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ツゲにツツジを接いだそれ

感想と解釈のブログ

ごきげんよう、柘榴です。

先日、Twitterでこんなアンケートをとってみました。



Q.ディアヴォを知らない人に質問です。この画像の中で、誰が“主人公格”に見えますか?



【©Rejet/ディア❤ヴォーカリストサバイバル5周年記念プロジェクト公式PVより】






以前より当ブログにお越しの読者各位には言わずもがな、『ディア❤ヴォーカリスト』の主人公格は左から5番目の男、レオードです。毎期トップバッターでリリースを飾り、Rejet作品合同イベントではディアヴォ代表として度々サイトや宣伝画像で顔役を担う文句なしのメインヒーローぶりを発揮しているでしょう。
ところが彼は、いわゆる主人公格らしい外見記号をほとんど持っていません。
そこで私は、ヴォーカリストの情報を上記画像以外伏せた状態で簡易的なアンケートをとりました。そして、結果は以下の通りです。

1位:ユゥ(20票・40%)
2位:エーダッシュ(17票・32%)
3位:ジュダ(6票・12%)
4位:レオード(4票・8%)
5位:モモチ、ヨシュア(各2票・4%)

元ツイート:https://twitter.com/zkzkr_p5/status/1302154046715785216

結果はユゥやエーダッシュに票が集中し、レオードは4位という結果に終わりました。ユゥとエーダッシュはアンケート開始直後から接戦を繰り広げ、彼らに次いで開始当初票を伸ばしたジュダは後半失速し、最後まで上位二人のビジュアルが“主人公格”として見られているような票変動となっています。

とはいえ、私は自分の中でも「ユゥとエーダッシュが競るだろう」だろうと概ねの予想はしていました。逆にジュダへ早々に票が集まったときは個人的に意外だったので、理由を推察できる方はブログコメントかTwitterかお題箱でご意見お待ちしております。
というのも、概ね人が主人公格だと思うであろう要素が、ユゥとエーダッシュに集中しており、他の四人にはあまり見られないからです。
・赤色の要素やナチュラルな髪型(エーダッシュは赤髪、ユゥは日本人としてオーソドックスな黒髪、二人とも前髪がいわゆるM字分けに見える)
・少年顔
・画面センターや左端など“1番目”と認識できる場所にいる

これらの点は、昨今の芸能題材コンテンツの主人公格のキャラクターにて概ね当てはまると思われます。私もこの辺りに鑑みて、先のように二人が上位にくると予想できました。

つまるところ、本来のシリーズの主人公格であるレオードには、今回のPVでは上記要素が一切ないのです。
そしてこれこそが、『ディア❤ヴォーカリスト』に登場する彼らが《現実》だと認識できる機能を担っていると私は考えています。

本記事では、そんな「ディアヴォを《現実》だと思わせる演出にはどのようなものがあるか」「ディアヴォがいかにユーザー巻き込み型企画としてすごいのか」を、私はディアヴォのここがメチャ好きという感情表明文で伝えていけたらと思います。



【私のディアヴォが好きなところ6選】



①現実を侵食してくるところ

そもそも『ディア❤ヴォーカリスト』は、Rejetの代表タイトル『MARGINAL#4』を越えるタイトル(1)、または昨今のアイドルコンテンツの流行りとは異なるアプローチを目的(2)に生まれた、「ユーザー巻き込み型」を謳うコンテンツ(3)です。

Rejet作品は通例として『Rejet Fes.』に新規タイトルでも参加し、『ディア❤ヴォーカリスト』は『Rejet Fes.2016』にて初参戦、作品ファン以外の多くの観客の目に留まることとなりました。
かくいう私も『MARGINAL#4』でRejetのことを知り、『Rejet Fes.2016』には牧島シャイとテ●ミュ役者以外なんもわからん状態で行った観客の一人です。
元々ゼロ年代ジャンプ作品畑と舞台ジャンル畑からきた人間ゆえ、牧島シャイの声優である豊永利行氏の演技には馴染みがあるためまったく知らない作品でも楽しめるだろうと踏んでいたのですが、出てきたのがあまりに地獄みたいな性格の男だったため「彼には絶対ハマらないな……」と思いながら氏の演技のひとつとして朗読劇パートを眺めていました。



しかし数十分後のライブパート、その男が歌う「泡唄」秒で落とされた。







フェスのライブパートは不親切で、曲名も歌唱者の名前もキャラデザも教えてくれない。当時は、絶対ハマらないと思った地獄男が歌っていることを知らないどころか、名前もキャラデザも登場タイトルも曲名も知らない男の歌だった。なのに一瞬で落とされていた。
どころか、何も知らない男なのに、現実に確かに“いる”と確信し、牧島シャイ目当てにきた私は完全に目の前にいたヴォーカリストの歌へ必死にライトを振っていました。

当時は自分のRejet作品への無知もさることながら、『ディア❤ヴォーカリスト』も発表からも間もないコンテンツだったため、いわばモモチも基底現実ではほぼ無名の状態です。その状態で牧島シャイ(=『MARGINAL#4』)を目当てにきた観客を引き込んだモモチは、ある種目標や設定としてだけつけられたストーリーラインを現実に変え、作品の枠をものともしなかったのです。あまりにもロックが過ぎる。

モモチはその場で立ち止まりません。作品の枠を超越したモモチは、数年後ついに『ディア❤ヴォーカリスト』の名が登場しないフェスに現れました。
『Rejet Fes.』では毎年オープニング映像としてフェスでの登場作品紹介が入るのですが、それは朗読劇パートが存在する作品に限ります。『Rejet Fes.2019』でモモチのライブがあったのは千秋楽公演、それは『ディア❤ヴォーカリスト』の朗読劇パートがなく、すなわち作品タイトルが出ない回でした。

その回のライブ、モモチは大トリとして登板しました。当時の新曲「SCARLET GAME」を艶やかに歌うモモチを間近に、前列の観客は常にどこかのブロックが阿鼻叫喚を呈していました。私もその一人だった。そして歌が終わればモモチは軽く微笑むだけで勝手に帰る。数秒後には豊永氏の面白MCコントが始まっていて、そこにモモチのモの字もない。あのとき私たちは、作品紹介はおろか朗読劇パートもなければ名前すら名乗っていないヴォーカリストにフェス千秋楽の感情を滅茶苦茶にさせられていました。
その後の新作告知にもディアヴォの名は挙がらず、その回は本当にディアヴォの名が出る要素が何もありません。モモチは本当に、大トリで突然現れては観客へ数瞬の夢を見せて帰っていく泡沫のようにさえ思えました。

さて、ここまでモモチによる基底現実での活躍をざっと書いたところで、彼のプロフィールを確認してみましょう。

 

無名にしてNEO GROOVE FESTIVALのトリを務めたことで一気にブレイク。
2ndシングルにて早くもヒットチャート入りを果たした。
ひとつのジャンルに定住を許さない『Veronica』は、
多彩な音でシーンの最前線を駆け抜ける。

(『ディア❤ヴォーカリスト』公式サイトより)


これまででおわかりの通り、モモチは「無名時代フェスのトリを飾りブレイクした」という作品上の初期設定を、現実で丸ごとトレースしてしまいました。
モモチが現実世界を侵食した瞬間には、何の小細工もない。ただただモモチが設定上の経歴を容易く実現させたに過ぎない。そのように、「ユーザー巻き込み型」を謳うにあたって、基底現実にもっとも影響するキャスティングや作詞作曲にも確かに「いる」と思わせる説得力がディアヴォには備わっているのです。
モモチは確かにそこにいた。

 

 

もしも産まれ変われるなら
同じ路を歩みたいと
誰かの夜を砥ぐ様な間に
数え切れぬ粘り
慰めが 其処に在れども
私は眠る

(『カレはヴォーカリスト❤CD ディア❤ヴォーカリスト エントリーNo.2 モモチ』収録、モモチ『泡唄』より)


ディアヴォのこういうところが好きです。


②リアリティラインの管理がいつも極振りなところ

ですがまあ、いざ公式から呈示されているディアヴォのシリーズ概要や説明を見返すと、「社長がパンダ」「ドラマCDは所属アーティストの私生活の盗聴」など無茶苦茶な設定が目立ちます。
しかしながら、それを受けてなお私は、やはりヴォーカリストたちが《現実》にいると認識させるような土台は依然揺るがないと確信が持てます。

なぜなら、彼らの本編ドラマつまりアーティスト活動のパートでは、フィクションらしく華やかにインフレした仕事はこないし、楽曲作成にあたっての障害も現実的な問題ばかりが浮上し、かつ解決の過程でも過度にドラマチックな演出を始め非現実的な演出が手助けしてくれるわけではないからです。
彼らは公式Twitterで曲作りの進捗をオーディエンスへ報告しては、それすら言えない窮地では生々しいほどに怒り哀しみ錯乱し、その上で新曲ができたらささやかに喜び、完成した新盤が基底現実のオリコンに入ればリアルタイムで喜ぶ。この要所で一気に彼らへ現実での人生を味わわせる両極端なリアリティラインは、おそらく意図されてバランスを調整されていると自分は考えています。

リアリティラインの調整が0か100でしかできない。それが『ディア❤ヴォーカリスト』です。

たとえば、ジュダは前者のときは暴れまくっては無人島だろうがアマゾン奥地だろうが作曲を始める正統派狂人として描かれますが、後者の描写ではトラブルや家庭問題に対し暴れるだけは解決しないシビアな判定の下楽曲を作ることになります。そこにご都合主義などありはしない。常識外れの言動が幅を利かせる登場人物にさえ、わかりやすい派手な逆転劇は用意されません。

 

誰かの理屈ならば 百年先で考えろ
研ぎ澄まされていくよ ふたりの感覚、これからさ
Believe Me
Believe Me

(『ディア❤ヴォーカリスト Roit エントリーNo.2 ジュダ』収録、ジュダ『New World』より)


