集団的自衛権行使容認
治に居て乱は人任せになってはいませんか。
小学校のクラス会ではあるまいし、国会で青筋立てて反対している政治
家がいることが不思議です。
他人の大風呂敷(核の傘とも言う)をあてにした、国防の議論。
で、今なぜ集団的自衛権行使容認に向けた検討が行われているのか。
この大風呂敷が当てにならなくなったからに他ならないのでは・・・
で、大風呂敷の有効性を担保する為にも、話の通じる国々と結束して
事に当たるほか無くなっているからだと思います。
政治家やマスゴミには中国や韓国の現状が見えないのでしょうか、日
本に対し根も葉もないことを理由に増悪を演出し、金をたかり、技術や
文化財を盗んでも恬として恥じない、このような異常な国家に対し、異
常なほど媚びへつらう政治家やマスゴミ。
国民の生命財産を守るという国家の国家たる所以を、平和友好の美名
のもとに有耶無耶にする政治家に存在価値があるとは思えないのですが。
あ~、我が国に敵対するお隣の某国や、お隣のあの国にとってはその
価値は計り知れないのかも知れませんが。
ネガ・ポジ、リスト
われわれ国民を守ってくれる自衛隊に課せられた、行動規範なのだそ
うですね。
で、ネガ・ポジと書ましたが、自衛隊の行動規範はポジティブリスト
なのだそうです。
受ける印象はポジティブリストの方が明るい印象ですが、実際に戦う
ものにとっては大問題、リストに書かれた行動範囲でしか動けない。
つまり、プログラムで動くゲームみたいな物ではないでしょうか。
刻々と変化する戦場で、ポジティブリストで記されたプログラムの下
戦闘を行う軍隊なんて存在そのものがおかしい。
ロボットではあるまいし、プログラムで動く戦争はできないですよね、
いくら有能な自衛隊でも無理。
人間の行動、一挙手一投足を規制して、命がけの戦場へ送り出すとす
れば、 人権無視、人命の軽視、憲法違反も甚だしいのではないでしょ
うか。
一方、ネガティブリストの方は、娑婆で平穏に暮らしている人間であ
れば大方身についている行動規範であり、その制約の下で戦ったとして
も大した負担にはならない。
ま~、娑婆と言っても色々で、なかなかエグイ娑婆もありそうですが。
でも、エグかろうがどうだろうが、勝つためには何でもありが戦争の
現実でしょう。
ネガだろうがポジだろうが平和なときのお約束、一旦事あればそんな
ことは忘れてしまうのが世界の現実ではないでしょうか。
大東亜戦争は、ネガティブリストの下で行われたはずですが、非戦闘
員でさえ空爆や、戦時に名を借りた生体実験としか思えない原爆投下で
平気で殺されている。
そんな現実を無視したようなポジティブリストなんぞ、国民を守る気
のない政治家の責任逃れと、それに乗じた、日本を守らせたくない勢力
の画策ではないかと・・・