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暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

大学の専攻は地域研究だったが・・・

 

 世界の人類が現在のような人口分布となり、それぞれの民族を構成した歴史を省みると、それは侵略者による征服が繰り返され、あるいは疫病などによって人口が減少したところに入植者が現れ、先住民たちが駆逐されたという例が紹介されている。 そういった地域や国がそれぞれ異なった経路を辿った原因は、人々の生物学的な差異ではなく、環境の差異によってもたらされたというのが著者の主張である。 

 

 タイトルは「銃・病原菌・鉄」だが、それ以外にも家畜や食料生産、あるいは文字や中央集権的な政治権力というのも大いに影響している。 紀元前1万1000年前まで人類は誰しもが狩猟採集によって生活をしていた。そこから西暦1500年ごろまで徐々に農耕へと生活の糧が移行し、定住生活を営むようになった。その狩猟採集から農耕への移行速度がユーラシア大陸が速かったという理由が意外にも"緯度"であったようだ。

 

  今のシリア、ヨルダン、イラクなどがある肥沃三日月地帯から人類初の食料生産が始まり、速い速度で東へ伝わり、最終的には極東である日本へ伝わったのが紀元前1000年前からというのが学説なので、日本へはそれなりに時間がかかっているようにも思われるが、中国までは紀元前8000年頃に伝わっているので、ユーラシア大陸内で陸続きなら、やはり伝播速度は速い。 食料生産で重要なのが気温や雨量だが、緯度が北過ぎて寒いと育たない植物があり、また逆に南過ぎても暑さで育たない植物もある。縦に長いアフリカ大陸やアメリカ大陸よりも横に長いユーラシア大陸は同類の植物の育成をしやすい環境だったために食料生産技術が東へ速く伝播し、早い段階で文明が発達したようである。 

 

 その食料生産に重要な役目を果たしたのが家畜の存在で、特に顕著な5種類が羊・山羊・牛・豚・馬であった。 動物には家畜に向いている種類と向いていない種類があり、シマウマが家畜に向かない理由が気性の荒さとは思ってもいなかったのだが、確かに考えてみるとシマウマを飼育しているのは動物園くらいではないだろうか? 気性の荒さや扱いづらさ、または大量の餌が必要だったり、大人の大きさに育つまでにかなりの年月を要する動物も家畜としては不向き。

 

  農耕は家畜により合理的な食料生産が可能となり、食料生産ができるから定住でき、やがて持続的な定住生活は鉄を生み出し、武器や銃を生産するに至った。結局のところ文明の発達には環境が重要であり、すでにユーラシア大陸で食料生産を行い、中央集権組織があり、鉄製の武器などを生産する技術のあったスペインがアメリカ大陸を征服する経緯についてもスペイン側の武器・銃・騎馬隊が戦闘の主力となった。

 

  だが、武器以上にヨーロッパからの侵略者たちによってもたらされた疫病はアメリカ大陸の先住民が駆逐されてしまった主な原因で、実際には北アメリカの95%の先住民は疫病の感染によって死亡しているとのことである。 

 

 本書が再び注目された時期はコロナが流行した頃だったと記憶している。つまりコロナウィルスが蔓延するのと同時に日本では本書の内容に書かれているヨーロッパからの入植者たちによって持ち込まれてしまった病原菌などの感染症がアメリカ大陸の民族構成を変えた一つのきっかけであったことが注目されたのかもしれない。

 

★★★☆☆

 

 

書籍や新聞などの伝統的なメディアを主に利用する人々が結局はインターネットのみを情報源とする層よりも比較的正しい知識を得られる理由を確認していきたい。

 

これらは総務省の情報通信白書や各種調査・研究で裏付けられた傾向である。


まず、書籍や新聞は、出版社や新聞社の編集者・校閲者による厳格な事実確認、査読、責任ある制作プロセスを経て発行される。これにより、誤情報やデマが混入しにくく、比較的信頼できる情報源となる。一方、インターネットは誰でも匿名で情報を発信可能であり、ソーシャルメディアやブログなどのユーザー生成コンテンツでは信頼度が低く(総務省調査では、新聞の信頼度が約60-70%に対し、SNSや動画サイトは10-30%程度)、偽情報や偏った情報やデマ、意図的な思惑が働き、偏ったイデオロギーが拡散しやすい環境である。これにより、ネット中心の層は誤った知識を蓄積するリスクが高い。


また、書籍は一つのテーマを深く体系的に扱い、専門家による包括的な解説を提供できるので断片的な知識ではなく、論理的でつながった正しい理解が得られやすい。新聞も、プロの記者による取材に基づく記事が一覧性が高く、全体像を俯瞰しやすい。更に「費用」と「時間」と多大な「労力」をかけた記事が正確性や情報量で勝るのは必然。一方、インターネットの検索は速いが、ピンポイントの断片情報に偏りやすく、異なるサイトを跨ぐため一貫した知識の流れを把握しにくい。結果、ネット中心の層は浅い・偏った知識に留まりやすい。


