作家・作曲家の限界 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

1人の作家が、一生のうちに書けるものは限られている、と言われる。
ミステリー作家であるヴァン・ダインは、
「1人のミステリー作家が生涯で書けるのはたかだか6作である」
と言っていた、という話を読んだことがある。

そのヴァン・ダイン自身は、たしか12作のミステリーを残したが、
質の高い作品はその半分以下だと評価されているようである。

そこで、宮脇灯子が父親である故宮脇俊三について書いたエッセイを読んで、思い巡らした。

晩年の宮脇俊三は半ばアル中みたいになっていて、馴染みだった編集者が執筆依頼に訪れた際も、
酔っぱらって応対して断った、と書かれている。
その時編集者は、「もう宮脇俊三はダメだ」と思って帰った、という話である。

もし宮脇俊三がアル中でなくても、もはや質の高い作品を生み出すことは
できなかったのではないか。
それを本人が一番良く分かっていて、最後は酒に逃げたのでは、と娘も書いている。

彼の実質上の創作期間は、50歳から65歳までの15年間くらいだったようだ。
それ以上創作期間が長かったからといって、より多くの質の高い作品が生まれたことは
無かっただろう。

さて、そこでちょっと作曲家のことに話を移してみたい。
分かりやすいように、交響曲作品に的を絞ってみる。

もしベートーヴェンがあと10年長生きしたとして、もっと素晴らしい作品が
数多く生み出されただろうか。

交響曲に関して言えば、それはNoである。
番号が付いているベートーヴェンの交響曲は9曲あるが、
個人的にはどれもこれもつまらない作品で、
ことに最後の9番なんて大衆に迎合した妥協の産物でしかない、と思っている。

なので、これ以上交響曲を書いても、わたしには無価値なものしか生み出せなかった、と信じる。
断っておくが、これはあくまで個人的な趣味の話である。
わたしがベートーヴェンを低く見ている、という意味ではない。

もし彼にあと10年の時間があったら、それはそれは素晴らしいピアノソロの作品と、
室内楽作品が生み出されたに違いない。
ことによったら、室内楽史上に燦然と輝く作品が生み出されたかも知れない。

ブルックナーはどうだろうか。
この人の作品は、シンフォニーに尽きる、と言っても良い。

ブルックナーが第1番のシンフォニーを書いたのがたしか42歳で、
72歳で死ぬ日の朝まで未完の第9を書いていたことになっている。
第1番の前に0番と00番というのもあるが、まあそれは無視しよう。

創作期間は約30年で、この間に9曲の交響曲を作曲した。
しかしそんなに単純な話ではなく、彼は一旦創ったものを改訂しまくり、
若い頃の作品まで晩年の作風に徐々に改訂していったフシがある。
その結果、版がいっぱいあって訳が分からなくなっている。

もしブルックナーがあと10年長生きしたら、新しいシンフォニーを1つや2つ
書いたかも知れないが、過去の作品を改訂しまくり、原曲がどんなだったか分からなくなった
可能性がある。

現在汎用されている第4番の終楽章など、ほとんど後期作品みたいである。
これは晩年に手が入った結果だそうで、初版との違いはものすごく大きい。

こんな調子であの第2番などを校正されたら、曲が持っている初期作品としての魅力が失われる。
純朴な風情が残る第2番をこよなく愛するわたしとしては、それは非常に困る。
なので、自作品を改訂しないという前提で、ブルックナーにはもう少し長生きして欲しかった。

ならばブラームスはどうだろう。
この人もベートーヴェンと同じく、本性は室内楽作曲家である。
至極退屈なので、わたしは彼の多くの室内楽には興味がない。

管弦楽作品では、4曲の交響曲と、2曲のピアノ協奏曲、1曲のヴァイオリン協奏曲、
そして1曲の2重協奏曲がある。

第1番のシンフォニーは、先駆者であるベートーヴェンの存在を意識し、
25年かけて完成させたと言われる。
ところがその第1番は、彼が書いた4曲の中でも飛び抜けた駄作である、と個人的に思う。

時間をかけたら良いものができる、というのは芸術の世界では幻想である。
2番以降のシンフォニーのレベルの作品なら、あと1曲でも2曲でも、ぜひ聴いてみたい。

最も惜しいのはシューベルトである。
彼は31歳で他界するが、若い頃は歌曲ばっかり書いていて、
晩年になって大きなシンフォニーを2曲残した。

うち1曲は未完成と呼ばれるロ短調の作品で、もう1つは最後の大ハ長調である。
なので、本格的な完成されたシンフォニーは、ハ長調の1曲しかない。
おそらく20代半ばまでは無名な作曲家で、大きな作品を書いても演奏してもらえる
環境には無かったのだろう。

かつて評論家の誰かが、
「シューベルトは所詮歌曲の作曲家で、長生きしたとしても交響曲の大作を
 生み出したとは思えない」
などと書いているのを見たことがある。

この文章を読んでわたしは呆れた。
シューベルトのハ長調から溢れる無限の可能性が見えないとは、何と不幸なことだろう。

この作品以前に類似したシンフォニーは皆無であり、彼は間違いなく時代の先駆者だった。
同時期に書かれたベルリオーズの幻想交響曲とともに、新しい時代の幕開けを飾ったのである。
この大ハ長調が、ベートーヴェンの交響曲の最後の駄作と同時期に、
同じウィーンで書かれたとは偶然にしても出来過ぎている。

ベルリオーズの幻想は大したシンフォニーとも思えないが、
創られた時期が同じだったとを知ると、その斬新性に驚きを覚える。

あくまで個人的見解と断っておくが、シューベルトがもしベートーヴェンと同じ57歳まで
生きたとしたら、交響曲作曲家として音楽の歴史を塗り替えた可能性があると思う。

可能性を残して死んだ方が幸せか不幸か、それは分からない。
シベリウスは90歳まで生きたが、60歳で創作活動を止めてしまった。
他人には分からない理由がそこにはあるのだろう。

モーツアルトが元気で80歳まで創作を続けていたら、などと夢を巡らすのは楽しいが、
それは脳天気な凡人ゆえの楽しさなのだ、と思う。

創作者としての苦悩を味わえる人は、ほんの一部の選ばれた人だけだ。
一流気取りの創作者も知っているけれど、自分の創作物の質を客観的に判断できないからこそ、
幸せに創作を続けられるのだ。

あまりに見えてしまうと、創作者になれない。
わたしもそのうちの1人だ、ということにしておこう。