ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

このブログは 「ワイン遍歴の終着点はブルゴーニュである」と
密かに確信しつつあるワイン好きのひとりごとである。

高名な評論家が何を言おうが 権威ある本に何と書かれてあろうが
そんなことは知ったことではございません。
信じるのは自分の五感のみ。
これは 長年音楽を聴いてきた経験からの自負である。

売らんがための美辞麗句はどこにでも存在する。
わたしは誰にも媚を売る必要がないから 駄目なものは駄目とはっきり書ける。
ただ 自分の未熟さを反省する謙虚さだけは失いたくない。

読者を増やす努力は一切しない。
ランキングにはまるで無関心。
読者のためのバイヤーズガイドを目指さない。

音楽を語ると敵が増えるが、酒を語ると友が増える。
今日もひとりでブルゴーニュを開栓して ひとりごとを語り始めよう。

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今年に入って、相変わらず忙しい。

先月は本業が忙しかったが、今月は本業はヒマで、そのかわり座長やらプレゼンやらの

仕事が一杯あって、連日パワポならぬKeynoteで発表ネタを練っている。

 

先々週は吹田市民病院の勉強会の座長、先週はミニプレゼンと国循の北風先生の発表の座長、

昨日は箕面市立病院の勉強会の座長を務めた。

明日はワークステーション(株)のイベントで

またも北風先生とのコラボで、医療の話とワインセミナーの予定である。

 

先週わたしが座長をした北風先生の講演は、これまでわたしが聴いた講演の中でも

最高に素晴らしいものであった。

参加者は45人もあったそうだが、いろいろな参加者から大きな反響を頂いた。

企画したわたしとしては、してやったりである。

 

この先生の話は毎年聴いていて、すでに7〜8回経験しているが、

今回初めて医師対象の講演を聴き、あまりの頭の回転の速さに舌を巻いた。

 

後輩の先生から「先生の話は上手いと思っていましたが、上には上があるんですね」

という感想を聞いたが、レベルが違う。

明日また北風先生の話が聴けるので、楽しみである。

 

鳥取港の汐見亭

 

蟹刺し

 

さて、先週末に仕事終了後、同業の開業医4人で鳥取までカニを食べに行った。

元事務局長と福山のS先生、そして大阪では珍しい京大出身の若手スーパー開業医H先生、

という仲良しの個性的な面々で出かけた。

旅程は、同じく鉄道ファンである元事務局長が手配してくれたので、有難かった。

 

久しぶりに本場に食べに行ったが、内容は言わずもがなである。

ぜひまたこのような大人の遠足に行きたいものだ。

 

出雲市発出雲大社行きの一畑電鉄

 

これは出雲大社の本殿ではない

 

旅カエルが撮ってきた写真

 

翌日曜日には、鳥取を朝に出て山陰本線で出雲大社に向かった。

33年前にクルマで行ってから、久しぶりの訪問である。

 

生憎の雨だったが、参拝後「そば荒木屋」で昼食後、伯備線経由で帰阪した。

この蕎麦屋も旨かったなあ。

3先生方、また一緒に出かけましょう。

 

 


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シモン・ビーズ サヴィニー・レ・ボーヌ 1er オー・ゲット 2004

購入日    2015年4月
開栓日    2019年1月3日
購入先    湘南ワインセラー
インポーター ラフィネ
購入価格   7430円(税別)

 

ドメーヌ・ベルトー・ジェルベ ヴォーヌ・ロマネ 2013

購入日    2015年9月
開栓日    2018年12月31日
購入先    湘南ワインセラー
インポーター 八田
購入価格   5980円(税別)


年末年始に開けたブルゴーニュのピノ・ノワールの2本。

最近和食が多くて赤ワインを開ける機会が減っているが、ボルドーはともかく

ブルゴーニュはしばしば飲みたくなる。

 

いずれも1本づつしかないワインであり、価格も購入時期も確認せず開栓した。

価格は同程度と思っていたが、あとで調べてシモン・ビーズが相当高いのに驚いた。

価格差以上に、ヴィンテージが9年も違うのにまた驚いた。

 

シモン・ビーズのサヴィニー1級は、繊細な線が1本通っていおり、

まだまだ硬くてタンニンが解けておらず、時間が経ってもへばらない。

しかしやはりタンニンは解けない。

 

はて、これを置いておいたらもっと高めのピークが来るのだろうか。

1級畑だが、さほどポテンシャルは高そうには思えない。

まだまだ長熟であることは間違いなさそうだ。

 

一方のベルトーだが、このドメーヌもきちんと骨格があって、酸とタンニンのバランスが良い。

サヴィニーより若いが、こちらの方がむしろ飲み頃で、付き合いやすい。

一時狭い業界で話題になった、アメリーという20代の若い美形のヴィニュロンが造った

ワインらしい。

 