だからこそ、現実的問題に現実的にぶつかった上で自己の生き様や恋人への愛を謳う彼の歌は、途轍もない求心力で響いてくる。上記引用の「New World」も然りです。彼がぶつかり乗り越えたことが《現実》として、彼の綴る歌詞の深みをグッと増させてくるのです。
ディアヴォのそういうところが好きです。


③ヴォーカリストが“役割記号”を放棄しているところ

たぶん個人的にここがトップクラスに好き。
冒頭で挙げたアンケートのように、ヴォーカリストには作劇上の役割記号が存在しません。これが、彼らを“キャラクター”ではなく“現実の人間”だと思える仕組みに一役買っていると考えられます。

次の引用は、Rejetの人気タイトル『MARGINAL#4』『DIABOLIK LOVERS』の公式サイトに記載されているキャラクター紹介文と、『ディア❤ヴォーカリスト』のキャラクター紹介文です。

 

【1】
荒っぽい×俺様×負けん気が強い
荒れ狂うシューティングスター

(「MARGINAL#4」ポータルサイト アーティストページより)

【2】
問題児三つ子!
逆巻家のトラブルメーカー
逆巻家三つ子のひとりであり、
六兄弟の中で自分が一番偉くて強いと思っている。
常に上から目線の俺様ドS。
悪戯好きないじめっ子。
スポーツは得意だが勉強は嫌いで、
授業中はほとんど寝ているためいつも赤点スレスレ。

(「DIABOLIK LOVERS」ポータルサイト キャラクターページより)

【3】
クライマックスレコード所属、バンド「LUMIERE」のVo.
14歳でPlatinum Vocal Auditionに応募。稀有な才能を見出され、8600人の中からグランプリを受賞する。その後『LUMIERE』を結成し、都内のライブハウスを中心に活動。
若者からの絶大な支持を集め、近年ではアリーナツアーの他、CR所属バンドでは年間の最多ライブ敢行記録を保持。

(『ディア❤ヴォーカリスト Evolve』公式サイトより)


【1】【2】は各人物に対して「俺様」「ドS」といった属性やキャッチーな肩書で人物紹介をしているのに対し、『ディア❤ヴォーカリスト』の【3】はそういった肩書がほとんど見受けられません。そもそも個人のパーソナリティに触れることが少なく、大半はアーティストとしての経歴やバンドの紹介を主としています。どころか、【3】はヴォーカリストの最新プロフィールからの引用ですが、初期のプロフィールにはまだ個人への言及があったもの、それが削られて今の記述になりました。
すなわち、彼らの紹介で優先的に残るものはバンドマンとしての為人であり、現実の芸能事務所のアーティスト紹介に非常に近いつくりとなっているのです。

冒頭で紹介した主人公顔アンケートの結果も然りです。
また、冒頭のアンケートでは、自分は当初記載しようとして意図的に伏せた注釈があります。つまるところ“並び順が関係ないこと”です。
元々Twitterでざっくりとったアンケートのため恣意的な部分も多分に含まれるのですが、並び順がキャラナンバリングとは無関係なことは、無関係になることもまた《現実》らしい演出だと考えあえて記載しませんでした。

大抵の集合ビジュアルではレオードがセンターにくることが多いなか、今回それが絶対ではなかったというのは『ディア❤ヴォーカリスト』の、フィクション的な役割記号を取り払い基底現実のアーティストと同等の扱いを優先するスタンスが関わっていると、私は考えます。
同作を始めとするRejet作品のPVを手掛けた株式会社キュードット(4)制作の以下のPVと見比べても、キャラナンバリングやリリース順を無視する並び順の自由さについては、同作の特色と言っていいでしょう。





さて、冒頭で書いた、ユゥがもっとも“主人公顔”と認識されたということに話を戻します。
実際、ユゥは外見のみならず彼が持つストーリーもきわめて王道で、毎回自身の出自や過去、そしてシエルへの感情といった物語の主軸がまず明確に提示される辺りにも取っつきやすさがあります。「自分の力で自分らしい音楽を目指す」といったテーマを武器に打ち出される楽曲は毎回が集大成だと思わせるほど、自己選択を貴ぶ歌としてのクオリティが非常に高い名曲揃い。

 

とまどいを消して 裸の顔、見せてくれ
"そこから" はじまるから
荒れている傷と 本音の先、知りたくて
ありきたりな台詞
素晴らしい日々へと

(『ディア❤ヴォーカリスト Xtreme エントリーNo.4 ユゥ』収録、ユゥ『NAKED』より)


『ディア❤ヴォーカリスト』を薦める際、よくレオードやヨシュアが初心者向けとして挙げられる印象がありますが、私は上記「NAKED」のような楽曲、そして本編シナリオ共に王道と安定したクオリティを維持している点から、ユゥから始めることをよく薦めています。

ユゥのイメージカラーはその容姿の印象に違わずこれまた王道の赤色です。そんな王道を進む男の公式ナンバリングは初期キャラクターでは一番最後の6番だったり、くわえて赤髪少年のエーダッシュがイメージカラー緑担当だったり、ナンバリング1番の主人公格はピンク担当なのが『ディア❤ヴォーカリスト』なのです。そういうところも好きです。


④トップアーティストが不在なところ

『ディア❤ヴォーカリスト』のスタンスを象徴するものとして、もうひとつ決定的な世界観があります。本作には、トップアーティストの存在がありません。

基本的に芸能活動を題材にしたコンテンツには往々にして、実力の指標や憧れの対象としてメインキャラから見たトップアーティストの存在が初期から描かれます。『MARGINAL#4』ではスターメイト、ディアヴォと同じくRejetのシチュエーションCD発の『√HAPPY+SUGAR=DARLIN』シリーズに至っても、さとぅ始め続編にて先輩ユニットが登場していることから、Rejet作品においてもその傾向は無視されていません。

ところが、『ディア❤ヴォーカリスト』にはそんな人間存在しない。マジでいない。社長が実は音楽業界の元すごい人とか音楽畑出身のユゥ両親が詳細に描かれるとかそんなことも一切ない。サバイバル参加者トップの実力であろうシエルですら「あの人って前からそこそこ売れてたよな?」くらいなのです(4)

では、王が不在の『ディア❤ヴォーカリスト』は空席の玉座を争う物語なのか。そうですらない。
本作品には、いわゆる「目指せトップアーティスト!」を標榜とするバンドはひとつもありません。もちろん中には向上心が強いバンドマンもいるので一概に否定はできませんが、少なくともそれが第一目標のストーリーに立とうとするヴォーカリストはいません。
彼らはトップを目指すまでもなく自分の音楽が最高だと思っているし、自分の音楽に惹かれた人間がついてくればいいと思っているし、届けたい人に自分の音楽が届いていれば究極的にはそれでいいとさえ考えているような口振りがしょっちゅう出ます。換言すれば、トップである以前に自分が生きられる音楽が作ることが彼ら共通の第一義だと思われます。 皆が皆、生きることに必死でいるのです。

 

くれくれくれ→Everybody タラレバならいらんもん
端から仕留めるつもりです
じぇらじぇらじぇら→EveryNight ショゲてる暇はないから
可笑しくなれる?
可笑しくなろう!

(『ディア❤ヴォーカリスト THE BEST ROCK OUT!!』収録、エーダッシュ「KKK→E」より)


エーダッシュはとりわけ、作中ヴォーカリストで「生」とは何たるかの意思表示がはっきりしていて、かつクズと称される彼らの中で唯一「おかしい」を自称しています。そんな彼が「おかしい」まま生きることを全肯定した歌詞を綴るのはとても示唆的かつ象徴的ではないでしょうか。

エーダッシュは肯定の人だ。最愛の恋人でもないいち友人に対する「オマエって変な奴」に続く言葉が「ま、面白ければいいけどね」とノータイムで言って全肯定してしまえる人だ。彼の歌は「十字を背負ったぼくらの最前線は、エーたん」「"なにものか"は証明放棄して きみはきみで、いいから」といったサイコーすぎる歌詞しかない「#HAPPY」も人気ですが、私は上記引用にある「KKK→E」を推していきたいです。

このエーダッシュのスタンスに代表されるように、彼らはスターダムに駆け上がるよりも、音楽を通して自身の生が何たるかを証明する傾向が強いです。この芸能活動との距離感も、彼らの存在がより「生きている」と現実味を帯びる効果を発揮しているのではないでしょうか。好きです。


⑤ヨシュアという男の存在

もはや何も言うまい。過去書いたブログを読んでください。
『ディア♥ヴォーカリスト』のヨシュアに救われること
『ディア♥ヴォーカリストXtreme ヨシュア』に救われること
『ディア♥ヴォーカリストEvolve』のヨシュアの新曲が私信だった
『ディア♥ヴォーカリストEvolve ヨシュア』に救われること
(最近気付いたのですが、正式なブログタイトルの時点でネタバレもいいとこなので今回はタイトル省略してリンク貼りました)

ということだけだとあまりに簡素なので、今までブログで書いてこなかったことでも。



上記の通り先日、ついにヨシュアの公式試聴動画が解禁されたのですが、これが明らかに“よくある精神不安定キャラのキャラソンの変遷”っぽく曲順を入れ替えて初見を騙してきてサイコーになりました。

というのもヨシュア、不安定な部分があると言っても本人はそういった売り出し方をしていません。すなわち、『ディア❤ヴォーカリスト』の楽曲が“キャラソン”ではなく“ヴォーカリストが描いた歌”という立ち位置である限り、ヨシュアの楽曲の変遷が不安定なキャラクターの楽曲集と聞いて想起されるような“初期は不安があり、成長するにつれ明るくなる”といったパターンにあたることはありません。むしろ、初期が明るかったり全能的で、成長つまり自身の精神性に向き合い寛解へ舵を取れたときに初めて不安定なイメージを楽曲として消化できるのがヨシュアでした。
下記の「WRONG」のような歌詞に到達するのは、翻って彼の中で自身の精神性に整理がついた頃になるのです。

