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Battle Day0-Day246までのあらすじ (登場人物についてはサイドバーを参照してください)
BattleDay233~ここまでのあらすじ
結局、妹・莉子からは連絡がなく、父の希望していた老人ホームは、せっかくの空き部屋に入ることができず次の機会を待つことになった。コオはいら立ちを募らせる。莉子ばかり心配する父、同僚のソフィの事故のケア、などはコオを疲弊させる。その中で重症のアレルギー事故をを起こしたコオは、体調とともに心のバランスも大きく崩していた。そして父の誕生日がやってきて、父はケーキを持ってきたコオに、莉子は母と同じ、料理学校に通ったことがあること、それも続かず、アロマテラピーの資格を取ろうとしていたことを話す。コオは、莉子が《自分で働いて、食べていく》ということを考えてないのではないかと恐怖し、父の永住型老人ホーム入居のための資金プランを考え直さねば、と考える。思ったよりも、実家の財政は深刻なのかもしれない、これは8050問題、7040問題とよばれるもなのでは?とコオは思い始めた。
膨大なストレスにコオは体調だけでなく、メンタルの調子も崩しつつあった。
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実家と縁を切ることで、ようやく得ていたコオの心の平安は、その後、2回ほど再びゆらぐ。
一度目は母の、喜寿のお祝いをするから、来い、と父からの手紙が届いたとき。
二度目は母が亡くなる前に一度脳梗塞で入院した時だった。
思えば縁を切ってからも、コオは最初の数年は母の日などはプレゼントをしていたように思う。ただ、家に行くことはなく、実家の近所まで遼太や健弥を車で連れていき、届けてくるように頼んでいた。けれど、一度も『ありがとう』という言葉が返ってくることも、あるいは『ごめんね』という言葉もないことに、ひどくがっかりした。いや、コオは、苦しかった。
そして、数年目。コオは手作りの、手芸品のカーネーションを作ってみた。とても自分でも良い出来だったと思う。その年の母の日、母は外の車で待つコオのところに、確か莉子と一緒に出てきたのだ。
「これあんたが作ったの?」
母の言葉はそれだけだった。コオはうなずき、黙って帰った。
それ以来、コオは何もしなくなった。コオにとっては誕生日より大事なクリスマスも、母の日や父の日もすべて、遼吾の義理の両親にのみプレゼントを贈った。そして実家からの電話には一切出なくなった。コオは電話番号の表示はされない古いタイプのファックス電話だったから、電話は最初はなるべく子供か夫の遼吾に取ってもらう。もし実家からならコオは出ないし、そうでなければ代わってもらう。
そんな時に父から、『電話がつながらないので手紙にした』という書き出しで母の喜寿のお祝いに出るように、という手紙が届いた。
コオは歯を食いしばって泣きながら返事を書いた。
『育ててくれたことには感謝しています。ありがとう。でも喜寿のお祝いには出られません。』
もう、母の一言一言に、何故、どうしてど思いがっかりしたり悲しんだりするのは嫌だったから。