ヴァンサン・ドニ・ベルトーの時代から、この造り手のACブルゴーニュも

ジュブレ・シャンベルタンも同じテイストであった。

ヴォーヌ・ロマネの特長よりも、造り手の個性を強く感じる。

 

と思って調べてみたら、ミシェル・グロのモノポール畑であるクロ・デ・レアと

地続きの2つの畑をブレンドしたものだそうだ。

クロ・デ・レアはヴォーヌ・ロマネにありながら、ヴォーヌ・ロマネの特長はやや希薄である。

畑の位置を知って、なるほどと納得した。

 

この造り手はフィサンが本拠だが、テイストは南の方のブヨブヨしたワインと対極にあり、

ブルゴーニュの北の方の雰囲気を保持している。

このヴォーヌ・ロマネ以外のキュヴェはまだまだ価格が上がっておらず、

食中に開けるワインとして最適だろう。

 

 

 


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今年も毎年恒例のわが家の自家製おせちから

新居に移って2回目のお正月だ。

 

こちらは本町の「ル・コントワール・デュ・グー」の洋風おせち

 

やっぱりプロの仕事である。

はるいちご先生も、緑家さんも、ここのおせちをお願いしているそうだ。

藤田シェフはとても親切で、店の雰囲気もとても良い。

 

年始めにふさわしいおせちである。

今年も元気で過ごせますように。

 

 

 

 


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今日は大晦日だがバタバタしている。

 

診療は28日(金)の午前までで、最終日だけ暇だった。

ここに来て新患数が増加し、仕事としては順調であると言える。

 

来年には学会総会の会長企画で「地域医療」の部門でコンパクトな講演することになったし、

300億円市場の薬剤の発売5周年記念講演会の演者の話も来ている。

現場主義で多くの患者さんを診ていることがベースで、基礎医学講座で若い頃を過ごして、

データ整理と学会発表のノウハウを持っているから、開業医でもこんな話が来るのだと思う。

 

 

最近既存メディアのニュースは見なくなって、

引っ越しとともに朝日新聞を解約してから新聞も読まなくなった。

代わりにWeb記事やYoutubeが情報源になっている。

 

かねてから選挙前など「世論誘導しているなあ」と思って既存メディアを見ていたが、

「メディアを握るものが国を動かす」と昔の米国の社会学者が書いていたと聞くと、

やっぱりそうだったのだ、と思う。

インターネットの普及により媒体としての「メディア」は今後確実に変化する。

中国のようにインターネットに規制をかけない限り、世論誘導が困難になるに違いない。

 

わたしは経済に興味はあるが政治的なことにはさほど関心はないのだが、

目の前にあるお金をどんな形で置いておくかは考えざるを得ず、

為替などに影響する政治情勢のことは多少知っておかざるを得ない。

 

というのも、今年はZの襲来があったからだ。

個人事業主だから税理士事務所と契約しており、当然毎年きちんと確定申告を行っているが、

あちらには調査権というのがあって、わたしの前にやってきた時点で、

事業用口座だけではなく、外貨も含めてすべての口座を把握しているのだ。

あなおそろし・・

 

3年前に10年満期になったドル建ての生命保険の満期金を、

外貨預金の口座を作ってドルのまま受け取ったのだが、これの確定申告をうっかり忘れていた。

国産普通車が買える程度の金額だったのだが、自分でも間抜けだったと思うのは、

一時金で受け取ったことである。

他にも収入があるので、年金にして受け取るより税額が大きく増える。

経済に無知だと痛い目に遭うのである。

 

最近では外貨の出入りと消費税に目を光らせているという話を聞いて、

今年うちにZの襲来があった理由がわかった。

 

経済に詳しくなくて、Zとも縁がない同業者にこの話をしたら、

「せんせのところは、ガッポリ稼いでいるから来るんでしょ」とか

「接待交際費をバカスカ使っているんでしょ」

などと言うのだが、違うのである。

まあ、ほとんどの同業者はこのレベルのことしか知らないと思う。

 

一方経済に滅法詳しい同業者にこの話をしたら、

「受け取り方を間違えましたねぇ。ことに外貨には気をつけなきゃあ」

と言われた。流石である。

 

やって来たZの調査官は紳士的で几帳面な方であったが、

面談の中でこちらに悪意がないことはわかったはずだ。

一方、この医者と論争するのは大変だ、と思ったかもしれない(笑)。

 