 

同じ空気 吸う価値がない
“生きててごめんなさい”と叫ぶ
街にすがり、いつもいつでも
承認欲求

(『ディア❤ヴォーカリスト Evolve エントリーNo.2 ヨシュア』収録、ヨシュア『WRONG』より)


ヨシュア、マジで好きです。


⑥上記5点のせいで布教しづらいところ

ここまで書いておいて何なのですが、ディアヴォ、ここまで書いてきた大好きポイントのせいで個人的に滅茶苦茶布教しづらいんですよ。

布教と呼ばれる行為は多かれ少なかれ、コンテンツとしてわかりやすくキャラクターやストーリーを記号化する行為や、軽いネタバレを含んできます。そのため、彼らのパーソナリティな部分を説明するには本編ドラマで描かれる彼らの生き様にも軽く触れようとも考えますが、その生き様が物凄く生々しいったらない。

シリーズ概要の通り、彼らはそれぞれ何らかの、それもRejetらしく容赦のない困難を抱えて生きています。従来の数多のコンテンツでは、そういった問題、悩み、環境、習癖はユーザーの恐怖を煽る演出、あるいは異常者を異常者たらしめるアクセサリーとして使われてきました。
そんな中で『ディア❤ヴォーカリスト』はどこまでもリアリティを追求した、異常者ではなく異状を訴える現実にもいる人間として作劇や演出をするのですから、記号化する隙が一切ない。
中には抱える問題、その描写の精巧さ、それを受けた当事者の精神性が生々しすぎて、現実で同じ状況下に置かれている人間へ一生接する覚悟で聴かなきゃ人によっては厳しいんじゃないかというレベルのヴォーカリストさえいます。これについてはどうやっても簡潔にすることができないし、そもそも『ディア❤ヴォーカリスト』の本編ドラマを聴いて初めてヴォーカリストの置かれている精神性がわかることを楽しむ作風上、0から語らざるを得ない盛大なネタバレ行為にもなっていきます。
だから楽曲以外では布教しづらいと感じています。こういった意味でも、上述通り私は布教の際、諸問題の描写の程度やそのネック自体が予め公式から呈示されているためネタバレせずに済むユゥから薦めています。

彼らが示す生々しさは、どこまでも布教しやすい記号化を阻害し、世界観へのフィードバックにつながります。上述で触れたジュダやユゥの周囲とのトラブルが顕著ですが、彼らは対人関係から始まる諸問題において、ヒロインを除いて「トラブルの相手へ何らかのカウンターを示して相手を“見返す”」という展開には絶対になりません。
トラブルに関わる人間がマクガフィンから出てくることはぼぼないのです。こちらにヘイトを溜める発端となった相手へ一発かまして見返すことができればわかりやすく障害を乗り越えた演出にもなりますし、伴ってかなりのカタルシスを生むでしょう。ですが、ヴォーカリストが生きる世界があまりに《現実》なばかりに、そんなフィクションじみた展開には誰もならないのです。

 

敵も味方も巻き込んで
ありとあらゆる手を使い乗り越えた
古傷がしみるほどに──……
心地よい、弱くて強い夢が
開く扉から新しい未来が呼んでいるよ
信じて 進んでいく ただ、ひとつへ

(『ディア❤ヴォーカリスト THE BEST ROCK OUT!! #2』収録、レオード「Beyond the Limit」より)


上記引用はレオードの楽曲「Beyond the Limit」の歌詞です。
彼らは音楽活動する際、リアリティラインは限りなく現実に近づけられてしまいます。自身の音楽を侮辱した人間に掴みかかればふつうに謹慎になるし、習癖を持つ男はもうやらないと言ったそばから衝動を繰り返すし、過去を清算するまでに五年はかかるし、破綻した人格が更生されていくことさえない男すら存在する。レオードも実直に、かつユゥに次ぐ比較的王道を歩んでいますが、それはリリースのトップバッターという自身の役割に自覚的なだけで、メタ的な“主人公格”として何らかの補正がかかって成長できるというわけではありません。

彼らはただ、フィクション的な記号化できるわかりやすさも持てなければカタルシスもなく歩む《現実》で、自分の音楽と生き様を最高の形で届けてくれるのです。


『ディア❤ヴォーカリスト』のそういうところが本当に好きです。
そして、ここまで紹介してきた彼らが生み出す歌も本当に大好きです。



なので、ここでお願いがあります。





『ディア❤ヴォーカリスト Raving Beats!!!』楽曲総選挙は!






【©Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「Beyond the Limit」!




【©Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「WRONG」!!




【©2015 Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「New World」!!!




【©Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「NAKED」!!!!




【©2015 Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「泡唄」!!!!!!




【©2015 Rejet/『ディア❤ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】

「KKK→E」!!!!!!




それぞれに清き一票をお願いします!!!!!!!





『ディア❤ヴォーカリスト Raving Beats!!!』楽曲総選挙投票フォーム




投票受付期間が今月25日までなので、まだ決めきれてなかったり投票されていない人は何卒……何卒……。


あと先日自担二人がYoutuberデビューしたのでそっちもよろしくお願いします↓




それでは。


(1)(3)「エモいDear♥Vocalistのお話|岩崎大介(岩D)|note」 (https://note.com/daisukeiwasaki/n/n88d9234d7317)
(2)「『Lis Oeuf♪(リスウフ♪)』vol.3」(エムオン・エンタテインメント)P111一段目L14~17
(4)今回の5周年PVを手掛けているかは現時点不明。
(5)「【CR69Fes.2018】 Dead or Aliveパンダ社長特別監修オフィシャルパンフレット」(Rejet株式会社/クライマックスレコード株式会社/バンダイナムコ ライブクリエイティブ)P41インタビュー二段目L8
 

 

ごきげんよう、柘榴です。


私は普段、Rejet作品だと『ディア♥️ヴォーカリスト』シリーズや『MARGINAL#4』シリーズを特に追いかけています。
ブログ読者やTwitterのフォロワー各位はご存知の通り、中でももっとも人生を懸けているRejet作品は間違いなく『ディア♥️ヴォーカリスト』です。人生なんて大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、私はこういうリジェオタなのでどうしようもない。



さて、この『ディア♥️ヴォーカリスト』、今年二月から八月現在にかけて公式の展開が完全に止まっています。
しかも、最寄りの公式グッズショップは営業時間短縮中、『MARGINAL#4』シリーズも新展開が配信限定だったりと、ディアヴォ存続のためにRejetにお金を使おうにもとにかくその機会がない状況に置かれました。通販も使い慣れてないので苦手です。
そこで、意地でもお金を使いたく、先日『DIABOLIK LOVERS』も『幽幻ロマンチカ』も未履修なのに両ダブルタイトルのコラボカフェに行ってきました。とはいえどちらもRejet Fes.で毎年見るタイトルであるためメインヒーローくらいは把握していましたし、過去にはディアヴォもコラボカフェを行った場所であったため気軽に足を運びました。2、3回行ければいいかな程度で。







そこで無神アズサと出会ってしまった。




【©2013 Rejet/IDEA FACTORY/『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD MORE,BLOOD Vol.04 アズサ』】




気付いたら夥しい量の無神アズサのコースターが手元にあった。

そんなわけで、本記事は自傷経験者が令和二年に無神アズサと出会ってしまった記録と、それに伴う各Rejet作品の変遷考察もどきおよび解釈となります。幽ロマの話までし始めたらキリがないので今回はほぼしません。
また、本記事は『ディア♥️ヴォーカリスト』シリーズについても本編のネタバレ含め言及しています。シリーズの「製品を視聴して登場人物の隠された側面を楽しむ」という作風の性質上、シリーズをこれから履修する場合作品の魅力を大きく損ねる可能性があるため、シリーズ未履修の方はご注意ください。


1.はじめに

■この記事を読むにあたっての大前提
・本記事は自傷行為(広義のリストカット)についての言及またはそれを伴うフィクション描写への感想を主としますが、本記事は「自分がこうなった・こう思ったからあなたもこうすればいい」というものではありません。
・本記事は自傷行為を推奨する意図はございませんが、自傷行為に対して否定的見解および警鐘を鳴らす内容でもございません。
・本記事で言及された自傷行為描写はすべて個人の見解、および対象キャラクターが架空の人物であることを前提とした内容です。自傷行為における動機・精神状態・方法・自傷の箇所ならびに範囲・その後の傷の状態や精神的ケアにつきましては個人差が存在します。すべての人に本記事の言及が当てはまるわけではないことをご理解ください。
・本記事では『DIABOLIK LOVERS』と『ディア♥️ヴォーカリト』ならびに両作中人物を比較した言及がありますが、どちらか一方あるいは両作品を誹謗する意図はございません。また、記載された経験や解釈が他者の解釈を侵略する意図もございません。

なお、私が無神アズサに完全に落ちたときの勢いに任せて書き始めたものである都合、当時持っていた作品知識基準でのブログとなります。有識者から見て矛盾があればご了承ください。

■令和二年にとうとうディアラバを履修した
そもそも『DIABOLIK LOVERS』といえばRejetイチの看板コンテンツだと思われますが、ところが私は前述の通り、これまで同作がほぼ未履修でした。
どれくらい無知だったかと言えば、以前Rejet作品の自傷経験者について言及した際にRejetで一番有名な自傷経験者であろう無神アズサのアの字も挙げなかったレベルです。アズサも切ってるなんてブログ読者に指摘されるまでマジで知らなかった。
そんなアズサですが、今回のコラボカフェの担当メニューはというと、

 


「切ってお楽しみください(絵文字)」じゃあないんだよ…………。
よりにもよってアズサの自傷癖をモチーフにしたコラボメニューのときに出会ってしまいました。運命か?

