校で今頼まれて何かをやるときに、インプロがかなりのウェイトを占めてますけれども、なぜじゃあそれをやるかという背景の問題として、まず不登校とかいじめの長期化、固定化ということがあります。どの学校もこういうことで困っているわけですね。そこではですね、学校の息苦しさがあると思います(図24)。
言い換えると、それは、私はかかわりの障害じゃないかと思っていますけれど、他者とかかわれないとか、集団に参加できないとか、友達と遊べないという問題を抱えた子どもたちがいっぱいいるわけなんですよね。そういう子どもたちに対してどうかかわるかということなんですけども。
こんな言葉があります「困った子どもは、実は不幸な子どもである。彼は内心に戦っている。その結果として外界に向かって戦うのである」。これはイギリスの教育学者のニールさんという人が昔言った話ですね。もうちょっと平べったい言葉では「困ったこどもは、困っている子どもである」という言い方をすることがありますね。これは私が若い頃に知り合いの校長先生から聞いた言葉で、胸に刻んだ言葉ですね。困った子どもは困っている子どもであるということですね。みんな自分の中で困っているんだけども、その困り感を外に出して向けてくると、学校の中では困った子どもになってしまうというんですよね。そういう子どもに対して、なんとかしてあの子を手なずけたいとか躾けたいと思って、悪戦苦闘している先生方はいるんですけれども、そこで手なずけよう、躾けようとすると、実は逆効果になるということが結構ありますね。みんなやっぱりかかわれない、参加できない、遊べないということで困ってるわけで、その子どもたちをじゃあどうしたら遊べるようになるのかというところですよね。
それから、今言った「治療者がなすべきことは子どもが遊べない状態から遊べる状況に導くことである」。ドナルド・ウィニコットという、これもイギリスの精神分析学者が言っている言葉ですけども、特にプレイセラピーということを彼は研究してますけれども、ここの大学にも子どもの相談室がありますけども、プレイルームというのがあって、床にカーペットが敷いてあって、壁一面がおもちゃで埋められているという部屋で、その部屋に不登校の子どもを連れて行ったら子どもはどうするかというと、半分の子どもは遊びます。半分の子どもは遊べません。遊べないで、そこで途方に暮れているわけですよね。で、その途方に暮れている子どもを大学院生が実習として入っていって、「じゃあ何して遊ぶ?」と言ってかかわっていくわけですよね。それは遊べない子どもを遊べる状況にしてあげるということ。それはとりもなおさず、かかわれない、参加できない、遊べないという状況を変えていこうとしているわけなんですね。
こういう枠組みの中で、私は学校に対して、じゃあこんなことをやってみましょうかといろいろ提案しているわけですけれども。ここにあげてあるのは、私がよく使っているワークの例としてあげてあります(図25)。
これは、私のブログにアップしてあります。私のブログは検索サイトで正保研究室といれて検索してもらうと大体出てきます。名前を間違えないようにお願いします。私のところにくる手紙の一定数は、生保で来ますけども、ダメですからね。一発で変換したいと思ったら、「しょうほう」と入れると出ます。正保(しょうほう)という年号がありますので、「しょうほう」と入れると、最初は商法が出て、5番目くらいに正保が出ますね。すいません、脱線しました。元に戻します。
○楽しむこと
楽しむということですね。ここは大事ですね。昔買ったイタリア車のカタログにこんなことが書いてあって、「イギリス人は礼儀を、フランス人は料理を額に汗して芸術に高めた。その間にイタリア人が陽気に歌を歌いながら自動車を芸術に高めた」ということが書いてあったんですね。パンフレットの表紙に書いてあったんですけども、非常に好きな言葉でずっと覚えているんですけども。イギリス人は礼儀を、フランス人は料理を芸術に高めた。ただし、それは額に汗して高めたと。イタリア人は自動車を陽気に歌を歌いながら芸術に高めた。まあ、行き着くところは同じなんだけれども、どうせ行くんだったら、汗かいてやるよりも楽しみながら行った方がいいだろうということですよね。ちなみに私が買ったのはこのランボルギーニではないんですけども、結構格好いい車だったんですけどね、良く壊れました。イタリア人が陽気に歌を歌いながら作った車は良く壊れました。(笑)(図26)
○楽しくてためになる
で、楽しくてためになるという言葉を英語で言うと、Interesting and instructiveというふうに普通は言うと思うんですけども、この言い方だと、私は大事な点が伝わらないと思っています(図27)。