元より帳簿管理はしっかりしており、細かい入出金を調べられても問題はないのだが、

痛くない腹を探られるのは愉快ではない、とこれまでは思っていた。

例えばクルマの経費はどのくらい認められるのか、

もしフェラーリを買ったらどの程度経費で認められるのか(買えないけれど)、

接待交際費はどの程度まで認められるのか、といった点は解釈の違いもある。

 

調査官によっては「ごまかしてるやろ〜」という姿勢で来ることがあるかも知れないが、

今回の調査で、怯まず堂々と根拠を示せば良いことがわかった。

元税務署長でベテラン税理士である患者さんのアドバイスの通りだった。

 

ほとんど仕事にしか使っていないクルマの使用明細の資料、

接待交際費、消耗品費などは3年分の細かな明細を作成して提出し、

12月半ばに修正申告を行い、いくばくかの追加納税額が発生したが、年内で調査は終了した。

最初に税理士事務所に調査に入ると通達があってから、5ヶ月が経過していた。

 

今回の件では、税理士事務所の会長と担当の女性には実に世話になった。

人対人の話し合いになるので、弁護士と同じで能力が問われる仕事だとよく理解できた。

税理士事務所も仕事だから相当額の費用はかかるため、全面的には笑えず、

経済的にはダブルビンタを喰らった格好だ。

ある意味Zと税理士事務所は同じ穴のムジナとも言えるかも。

 

 

さて、ワインに関してはほとんど買い足していないので、あまり語ることがない。

ほとんど在庫のワインを消費しているだけなので、想定内で新しい発見はない。

驚くほどの幸せワインには出会わなくなったが、ブルゴーニュのグラン・クルは

価格高騰で買えなくなっているので仕方がないだろう。

 

しかし、10年前と比べて自分が開けるワインのレベル(金額ではない)は上がっている。

気に入らない造り手のワインは購入していないし、在庫からも無くなっているので

当然ではある。

 

 

昨年の引っ越し前後から、40年ぶりにオーディオ機器が全面的に入れ替わった。

今年購入したのは高価なCDプレーヤーと安価なネットワークオーディオプレーヤーのみ

であるが、機器としてはこれでほぼ満足している。

 

一方の音源だが、年齢のせいか新しい音楽がなかなか頭に入ってこない。

プロコフィエフの交響曲など退屈で聴いておれず、すぐ止めてしまう。

よって気に入った作曲家の作品ばかり、演奏者を替えて聴いていることが多い。

 

40年くらい前に、評論家の宇野功芳が

「現在ブルックナーをまともに演奏できる指揮者は、マタチッチと朝比奈隆だけだ」

と語ってレコード市場に大きな影響を及ぼしたが、わたしもその通りだと思っていた。

しかし今ではマタチッチ(1984没)も朝比奈隆(2001没)も、

宇野功芳(2016没)も故人になってしまった。

そしてその後も新しい演奏は登場してきている。

 

近年になって、自分が納得できるブルックナー演奏は目に見えて増加しており、

宇野功芳が語っていた時代の演奏とは価値観が異なってきている。

今振り返っても、前世紀の録音で愛聴に値する演奏の比率は非常に低い。

 

今世紀になってブルックナー交響曲全集を完成させた、最近の指揮者を挙げてみる。

(曲により前世紀末の録音も含む)

旧時代の指揮者であるバレンボイムが入っているのは意外であった。

 

宇野功芳がまるで評価していないが、わたしが高く評価しているゲオルク・ティントナーは

1999年に病苦で自殺しており、この中には含まれない。

この指揮者の醸し出す世界は、ベートーヴェンの体臭に馴染んだ聴き手には無縁だ。

 

2001以降に完成されたブルックナー交響曲全集

・アイヴァー・ボルトン

・イム・ホンジョン

・デニス・ラッセル・ディビィス

・ヤニク・ネゼ・セガン

・シモーネ・ヤング

・ダニエル・バレンボイム(3回目の全集:シュターツカペレ・ベルリン)

・マーカス・ボッシュ

・ゲルト・シャラー

・マレク・ヤノフスキ

・ヤン・シャープ・ズヴェーデン

・ロベルト・パーテルノストロ

・マリオ・ヴェンツァーゴ

・ヘルベルト・ブロムシュテット(保有せず)

 

これらの全集の録音をちょっとかじり聴きするだけでも、カラヤンやベーム、

マゼール、ショルティなど昔に大家と呼ばれた指揮者とは世界観が違うのがわかる。

世界的な名指揮者と評価されていたこれらの指揮者たちは、所詮は古い価値観から抜け出せず、ベートーヴェンやブラームスは上手く演奏できても、ブルックナーの核心からは遠かった。

 

彼らの演奏は当時から気に入らなかったが、不遜ながら今になって

自分の感性がぶれていなかったことを再確認するのである。

 