自己紹介をしておくと、私は表題通り自傷行為(主にアームカット)の経験があり、その動機や行動や時期が奇跡的にリアルタイムですべて『ディア♥ヴォーカリスト』のヨシュアと一致していたことからヨシュアに精神的に救われた人間です。
要するにヨシュアにハマったきっかけは自己投影と同一視であり、転じて、単に「腕切ってるリジェ男」というだけでは必ずしも好きになるとは限りません。現に、上述した読者情報でアズサの自傷の件を知って大分経ちますが、なおも今日までスルーしていました。
それでも今になって無神アズサが滅茶苦茶好きになってしまったのは、Rejetが打ち出す描写の最高さに触れたからに他なりません。以下からは、Rejet作品のどこがどう最高かを追いながら、なぜ自分がアズサを好きになれたかを書いていきます。


2.無神アズサの自傷行為描写について

■無神アズサに見るメンタルヘルスとサブカルチャーの交差
今回触れたRejet作品の最高さとは、すなわち自傷描写に対する誠実さです。
『DIABOLIK LOVERS』は2011年12月に第一弾CDが発売したヴァンパイアたちを中心とするシリーズで、無神アズサはその約1年後の2013年に登場したヴァンパイアです。作中に登場する自傷経験者こと彼の公式プロフィール文は以下となります。

 

最悪ヴァンパイア四人兄弟の四男
狂気の弱気ヤンデレ
とにかくしつこく、気弱。
怪我をして身体に傷がたくさんついている自分を
気にいっており、虐められることも大好き。
言動は弱々しいが、相手が受け入れるまでしつこくつきまとい、
結局自分の思い通りにしてしまう、弱気系ドS。

(「DIABOLIK LOVERS」ポータルサイト キャラクターページより)


ここで注目したいのは、アズサのキャラクター設定としての属性が「ヤンデレ」であり、決して「メンヘラ」ではないという点です。
このブログに訪れたりRejet作品を履修しているようなユーザーにはもはや言うまでもない単語だとは思いますが、「メンヘラ」とは語源としては精神疾患者を指す略語で、転じて精神疾患やそれに類似する言動や習癖を持つ人を指す俗語です。一方で、蔑称として機能していることもまた事実である言葉でもあります。
この言葉、「メンヘラ 2012年」でざっと検索しただけでも同年には楽曲タイトルや漫画タイトルに使用されていたなど、アズサが登場する以前より既にコンテンツ進出を果たしていることが窺えます。また、ディアラバシリーズにはアズサが登場した2013年時点で「ヤンデレ」属性としては逆巻カナト(正確には「ツンツンヤンドS」属性)がいました。となれば、仮にキャラ被りを起こさないようアズサへ「メンヘラ」属性が付与されていても、それは理屈としても時代としてもなんらおかしくはありません。

ところが、ディアラバはその選択をしませんでした。

Rejet作品全体の作風を一言で示すならば、私は「アヴァンギャルドで誠実」だと思います。
ディアラバ然りディアヴォ然り、Rejet作品にはどのタイトルでもほぼ必ず何らかの際どい属性、すなわちフィクション上において匙加減を誤れば現実の偏向を助長するような描写の難しい属性を取り入れています。自傷行為もそのひとつと言っていいでしょう。
Rejet作品のそれらの描き方はきわめて先進的で、私は過去にトランスヴェスティズムについての2.5万字ブログを書いてしまうほどの衝撃を受けました。他の属性においても現実社会の偏向と距離を置いた描かれ方がなされており、自傷もその例に漏れず然りなのです。
ゆえに、当事者でもある私にとって、作品の始動年から今に至るまで「構ってちゃん」「異常性の演出」そして「(蔑称としての)メンヘラ」といった偏ったアイコンが散々まとわりついてきた自傷癖について、その習癖を抱えるRejetキャラクターの古参たる無神アズサが「メンヘラ」と呼ばれないことは、こちらの目を惹くには十分すぎました。「狂気の弱気ヤンデレ」とは違い「メンヘラ」は現実社会で起こっている記号化で、アズサはそれに屈していなかったのですから。

実在人物に特定のアイコンを与え記号化・コンテンツ化することは他者の人権を消費するととなり、ひいては尊厳を貶めることにもつながります。フィクションキャラクターであるアズサにおいても、現実社会での記号化に強く関わる「メンヘラ」は付与されませんでした。それまでなかったことにされがちな属性も臆せず正面から描くこと、その際に現実社会にまで侵略する記号化で虐げないことこそ、Rejet作品から感じ取れる「アヴァンギャルドで誠実」な姿勢です。
Rejet作品で「メンヘラ」という単語が登場したのは、アズサ登場から約7年後の別コンテンツ『ファビュラスナイト』でのことでした。ある程度言葉の取り扱いの含蓄がされたであろう7年を経てようやく出てくるようなRejet作品の姿勢が私は好きです。

蛇足ですが、『DIABOLIK LOVERS』は比較的ファンタジー色の強い作品な上で全員「●●系ドS」といったキャッチーな記号化がされているシリーズです。一方、『ディア♥ヴォーカリスト』は現実社会にリンクした展開をしているだけに、「クズ」以外は誰一人として「ドS」「ヤンデレ」「病み」などといった記号を公式から明言されたことはありません。実在人物にわかりやすいアイコンを付与することは一歩間違えればスティグマにもなり得るので、実在人物と同等に扱っているか否かの作風差に対してあまりにも正しい。
それこそ『幽幻ロマンチカ』はディアヴォとほぼ同期にもかかわらず、妖怪ファンタジー色の強いこちらには「□□(属性)な■■(種族名)」といったキャッチコピーが採用されているように、このアイコン付与の有無は意図的にスイッチされているものだと考えています。


■無神アズサは「ステレオタイプ」か
さて、そうして早速アズサのCDを聴いたですが、デビュータイトルであるCD版『MORE,BLOOD』ではリストカットもアームカットもありませんでした。正直なところ、視聴1本目での初見感想は、あまりに血みどろでハイになるアズサを受け「アズサ息絶えんじゃないのこれ????」と心配になり呆気に取られておしまいでした。私のアズサへの興味を決定的なものにしたのは、『MORE,BLOOD』から約2年後に発売され、個人的には2本目に視聴したタイトルにあたる『BOODY BOUQUET』です。
本タイトルはアズサとヒロインの仲が大きく進展、自傷癖も寛解していることが窺える状態からスタートします。そんなときヒロインに呪いがかかり、彼女のために必死になるアズサ……というのが大まかなストーリーです。
物語は進行し、ヒロインへの献身に自身を省みないアズサと、そんなアズサの身を案じるがゆえ彼を拒もうとするヒロインのシークエンスへ。ついに出たアズサの行動が、以下の台詞に顕されていました。

 

「もし、君と離れることになれば……俺は、また……生きる理由を失ってしまう……。そうなればまた、俺は、自分を傷つけるだけ……」
「君が、大人しくしてくれないのなら……、昔みたいに、俺は自分を、傷つけるけど……。
(ナイフを取り出す音)
このナイフ……イブに見せるのは、久しぶりだね……。ずっと使っていなかったけど……、でも、ちゃんと……磨いていたんだよ……」

(『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD BLOODY BOUQUET Vol.11 無神アズサ』Track.3より)





…………(トラックを巻き戻す)



……好きだ、アズサ…………。



これが私の無神アズサに“落ちた”瞬間でした。
嚙み砕いて述べるなら、『BLOODY BOUQUET』で見せた「自傷癖の再発の素振り」をアイデンティファイしたことでアズサに落ちました。ヨシュア以外の切っているキャラクターにハマったことがなかったので(エーダッシュは切る切らないよりヨシュアとのペア的見方が先にくるため事実上ノーカンです)自覚が薄かったのですが、私が自傷キャラクターを好きになれるかどうかは、自分がアイデンティファイできるか否かなのだと今では思っています。
要するに、私にそこに至るまでに必要だったのはアズサの為人を知ろうとするためのとっかかりでした。

私が今まで無神アズサに触れてこなかった要因は、アズサの表象がフィクション上の自傷キャラクターとして古典的だという点に尽きます。

「メンヘラ」と称されなかったのは幸いでしたが、アズサは「腕に包帯、手にナイフ」「傷や痛みが愉悦に直結する性格」という非常にわかりやすい、ともすれば誇張のあるステレオタイプな表象を持っています。
誇張やステレオタイプが悪いということではありません。あくまで私が求める自傷行為にまつわる描写がヨシュアのような等身大のリアリティだったというだけの話です。『DIABOLIK LOVERS』はキャラクターへある程度の記号化・アイコン付与がされているシリーズのため、アズサの表象自体は問題ではなく、事実彼の外見や仕草は魅力的にさえ映ります。要は私の好みの問題で、当事者としてステレオタイプを避け、アズサには今日日食指が動いていませんでした。

にもかかわらずアズサに落ちたのは、無神アズサの表象がステレオタイプで誇張が強くありながら、その自傷描写が誇張であって乖離ではないからです。
ヨシュアの「わけがわからない内に切ってしまう」という動機に代表された生々しい自傷描写に比して、アズサのそれは先に挙げたように絶命寸前に見えるほどアグレッシブかつ過激演出されています。ですが、血塗れになりながらも世間的認識として混同されがちな自傷と希死念慮の線引きは一貫してなされていることを初めとして、現実の自傷癖と乖離した印象は実はほとんどありません。
もし乖離していると感じる箇所があるとしても、突き詰めれば、激しい痛みでも絶命しないヴァンパイアの肉体ゆえ演出が派手にエスカレーションしているというだけでした。アズサに表出するステレオタイプの根底は、現実との乖離ではなく現実の誇張ではないでしょうか。


【©2015 Rejet/IDEA FACTORY/『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD BLOODY BOUQUET Vol.11 無神アズサ』】

