「最澄と天台宗のすべて」という展覧会へ | がいちのぶろぐ

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ゴールデンウィーク最終盤も、京都市内の人出は〝なかなかのもの〟になっている。今日の午前中も京都国立博物館に行ったけれど、帰りのバスの混みようは大変だった。

 

国立博物館では現在、「最澄と天台宗のすべて」という企画展が開催されている。比叡山延暦寺に天台宗を開いた「伝教大師 最澄」は、822年に亡くなっている。

 

 

 

だから昨年が「伝教大師1200年大遠忌」の年に当たっていたので、昨年秋に東京国立博物館においてこの展覧会が開催され、今回、京都に回ってきたということだ。

 

 

 

最澄が唐から帰国して、台密と呼ばれた天台宗を仏教教団として認めてもらうように奔走し、正式に認められたのが806年のことだという。

 

こうして空海の真言宗とともに、奈良にある旧来の仏教教団と袂を分かち、その後平安時代中期には「元三大師 良源」が天台宗を中興した。

 

 

 

やがて比叡山からは栄西、法然、親鸞、日蓮、道元、一遍といった鎌倉時代に興隆した仏教教団の祖師たちを輩出するに至った。これが、堅い話の「最澄と天台宗のすべて」となる。

 

だが何と言っても、1200年間も続いてきた教団である。しかも比叡山延暦寺は、「古都京都の文化財」17カ所の一つとして、世界文化遺産にも選定されている。

 

 

 

と、こんな話はすでに知られたことだが、天台宗の凄いのは、この教団がいくつかに分かれることもなく、今日までその法統を保っていることかも知れない。

 

もちろん上に掲げた多くの祖師が、比叡山を降りてそれぞれに巨大な教団を立てている。それを思えば、幾つもに別れたとも受け取れるが、天台宗としては分派がない。

 

これは宗教史を考える上では、案外面白いことかもしれない。「弘法大師 空海」の真言宗では古義真言宗と新義真言宗に分かれ、さらにいくつもの本山が何々派を名乗っている。

 

一方で、比叡山延暦寺は多くの皇族が山に上って修行をして、さらに京都市内だけでもいくつもの〝門跡寺院〟を形成し、そこへ皇族を住職に迎えてきた歴史を持っている。

 

 

 

だから今回の展覧会にも、何人かの天皇の「宸筆」なども展示されている。また、最澄以後に入唐した弟子も含めて、中国から請来した多くの経典なども展示されていた。

 

つまり良くも悪くも、現在の私たちを取り巻いている宗教観や文化的風土のなにがしかは、この最澄から始まる〝天台宗の思想〟に繋がっているということだろう。

 

 

 

出展されていた250点ほどの経典や絵画、仏像、仏具などをじっくりと見て回ったけれど、そこに、全国に展開されている天台宗という教団の巨大な底力を見る思いがした。

 

その巨大さが、かえって織田信長の〝叡山焼討ち〟にみられるように、時には武家権力との大きな軋轢を生むこともあった。また、民衆に向かうとして比叡山を下りる僧侶も現れた。

 

下山した僧侶の方向性として、法然に始まる浄土宗・浄土真宗という系譜が生まれ、宋の時代の中国に渡った栄西・道元などが禅宗をもたらし、日蓮宗という大きな流れも生まれた。

 

この日本の歴史の大きな流れの中心軸に、最澄が切り開いた天台宗が千年以上もの長きにわたって居座っていることは、それ自体が何とも凄いことだという気もする。

 

それにしても一昨日に訪れた日野・法界寺で、ご住職から「秘仏の薬師如来像は博物館に出展中」という情報をいただいたことから、今日、京都博物館に出掛ける気になった。

 

 

 

日野・法界寺は天台宗ではなく「真言宗醍醐派」に属しているが、この薬師如来は平安時代中期の優品として、「最澄と天台宗の始まり~祖師ゆかりの名宝」として展観されていた。

 

さらにCT調査によって、法界寺の薬師如来には胎内仏があることがわかり、CTが捉えた胎内画像と、そのデータからの3Dプリンタによる再現像なども展示されていた。

 

 

(右上の写真の仏像が日野薬師の「薬師如来」像)

 

技術の進歩が、このように千年前の信仰の形態を垣間見せてくれる、という〝おまけ〟まで付いていた。そして展示の最後には、延暦寺根本中堂の「不滅の法灯」の再現が展示されていた。

 

 

 

 

ここは撮影可能ということだったので、大勢の方がスマホをかざして撮影しておられた。それにしても会場の京都国立博物館は、「明治古都館」が休館中である。

 

 

 

片山東熊氏が設計された、堂々たるレンガ造りの建物だが、何しろ耐震力が弱いとのことで、この先どうするか調査・検討中ということだった。

 

 

 

たしかにこの京都博物館がある場所は、かつて豊臣秀吉が「京の大仏 方広寺」を建てた場所。だがこの大仏様は、建築途上に一度は地震であえなく崩壊した歴史がある。

 

 

 

文化財を守るのはコストがかかる。だけど、そこをないがしろにしたのでは、この国の在り方に汚点を残すから、この「明治古都館」もしっかりと補強をしてほしい。