更にインターネット、特にSNSや検索エンジンでは、アルゴリズムがユーザーの好みに合った情報のみを優先表示し、反対意見や多角的な視点を排除する傾向があり、偏った知識が強化され、正しい全体像が歪む。一方、書籍や新聞は多様な視点を含むパッケージ形式で提供され、意図的に幅広い情報を摂取しやすいため、バランスの取れた正しい知識が蓄積されやすい。


書籍・新聞利用者は、伝統メディアの特性から自然に批判的な読み方を身につけやすく、情報の質を慎重に評価する習慣がある。一方、ネット中心の層は速さと利便性を優先し、情報の真偽確認を怠りがちで、誤情報を鵜呑みにするケースが多い。調査でも、伝統メディアを信頼する層の方が正確な知識を持ち、社会的関心が高い傾向が見られる。

よって書籍や新聞を活用する層は、質の高い検証済み情報を基に深い・正確な知識を築きやすいと言える。ただし、インターネットも信頼できるニュースサイトなどを活用すれば補完可能で、両方を組み合わせるのが理想的だ。

 

伝統的メディアも広告主(スポンサー)に反する報道はできないので情報の公平性を欠くケースはある。しかし、それはネット記事やSNSも同様。

 

社会性の高い記事に関しては責任が伴いがちな伝統メディアのほうがネット記事や個人のSNSによる発信よりも正確性や理論的で包括的な理解を得ることにおいては圧倒的である。

 

SNSやYoutubeでわかった気になってしまうような新たな無知層の出現は、いずれ政治や社会に悪影響を及ぼすことは必至である。

 

 

 科学的見地から、幼少期の子供の脳が不適切な養育(マルトリートメント)によって傷つき、物理的な変化を伴って、うつ、発達障害、統合失調症などを引き起こすことを解明している。

 

科学的な統計を多数用いていて説得力のある著書だが、説明していることは終始同じことなのでサラッと要点だけを確認するに至った。

私自身も二人の子供の親であり、子育てに多くの失敗しているので反省と自戒を込めて、またこれから子育てをする親たちにも是非、参考にしてもらいたいと思いブログに書くことにした。

正直言うと、私も息子に暴力を振るったことは何度かある。
子供が暴れて他人の子供に暴力を振るって止まらなかった時、寝る際に暴れて他の家族も寝ることができなかった時、娘に泥が付いて怒ってバケツを投げたら息子の足に当たってしまった時。

ああ時間を戻して欲しい。

もう子供に口で言っても言うことを聞かない時は放置するしかないのだろうか?

しかしバケツ事件だけは自分でもやりすぎたと思う。今でも時々思い出して反省する。

子供に暴力を振るったり、大きな声で叱ったり、親同士で喧嘩するのは子供の脳に物理的に傷を負わせ、傷害を負わせてしまうというのは科学的に根拠があるようだ。

しかし読み進めていくうちに、自分の子育て以上に、自分が育った境遇のほうを強く悲観することになってしまった。

私の兄は軽度の知的障害者で一般の仕事はできずに障害者年金で生活している。

私が生まれる前、彼がまだ1~2歳の頃、父からの叱りが非常に厳しかったらしい。私の兄は父から虐待をされていたと叔母に聞かされたが、母は子供への虐待を止めない父とは離婚をしようと祖母に相談したのだが、反対され離婚を断念し、そのまま結婚生活を続け、やがて私が生まれたようだ。

私が4歳の頃、近所の子供たちとドッヂボールをして遊んでいたところに、一緒に遊んでいない兄が突然。外からやってきてドッヂボールで遊んでいる子供たちからボールを奪って逃げるという出来事があった。

みんな兄に怒りをぶつける。そんな光景を思い出した。

その時から兄のおかしさに気づいていた。

兄は他の子供たちの仲間への入り方がわからない、他人とコミュニケーションができない人物だった。なので、時々、嫌がらせをして気を引いてみようとして、逆に仲間外れになってしまうタイプだった。



友達の輪には入れない、話かけることもしない、あえて嫌がらせをする、学校ではいじめられているが、いじめられている認識すらない、勉強はできない、運動もできない。

明らかな知的障害なのに健常者として学校へ通わされていた。

その兄と同じ学校に通う自分。

弟として兄と似たような扱いをされることが時々あった。

いじめられたり、喧嘩して殴り合ったり、自分は人を信用しない人間に育ち、結局とてつもない人間嫌いに育った。

加えて創価学会の日連や池田大作の教えを信仰する母。宗教は大事なのに子供は放置。

何も行動しない親。

 

祈っても願っても何も解決などしないのだ。

 

父親に至っては気にすることすらない。


小学生や中学生の頃を思い出すと怒りしか沸いてこない。

読み進めているうちに「もしかしたら自分自身の脳も傷ついて大いに変形しているのではないか?」と考えるようになった。

だから私もこんなに変わり者と言われることが多いのだろうか?

