暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

大学の専攻は地域研究だったが・・・

ライターの仕事を受付けております

好きな音楽 BLANKEY JET CITY ,Donald Fagen ,STEELY DAN、くるり,The chang 、AIR、ゆらゆら帝国、Theatre brook,MAD CAPSULE MARKETS,RadioHead,サニーデイサービス、The Chemical Brothers,Fatboyslim,Junior jack,Tom Waits,Joao Gilberto,Lenny Kravitz,Nirvana,Garbage,EGO-WRAPPIN,Daft Punk,Primal Scream・・・・・・


好きな本 ノルウェイの森、世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、風の歌を聴け<村上春樹> 限りなく透明に近いブルー、コインロッカーベイビーズ<村上龍> 路上<ジャックケルアック> 夏への扉、月は無慈悲な夜の女王<ロバート.A.ハインライン> キリマンジャロの雪<へミングウェイ> 京極夏彦 全作品



 

時代小説を読むと、時々現代とは異なる時代背景や社会、慣習などの文化的な違いに興味が沸く。

 

本書でも寺や宿場に関しては現代とは異なり、予め時代背景を知ってるかどうかで話の輪郭が見えやすくなる。


まず、江戸時代の寺の役割は寺請制度によって今の役所のように庶民の戸籍管理を行っており、また菩提寺として檀家からお布施を頂戴することで追害供養・葬式を行い、安定して寺の運営を行っていた。天保の時代には寺子屋が増え、全国に約15000もの寺院で8歳から14歳までの子供に読み書きを教えていたという。それほど江戸時代における寺院の存在は大きく身近なものであったらしい。

 

「小豆洗い」で登場する円海のような殺人を犯す僧は寡聞にして確認できず、実際には虚構性の高い人物といえるだろう。

「白蔵主」では寺ごと盗賊に乗っ取られ事件に巻き込まれる。だが現代よりも江戸時代のほうがより庶民の信仰は厚く、寺が被害に遭うケースもまた稀であっただろう事は容易に想像がつく。


また、天保の時代は宿場が栄えたらしく、奥州・日光街道、甲州街道の内藤新宿、品川宿、中山道の板橋という「江戸四宿」と呼ばれる宿場街があり、中でも品川宿が多くの旅籠を抱え、その数93軒、飯盛女がおよそ1500人程度働いていたとのこと。
ただし当時は風俗といっても恥じるようなものではなく、もっとカジュアルなものであったらしい。江戸時代の風俗に対する人々の認識はとても寛容であったようだ。

 

江戸時代の風俗研究者という大学の講師がかつてラジオに出演した際に言っていた言葉を思い出した。

「江戸時代の性風俗は今とは全く違うものでもっとオープンなもので恥じるような事もなかった」と。
恥の無い性風俗って一体どんな世界なんだろうか・・・?ちょっと江戸時代に行ってみたくなった。

 

柳屋の八重は薬屋のお嬢様だ

ったが、不幸が重なり旅籠の飯盛女として働いていた。ところが思いもよらず品川宿の老舗旅籠の主人の5人目の嫁として迎えられた。しかし何人もの前妻や子供はこの主人によって・・・・

 

・・・とにもかくにも巷説百物語で出てくる下手人はどいつもこいつも人殺しばかり。命が軽かった時代なのだろうが、人殺しは今も昔も悪である。

又市の必殺仕事人グループは又市の考えた綿密な計画を遂行して依頼人から受けた仕事をこなし下手人を罠にはめて貶める。

 

社会の闇を背負って上手に帳尻を合わせる裏社会の仕事人。

又市「無理に揺さぶって、水かけて頬叩いて、目ェ醒ませたっていいこたねぇ。この世はみんな嘘ッ八だ。その嘘を真実と思い込むからどこかで壊れるのよ。かといって、目ェ醒まして本物の真実見ちまえば、辛くって生きちゃ行けねェ。人は弱いぜ、だからよ、嘘を嘘と承知で生きる、それしか道はねえんだよ。煙に巻いて霞に眩まして、幻見せてよ、それで物事ァ丸く収まるンだ。そうじゃねェか」

人間は自分を騙し、世間を騙してようやく生きている。汚くて臭い自分の本性を知りながら。

★★★☆☆

 

 

 

220年以上も前から怪談の一つとして書かれている記録のある「沼で死んだはずの小平次が化けて出る怪談」を京極夏彦が現代に蘇らせた「覘き小平次」

納戸の戸襖をわずか一寸五分だけ開けて覗く。
ずっとそこにいてじっとしてる。声も音も出さずにじっとしている。
本当に覗いているのか?そんな事を疑問に思うのは無粋かもしれないが、現世でも押入に自分の世界を作って過ごす人もいる。それを考えると納戸にいてじっとしているのは思ったよりも異常な行動でもないかもしれない。2畳くらいの狭い空間のほうがなぜか居心地がいいなんてこともある。


怪談の元は1803年に発行された山東京伝の「復讐奇談安積沼」で、そこから何度も現代語訳へ改訂され、更に元ネタとしてだけ扱われ、本作はほぼ全編新しい怪談として作られたものもある。

 

江戸時代の旅芸人と言えば、社会的に地位が低く、差別を受ける侮蔑の対象であった。他方、漂泊する者を稀人とし畏敬を抱かれることもあったという。

玉川歌仙が畏敬を抱かせる芸や容姿であった一方で、多九郎、小平次など、その多くの芸人は侮蔑的な地位であったとすれば一座の中での対称性は歴史的な考察に満ちている。

旅回りの芝居一座に身を置き、専門の幽霊役者の小平次は幾人もの身寄りのない無頼漢に囲まれていた。ほとんど意志の疎通ができず、無反応無表情の小平次。気味が悪く人を苛立たせ狂気に追いやる小平次の佇まい。人には恐いという感情も憎いという感情も生まれる。

