細久手宿の旅館
国登録有形文化財に指定されている
貴重な建物です。
江戸時代、
細久手宿には
旅籠が24軒あったといいますが
今は静かな集落で
宿泊施設はこちら1軒。
尾張藩の定本陣であった家です。
大名が泊まる宿である
本陣、脇本陣は
もともと別にあったのですが
手狭になって
他の大名との相宿を嫌った尾州領主が
問屋役の家を
「尾州家本陣」と定めたのだそうです。
(ワガママだなー)
大井宿を出ると
大湫宿、細久手宿は電車の駅から遠く
次の御嵩宿で
やっと駅が近くなるのですが
そこまでの距離は30キロ
平地の30キロは
なんとかなるかもしれませんが
山道ありの30キロは
私にはとても無理。
途中で泊まるか
タクシー呼んで駅まで行くしかないのですが
この間の唯一の旅館が
この大黒屋さんなのです。
琵琶峠のあとで
私を追い越した男性が
「今日は大黒屋さんですか」
と聞いたのは
もうあそこしかない、
と分かっていたからなのでした
中山道歩きしている人の
生命線
旅館の方もそれは分かっていて
予約の電話を入れたときに
「どちらから歩かれます?」
とまず聞かれて
思わずニヤッとしてしまったのでした
街道に面したお部屋に
通されました。
お茶の木がいけてある!
部屋はもちろん
リノベーションされて
新しい感じですが
ここだけなんだか古い!
すごいなー
廊下。
この外が街道です。
本日の歩数
山道37000歩は頑張った!
お風呂に入ってスッキリして
夕食。
栗やぎんなん、むかご、ゆり根など
山の幸たくさん
具だくさんのお味噌汁
鯉の甘煮
鮎の塩焼きも
里芋のお饅頭
中にまた野菜など入っている
手の込んだものでした。
デザートは
りんごのコンポート
(撮影する前に
ひとつ食べちゃった)
夕食の場で
お泊りの他の方とお会いしました。
男性Aさん
女性Bさん、Cさんと
私の4人。
Aさんは途中で私を追い抜いた方で
実は大湫宿で
トイレ撮影をする私を
不思議そうに見ていた方だった
なんと!9月から通しで
中山道を歩いていらして
京都に着いたらそのまま
今度は東海道を歩いて日本橋へ向かうとのこと。
すごすぎます・・・
今回の予行演習のために
日光街道踏破済み。
若い頃は登山をしていたと伺い納得
BさんとCさんは母娘で
お母さまのほうは70歳
その歳で・・・というのは失礼ですが
数々の難所の峠を越えていらして
すごい健脚!
(うちの両親も歩いてたけど
難所は適宜省略してたぞ)
お二人は東海道踏破済みで、
甲州街道と中山道を
平行して歩いているそうです。
この方たちもツワモノすぎる
街道あるきあるある
*周囲に理解されない
*なんでそんなことしてるのと聞かれる
*「歩き旅」のはずなのにやたらお金かかる
*1日、もしくは数日かけて歩いた道のりが
帰りの電車では数時間で通過するのが
なんともいえない複雑な気持ち
*誰も監視してないのに
道中を端折ることなく
真面目に歩いちゃう
(言わなきゃ分からないのに)
*ひとりが気楽
「あーそうそう!同じ!分かる!」
って
同じ趣味を持つ者どうし
大笑いに。
和田峠手前の民宿「みや」さんも
今回のように
宿間の道中唯一の宿泊施設なのですが
やはり全員お世話になってた
その他にも
和田峠にトイレがないとか(笑)
他の街道の思い出とか
ワイワイと盛り上がってたら
旅館の方が
「こんなふうににぎやかなの
久しぶりで嬉しいです」
とおっしゃいました。
やはりコロナの影響で
お客様少なかったそうで、
ここへきて少しずつ
戻りつつあるそうです。
部屋数が少ないので
本当に観光客が戻っていたら
すんなり予約はとれなかったのかも。
今回来られてラッキーでした。
部屋に戻って
たくさん置いてある中山道の本を
楽しく拝見。
翌朝
中を探検。
玄関を入ってすぐの寄付と
階段のところは
吹き抜けになっています。
昔の建築の特徴!
階段を上がったところ。
奥のほうにもう一か所
階段があります。
こんな急階段が。
上段の間。
ここが食事会場。
尾張のお殿様は
ここにお泊りだったのか・・・
と思うとワクワク
なにやら古いものがたくさん
朝食
お味噌汁が赤だしで
夕食とは違ってました。
適量で栄養バランスも良く
おいしかった
細やかな気遣いをしてくださる宿で
快適に過ごすことができ
本当に感謝です
ありがとうございました。
元気になって出発!