上記の中でもヤニク・ネゼ・セガン、ヤン・シャープ・ズヴェーデンの演奏は出色で、

2人とも次の時代を担う天才指揮者だと個人的には感じている。

 

また、ゲルト・シャラーの録音も地味だが注目に値する。

ロベルト・パーテルノストロの全集録音は何と1000円台で買えるが、

大してレベルの高くないオケを駆使して、熱演を繰り広げている。

40年前にこの録音があったら、きっと大絶賛されただろうに。

 

また、全集はまだ完成されていないが、最近聴いたクリスティアン・ティーレマンの

第4番は、前世紀には考えられなかった柔らかな演奏で、

ようやく時代がブルックナーに追いついてきた気がする。

 

未完の第9番を除くすべての交響曲は、最終音で高みに至る予定調和の世界であり、

裏切られず最後に必ず印籠が登場する水戸黄門の世界に通ずる。

こんな神の啓示を受けたかのような作曲家は、稀有な存在だと言わざるを得ない。

 

 

 


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昔からなのだが、標題性を持った音楽は嫌いである。

その代表的なものは反戦歌であると言えば分かりやすい。

 

しかし、ピーター・ポール&マリー(PPM)がカバーした

「花はどこへ行った」くらい洗練されてしまうと、反戦歌として意識せずに

音楽そのものを楽しんで聴ける。

 

一方、谷川俊太郎作詞・武満徹作曲による合唱曲「死んだ男の残したものは」は

豊中混声合唱団などが演奏しているが、これなどベタな反戦歌であり、

目的のために音楽を利用した最たるものと言える。

 

だから、ソビエト共産党の評価を意識して書かれたショスタコーヴィチの交響曲を

どうしても好きになれない。

 

しかしショスタコーヴィチ(1906-1975)が生きた時代を考えると、

すでにベートーヴェン以降の名だたる作曲家たちの交響曲が出揃っていたわけで、

そこに加えて新しい個性を持った作品を生み出すには

相当な苦悩があったことは想像に難くない。

 

ショスタコーヴィチより前の世代で、グスタフ・マーラー(1860-1911)や

ジャン・シベリウス(1865-1957・1925以降は作品なし)とほぼ同じ時代を生きた

スウェーデンの作曲家ヴィルヘルム・ステンハンマル(1871-1927)という作曲家がいる。

2曲の交響曲を残しているが、この2曲の対比が面白い。

 

交響曲第1番(1902-1903)の作曲時期はマーラーの第6番、シベリウスの第2番と一致する。

ステンハンマルがシベリウスの第2番(1901)を1903年に聴いて、

北欧的であることに衝撃を受けて自己嫌悪に陥り、「あまりにブルックナー的である」

と自分で酷評し、封印してしまった作品である。

従って生前には世に出ておらず、作品番号も振られていない。

(筆者注:ネーメ・ヤルヴィ・パーヴォ・ヤルヴィのCDの英文解説による)

 

聴いてみると確かにドイツロマン派の流れを汲むというか、焼き直しのような作品で、

第1楽章の冒頭からしてブルックナーのアダージョっぽくて、ブラームスみたいな響きもあり、

第2楽章の終盤あたりはブルックナーの第7のアダージョのコピーのようだ。

 

ただし佐村河内守の交響曲第1番のような確信犯のまがい物ではなく、

これを破棄した作曲者の心情が察せられ、正直さに好感が持てる。

だから耳馴染みがよく、楽しんで聴けるとも言える。

演奏会の題目に載せるなら、第2番より第1番の方が確実に観客受けするだろう。

 

一方交響曲第2番(1911−1915)は自信作であったようで、

はっきりした北欧的な個性が出ている。

しかしどことなく旋律線が持続せず、結局のところ捉えどころのない作品に留まっている。

このあたりが、広く人口に膾炙しない所以であろう。

 

余談だがステンハンマルの作品では、短い小品に見るべきものが多く、

交響曲やピアノ協奏曲などの大作で知られる作曲家の範疇からは外れているようだ。

 

また、同じスウェーデンには、アラン・ペッテション(1911-1980)という作曲家がおり、

何と17曲もの交響曲を作曲している。

(第1番は破棄、第17番は未完のため、実質的には15曲)

 

ショスタコーヴィチと同世代の作曲家だが、決して前衛的ではないものの、

聴いてみるとショスタコーヴィチとは別の意味で当惑するしかない作品である。

交響曲全集も発売されており、HMVのサイトでは、細かな解説を読むことができる。

 

そこには、この作曲家がいかに病気(多発性関節炎とされている)で苦しみ、

苦難な人生を過ごしたかが書かれている。

誰が書いたのか知らないが、解説者の思い入れが強すぎて、作品の鑑賞の妨げになる。

モーツアルトだってベートーヴェンだって、楽な人生だったわけではないだろう。

 