つまり、単なる足し算で考えると、足して合格点とれればいいじゃないかとなっちゃうと思うんですね。例えばinterestingで50点満点中、10点しかとれない課題は、はっきり言ってつまらない課題ですね。でも、その課題はinstructiveという点では、満点取れる課題。で、両方足すと、100点満点で60点取れる課題で、それは良い課題だねというふうになってしまうと、私はおかしいと思うんですね。だって、それは子どもの目線からしたら、やりたくない課題ですからね。そうじゃなくて、interestingで50点中、30点くらい、一応合格点取れる課題、instructiveという点でも、50点中30点取れる課題。interestingであって、and then しかるのちに、なおかつinstructiveである課題であれば、これ、同じ100点満点で60点の課題ですけれども、子どもはまあそっちだったらやってもいいよ、ということになると思うんですね。この、interesting and then instructive. このthenを入れるということがすごく大事じゃないかなと私は思っています。
○ほめることについて
ちょっとそれに関連してですけれども。最近こだわっている話なんですけども。ほめることというのがあって(図28)。
「してみせて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かず」という言葉があって、これ山本五十六が言った言葉だと言ってあちこちで引用されている言葉だと思うんですけども、私、非常に嫌いな言葉なんですね。なぜ嫌いなのかというと、自分が人からこんなことを言われたくないなということですね。「してみせて、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、正保は動かず」と言われたら、私はむかつくと思うんですね。誰だってこれ、むかつくと思いますね。こんなむかつく言葉をありがたがってる世間の風潮が私はおかしいと思います。
でも、これいろんな本で結構引用されてるんですね。特にSSTのテキストの頭のところで出てきます。「SSTの極意を一言で言います。してみせて、言って聞かせてさせてみて〜、これがSSTの極意です」と書いてます。人を馬鹿にしてるわけですよ、頭っから。エンカウンターの本でも最初にこれを書いている本があります。エンカウンターの極意はこれですと書いている本があります。書いている人は、自分が人を馬鹿にしているということに気付いてないわけですよね。ここは非常に問題だと思います。
一方、こんな話があって、「山本五十六さんが『やって見せ~』とよく申されていましたが、仕事は教えるのでも、讃めてやるということが秘訣のようであります」(図29)。
そして次ですね。「讃めるということは、馬鹿な奴をおだてるということではなく、ともに喜ぶことなのであります。」これは、山本五十六さんと親しい交わりのあった禅寺の和尚さんが講演した言葉の中にある訳ですけれども、ほめるというのはおだてることではなくて、共に喜ぶことだということですね。
ほめるということには価値観が入ってきますね。評価の軸が入ってきて、評価の軸に照らし合わせて、良いとか悪いとかというのがほめるということですね。でもそうじゃなくて、相手と一緒に「やった!」と言って喜ぶ、その感覚が大事だということですね。
こんな話もあって、去年だいぶ話題になった、『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』の東田直樹さんですね(図30)。
「僕がごほうびをもらいたくなかった理由は、指示された行動の結果、ごほうびがもらえるということに抵抗を感じたからです。自尊心が傷ついてしまうのです。この程度でほめられているなんて、僕には永遠にみんなと同じような未来が訪れることはないのだろうと落ち込んでしまうからです」。自閉症の男の子が書いた本の中にある一節ですね。彼はこれを喋ることはできないんだけれども、絵に描いたキーボードにあわせて指を動かしながらだと、これを発音できる。それを本にしているんですね。
今、私支援学校の校長をしていますけれども、定期的に生徒指導委員会というのがあって、そこに出ますけども。この間もある男の子について、ちょっと案件がでてきて、みんなでどう指導したらいいかねという話題になったんですけれども、そこで出た話しでへぇと思ったのは、その彼は中学生の男の子ですけれども、ほめられることを嫌がるんだそうですね。「ほめられると、寿命が縮まる」と彼は言ってるそうですね。ほめられると寿命が縮まる、学校の先生はみんなそれが理解できないわけなんですよね。どうしたらいいんだろう、この子をほめて育てる、伸ばすしかないのに、この子ほめると嫌がるし、ほめられると寿命が縮まると言ってる子に対してどうかかわったらいいんだろうと、先生方は頭を悩ませているんですけれども、私はいや、それはわからなくもない気がすると。たとえば、東田直樹さんはこう言っているし、そもそもほめるというのは実は人を馬鹿にしているというね。馬鹿にしているは言い過ぎかもしれないけれど、おだてて自分をなにか操作しよう思っているというふうに捉える人だっている訳なんですよね。そうすると、やっぱりほめられるということに対して、アレルギー反応を示す子だっているわけで、じゃあどうしたらいいかと言ったら、さっきのほめるほめられるという関係じゃなくて、共に喜ぶという関係を作れるかどうかがポイントだと思うんだけれども、先生方はその子と一緒に共に喜べる関係を作れてますかと言ったら、みんな「うーん、それはちょっと」というんです。じゃあ、そこを作らないと話は先に進みませんよね、という。そんなことをやり取りしたことがあります。
