久しぶりに何もしない休み。
手つかず乱れた部屋を、
片付けはしたけれど、
それは今一番必要だったこと。
気持ちもすっきりし、
思考も健康になったよう。
私がずいぶんバタバタ余裕なく、
過ごしていたときに亡くなった、
オスカー・ギリアさんのことを、
ふと、思い出した。
2008、9、10、12年の4回。
イタリア・シエナで開かれる、
夏季講習会(約1ヵ月)に参加し、
ギリアさんから直接レッスンを、
受ける機会に恵まれた。
30歳までという制限があり、
みんな若く、熱く、勢いがあった。
すでに演奏家として活動する人も多く、
毎レッスンがコンサートだった。
そんななかにほぼ初心者で乗り込んだ。
オーディションで受講生が決まる。
私の日本での先生の先生、
という関係性から機会をくれたと、
しか思えないのだけど、
計16回のレッスンすべて、
全力で音楽を伝えてくださった。
日本語含め7ヶ国語(だったかな?)
使いこなすイタリア人のギリアさん。
私のレッスンは日本語で。
注意するときは英語で。
すごく怒ったらイタリア語で、
なにかを叫ばれることも。
(私は伊語分からないけど、
怒られているのは分かる。伝わる..)
自分に対してのレッスン、
他の生徒に対してのレッスン。
(今はじめて計算してみたけど、
1ヶ月の間に最低90回のレッスン。)
そのすべてに本気で。
本当に一人一人その人にとって、
大事なことをそれぞれに合う方法で、
伝えていく姿は、
優しくお茶目で子どものような、
時おり強そうな犬が吠るような、、
そのなかで表情豊かに歌われる声、
その歌で指揮されるように、
生徒の音楽が変わっていく。
そんなことを思い出し、
ギリアさんとのメールを見返した。
恐れ多くも、
何度もメールのやり取りをしていて、
当時の自分の厚かましさに驚く。
でも、おかげでとても嬉しい発見があり、
私グッジョブ、とも思う。
夏にレッスンを受け、
たくさん学んで変わって帰ってきた、
気がしていたのに、
自分で弾こうとすると上手くいかない。
なので、ギリアさんのレッスンを、
あのシエナの空気感を思い出しながら、
なんとか練習しています。
と言うようなことを書いた私に。
+++
私があなたがより良く弾けるように教えるとき、あなたはあなたの良さに気付くようになる。でもその‘より良く’なることは私から得るものではない。私はただあなたの中から引きだしているだけ。
すべてはそこにある。
それを自分で引き出せるかどうか悩むのはやめなさい!
もちろん、あなたはできる。
必要なことは、その音があなたの想像力に示唆するものはなにか、よく聴くこと。
+++
直訳すると変な感じがするな..
この言葉がすごく心に刺さったのは、
間違いなく覚えているけれど、
今、ようやく飲み込めた気がする。
この文章の前には「うさぎとかめ」
の面白い解釈も書いてくださっていて、
その当時の私に分かるように、
伝わるようにすごく丁寧に。
その思いも含めて、
今またより深く刺さる。
この言葉はギリアさんからのものだけど、
日本での先生、松永一文さんからも当時、
同じようなことを伝えてもらっていた。
知っている。分かった。
そんなつもりでいたけれど、
全然そうじゃなかったと今気付く。
まだ理解できない境地を伝えるって、
難しい。けれど、伝えつづける。
それを私の憧れる先生たちは、
体現してくださっていたのだと気付き、
そこにも心がグッと熱くなる。
音楽も、そこに向き合う心も、
ずっと伝承されている。
私もそのチェーンのひとつになりたい。
繋がりたいし、繋いでいけるといいな。
『..でも技術的な基礎練習は忘れるな!
あなたは覚えが早いけどすぐ忘れる。』
と、釘を刺されているけれど。笑
当時、70代半ばだったギリアさんが、
『私はまだ自分が十分じゃない、
と信じている!それがなんだ?』
とも書かれていて、
バチンと背を叩かれた気がした。
巨匠とよばれるひとは、
この世を旅立ってなお、
教えつづけていくんだな。
今日ようやく、
ギリアさんにもう会えないのだと、
自覚して、泣いて、見送れたと思う。
有り難うございました。
Arigatou gozaimashita!
いつも書いてくださった、
Mata aimashoo!
絶対に、Mata!!!
(Oscar Ghiglia, 1938年8月13日 - 2024年3月3日)
面白いインタビューを見つけた。
また見返したいから載せておこう。