以前、NHKの番組で歴史学者が子供に歴史を教えるといった内容の番組があったが、その中で、日本がなぜ戦争することになったのか?という疑問に「資源を確保するため」と答えた歴史学者に対してXでは「アジア解放のためだぞ」とコメントしているのを目にして、かつて大本営が作ったプロパガンダに80年以上経た今でも扇動され続けている人がこれほど多いのかと驚かされた。
本書は非常にボリュームのある書籍なので、著書の中身を広く取り上げるには時間がかかる。そこで、太平洋戦争開戦の決断に至る経緯にフォーカスしてみたい。
当時の閣僚の中でも大いに鍵を握っていた一人であり、私が戦犯中の戦犯として名指ししたいのは松岡洋右である。
「戦争は外交の失敗によって起こる」というのは、松岡の外交を知れば納得できる。
英米とは外交せず、ナチスドイツとソビエトばかりと外交をした松岡は最初からアメリカと戦争する気があったとしか思えないほど、アメリカを見くびって日独伊三国同盟推進し、チャーチルからの書簡も相手にせず、アメリカのコーデル・ハル国務長官からの日米国交打開策、日米で協調して作成した日米諒解案も拒絶し断固として日米開戦をもくろんでいた。
三国同盟を結べば英米との戦争を避けることが難しくなることが明白であったにもかかわらず、大本営、陸軍、そして海軍も三国同盟を承認してしまった。
最終的に太平洋戦争の開戦を決めたのは、1940年に4回開かれた御前会議だが、この会議の議事録は戦後に処分されてしまい、今では存在しないものの、会議に出席した当事者たちの手記や日記によってその会議の内容はある程度明らかになっている。
1941年の12月7日に日本軍の真珠湾攻撃によって開戦した大日本帝国が「大東亜新秩序建設のため」「アジアの解放」という大義名分を持ち出したのは、その5日後の12月12日であった。つまり、大東亜共栄圏を作るというスローガンは後付けであって、戦争の目的ではなかったのである。実際には資源確保のためにアジア諸国へ侵攻したのは事実。1938年の第一次近衛内閣の時に掲げられた「大東亜新秩序」を開戦後に持ち出して拡大し、開戦の大義であるとしたもので、この大本営が創作したプロパガンダを多くの日本人が今でも信じているということである。
既に満州国を保有していた日本だったが、日米開戦で生産能力が10倍以上もあるアメリカと戦争するのは自殺行為だと認識していたにもかかわらず、戦争へ踏み切った。
アメリカに日米通商航海条約を破棄された時点で勝負あったにもかかわらず引き返すことができなかった。
聖戦の美名に酔いしれて、国民の犠牲に目を瞑り、少なく見積もっても310万人以上の死者を出したのである。
過去の誤りを認めない者は反省せず、反省しない者は改善しない。改善しなければ同じ過ちを繰り返すこともある。
本書を一人でも多くの日本人が読むことを願う。
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