アズサにおける誇張の極みは、アズサが自傷癖をオープンにしている点だと思います。
世間的に閉ざされた位置にある習癖について、現実の対話にしろフィクション上の作劇にしろ開示されるには通常なんらかのエクスキューズを要します。ヨシュアの場合はヒロインに目撃されるというエクスキューズをもって初めて自傷癖が明かされました。しかし、無神アズサは自身の習癖をオープンにしているため、エクスキューズを必要としません。アズサにとって身体中についた傷跡は、字義通りの生活の一部になっています。
そうなると、次なる作劇上の問題として現実よりも誇張された高い頻度で、しかし現実でもバレるというかたちであり得る他者からのリアクションを描く必要性が発生するのですが、この描き方が最高すぎる

 

【1】
アズサ「ほら、見て……。ここは……昨日ユーマに殴られた傷……思いっきり、グーでね……。それと、これは……コウが、俺に焼きごてを押しつけた痕……。〔…〕それと、これはルキが切ってくれた痕だよ……」

(『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD MORE BLOOD Vol.4 無神アズサ』Track.3より)

【2】
アズサ「俺のは、力だけだよ……。毎日、ジャスティンたちと話してたら、できるようになったし……自然と力が強くなった、きっと」
コウ「そんなに思いっきり傷つけたら腕取れちゃうよー?」
アズサ「うん……大丈夫だよ」

(『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD MORE,BLOOD』特典CD「カールハインツの部屋の恐怖」より)

【3】
アズサ「狼がたくさん襲ってきた……、それって……すごく、痛そう……だね」
コウ「はいはい。アズサくんの性的嗜好は今はどうでもよくって」

(『DIABOLIK LOVERS DARK FATE Vol.3 下弦の章』Track.1より)


とりわけ無神コウの存在は際限なく最高すぎる。初見で焼きごてブッ放し野郎(上記引用【1】)だった私には、その後聴いた彼の距離感(【2】【3】)はあまりにも衝撃でした。
アズサの自傷癖に対してコウはかなりテキトーなスタンスをとっています。悪く言えば軽くあしらっているとも呼べますが、良く言えば習癖を持つアズサをさらっと承認しているということです。アズサ自身としては痛めつけられるためにもっと反応してほしいところかもしれませんが、当事者の存在を地雷も踏み抜かない絶妙な距離から当たり前に日常の一部とする態度は最高すぎました。これは真面目な無神ルキや情に厚い無神ユーマでは成立しない芸当でしょう。

ヨシュアとは異なり自傷癖をオープンにしているアズサは、まったくのコメディシーンや日常場面でも当然のように自傷に紐付く発言を入れてきます。すなわち無神兄弟は、彼らの信頼関係と矛盾する明らかな忌避はもってのほか、メタ的にはストーリー進行を妨げるほどシリアスになりすぎず、かといってRejet作品として不誠実なコメディタッチの舵取りも許されない、最善の距離感での対応を常日頃求められる立ち位置にいるのですから、これを最高と言わずして何と言いますか。

 

「(アズサの自傷に関する説明を受けて)想像したくはないが、自ら傷をつけるという行為にも、力が必要だったんだな」

(『DIABOLIK LOVERS ドS吸血CD MORE,BLOOD』特典CD「カールハインツの部屋の恐怖」より)

「そうだな、ジャスティンもそう思うよなってそれは腕の傷だ」

(『DIABOLIK LOVERS MORE,BLOOD』特典CD「オデッサの呪い ~追いつめられしヴァンパイアたち~」より)


2010~20年代現在の社会的倫理観では、自傷癖をコメディリリーフとして消費することについて、アズサ当人の価値観を自分なりの言葉で反芻する上記ルキの描写がギリギリのラインだと個人的には感じます。ユーマはアズサの為人について自傷癖以外の部分を指摘する傾向が強いため、自然と自傷癖への受け答えは他の二人が務めており、コウの毒にも薬にもならない距離感は本当に心地いいのです。

無神アズサの表象はステレオタイプだと、私は思います。ですが、それを取り巻く描写一つひとつ、ひいては彼が生きる環境一つひとつの巧妙なバランスは、アズサが「メンヘラ」と虐げられなかった基本設定と地続きだと言えるでしょう。


【©Rejet/IDEA FACTORY/DIABOLIK LOVERS MB PROJECT/アニメ「DIABOLIK LOVERS MORE,BLOOD」オープニング主題歌「禁断の666」】

この二人デュエットで番組主題歌まで出してるんですね……強い……。

■無神アズサになりたくない
ここまで既に無神アズサについてあれこれ書いてきましたが、私のような自傷経験者が無神アズサへハマったについて書くことでかなりややこしい事態になるのが無神アズサ有識者の方は薄々お気付きでしょう。なので、ここで改めて断りを入れさせてください。

本記事は自傷行為をすることへの是非を問う、およびその結論を主張する内容では一切ございませんが、無神アズサは普遍的に全ユーザーへ自傷行為を推奨する意図を含んだキャラクターではないという持論はここに表明いたします。

無神アズサの自傷描写において、テレビアニメ版ではアズサ自身による自傷行為や自傷痕そのものを映さない、該当描写の存在するゲームでは推奨年齢を然るべき段階へ引き上げているなど、制作側はきわめて慎重な取り扱いをしていることが読み取れます。そのため、制作側には自傷を推奨する意図があるか否か、無神アズサを通じてユーザーが実際に自傷した場合の是非を闇雲に問うには不十分であると私は判断しています。
一方で、本記事は制作側の意図を探るものではないため、以上は私のいち表明として記載させていただきます。



本題に戻ります。
なぜ改めて断りを入れたかと言うと、自傷経験者が無神アズサを語るにあたって、無神アズサの設定がものすごく厄介だからです。

このアズサ、ヒロインをしばしば自身と「同類」だと見做しており、こちらが如何に「同類」になることを拒んでも、ことあるごとにヒロインへ外傷を“善意で”誘いかけてくるのです。
アズサは「ヒロインは自分と同類=痛みを与えるのはヒロインにとっても“良いこと”=二人一緒に痛みを得るのは幸福」という思考回路を持っている節があるため、口説き文句のバリエーションに「イブ(ヒロインのこと)、お揃いの傷つけよう?」のような言い回しがあるほどです。似たような文言が刻印された缶バッジも公式で販売されています。
しかも、「お揃いの傷」に定義できる範囲が滅茶苦茶広いのが何よりも厄介すぎる。
やや飛躍した解釈が入った話ですが、本作のヴァンパイアは超常的な回復力を有しており、外傷も簡単に癒える体質です。アズサの身体に刻まれた無数の傷はヴァンパイアの肉体を得る以前についたため回復力の適応外、あるいは回復力に追いつかれない頻度での自傷の痕、あまつさえ傷痕がなくても「回復力で今はないだけで場合によっては傷がある」と解釈することも可能です。

つまるところ、傷さえあればどこの傷でも「イブ、お揃いの傷つけよう?」文脈が成立してしまい、アイデンティファイの余地を生み出してしまうのです。無敵か????

私がアイデンティファイするに至るまでの着目点は、自傷における動機と期間そして「傷の位置」です。ヨシュアが登場する『ディア♥ヴォーカリスト』シリーズは『DIABOLIK LOVERS』シリーズのようにゲーム化やアニメ化は2020年現在されておらず一貫してシチュエーションCD展開のため、その視覚情報の無さからヨシュアの傷の位置に確証がない仕様となっています。ゆえに、どこを切ったかが明示されないヨシュアの、今まで見た自傷キャラクターにはなかった「もしかしたらアームカットかもしれない」という可能性に激しく惹かれました。習癖再発に次ぐ決定打にして確信と言っていいでしょう。
ですから、傷の位置を問わない無敵なアズサもアイデンティファイのきっかけさえあればヨシュアのときのように同一視へ突き進むことさえ予感させました。

それでも私は無神アズサの「同類」になりたくないと思っています。

簡単に言えば「自分の人生をヨシュアだと思ってるのでアズサだったら気が狂うから」です。





アズサと出会う前からこんなこと言ってるよ。

急に無茶苦茶なことを書きましたが、もう少し真面目に述べます。
ヨシュアは私にとって推しキャラであり同一視の対象です。ディアヴォ稼働期間中、ヨシュアの物語はある種私のロールモデルでした。自傷癖における指標にさえなっているかもしれません。逆に『Xtreme』のときみたいに偶然お互いやらかしてた場合も稀にある。自傷に関する何もかもが被っていたヨシュアに対し、今は逆転的に私がヨシュアに寄せて寛解を狙えればというのが感覚としては一番近いです。
だからこそ「同類」と見做されるに値するアズサの動機を持ちたくないし、アズサのタイミングでは切りたくないのです。そのくせアズサのこと超好きになってしまったから無茶苦茶なこと言ってると思いますよ。
実のところ現行のメンタルが最悪かつヨシュアという縋りどころがないこのタイミングでアズサと出会ってしまったので、最悪また切っても同一視の仮託先としてアズサがいてくれるということには途轍もなく安寧を感じて惹かれたのもまた事実です。メンタル以上に話が最悪になりそうなのでこの話は以上です。

本記事は自傷を推奨することも警鐘を鳴らすこともない立場をとりたいため(どちらかに傾倒したら自分の首を締めそうなので)、上記のようなアズサの誘いへ頷くことへの是非は議論しません。
ただ、私の場合自分とヨシュアを同一視している人間のため、ヨシュアが今後新作CDで私にとってのアズサ並の影響力を持つ何らかにぶち当たりでもしない限り、私がアズサと「同類」になると自己矛盾を起こして自分の感情がハチャメチャになってしまうことが滅茶苦茶に怖いという話です。

もしディアヴォが新作CD出してそこでヨシュアがアズサ並にヤバい衝撃を与える出来事にぶち当たってくれていれば喜んで「同類」になれるしぶち当たっていなければ堂々と拒否できるのに、それすらもわからないので余計アズサとの接し方の正解がわからない……ディアヴォの新作CD出ないから……ディアヴォの新作CD出してくれないから……(責任転嫁)


