覘き小平次 | 暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

暴走ピノキオ 文学・音楽・地域研究

大学の専攻は地域研究だったが・・・

ライターの仕事を受付けております

 

 

 

220年以上も前から怪談の一つとして書かれている記録のある「沼で死んだはずの小平次が化けて出る怪談」を京極夏彦が現代に蘇らせた「覘き小平次」

納戸の戸襖をわずか一寸五分だけ開けて覗く。
ずっとそこにいてじっとしてる。声も音も出さずにじっとしている。
本当に覗いているのか?そんな事を疑問に思うのは無粋かもしれないが、現世でも押入に自分の世界を作って過ごす人もいる。それを考えると納戸にいてじっとしているのは思ったよりも異常な行動でもないかもしれない。2畳くらいの狭い空間のほうがなぜか居心地がいいなんてこともある。


怪談の元は1803年に発行された山東京伝の「復讐奇談安積沼」で、そこから何度も現代語訳へ改訂され、更に元ネタとしてだけ扱われ、本作はほぼ全編新しい怪談として作られたものもある。

 

江戸時代の旅芸人と言えば、社会的に地位が低く、差別を受ける侮蔑の対象であった。他方、漂泊する者を稀人とし畏敬を抱かれることもあったという。

玉川歌仙が畏敬を抱かせる芸や容姿であった一方で、多九郎、小平次など、その多くの芸人は侮蔑的な地位であったとすれば一座の中での対称性は歴史的な考察に満ちている。

旅回りの芝居一座に身を置き、専門の幽霊役者の小平次は幾人もの身寄りのない無頼漢に囲まれていた。ほとんど意志の疎通ができず、無反応無表情の小平次。気味が悪く人を苛立たせ狂気に追いやる小平次の佇まい。人には恐いという感情も憎いという感情も生まれる。

小平次は殺されかけるが、幽霊のように家に戻り、また以前と変わらず納戸に籠り、戸襖を一寸五分開けて外を覗く。

脳科学者の説では人が虐待や殺人を犯す最も大きな原因は「そこに弱い者がいるから」であるとのこと。物事は複雑そうでも実際は意外と単純な構造だったりする。

 

小平次が納戸に籠るのは、自らの存在を消すためなのかもしれない。社会や共同体から遮断された場所に身を置くことで自分を守ろうとする小平次なりの渡世術だとすれば腑に落ちる。

小平次と同居しているお塚もまた小平次を憎んでいたが、不思議な事にこの二人の同居生活は続いていく。なぜだかわからないが、お塚が小平次を家から追い出すことも、自ずから出て行くこともない。

巷では幽霊と称されるも、お塚に罵倒されるも
小平次は納戸からずっと覗いている。

小平次はいつもそうしてる

★★★★★