もしショスタコーヴィチに第5番が無かったら、交響曲作曲家としての知名度は

もっと下がっていたのに違いない。

ペッテションをつまみ聴きしていて、ふとそう思った。

 

プロコフィエフ(1891-1953)やオネゲル(1892−1955)など、20世紀にいくつもの

交響曲を作曲した作曲家がいる。

ペッテションは、彼らとは天才度において差があるのではないか。

また、社会性をおびただけショスタコーヴィチは、天才であるかも知れないが、

プロコフィエフやオネゲルに交響曲作曲家として一歩譲るのではないか、とも思った。

 

ふと思い出したが、3曲の交響曲を書いたラフマニノフ(1873-1943)の

後半2曲は20世紀に書かれている。

第3番(1936)は才能が枯渇したあとで書かれた駄作としか思えないが、

第2番(1906-1907)は通俗を装いつつ奇跡的なバランスを持つ名作である。

 

まとまりのない文章になってしまったが、これらの作品が書かれた年代を知ると、

交響曲を作曲するには20世紀、特に後半は難しい時代だったのが理解できる。

 

 

 


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この夏の猛暑で、築55年のコンクリート造りの平屋建て建物(義父の旧診療所)に

昨年しつらえたワイン庫の天井が落ちてしまった。

ワイン庫内外の温度差による結露が原因と考えている。

笑えない話だが、幸い秋になっているので、まだ修理の段階になっていない。

 

緑家さんからいろいろアドバイスをもらっていたのだが、生かせなくて情けない。

この顛末を書くと落ち込みそうになるので、今後の対策を考えてから

復旧に入って行きたいと考える。

平屋建ての建物のワイン庫は難しい。

 

 

開業後17年以上過ぎたが、ここにきて新患数が改めて激増している。

この1ヶ月で150枚もカルテが増えた。

前立腺肥大症と過活動膀胱治療薬の患者数・処方数ではおそらく大阪でトップだろう。

 

メーカーの本社の学術担当者が、わざわざわたしの意見を聴きに東京からよくやって来る。

患者のためならと思って情報提供しているがもちろんボランティアで、

メーカーの営業戦略にある程度の影響はあるのだろう。

 

毎日忙しい日常が続いており、外部から見たら非常に活動的な医師に見えると思う。

しかし毎日鬱々としている。

 

10年くらい前、同期生で最もカリスマ性があるイケイケの開業医が突然うつ病になって、

しばらく休診していた。

高校大学は全学の運動部の部長で、これほどやり手で順風満帆の男が、

どうしてうつ病などになるのか信じられなかったが、今にして何となくわかる。

 

この友人は、もちろん今では回復していて、以前にもまして親分肌の雰囲気を

醸し出しているが、同期生の阪大教授(科は違う)が

「人は外見だけではわからんよ」とボソッと言っていた。

心の健康と時間はお金では買えない。

 

 

先月淡路島で合宿した際、ラブワインさんとショスタコーヴィチのことが話題になった。

交響曲に限った話として、自分が聴いた経験を思い出してみたが、

15曲の全曲をすべて聴き通したかいささか自信がなく、

2番、3番、6番、8番、14番あたりは、どんな曲かと言われてもイメージが浮かばない。

 

うちにはバルシャイの交響曲全集があるし、おそらくほとんど聴いていると思うのだが、

個々の作品の印象を語れるほどには知らないのである。

 

そこでこの2週間ほどで、いくつかの交響曲を聴いてみた。

元々陰気な音楽であるし、時候も晩秋で明るくないから、余計に鬱々となる。

 

改めて述べるまでもないが、ほとんどの作品がソビエト共産党の評価を受けることを前提に

書かれており、書かれた当時の社会情勢の情報を取りに行かざるを得ない。

 

わたしは反戦歌のような色のついた目的性がある音楽は大嫌いである。

(宗教音楽も広い意味では目的性のある音楽であり、素直には受け入れがたいと思っている)

だからショスタコーヴィチの作品は、純粋な音楽作品として耳に入ってこない。

 

2番、3番ははっきり革命やメーデーを礼賛する作品になっており、

11番、12番は革命をテーマにした標題音楽として書かれている。

 

だったら前衛的な作品や、弦楽四重奏曲はどうなのか?