○各種のグループワーク
各種のグループワークをちょっと整理すると、SGE、GWT、インプロ、あとSSTも入れましたけれども、一番下のところだけ見ていただきましょう(図31)。
動機付けですね。SGEは何を動機づけにして成り立っている活動かというと、気づきを深めるということですね。自分について気づきを深めて、ああ自分はこういう人間だったんだ、この人はこういう人だったんだということを理解すると、なんかやって良かったなと思うわけですね。GWTは課題がみんな正解がある課題なので、課題達成してやったー!できた!という動機づけになっていて。インプロは楽しむことだと思います。SSTは人にほめられるということが動機づけになっています。どれが一番良いかは、みなさんのお気持ち次第なのかなと思います。
○グループワークの矛盾
それから、あとちょっと話をあちこち脱線気味に拾って行きますけれども。これ、10年以上前ですけれども、ある高校で子どもたちと人間コピー機の課題をやったときのことですけども。GWT、グループワークトレーニングですね。これはなにかというと、この絵を見えない離れたところに貼っておくので、それを数人で協力して、記憶して配った紙に正確に写してくださいというのがその課題だったんですね。最初はだまし絵的な錯視図形を持って行ったんですけども、その学校の先生に一言で却下されて、「ダメです。うちの子どもたちはこんな絵に関心を持つような子どもたちではありません」と言って。「じゃあどんな絵ならいいですか」と聞いたら、「まあ、車かバイクですよね」と。ちょっとヤンキーのお兄ちゃんがいっぱいいる学校なので、「ああわかりました、じゃあこれでいきましょう。」と言ってこの絵(図32)を持っていって、子どもたちに絵を描かせると、こんな絵が出てくるんですね(図33)。これは結構良いと思うんですけども、こんな絵はひとつだけなんですよね。こういう絵が出てきたり、こんな絵が出てきたり、こんなのが出てきたり、こんなふうに出てくるわけですね。
絹川 いいですねー。
正保 いいですか? 何がいいですか?
絹川 元があって、それをそこから自分で考えたものがここに出てきているというところですね。
正保 ということを言う人は、学校にはいないわけです。学校だと、これは、ふざけるな、真面目にやれよということになるわけです。
絹川 えー、相当すごい。遊び心もあるし。創造的ですよね。
正保 ええ。今は僕もそう言えますけれど、そのときは途方に暮れましたね。
絹川 すばらしいじゃないですか。
正保 ねえ。
で、車を元にやりましょうと。元絵がこれです(図34)。車、ミニクーパーね、ちゃんと車名まで描いてあったりとかね(図35)。
竹槍がすごい。やっぱりここでも夜露死苦が出てくるとかね。こういう系が出てくるわけですよね。で、ここで友梨さんは「素晴らしい、すごーい」と言っているわけですけれども、「素晴らしい、すごーい」と言うのか、「ふざけてる」とか「馬鹿にしてるのか」というのかが、分かれ道になるわけですね。
グループワークには矛盾があると思うんですね(図36)。
ゲームやエクササイズは、所定の目的を持って構成されていて、枠に嵌めるという本質的な特徴があります。ところが始まってしまうと、そこで生じることはリーダーの手を離れて、その場のもの、メンバーのものになるわけなんですよね。そこで、今友梨さんが言っているように「わーすごい」とか「素晴らしい」というふうに言わないと、そこから先に続かないわけですよね。そうすると、実施形態として枠に嵌めつつ、場に対して開いていかなければならないという矛盾した構造があるわけなんですよね。この矛盾もわかった上で取り組むということがポイントになるんですけれども、ここを取り上げている本は見たことはないですね。これについて、取り上げている記述を見たことがないですね。いかにして枠に嵌めていくか、嵌らないときは、さらにどうしたら嵌るかというということは書いてあります。
絹川 目的がそっちということですね。
正保 そうですね。どうやって、枠のなかに押し込んでいくかということは考えるんですけどね。



















































