楽園は、今ここですよ -2ページ目

楽園は、今ここですよ

ただ、やりたいことを、やりたいように
じゆうのびのびへこたれず
なんでもないわたしの
なんでもないけど、チャレンジングな日々のオボエガキ♡

昨日はオトメちゃんの元上司からご連絡があり
現職を離れることを伺い
夜にオトメちゃんが電話していろいろを伺うと
なんとオトメちゃんの実家からちょっとの距離に単身で勤務することになったとのこと
 
突然の知らせだったけど
ご縁ってこうやって繋がっていくんだなぁとしみじみ思った
元々その方とお仕事をご一緒した期間はあまり長くなかったんだけど
離れてからのご縁が不思議と深まった様子で
特にちょっとオトメちゃんが悩んだ時期にお世話になった
前向きなリスタート
お元気そうな声が聞けてよかった
 
横浜はまだだけど
明日で緊急事態宣言が解除になる場所もとのこと
 
いろいろが動き出して
いろいろが始まったんだなぁと思って昨日は眠りについた
 

 
今朝いつもの参拝に伊勢山へ行ったら
宮司がお客様と一緒に拝殿の前でお話されていた
最近はあまり早い時間に伺うことがなかったので
こんな時間にお会いできるのはひさしぶりだなぁと思って嬉しかった
 
そのお客様ってのは昨日拝殿の中を計測されてた測量士さんで
(なぜ知ってるかというと、昨日拝殿の中でハイテクな器械を操作されてるのを見て
オトメちゃんが声をかけておしゃべりしてたから、笑)
拝殿と本殿といろいろを計測して何かを残してたんだろうなぁと(推測)
 
その時にふと
宮司も今まではきっと伊勢山を盛り上げる、盛り立てることが一番だったかもしれないけど
これからは残すために
これからの世代、これからの方のためにいろいろされてるんだろうなぁと(推測)
 
会社も神社も
もしかしたら家族も
自分のことより先のことを考える時がくる
母が亡くなって、父がいろいろと話してくれた中にも
わたしたちのことを思う
これから先のことを思う言葉がたくさん溢れていたなぁと
 
わたしはこの世に生まれて
何かを残すことはできるのかなぁとか
わたしのためにとかでなく(例えば私の生きた証とかじゃなくて)
この世のためになにかできることはあるかなぁとふと
大神神社の前で思った
 
 
そしたら、作務衣姿の神職のKさんがこっちにご挨拶に来て下さり
実は来月でここを離れることになりました、とのこと
正直、ショック…というか驚きだった
 
Kさんはとても気さくな方で
一番おもしろかったのは、伊勢山の近所でヘルメットをかぶって自転車に乗った方が
わたしに挨拶してくださって
全然わからなかったら…Kさんだったという
桜木町駅で私服で会ってもご挨拶してくれる気さくさで
ただ、神事中のKさんは凛として、あぁなんか神職さんとしても
きっと素敵な方になられるんだろうなぁという方
まだまだお若いしね
 
でも何よりお人柄がすっとした、宮司に似た面影のある方だなぁと思ってたから
わたしはもしかしたら息子さんとかかなぁと思ったりもした
(なんとなく背丈格好も似てる気がしてて)
神事と俗世が分かれてる、とても素敵な神職さんだった(この件に関してはまた書きたい、笑)
 
最近社家(しゃけ)という言葉を知ったオトメちゃん
Kさんに
「もしかして、社家ですか?」と聞いたのが個人的にはツボだったゲラゲラ
社家というのは神社の世襲をされているおうちのこと
 
Kさんも、社家の息子さんだったことをこの時に知った
なんか(勝手に)納得
 
 
ご実家の神社さんの事も伺って
お帰りになってから、是非伺いますとお話しした
でも、伊勢山の今年の大祭には戻って来てお手伝いされるとのこと
なんかそういうお付き合いが続くのも素敵だよね
 
最後に、これからも伊勢山のことを宜しくお願い致します、と仰られた
あーこういうところが、Kさんの素敵なところだと思う
伊勢山にはたくさんの素敵な方がいらっしゃるけど
Kさんは本当になんか伊勢山にずっといてほしかった方だったなぁ
 
けど、ご実家の神様もお待ちだろう
社家であることってそういうことなんだろうね
修行を終えて戻られて、またいいご奉仕されると思うから
このご縁を大切にできたらいいなぁと思う、とオトメちゃんと話した
 
 
母との別れがあまりにあっさりしてたため
今はもう何時誰と別れてもいいように、と思うことばかり
毎日会えた人といつどういう形で会えなくなるかなんてわからない
朝オトメちゃんの見送りでさえ、そんな気持ち
 
でも矛盾してるように
SNSとかでええーって遭遇して、ご縁がまた繋がることもある
いろいろなご縁の形がある
 
 
この季節は広島から横浜に来ると決めて
いろいろ動き出した季節
あと結婚式が近くてそわそわした季節
 
伊勢山皇大神宮がわたしを変えてくれたと思う
伊勢山とわたしは、わたしたちはどんなご縁があったんだろう
 
それは今世のわたしにはわからないことなのかもしれないけど
それもいいのかもしれない
 
ただ毎日しあわせにお参りさせてもらえることがありがたい
そしてこうやって、素敵なご縁を頂けることに感謝だ
もし、このブログを何気なく読んだ方が
横浜に来ることになった時に、参拝してくださったらこれほど嬉しいことはない
 