交響曲ですら聴いて鬱々となるのに、ショスタコーヴィチ研究者でもない私が、

私小説的な弦楽四重奏曲など聴く気にならない。

そんなものを聴くくらいなら、モーツァルトの弦楽四重奏曲を聴きたくなる。

 

しかし現代のモーツアルトと呼ばれたショスタコーヴィチらしく、

政治性や社会性を置いておいて個人的に楽しめる作品もある。

 

第4交響曲の前衛性、先進性には以前から気づいていたが、

今回聴き直して改めて第8番の存在感を認識したし、

マーラーの大地の歌の影響を受けたとされる第14番には、聴き惚れてしまった。

これは相当な名作である、かも知れない。

 

大衆向けでわかりやすい12番以降の陰鬱な3曲(13〜15番)はある意味異様な音楽である。

15番は1972年ごろに大阪で行われた日本初演を生で聴いたが、

あれからもう半世紀、しっかり聴き直した記憶はない。

 

こちらもそれだけ年をとっているわけで、同時代の音楽である以上、

ワインのように開栓時期によって印象も変わってくるであろう。

 

「14番は20世紀に書かれた交響曲の中でも屈指の名作だ」

と言ってもおそらく共感者はほとんどいないだろう。

だから、ショスタコーヴィチの音楽を聴いていると、ますます鬱々としてくるのである。

 

 

 


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フレデリック・コサール サン・タムール 2014  一見裏ラベルの右が本来のエチケット

購入日    2016年6月
開栓日    2018年12月1日
購入先    湘南ワインセラー
インポーター ヴァンクール
購入価格   4980円(税別)

 

ややオレンジがかった色 2014のピノ・ノワールより薄く、ガーネット色が乏しい

 

決して大げさではなく、こんなに洗練されたガメイにはこれまで出会ったことがない。

乏しい自分の経験ではあるが、これまでの人生で最上のガメイである。

そこらの凡庸なブルゴーニュのピノ・ノワールがぶっ飛ぶレベルのワインで、

湘南ワインセラーのHPにも書かれているように、これは紛れもない天才の仕事である。

 

言うまでもなくサン・タムールはクリュ・ボージョレの1つで、

「ボージョレに美味いワイン無し」と固く信じているわたしが、

わざわざこんなワインを買うことなどあり得ないことである、はずだ。

 

ではなぜこのワインが家にあるのか。

一昨年コサールの他のブルゴーニュを買う際に、間違えて1本だけ紛れ込んだのである。

あ、そうだった、これって(狭い意味の)ブルゴーニュではなくボージョレだった、

と後で気づいた。

 

なので全く期待せずに開けたのだが、何なんだこの洗練度の高さは!

まず軽めのビオ香がするが、コサールのワインだからこれは予想通りだ。

ビオ香嫌いの家内に飲ませても気づかない程度だから、普通には気にならない。

 

小さなサクランボのような楚々とした酸があり、例のガメイのイヤな後味はまったくない。

しかし、よく観察するとピノ・ノワールの酸に特徴的な細くてキリッと締まった芯がなく、

酸が僅かながら茫洋と広がる。

 

ピノ・ノワールとは違うが近似しており、ここにガメイのプライドを感じるのである。

と書くとガメイには失礼だが、ガメイは生理的に嫌いなのでそう言わざるを得ない。

当然今年もボージョレ・ヌーボーなど口にしていないが、

こんなに洗練されたガメイを目の前にすると、既成概念が覆される。

これはヌーボーなどとは次元が違う全く別物の飲み物である。

 

ピノ・ノワールであるブドーとほぼ同価格だが、値段設定はリーゾナブルであり、

対抗馬が多いピノ・ノワールのブドーより個性では凌駕している。

 

この価格で手に入る赤ワインとして、最上の作品と言えるだろう。

今更ながら、コサールの才能を認識した。

脱帽というしかない。

 

 

 


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ブルゴーニュワインが15年前の3倍くらいの価格になって、

もはや普通の人の日常の飲みものではなくなった。

15年前に5,000円で購入したワインを今開けて評価をブログに書いても誰も購入できないし、

15年前に5,000円だったワインの新ヴィンテージは15,000円になってしまっているから、

感想を書いても嫌味でしかない。

 

という理由でワインの記事が書けないでいる。

飲み頃まで10年はかかるであろうワインを、15年前の3倍以上の価格を出してまで

買って追っかける気にならず、最近ではすぐ飲めるシャンパーニュと日本酒に逃げている。

 

だから長生きしたとして、新しいヴィンテージを買い込み、楽しいワインの未来を語っている

自分が想像できない。

考えるだけで鬱々とした気分になる。

 

これは鉄道でも同じで、すでにJR全線をほぼ完乗しているので、新しい線に出会う喜びはない。

むしろかつて乗った線が次々に廃線になっていくので、鬱々とした気分になる。

昔乗った旧線を訪れると、「ああ、あれから20年も経ったのか」という思いが先に立つ。

かつて宮脇俊三も同じことを書いていた。

 