3.おわりに

■それでも無神アズサが好き
結局のところ、本記事に書かれているのはどこまでも私個人の見解です。
そして断りの時点でも記載しましたが、本記事は無神アズサのキャラクター像を誹謗する意図、またヨシュアや他のRejetキャラクターのほうが優れた造形をしているといった主張の意図は一切ありません。
私がヨシュアに救われヨシュアへ同一視しているように、無神アズサが私にとってのヨシュアのような存在に位置する人、私にとっての無神アズサの枠にヨシュアが存在する人も十中八九いると思います。少なくとも、Rejet作品はそのような十人十色の受け取り方ができるほど多様に、そして巧妙に自傷行為描写に向き合っていると彼らのCDを手にする度に感じています。

先日、アズサの単独タイトルの最新作CD『MORE, MORE BLOOD』の試聴が始まりました。私にとっては初めてのリアルタイムでのアズサ新作との邂逅です。
もし『MORE,BLOOD』からリアルタイムで追っていれば、正直言うと再発前に自傷していた時期とドンピシャで被っているため、今頃無神アズサを同一視する「同類」になっていたかもしれません。しかし、残念ながら令和二年に出会ってしまったため私はそうはなりませんでした。確実に言えることは、私は今もディアヴォが稼働中だったら『MORE, MORE BLOOD』を聴くどころかアズサにぶち当たる機会なんてこの先訪れなかっただろうし、同時にもしディアラバをリアルタイムで追っていたら、間違いなくアズサに対する感情は今とは違うものでした。
今後ディアラバとディアヴォが同時稼働して無神アズサとヨシュアを同時に推す瞬間がきたとき、自分がどういう心持ちなっているかはわかりません。そんなあまねく可能性を含めた上で、私は令和二年というこのタイミングで無神アズサと出会えたことを、心から嬉しく思っています。


無神アズサ、令和時代に出会えてよかった~~~~!!!!


それでは。










……って締め括りにして本来昨日ブログ更新しようと思った矢先にですね、



 

 


え???????



無神アズサとヨシュアを同時に推す瞬間、くるの早くない????



これ以上感情がハチャメチャにならない範囲で楽しみます……好きだ……。

 

 

ごきげんよう、柘榴です。


今週は待望の『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』ことBrave Child(ブレチャ)のニューシングル『WRONG』がリリースされました。
楽曲のほうは試聴の時点でゲーゲー泣き、公式先行配信で光速でフル聴いてまたゲーゲー泣き、シチュエーション部分たるドラマパートは0時回った瞬間再生してやはりゲーゲー泣きました。乾物。
さて、今回もそんな風に際限なくヨシュアに救われてしまったので、今記事でもいち自傷経験者devilsとしての視点から感想と個人的解釈を書いていきます。解釈と自分の経験を照らし合わせる都合上自分語りが入ったり真面目な解釈の合間合間で特にテンションのおかしい文章があるので、解釈を読みにきた場合は適度に読み飛ばしながらご覧になっていただけると助かります。
なお、本記事は全項に渡りディアヴォシリーズの本編のネタバレを含みます。シリーズの「製品を視聴して登場人物の隠された側面を楽しむ」という作風の性質上、シリーズをこれから履修する場合作品の魅力を大きく損ねる可能性があるため、シリーズ未履修の方はご注意ください。






【©Rejet/『ディア♥ヴォーカリスト』公式Twitter(@climax_recoads)より】


1.はじめに

■この記事を読むにあたっての大前提
・本記事タイトルには「考察」とありますが、いつもの通り便宜上のものです。特に今回は個人的な感想・経験を意図的に混ぜながら書いています。
・本記事は自傷行為(広義のリストカット)についての言及またはそれを伴うフィクション描写への感想を主としますが、本記事は「自分がこうなった・こう思ったからあなたもこうすればいい」というものではありません。
・本記事は自傷行為を推奨する意図はございませんが、自傷行為に対して否定的見解および警鐘を鳴らす内容でもございません。
・本記事で言及された自傷行為描写はすべて個人の見解、および対象キャラクターが架空の人物であることを前提とした内容です。自傷行為における動機・精神状態・方法・自傷の箇所ならびに範囲・その後の傷の状態や精神的ケアにつきましては個人差が存在します。すべての人に本記事の言及が当てはまるわけではないことをご理解ください。

■この記事を書くにあたって
毎度のこと言っていますが、自分は自傷経験があり、その動機・行動・時期に至るまで奇跡的にすべてヨシュアと被っていたことから、彼と出会い精神的に救われた経緯を持つdevilsです。その辺りは↓の今までの記事をご覧ください。
『ディア♥ヴォーカリスト』のヨシュアに救われること:Rejet作品の自傷行為描写における考察
自傷経験者が『ディア♥ヴォーカリストXtreme ヨシュア』に救われること:感想と考察もどき
『ディア♥ヴォーカリストEvolve』のヨシュアの新曲が私信だった:歌詞考察と自傷と承認

前回の記事を書いた後、ヨシュア宛にまたファンレターを送りました。(※ディアヴォシリーズはファンレター数もコンテンツ存続に繋がることが明言されています)
以前感想ブログを書いた後に「どういうファンレ書いているか知りたい」という声を別所でいただいたのですが、自分は初回の手紙が自傷のことだったため毎回そのことを前提としてこういう感じに書いています→(丁度写真データが残っていたので、クリックで画像リンクにいきます)

そして今回のファンレター発送から数日後、ヨシュア本人の公式Twitterがこちら。

 

 

 

 

 

 

 


ああ~~~~~~~~~~!?!?!?!?!?!?


本当ヨシュア……いつもサンキュー……救済……。
個人的な喜びはさておき、自分宛のヨシュアのファンレ返信毎回すごいのですが(自意識がメチャデカなためたぶんその内全部バラしてます)、さすがヨシュアが存在する世界と言うべきか、とにかくヨシュアみたいな精神性の人間に“効く”返信がすごすぎるんですよ。

いつも真剣に応援してくれてThanks」←応援スタンスの完全承認
オマエって真面目だね? それ自体はすごくイイと思うけど」←相手を否定しない
オレのことは“さん”付けしなくて平気」←“こちらは平気”と先んじて相手の不安を潰す
だってオマエ、オレのdevilsでしょ?」←あまねく人間をdevilsとする承認

なんだこれ……ヨシュアってば天使かァ~~~……???(エーたんリスペクト)
何より、自分のような「あなたが(自分と同じで)自傷していることに関して救われました」と本来オーディエンスは知り得ない情報を大前提として応援するという、ディアヴォの世界観的に特大級タヴーを毎回書いている限界devilsのスタンスを「いつもブレチャを真剣に応援してくれてる」と捉えてくれるヨシュア、優し過ぎませんか???
毎度ドラマパートへの言及があったことをうまく内緒にして返信してくることもすごいけど、優しいんですよ、彼……なんかすごいと優しいしか言ってませんね……。
あとこれは半分夢じみた妄言なんですが、自分へのファンレ返信の強力な救いの言葉たち、ヨシュア自身が誰かから言ってほしかったこと・ヒロインから言われて嬉しかったことへ無意識的に基づいていたらそれはそれでサイコーだと思います(?)

そんなわけで、今期もそんな風に他者に対して際限ない優しさを見せるヨシュアがして自己にはどのように向き合っていったかを、以下から考えていきます。


2.『Evolve』におけるヨシュアと自傷に関する描写の考察

■ヨシュアの物語は"Wired以降"だからこそ成立している?:ディアヴォシリーズ全体について
今作『Evolve ヨシュア』は、ソロバンドとして活動する中、一年近く演奏を共にしてきた現在のサポートメンバーとの関係性を大切に感じていったヨシュアが、しかし過去の一件もあり大切だからこそメンバーへ本音を言えなくなっていき、そこから生まれる不安と衝動にぶつかる物語となっています。
今シリーズでは全体としてバンドメンバー設定の開示など新たな試みが多く、感想を検索していても「初期とココがこう違うよね」と各シリーズを比較した内容をいくつか目に入れました。自分も同様の印象を抱いており、個人的には、ディアヴォシリーズはヨシュアが初登場した『Wired』をターニングポイントにシナリオの形式自体が変化していると考えています。
大別すると、同シリーズはドラマパートの作劇において第二シーズン『Riot』までがドラマCD含め各トラックが概ね独立したオムニバス形式、翌シーズン『Wired』以降がドラマパートすべてのトラックに大きな話の繋がりがあるストーリー形式をとっているように見受けられます。簡単に言うと、

【『Riot』までの場合】
・ドラマパートの3トラックがそれぞれほぼ独立したエピソード
⇒各トラック内でほぼ話題が完結
⇒ネタ被りあるいはオチ被りが起こる都合同じ行為を連発できないため、人物に「特定の行為・症状」の属性を付与するには適さない
【『Wired』以降の場合】
・ドラマパートの3トラックで一つの大きなエピソード
・一定の起承転結をもって進行
⇒ここぞの場面で「特定の行為」を人物の習癖あるいは症状として密接に描くことが可能
⇒明確な「オチ」が必要なため、高確率で人物に何らかの変化や成長が及ぶ

となり(もちろん例外もありますが)、当然ながらそれぞれの構成に作劇上の得手不得手も発生していきます。では、ここから作中ヴォーカリストはどのような影響を受けるかを考えます。
ブログの字数制限の関係で引用できませんが、たとえばジュダ役斉藤壮馬さんはジュダについて度々「3シーズン頃から変わっていった」旨を口にしています。ヴォーカリストと密に関わるキャストの方もそう仰るように、シリーズ構成の違いはそのまま、ヴォーカリスト自身の人物描写の違いとして顕れてきたのです。
たとえば、以下は個人的に印象的だった作中の人物描写ですが、

