雑文です。
ワインを表現する時の形容詞というのは、どう考えても奇妙でいびつだ、と家内が言う。
昨日紹介したイタリアワインに対するウメムラさんのコメントでも、
「濃い紫色、赤い花、沈丁花、カシス、プラム、ダークチェリー、赤身肉、レザー、鞣革、黒胡椒、
ナツメグ、メース、スターアニス、オレガノ、タイム、シナモン、チョコレート、コーヒー、
リコリス、腐葉土、土のニュアンス、非常に濃い色合いを持ち・・・」
とある。
わたしもこんな文章を読んだ時、以前なら
「おおっ、それほど多くの香りを嗅ぎ分けられるとは、大した嗅覚だ」と
ちと思ったのだが、最近では「アホかいな」と思うようになった。
わたしはソムリエ試験のための勉強などしたこともないし、今後もする気など全くないが、
ワインの学校に行けば、香りのサンプルを前に置いて、ワイングラスを片手に、
感じられる香りを列挙する練習でもするのだろう。
読み手が欲しいのは、ほのかに感じられる幾多の香りの羅列ではなく、
そのワインの持つ最も特徴的な香りなり味わいなりの、簡潔で的確な表現ではないだろうか。
しかしこういう香りの羅列が、ワインの表現に常用されているところが、
非常に特殊な修辞法であると思うわけである。
フルオーケストラを聴きながら、そこで鳴っている楽器とその音程を分析的に聴いても
何の意味もないと思うのだが、妙に耳の良い聴き手はよくそれをやる。
そして、木を見て森を見ない愚をしばしば語るのである。
ワインをそれと一緒にしたら怒られるのかな。
それにしてもワインを表現する修辞の大げささには恐れ入る。
田崎真也がソムリエコンテストで優勝した、というのも、単にワインが分かるだけではなく
フランス語で如何にそれを独創的に表現できるか、という点において優れていたからである、
という話を聞いたことがある。
言葉によって誘われる味覚の世界というのは、無限ではあるに違いない。
それを優雅に、そしてここが大事なのだが、クサくなく表現するのは難しい。
「草原をわたる青い風の香りがする」
と言われたら、誰でも一口でいいからそのワインを飲んでみたくなるというものだ。