これから子育てをする親に言いたい。
トランプをしたりボードゲームをしたり、スポーツをしたり、何かしら子供と一緒にできる遊びをするのは効果的だから積極的に取り入れて欲しい。スマホは鞄の中に入れて、子供との愛着形成に全力を傾けて。

★★☆☆☆

 

 戦時中に満州鉄道で働いていた西川一三が1943~1950の8年間に渡って日本軍の密偵でありながらモンゴル人ラマ僧としてモンゴル、中国、チベット、ブータン、ネパール、インドへ潜入した記録だ。

 

日本の敗戦後、特に張家口は1945年8月21日までソ連軍とモンゴル人民共和国の連合軍が侵攻して、在留邦人を後送させようとした日本軍との激戦が起こった地である。

 

もし、張家口大使館に嘱託として働いていた次木の計らいで西川が調査員として西方へ赴く機会が与えられなければ、満州においても、あるいは日本へ帰国したとしても、大東亜戦争の戦火に巻き込まれていた可能性は高い。それを考えると西川は幸運だったのかもしれない。

 

西川は旅の途中で日本の敗戦を知る。それまでは密偵であったが、敗戦を知ってからは好奇心に任せた放浪者でり、または行商であったというべきだろう。

 

彼はラサーカリンポンーカルカッタの間を何度も行商として往復している。カリンポンに至っては少なくとも7回以上立ち寄っているので、彼にとってカリンポンはチベットとインドを結ぶ要衝であっただけでなく、心の拠り所でもあたったようだ。

特に火葬場の隣の小さなラマ教のお寺で修行する老修道僧のもとへ弟子入りし、寺と塔の間にある小屋へ寄宿するまでに至る心の移り変わりをみると西川は単なる旅人ではなく、一人の修行僧でもあった。

 かつて身を隠すために扮装したラマ僧であったはずが、本物のラマ修行僧になっていったととれる。

 

西川も同行していた幾人ものラマ僧たちもチベットで托鉢やインドで物乞いをしているが、それによって何とか生きながらえて旅を続けてこれた。日本人からすると物乞いに嫌悪感を抱くかもしれないが、チベットやインドの昔の人々がお互いに助け合って生きていたことが本書からうかがえる。

 

私が、かつて20年前にインドを旅した時に何度も物乞いに乞われたことがあったが、当時はこういう物乞い文化を喜捨文化と認識できていなかった。日本人と見られているから恵んでくれと言われているのかと思っていたが、インドの背景を知るとより奥深い。

 

チベットなど上座部仏教が中心の文化圏では喜捨精神が根付いており、与える喜びを通じて功徳を積むという積極的な布施の精神がある。

 

インドでは上座部仏教に加え、ヒンドゥー教の「ダナ(施し)」や「バクシーシ(喜捨)」と呼ばれる精神に基づき、富める者が貧する者に金品や食料を施す習慣が古くからある。

 さらに物乞いが「神の化身」として現れるという説もあり、施しを拒否すると罰が当たる恐れから施しを行うという信仰上の理由もあり物乞いは社会的に容認されている。

 

80年以上も昔に、ほぼ無銭で何年もチベットやインドを旅した西川の記録は当時の世相や文化を蘇らせてくれるだけではなく、読むだけで自分自身も旅をしたような気にさせてくれた印象的な紀行文である。

 

★★★★★

 

 

 

俗にいう南京事件の扱いや認識については南京大虐殺があったとし、犠牲者数が十数万~二十万程度とする「大虐殺派」と南京大虐殺は無かったとする「まぼろし派」、さらにそのどちらにも属さない「中間派」に分かれる。

日中戦争の歴史学者としては、おそらく最も南京事件を研究し数多くの著作を世に送った大虐殺派の笠原だが、かつては南京事件は無かった説を訴える、まぼろし派、田中正明との論争もあり、今でもSNSでは南京大虐殺についての論争は絶えない。

しかし、中国人の証言、日記、実際に日本兵に30カ所も刺されながら生き延びた中国人女性の証言や裁判、旧日本兵の証言や日記など、膨大な資料から南京大虐殺が無かったとするのは今では誤りであるとするのが定説となっており、2006年から始まった日中共同歴史研究の成果もあり、今ではまぼろし派は少数である。