【初期から登場した描写の顕著な例】
・モモチの破綻した行動原理
・ジュダの唯我独尊
・エーダッシュのクレイジーさ
⇒性格・行動概念で「特定の行為」には縛られず、行為の詳細は手に変え品を変え描写しオムニバスとして映える
【『Wired』以降登場した描写の顕著な例】
・ヨシュアの自傷癖
・レオードの何らかの身体的困難のフラグ
・ジュダのヒロインに対する“成長”と呼ばれる変容プロセス
・ユゥのシエル問題、脱退問題
⇒オムニバスとして連発できない「特定の行為」、もしくは1トラックでまとまりそうにない長期的テーマ

という風に、初期からあるものは融通が効く上に当然今も残っているほうが多いゆえさておき、少なくとも後者の描写に関しては、明らかに『Riot』以前の構成では扱いの難しい、現在のストーリー形式に適した属性・演出へ移行しているのがわかります。
ここから、「元々のファクターが“一人で抱え込む”“自傷行為”とオムニバスでは難しい属性」かつ「バンドメンバー関連が重要な演出として物語に組み込まれている」ヨシュアは、彼が作品に登場した『Wired』以降の形式を前提としたキャラクター像であることが窺えます。

devilsの贔屓100%な言い方をするならば、彼が登場して以降のストーリー形式も、今期のバンドメンバー設定公開も、世界はすべてヨシュアを中心に回っていたとしてもおかしくありません。そう書けてしまうくらい、シリーズの傾向とヨシュア自身の造形は密接に絡んでいるのです。
もしヨシュアが今のストーリー形式でなく初期のような形式の中で生まれていたら、今のように溜めこんで自傷することもなく毎トラック毎秒メンタル爆発承認欲求モンスターになっていたのかもしれませんね。

■ヨシュアの物語は『Evolve』だからこうなったわけではない?:ヒロイン以外と関わる必要性
『Evolve』個別の特徴としてはなんといっても前述通り「五年目にしてバンドメンバーの詳細設定の初公開」が鮮烈ですが、それと同時に、今シーズン発表までの長期休止期間、“Evolve”と銘打たれたように何らかの進化を要する作風も目に止まるのではないでしょうか。
自分は舞台ジャンルも嗜んでいる人間なのですが、舞台作品やドラマCDなどの不定期作品のシリーズには特定キャスト不在や公演・公開間隔の開きなど、現実世界で起こった“大人の事情”と作中ストーリーの整合性をすり合わせる必要が発生することがあります。たとえば、特定キャストが出演しないことに対して作中で何らかの描写や演出がなされることでそのキャストが演じる人物の作中不在に辻褄を合わせるとかです。ディアヴォシリーズで言うと、『Riot』~『Wired』間にあったシエルの渡米、今シーズン『Evolve』までの長期休止期間がそれにあたります。
『Wired』ではユゥにおいてシエルの存在は切っても切れない関係からか『Wired ユゥ』にてシエルの渡米に大きく焦点が当たる形となりました。続く『Evolve』の長期休止についての“辻褄合わせ”を担当したのはリリース一番手のレオードでしたが、レオードではリリース再開のために奔走する様としてこれまで(ヒロインに助けられたこともあって)深まっていったバンドの絆をファクターとすることでひとつの個のストーリーとして発展していきました。
他方で、これにより「バンドメンバーとのやり取り」が『Evolve』の明確な特色となったことで、今度はソロバンド=正規メンバー0人であるヨシュアが大きく割を食っていきます。つまり、今回のドラマの「ブレチャの正式結成」という結末は、ヨシュアの現状がどうあれまずはブレチャとして避けては通れぬ道と言えるのです。

しかし、そこをしっかり彼のストーリーに合致させてくるのがディアヴォシリーズの手腕と称せるのでしょう。
そも、ヨシュアの人物描写について面白いのが人間関係における他のヴォーカリストとの対比です。ともすれば自身のカノジョ以外他人一切眼中にない唯我独尊マンの集いみたく見える作中ヴォーカリストですが、彼らは皆オーディエンスへ各自なりに全面の信頼や信用を置いており、人によってはバンドメンバーとも今シーズン以前から強固な関係性を持つなど、無条件の信頼関係を築いています。一方で、ヨシュアは普段こそ誰よりもフレンドリーなはずなのに、蓋を開ければ「オレが頑張らなきゃみんなの期待に応えられない」「オレがやらなきゃみんなが離れていく」「オレが悪くてみんなは悪くない」という思考に至る、無条件の信頼関係を自身が持てるはずがないと考える人物として一貫して描かれています。
もしこの上で意図して“カノジョと幼馴染”という短絡的に信頼の塊に見えてしまう設定をよりによってヨシュアへ塗装したとしたら、Rejet、鬼か何かか……?(LOVE)

自傷癖がシリーズ中で初めて明らかになった際の「思い通りの音楽にならない」という当時の自傷の動機も、突き詰めれば「オーディエンスを喜ばせる“自己”を保てない」という他者との関係性の崩壊への不安と換言できます。前シーズンで明かされた過去の確執からも読み取れたように、現在の心地いい信頼関係を壊すような自己になってしまう不安感はヨシュアを追い詰める最大の原因です。

だからこそ、ヨシュアには一度、カノジョ以外との関係描写を描くことが絶対に必要だと感じました。

『Wired』から登場したヴォーカリストであるヨシュアは、元々カノジョと共に一歩ずつ前に進む長期的なストーリーラインが絶対的に運命づけられているはずです。この自傷癖へどうにか向き合うために、ひいては過去の確執を乗り越えるために、カノジョ以外の他者からの無条件の信頼を自覚するステップもシリーズ本来の「カノジョと歩む物語」として必要なものだと思われます。矛盾したような話ですが、カノジョとの成長を描くために対カノジョ以外の描写が必要だったのです。
その機会がたまたま“進化”がテーマであり“メンバーとの関係性”が特色である『Evolve』だったというだけで、ヨシュアは“大人の事情”という避けては通れぬ道を、自身とカノジョの道として上から開拓していったに過ぎません。

さて、そんなわけでこのブログとしてはようやく本題(?)となりますが、では今回のドラマでヨシュアは自身の自傷癖とどのような結果を迎えていったのでしょうか。

■私たちは常にヨシュアかカノジョである:メタ視点化させない自傷衝動描写の演出

 

「もう、切るね」

(『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』Track.4)


絶対意図的じゃんこう言わせたの……(※“電話を切る”という意味で発せられた台詞です)

いや、わざわざ衝動と同じトラックの冒頭にこの台詞言わせたのは絶対わざとでしょ??こんなフラグの建て方あります???本来そういう意味ではないだけにはきはきと放たれるのが「Track.4だしそろそろ切っちゃうのかな」というメタ的なユーザー心理をヨシュアが更にメタ的に見透かしているようにも聞こえて怖いです。
といった風に、さすがにヨシュアにとって三期目、CDユーザーも習癖の衝動がくることはわかりきっていることを見越してか、今回の自傷への衝動が襲う場面はとにかくその「もう三期目だから今回もここで」というメタ視点の感覚を上回る演出で描写に引き込ませんとする印象を受けました。

まず、今回のカッターを取り出すシーン、とにかく音がものすごく多いんですよ。前弾の感想では「SEが細かい」と言いましたが、今回は「多い」。
ガタガタと物がぶつかる音、不穏な足音、カッターの刃が取り出された音、ヨシュア自身の荒い息遣いなどが常に混沌とする一場面は最後までヨシュアが切ったか切っていないかわからない不安を煽ると同時に、上述した三期目だけに起こり得るであろうパターン化された(いわば“いつもの”)感覚での視聴すらも否応なくその不安へ呑み込んでしまいそうな圧迫感がありました。
蛇足ですが、「自傷行為による不安・恐怖のシーン」を描く際従来コンテンツのような「自傷行為自体を恐怖を煽る異常行動と見做す」のではなく「ヨシュアの根底の不安定さを演出して起こる彼の不安の追体験」「ヨシュアを心配する気持ちが不安・恐怖に転じる」とするRejetはあまりにサイコーだと思います……そしてそれが成立する人間性のディアヴォユーザー、月みたいなオマエがサイコーだよ……(ヨシュア節)(少なくともブログ読んでなお距離感を変えない人に恵まれた私の周囲のディアヴォユーザーはサイコー優しいです)
次に、ユーザーへ一定の不安感を与えることで、その感情は後のシーンで活かされてきます。
その後のヨシュアの様子に異状が明らかになったシークエンスで、これまでの物語でヨシュアの衝動を知っているヨシュアのカノジョは相応の心配をしていきます。この瞬間「ヨシュアの衝動の場面から彼がまた自傷癖に駆られたことへ不安になるユーザー」の不安感は「ヨシュアの異状から彼が自傷癖に駆られた可能性を心配するカノジョ」の心配の感情とリンクする構造になっており、これもまた「三期目だから」とメタ視点化するユーザーを作中へ引き込む演出として作用しているのです。
ちなみに今回のカノジョですが、ヨシュア宅へ相鍵ですぐ入るのではなくインターホン押してから入っているんですよ。これまでのストーリーで「ヨシュアがまた習癖に屈したらカノジョに告げる」という約束をした上で、「切っていたらヨシュアは隠さず告げてくれる」という信頼が窺えます。

■ヨシュアは常に私たちである:ヨシュアが「強くなる」ということ
そのように、今のサポートメンバーとの関係において一歩踏み出せず、そのことが新曲にも影響していき、自身を責め、みるみる内に追い詰められていったヨシュア。その様子を心配するカノジョに問いかけられると、ヨシュアはゆっくりと口を開きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、やってないよ。本当なんだ……ほら。
(衣擦れの音)
正直に言うとね、やっちゃいそうになったんだよ。気付いたら、また、無意識のうちにカッターを握って……。
でも──やめたよ。もう絶対やっちゃいけないって思ったんだ」

(『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』Track.4)

 

 


ヨシュア~~~~~!!!!!