小平次は殺されかけるが、幽霊のように家に戻り、また以前と変わらず納戸に籠り、戸襖を一寸五分開けて外を覗く。

脳科学者の説では人が虐待や殺人を犯す最も大きな原因は「そこに弱い者がいるから」であるとのこと。物事は複雑そうでも実際は意外と単純な構造だったりする。

 

小平次が納戸に籠るのは、自らの存在を消すためなのかもしれない。社会や共同体から遮断された場所に身を置くことで自分を守ろうとする小平次なりの渡世術だとすれば腑に落ちる。

小平次と同居しているお塚もまた小平次を憎んでいたが、不思議な事にこの二人の同居生活は続いていく。なぜだかわからないが、お塚が小平次を家から追い出すことも、自ずから出て行くこともない。

巷では幽霊と称されるも、お塚に罵倒されるも
小平次は納戸からずっと覗いている。

小平次はいつもそうしてる

★★★★★

 「ここ、やばい」

アッシジに着いて、妻の第一声は感嘆に満ちた一言だった。

 


ローマから途中、フィレンツェで列車を乗り換えてアッシジに到着した。アッシジ行きのバスに乗ったのはいいけど、どこで降りればいいのかわからない。アッシジには新市街と旧市街があり、旧市街で降りたかったのだが・・・

 車内を見渡すと、僕たちの近くの座席に30歳前後と思われる男女がお喋りをしていたので、手に持っていた地図を見せて「ここで降りたいんですけど、着いたら教えてくれませんか?」と聞いたところ、「手をあげて教えてあげるわ」と快く返事をしてくれた。
 彼らも英語を喋るのは得意じゃなさそうだったが、言ってることはわかった。実際には目的のバス停は終点で、彼らも僕らと一緒に下車した。
 おいおい、降りるバス停同じかい!と突っ込みを入れる間もなく、僕たちは異世界へ降りたことに気が付いた。

 すでにあたりは真っ暗で、ふと遠くをみるとバス停からライトアップされた城跡が見え、それはまるでこの街の主であるかのように美しさと威厳を備え、高台から僕たち夫婦を見下ろしていた。
街の姿は数百年前のまま残されており、中世ヨーロッパへタイムスリップしてきたかのような錯覚をおこしてしまう程、現実離れした美しさだった。
 
今までいろんな国のいろんな街に行ってみたが、アッシジを越える美しい街は見たことがない。アッシジを旅先に選んで良かった。


 

 

 

雨が激しく降り、日本の100円ショップで買っておいたビニール傘が早速役に立った。その小さめの傘に僕と妻は大きな荷物を抱えながら寄り添い、予約してあったホテルのある方角へと向かった。

 

ローマは雨だった。

 

夜の夕食時だったからレストランでは他の旅行者と思われる中年夫婦達が食事をしている。

 

僕らは地図を見ながら全く土地勘の無い場所をうろうろしたら「GOLDEN」と書かれている看板を見つけた。

 

ここだ!

 

小さなホテルだったので簡単には見つからなかったが、そのホテルの看板を見つけた時は、長い旅路から解放される喜びから思わず感嘆の声を上げそうになった。


 

 

ホテルのドアが閉められていたので、インターホンで僕たちの到着を知らせると、男性の返事がし、程なく扉の鍵が開いた。ドアを開けて中へ入ると1人の中年男性が階段を下りてきた。

 

やば!ジョージ・クルーニーにそっくり!

 

その男性(ジョージ・クルーニー)はホテルの経営者のようで、とても愛想がよかった。彼と一緒に重い荷物をエレベーターへ押し込み、レセプションのある2階へ上った。レセプションで経営者は親切にも細かくホテルについて教えてくれ、更にローマの観光名所をいくつかと、バチカン美術館へ入館する1番いい時間帯を教えてくれた。

 

時間をずらして入れば待たずに入れるらしいのだ。

 

僕はできる限りの笑顔と感謝の気持ちを告げた。

 

とにかく僕たちは無事ローマのホテルに着き、これから疲れた身体を休め、ゆっくりベッドに入れるのだ。

 

"Roma, Here I come"

 

冷静に行動しつつも僕の頭の中は少し興奮していたようだ。

 

部屋で次の日の計画を練った。明日も雨の予報だったので、野外のスポットへ赴くよりも、屋根のある美術館などへ行く方が雨に悩まされずに済む。

 

目的地は決まった。バチカン美術館とその周辺だ。

 

僕たちはこうしてようやく眠りについた。

都会はどこも似ているけど、ヨーロッパにある旧市街は大昔からほとんど変わらない姿をそのまま留めている。

 マドリッドからバスで行けるトレドはスペインでよく知られている旧市街で、古建造物が密集している。旧市街が好きな僕にとって、マドリッドへ来たらトレドへ向かうのは至上命題でもある。

 丘の上にあるトレドへはエスカレーターで上らなければならなかった(ハイテクかよ!)

 街は綺麗だったけど、犬の糞がところどころにあって、更にあちこちの建造物にスプレーで落書きがされていて残念。

マナーの悪さやモラルの低さの為に文化遺産を損ねてしまうのはもったいない。