【南京事件の発端】


南京事件においてなぜ戦闘員ではない一般の市民が殺害されてしまったのか。


①便衣兵の逃亡

中支那方面軍松井石根大将が南京防衛軍に対して包囲殲滅戦(投降兵・敗残兵・捕虜の皆殺し)を指令していた。対する中国国民政府軍の兵士は日本軍との戦闘で逃げる際に戦闘服を脱ぎ捨てて平服へ着替えて潜伏や逃亡をしたため、日本軍は兵士か一般人かわからない若い中国人男性を片っ端から連行して殺害したため兵士ではない一般人まで殺されてしまった。また、南京城区外の西にある下関では2万人の捕虜が殺害されている。

②兵站の不足

兵站が不足していたため糧秣(食糧と軍馬の飼料)をほぼ現地調達せざるを得ず、民家を襲って略奪をし、逆らうものや若い男性を連行し殺害した。

③憲兵の不足

日本軍の軍事警察を司る憲兵が不足し、軍規が守られずに略奪・強姦・殺人が横行してしまった。

現地の外国人駐在員からの報告により、南京占領後の日本軍の蛮行は生き残った中国人たちの日記から日本軍の野蛮な行為は明るみになった。これはハーグ陸戦条約を違反している。

【南京事件の定義】

 

最近では南京大虐殺という名称を使用しなくなっていることについて「南京大虐殺」という名称を使用すると強姦・略奪があったことや、戦闘による戦死者は虐殺の対象にならない等を考えると、大虐殺という言葉を使用するよりも便宜上、広範囲の事柄をカバーできる「事件」という言葉を使用したほうが適切というのが日本の研究者たちの潮流で、南京大虐殺をなかったことにしたい右側の思惑とも一致して「南京事件」と呼称することに立場関係なく同意できるようだ。

 

【南京事件での中国人死者数】

 

大虐殺派も中国共産党が主張している犠牲者30万人説は否定しつつも、10万人以上の犠牲者数を推定しており、まぼろし派の田中正明に至ってはほぼ犠牲者ゼロ説。または2万~3万人説など南京事件が発生した範囲については研究者やジャーナリストによって異なるという問題がある。

 

よく散見できるのは南京大虐殺のあった南京の人口は20万人しかいなかったのに30万人も虐殺できるわけがないという主張がある。


新しい南京事件の解釈として笠原氏の広義での南京事件が開始された時期を日本海軍による空からの渡洋爆撃も含めた1937年8月15日からとする説と狭義の南京事件を1937年12月4日とする従来の説があり、前者の説をとる場合、爆撃で亡くなった民間人の犠牲者を含めることとなり死者数は多くなる。

また南京事件の範囲をどの範囲にするかも議論の分かれるところで、この範囲を決定することでも犠牲者数が変わってしまう。

 

南京とはどこの範囲を指すのかによって人口は異なるので、分類する必要があるだろう。

 

当時の南京特別市(約466k㎡)には南京城区とその周辺の村を含めた近郊区(六合・江浦・江寧・溧水・句容・高淳)からなる。

スマイス(金陵大学教授)の推定では南京特別市の当時の人口は約150万人とされている。実際に近郊区が日本軍からの襲撃を受けたのは11~12月が多く、11月の日本海軍による渡洋攻撃や中支那方面陸軍の侵攻も受けており、多くの犠牲者を出している。

 

南京事件の始まりを12月4日としてしまうと、それ以前の被害者数が含まれず、また南京大虐殺の範囲を南京城区内のみとしてしまうと犠牲者数も過少になってしまう。

 

 

より範囲の狭い南京城区(約40k㎡)では40~50万人の市民および難民が居住し、中央西にある安全区(約3.85k㎡)では最大20万人もの難民が避難していたという。

 

 

北村も笠原も南京事件の範囲に相違は無いが、笠原の資料には中国人の日記や退役軍人の日記から被害者をより多く推定しているので、被害者数は膨大となっている。

 

戦闘員の戦死者数を被虐殺者には数えないが、非戦闘員(敗残兵、投降兵、捕虜)の殺害を被虐殺者数に数えるなら、南京防衛軍の推定総数は15万人とすると戦死者と南京を脱出した兵士の数が7万人、逃亡者が1万人とし、残りの8万人が非戦闘員として虐殺されたと計算され、民間人が約10万人が埋葬された記録を合算するとおよそ18万人が犠牲になっている可能性がある。

 

犠牲者数を正確に割り出すのは、これからも困難であろう。しかし実際に中国の懐に入り込まなければ得ることのできない果実がある。

 

ここで大虐殺派が正しいともまぼろし派が正しいとも言及しがたいが、日本贔屓というバイアスが心にあると物事を正確にみることはできない。

 

これからも隣国として避けることのできない中国を敵対視すれば長期的には恒久的平和を維持するのは難しいかもしれない。

 

より融和的で歴史を忠実に学ぼうとすれば、少なくとも平和が維持される可能性は大きい。