巷説百物語  京極夏彦 | 暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

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時代小説を読むと、時々現代とは異なる時代背景や社会、慣習などの文化的な違いに興味が沸く。

 

本書でも寺や宿場に関しては現代とは異なり、予め時代背景を知ってるかどうかで話の輪郭が見えやすくなる。


まず、江戸時代の寺の役割は寺請制度によって今の役所のように庶民の戸籍管理を行っており、また菩提寺として檀家からお布施を頂戴することで追害供養・葬式を行い、安定して寺の運営を行っていた。天保の時代には寺子屋が増え、全国に約15000もの寺院で8歳から14歳までの子供に読み書きを教えていたという。それほど江戸時代における寺院の存在は大きく身近なものであったらしい。

 

「小豆洗い」で登場する円海のような殺人を犯す僧は寡聞にして確認できず、実際には虚構性の高い人物といえるだろう。

「白蔵主」では寺ごと盗賊に乗っ取られ事件に巻き込まれる。だが現代よりも江戸時代のほうがより庶民の信仰は厚く、寺が被害に遭うケースもまた稀であっただろう事は容易に想像がつく。


また、天保の時代は宿場が栄えたらしく、奥州・日光街道、甲州街道の内藤新宿、品川宿、中山道の板橋という「江戸四宿」と呼ばれる宿場街があり、中でも品川宿が多くの旅籠を抱え、その数93軒、飯盛女がおよそ1500人程度働いていたとのこと。
ただし当時は風俗といっても恥じるようなものではなく、もっとカジュアルなものであったらしい。江戸時代の風俗に対する人々の認識はとても寛容であったようだ。

 

江戸時代の風俗研究者という大学の講師がかつてラジオに出演した際に言っていた言葉を思い出した。

「江戸時代の性風俗は今とは全く違うものでもっとオープンなもので恥じるような事もなかった」と。
恥の無い性風俗って一体どんな世界なんだろうか・・・?ちょっと江戸時代に行ってみたくなった。

 

柳屋の八重は薬屋のお嬢様だ

ったが、不幸が重なり旅籠の飯盛女として働いていた。ところが思いもよらず品川宿の老舗旅籠の主人の5人目の嫁として迎えられた。しかし何人もの前妻や子供はこの主人によって・・・・

 

・・・とにもかくにも巷説百物語で出てくる下手人はどいつもこいつも人殺しばかり。命が軽かった時代なのだろうが、人殺しは今も昔も悪である。

又市の必殺仕事人グループは又市の考えた綿密な計画を遂行して依頼人から受けた仕事をこなし下手人を罠にはめて貶める。

 

社会の闇を背負って上手に帳尻を合わせる裏社会の仕事人。

又市「無理に揺さぶって、水かけて頬叩いて、目ェ醒ませたっていいこたねぇ。この世はみんな嘘ッ八だ。その嘘を真実と思い込むからどこかで壊れるのよ。かといって、目ェ醒まして本物の真実見ちまえば、辛くって生きちゃ行けねェ。人は弱いぜ、だからよ、嘘を嘘と承知で生きる、それしか道はねえんだよ。煙に巻いて霞に眩まして、幻見せてよ、それで物事ァ丸く収まるンだ。そうじゃねェか」

人間は自分を騙し、世間を騙してようやく生きている。汚くて臭い自分の本性を知りながら。

★★★☆☆