一方仕事は忙しくなるばかりで、開業して17年以上経ったというのに、

連日新患が続々やって来られて、商売としては大繁盛している。

我ながらいい仕事をしていると思うし、それなりに社会貢献もしていると思うが、

体力と気力を消耗しているのも事実だ。

こんな仕事ができているのもひとえに職員のレベルの高さに依存している。

院長一人では相撲は取れない。

 

大病院の院長になっている同期生で現役の勤務医は、わたしどころの苦労ではないと思うので、この程度の仕事量で弱音を吐く資格はない、とも思う。

 

 

数日前に勝谷誠彦が亡くなった。

数年前までテレビでよく見かけたし、昨年には兵庫県知事選に出ていたし、

落選後「64万人の魂 兵庫知事選記」という本も出版していた。

 

1年前に勝谷誠彦の弟であるの循環器内科医の講演を聴き、名刺交換したが、

業績がある学者肌の先生で、兄のことも楽しげに語っておられた。

だから相当驚いたが、ネットの記事を読むと亡くなったのも仕方がない、という死に様である。

 

『勝谷誠彦のxxな日々。』を配信してきた高橋茂という人が、

「勝谷誠彦追悼 酒と戦わずして命奪われたコラムニスト」という記事をアップしている。

 

それによると急性肝不全で亡くなったとある。

2018年8月に配信されたネット番組で、黄疸が出ていて顔色が悪かったとも書かれている。

 

酒を飲みすぎてアルコール性の肝硬変・肝不全で亡くなったのに、

これのどこが急性肝不全なのかと思うと呆れて物も言えないが、

理屈を超えて死者に寄り添った記事ということだろう。

 

一方、宮崎哲弥は「自死に近い死だったと思う」と言っている。

わたしは勝谷誠彦と知り合いではないが、この意見の方が納得ができる。

 

昨年の1月に、親しかった大学の同期生が、同じ死に方で急逝した。

彼は奥さんを亡くしてから3年、毎日ウィスキーをボトル1本飲んでいたようだ。

仕事はしていたが、亡くなる数ヶ月前から腹水も溜まっていた。

彼自身医師だったから、そうなることはわかっていただろう。

通夜の席で、親友だった同期生の医師が「まあ、自殺やな・・」と小声で呟いていた。

 

もう1人、高校時代の同期生で、アルコール性の膵炎で入退院を繰り返し、

今ではほとんど寝たきりになっている親友がいる。

彼も奥さんを亡くしたあと酒が過ぎていたようだ。

スポーツ万能で剣道3段、京都大学工学部現役合格して一級建築士、

企業人として活躍していたのだが・・

 

Zの襲来は大過なく済みそうなのだが、何となく暗いブログになってしまった。

こんなときにショスタコーヴィチの交響曲など聴いているとますます鬱になりそうだ。

 

亡き父もわたしくらいの年頃、友人が次々と亡くなる時期があって、

落ち込んでいたことがあったし、

恩師の元阪大医学部長も同じようなことをて言っておられたのを思い出す。

 

まあそういう年になったということだろう。

早いうちに在庫のワインを開けてしまおう。

 

 

 


テーマ:

淡路島の南の方にある民宿「南海荘」

 

緑家さんのブログにしばしば登場する南海荘に、おっさん3人(ラブワインさん、緑家さんと

わたし)で泊まりに行った。

もう何ヶ月も前から予約を入れていただいて、やっと行けたというくらい人気の宿である。

何とラブワインさんは自宅から5500ccのフォードに乗ってやって来られた。

 

緑家さんがとにかく食事が美味しいと言っておられたので期待して行ったが、

予想を大きく上回る料理のレベルであった。

何と昨晩の料理は魚料理ではなく、イタリアン?!

もちろん普段は鮮魚料理がメインで、いつでもイタリアンがOKというわけではないらしい。

 

2皿目のカルパッチョ これが淡路島の民宿の皿?

 

左から シュロスヨハネスベルク 2017  サピエンス 2008  ラ・フルール・ペトリュス 2000

 

緑家さん持参のシュロスヨハネスベルク 2017はラインガウのスタンダートレベルらしいが、

フレッシュさが満載のリースリングである。

粘度質らしく、ミネラル感は強くなく、球体のようなバランスの良さがある。

リースリングは新しいほど特有の魅力があり、緑家さんがいないと出会えないワイン。

こんなフレッシュなのを頻繁に飲めたら幸せだろなあ。

 

ラブワインさん持参のシャンパーニュ マルゲ サピエンス 2008

造ったのはエルヴェ・ジュスタンという人で、9月にリエゾンに持参いただいた

ジュスタン 2007と同じ造り手、同じ畑のラベル違い・ヴィンテージ違いらしい。

 

