ワインの修辞 その2 | ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

ワインな日々~ブルゴーニュの魅力~

テロワールにより造り手により 変幻の妙を見せるピノ・ノワールの神秘を探る

ワインを表現するのに、感じられる香りを羅列してある文章を目にすることが多く、
これが非常に独特で、かつ陳腐な感じがすると常々思っていた。
最近文学賞のはしくれを受賞した家内など、いつも読みながら笑っているし。

そこで昨晩、何気なく音楽を聴きながら文章にしてみたら、ワインに相当詳しいと思われる(失礼)、
「か」な人 さんから、示唆的なコメントを頂いた。

「今では、ワインの香りの表現に使用される共通語であると思えるようになってきました。
 ワインを販売しているお店の場合、いわゆる共通語による表現は、ワインを出されるお店の方が
 買われる時には、必要なのかもしれません」

音楽を聴いた際の感動を他人に伝えることと、飲んだワインそのものを、
主観を交えずに人に伝えることとは、考えてみれば違ってあたりまえである。

ワインの個性・特徴を客観的に第3者に伝達する必要があって共通語が用いられている、
という「か」な人さんのコメントには説得力がある。
もっとも、その共通語を理解するためには、相当な勉強なり才能なりが必要とされるだろうが。

わたしのようなただの飲み手は、ワインから得た印象などを技巧的に巧妙に表現してもらった方が、
ワインに対して興味が湧くし、表現者のワインへの造詣と咀嚼力が分かって面白いとは思う。
文学を生業とされるUTAさんなら、なおさらだろう。

しかし、ワインを扱うプロの間では、独自の言葉で情緒的に語るだけでは、
仕事は成り立たないのかも知れない。

昨晩のUTAさんのコメント
「モノにモノを例えるよりモノに感情を、感情にモノを例えるのが上等と私は思うのであります」
というのが、即座に意味が分からなくて、家内に説明を求めたらやっと分かりました(笑)。

ワインを飲んだ感動を人に伝える、ということと、そのワインをできるだけ正確に人に伝える、
というのは、まったく違うことかも知れないが、いずれにしても能力は要りそうだなあ・・