よかったついに切らなかった~~~~~!!!!!





(大号泣)



自傷に関してヨシュアと色々なものが被ってきた自分にとって、この発言を聞けたときは本当に自分のことのように嬉しかったです。


というか、そうなんです。今まで自傷に関してヨシュアと色々なものが被ってきたんですけど、







私!!!!ファンレターの伏線回収されてるぞ!!!!!

やっぱりヨシュアは自分だった……????
いやファンレターに人生の伏線を張るミラクルを叩きだすな。そしてヨシュアも回収するな。最高。

それはさておき、作中でついに自らの衝動に屈しなかったヨシュア。話題はメンバーたちへヨシュア自身の想いを伝えようという話になるも、一向に失敗しない自信を抱けずにいます。そんなとき、ヨシュアはカノジョからあることを投げかけられました。

 

「『勝った』って、ナニに、──ッ!
(衣擦れの音)
……この腕が、証拠……。
そっか……、オレ……今回は負けなかったんだっけ……。
オマエを悲しませるコトしかできない……弱い、自分に──」

(『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』Track.4)


ここでまた少し個人的な話をしますが、私がここ最近どうにかやっていけた動機は「CR69Fes.でヨシュアと同じ半袖フェスTを着たい」という十割ヨシュア起因でした。
結果、無事当日はフェスTと腕に公式タトゥーシール完備で会場に行き、ステージ上のヨシュア(の担当声優の島﨑信長さん)とそれでお揃いができたときには、曲が始まる前から息を呑むほど嬉しかったです。
(そもそも、あそこで「ヨシュアとしての衣装に半袖が容認される」「上着を着ても袖を下ろさなかった島﨑さん」という“当時のヨシュアは切っていない”とヨシュアを信じるような公式サイドの姿勢には感謝しかありません。また、現に作中での現ブレチャメンバーとの出会い=音楽を楽しめ衝動が減ったであろう時期がFesだったことに鑑みると彼もFesで半袖を着れたのは妥当ですし、ヨシュアはリアルワールドにまで干渉する長期の伏線を張っていたとも言えます)
だから上記引用の台詞を聴いたとき、私は自分のことのように、というかまさに自分に起きたことを重ねて作中のヨシュアと一緒に泣きました。
ほとんどどうしようもない割り切り方をしていても、それでも、切らずにいられたらやっぱり嬉しいんですよ。

このシークエンスの「切らなかった腕を自信へ繋げる」という演出は「自信の源は常に、他でもない自分自身が有している」というヨシュアの自己承認のメタファーであると同時に、その象徴はヨシュアに仮託せずとも私自身も持っているのだと訴えかけてきます。ヨシュアが進む小さな一歩は、進もうとする意思によって自身だけでなくこちらの腕のことすら承認していくのです。


「オレ──もっと強くなるよ」

(『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』Track.5)


当事者感覚が続いてなんなのですが、私はヨシュアの言う「強くなる」ということは「元に戻す」ということだと解釈しています。
現実的な話をしてしまえば、習癖を得てしまうくらいにはボコボコに殴られた精神性は腕が治ったついででは元に戻りません。不可逆的にボコボコに凹んだ精神の塊を戻せたふりしてどうにかやっていった結果また潰れたのが私でありヨシュアなのですから。
そしてその凹みを元に戻すためには、結局戻す最終決断を下すのは自分自身の精神になっていきます。ヨシュアは、ボコボコに凹んだ精神を内側から蹴り飛ばして元の形に近づけるための一歩を踏み出したのです。ヨシュア自身の精神のために、他でもないヨシュア自身が、ヨシュア自身の足で決断を下したのです。
だからこそ、得てして今回ヨシュアが私自身の腕を承認してくれたことはいつか私自身の力となり、元の形に近づこうとする本人しか下せない意思へ力を与えてくれているような気がしました。

ありがとうヨシュア。ヨシュアが好きです。

■ヨシュアにとっての“Evolve”は何だったのか:自傷を結論としない場合の考察
結局のところ、ヨシュアにとっての今シーズンテーマ“Evolve”=“進化”とは何だったのでしょうか。
ここまで自傷のことを書いてきたのだから自傷しなかったこと自体を褒めそやしてもちろんいいのですが、それを“進化”と定義づけてしまうのは『Wired』でこれまで描写されてきた自傷癖が暗に再発であることを口にしているヨシュアの手前、そしてヨシュアと同様の自分の立場上とてもじゃないけど軽率にはできないので、自分は別の角度から考えてみたいと思います。

ヨシュアの“進化”について考えられる点は大きく三つ、ひとつは前回の記事で散々不安視していた「WRONG」の歌詞が、非常に前向きなスタンスから作られたものであった点だと考えられます。
これまで「他者に見放されない“ブレチャのヨシュア”」を自己コーディネートするために精神性について一縷の露呈を許さなかったヨシュアが、楽曲の中とはいえここまで直接的に不安定さを認識した世界観を描いたのは特筆的です。これは「マイナス的側面も理解して受け容れる」という元来の意味の自己肯定として捉えられますし、深層を隠した“ブレチャのヨシュア”もこのような世界の輪郭を知っているという、「WRONG」の世界観に引き込まれる層に対しての承認にもなっていきます。
意識的にしろ無意識的にしろヨシュアがここまで直接的表現を選べるということはヨシュアが自身の不安定な部分についてもある程度整理できているのではないかという点含め、自分はこの楽曲がとても好きです。

ふたつめは、他者からの信頼の自覚です。
上述でも触れてきた通り、今作はメンバーとの関係性が特徴のひとつであり、「演奏に意見したり正式結成に誘ったら気分を害してまた離れていくのではないか」と不安定になったヨシュアが衝動との戦いに勝ったことで自信を持ち、本音をぶつけたらメンバーは皆ヨシュアのことを承認し、晴れて現ブレチャが正式結成に至るまでのプロセスを描いた物語です。

 

「きっとオレ、みんなに嫌われるのが怖いんだよ。考えてみれば昔からそうだ。相手を大事に思うほど、つい、余計なコトまで考えちゃう」

(『ディア♥ヴォーカリストEvolve エントリーNo.2 ヨシュア』Track.4)


身も蓋もない言い方をしてしまえば今作は“言ったら受け容れてくれた”ただそれだけの内容なのですが、しかしヨシュアの上記引用で述べられた性格や彼の過去から省みれば、その“ただそれだけ”は明確な前進になります。私たちがオーディエンス(人によってはカノジョ)としてヨシュアから無条件の愛と承認を受けてきたように、ヨシュアもまた周囲の人々から多くの無条件の愛と承認を受けていることを、ヨシュアはその日初めて自覚でき、そんな自身を認められたのです。これは転機にして幸福という他ありません。
なおこれは憶測ですが、これまでカノジョに自身の不安定さを告げられなかったことも、カノジョが幼馴染=昔からのヨシュアを知っている存在だからこそ、現在の自身を知られた際の失望が誰よりも大きいかもしれない点を恐れていたのではないかと考えています。それまでのヨシュアにとって自身が受ける大事な人からの承認は、怯えた末に絞り出した対価を払って得るものだったので。
ところでまたも蛇足なんですけど、何の因果か当ブログ、前回の記事で他者(=エーダッシュ)との関係性について触れてるんですよね。ヨシュア、私の人生のフラグ回収するのがお上手か????

そしてみっつめは、救済においての進化です。
ヨシュアは自傷したことがあるから、その傷を知り、その傷を持つ人を承認します。そして今回の物語で自傷を踏み止まり自身の腕へ自信を得た生き様を見せたことで、ヨシュアに救済を見出す人間へ一歩進める道を拓いていきました。
切ったら救うし、切らずにいれたら道しるべになる、だから自分はヨシュアの優しさに救われたと感じてしまうのです。

ありがとうヨシュア。やっぱりヨシュアが好きです。


3.おわりに

■あ り が と う 信 長
キャストフリートーク…………今回も優し過ぎでしょ…………救われちゃう…………。
毎回あんな優しさ浴びせられたら自分がモラルの欠片もない人間だった場合危うく島﨑さんの厄介オタクになってるところですよこれ。なってません。

ところで、今回ヨシュアが信頼を抱けた現ブレチャメンバーたちが全員「結構年上でヨシュアのことをひたすら承認する」とかなり島﨑さんに近い人物像となったのは偶然ではないと思っています。ツイッターでは初見後のテンションで「実は島﨑さんがモデルなんじゃね~!?!?」的なとち狂ったこと呟きましたが、そうでなくても、むしろブレチャメンバーに実在人物レベルの人間でいることを求められるのは極めて適当です。
ヨシュアはフィクションキャラクターでも、ヨシュアの抱える問題は現実です。ならばヨシュアが信頼に足る人物も同等のリアリティラインにある人物像であるべきです。だからこそ、現実世界でヨシュアへ最高の対応を見せる島﨑さんと現実レベルの優しさの水準を求められるブレチャメンバーの輪郭が適度に重なるのは、ある意味自然なことなのではないでしょうか。
こういったことが言えるのも、毎回最高に優しい島﨑さんがいてのことです。いつも本当にありがとうございます。習癖衝動のシーンが当事者の自分から見ても毎回ビビるくらいすごくて好きです。

あとどうしても言っておきたいのですが、今回のキャストインタビューの添付写真が最高すぎるので全人類見てください。

■最後に
毎度のことですが、この記事の文章はあくまで自分個人の見解です。時折主語を大きくして書いている部分もありますが、決して自傷したことのあるユーザー全員の総意ではないことをご容赦ください。機会があれば文章など適宜修正するかもしれません。
これからもヨシュアと共にどうにか前進していこうと思います。とりあえずコラボカフェ行きます。


それでは。