2007はシャルドネの印象が強かったが、2008は赤っぽい。

まずビオ香が香り、その後にピノ・ノワールらしい余韻が長く、

相当なクオリティのシャンパーニュであることはひしひしと伝わる。

 

ところがラブワインさんにとってはこれが期待はずれであったらしく、

あとの2人が満足しているのに1人で落ち込んでおられた。

22時頃撃沈したあと、2時半にゴソゴソと起き出して再度検証し、ブログをアップされている。

やはりこの人は尋常ではない。

 

わたしばブルゴーニュではなく、ボルドー右岸ポムロールの

ラ・フルール・ペトリュス  2000を持ち込んだ(メルロー80%、カベルネ・フラン20%)。

2001年にピーロートからプリムールで購入したもので、購入価は6000円もしなかった。

 

個人的に非常に思い入れのあるシャトーで、90年代に何本も飲んだ良い思い出がある。

鹿肉のパスタと相性抜群だったが、この2000はまだまだ若く、

このワインはオフヴィンテージを購入して早飲みしたほうが良いと思った。

 

朝食 料亭レベルのかますの焼き魚

 

今日の昼は福良市にあるひらまつ食堂へ

 

何の変哲もない食堂のようだが、予約で一杯で、つぎつぎ客がやって来るが

店主が満員ですとお断りされていた。

 

実に面白い2日間であった。

プランニングして頂いた緑家さん、一番遠いのにクルマでお越しいただいて

乗せて頂いたラブワインさん、本当にありがとうございました。

 

 

 


テーマ:

新築した市立吹田市民病院 自慢の広いリハビリ室

右端にちらりと写っているスラリとしたスーツ姿の女性は、案内役の職員さんかと思ったら、

副院長・看護部長さんだった

 

最近またも患者さんが激増、しかも一般医で診断に難渋したような難しい症例が多く、

オフタイムにはへばっていて、ブログ更新のエネルギーが残っていない。

 

しかし個人的にはいろいろなことがあって、仕事以外も忙しい。

緑家さんと京都のつか本に20:30 に行ったり、ooisotaroさんと久々に再会したり、

楽しいことも多い。

しかし、夏以来のZの襲来にはまだ決着がついていない。

今回は色んな意味で勉強になっており、興味深いことも多い。

 

先の土曜日は関西医大病院教授と一緒にリエゾンに行って、17年前に購入した

ボルドーのシャトー・ピション・コンテスト・ラランド2000を持ち込んだ。

たまにはボルドーもいいものだ。

 

昨日は堺市医師会医会の40周年記念式典に来賓で参加して、

堺の活発な同業者と12時前まで居酒屋で鉄道・経済の話などで大盛り上がった。

Zの襲来に関する貴重なアドバイスももらったが、さすがにやり手の対応は違う。

 

今日は朝から新築なって移転直前の市立吹田市民病院の内覧会に出かけてみた。

はるいちご先生と本当にニアミスであったようで、ほとんどすれ違っていたようだ。

 

受付では昔から親しい総長に出迎えられ、1人で案内に沿って歩きながら

キョロキョロしていたら、研究室時代の後輩だった外科医がいる。

あれ?どうしたの?と言ったら、新任の救急部長で赴任してきたのだそうだ。

 

立ち話をしていたら、後ろからいかにも偉そうな男性に案内されてきた女性から

あらこんにちは、と声をかけられた。

この方は自民党厚労族の渡嘉敷奈緒美の後ろ盾になっている、元薬剤師会会長である。

偉そうな男性はあとで分かったが本当にエライ人で、この病院の理事長であった。

元薬剤師会会長に便乗して、懇切丁寧に新病院内を案内して頂いた。

 

 

手術用ロボットダヴィンチが置いてある手術室には、お馴染みの泌尿器科部長がおられたし、

新しい病院はやっぱり希望に満ちている。

 

JR 岸辺駅前 

バスロータリーにバスはいないが、写真のマーケットの中は人がいっぱい

 

バスまで時間があったので、病院の隣でより駅に近いショッピングモール、

医療モールが入るビルに少しだけ入ってみた。

これがまたえらい賑わいで、梅田阪神の地下の食料品売場くらいの混みようだ。

 

2階の一角の医療モールには、まとめて8軒の医療機関が一斉にオープンする。

ここの通路にはことに人が一杯である。

千里中央のSENRITOよみうりの医療モールより規模が大きく、

今後どんな風に発展するのか興味深い。

 

診療所は医師個人の技量による点も多いのは当然だが、

この医療モールの成否は今後徐々に明らかになってくると思う。

 

 

 

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