Kさんのご実家は
 
熱日高彦神社(あつひたかひこじんじゃ)
 
 
わたしたちも伺うの楽しみですアップアップアップ
 
Kさん、本当にありがとうございます
これからも宜しくお願い致しますニコ
 

 

 

母の香典返しの諸々がひと段落

オトメちゃんの関連会社で送らせてもらったら

わたしもちょっとお世話になってたこともあり

いろいろとご都合いただき助かった

 

母が最期の入院をした時に

様子を見たらもしかしたら退屈かもなと思う気持ちもあったのと

気晴らしになるかなぁとも思って本を2冊差し入れた

 

そしたらメールできっぱりと

お金は使わないように、とたしなめられた

母らしい

そんな母だったから、きっといろいろご都合頂いたことも

きっと喜んでくれたかなぁと思ったりもする

 

 

いろいろ人付き合いをたくさんしてきたし

今だってまったくないわけではない

けど、今はできるだけ自分づきあいを優先

オトメちゃんのこともほどほどに

 

けどもともとオトメちゃんは自分のことは自分でやってくれる方なので

逆にわたしが手を出さなくてもいいもので

ありがたいなぁと思うし

そういうことを手を出しすぎてたのもあったなぁ

余計だったかも、とも思う

 

お互いがほどほどの心地よさ

必要なことはやるけど

そうでもないことは自分で

そういう感じが楽かもなと思う

 

家庭ってチームだろうしね

 

 

わたしはわたしで自分のことを楽しむ

みんなそれぞれの世界で楽しんでいるのだろうから

 

ゆっくり自分と向き合って交じり合ってみようと思う

 

まだ先は長いのかもしれないし

もしかしたら短いのかもしれないから

 

あたりまえに朝起きて、目覚めて
いつもどおりに毎日が過ぎて行って
夕方になったらオトメちゃんが帰って来て
一緒にごはん食べて
一日のいろいろな話をお互いして
時間になるとベットに入って、明日またね、と言い合う
 
当たり前に朝は来ると思ってるし
明日も続いていくものだと思ってるけど
それって本当は未確定なものなんだなぁとしみじみ感じた
 
またね、と別れた母との別れは
衝撃的だった
また会えると思ってたから
仕方ない
けどあんな軽い別れでよかったんかいな、という別れ方だった
 

 
以前ブログにも書いたオトメちゃんの会社の上司と
わたしのお友達との関係は結局白紙になった
けど、いろいろがよかったんだろうなぁと思う
なるべくして、なったんだろうなと思う
 
でひさびさに会社の上司からLINEを頂いて
生きてたらなんでもできますよ、と送ってはみたけど
生きてる人にとっての悲しさ辛さ切なさはそれはそれでしんどいものだよな
ちょっと反省したけど
でも生きてるってだけで、本当にいいものなんじゃないかなって
今はそう思ってしまうことを許してもらいたい気持ち
 
わたしも明日生きているかどうかはわからないもんなぁ
オトメちゃんに対しても
家族に対しても友達に対してもそう思う
 
だからこそ、今を大事にしたいかもしれない
あるのは、今だけだから
 
 
いろいろ思うこともある
涙を流すこともある
けど全部が今はそれでいいと思う
 
今あるものを見つめて
 
わたしがわたしであればそれでいいと思う
 
 
成田山の前のミモザが咲き始めた
空の青とミモザの黄色のコントラストがたまらない
 
母の遺影の前に花を飾るようになった
実家にいた時に
毎日仏壇の花の水を替えてたのだけど
わたしは自宅に花を飾るようなことはなかなかしなかった
でも今回のことで花を飾るようにしてみている
 
花のサブスクとかもあってへーと思ったけど
いいなと思った時に買うのが好きだから
いろんな花やさんをちょこちょこと覗いている
 
 
永遠はない
けど永遠はある
 
なーんて問答みたいな毎日
 
修行僧みたいな、お坊さんみたいなオトメちゃんと一緒になってよかったかもしれないね

前の家にいた時から

頻繁に目の前の道路が工事されるようになった

まぁ、時期的なこともあるだろうけどさ

驚くほど工事が続く

 

うるさいなぁって思うよりも

こんだけ工事が続くのに笑える

本当に自宅の前が集中してがしがし掘り起こされている

この間歩道の整備が行われて

あぁやっと終わったなぁと思ったら

今度は道路を全面

…なんなんよ

まぁもういろいろをリニューアルするということか

そんなことなのかなぁと思いながら

 

 

このところ整うということにいろいろ考えを馳せてるんだけど

そうすると整ってないという事がよくないことのように思ったりすることがあった

 

ふと雑然としたお店だったり

空間だったり

 

でもそれってひとそれぞれでいいよなぁと思う

 

どう選ぶかは自分次第だし

その人それぞれの居心地がある

 

 

ただまぁ今のわたしは

とにもかくにもなんかいらないものを手放したいみたい

いろいろごそごそやっている

 

みえてくるものはあるのかな

 

 

 

 

先日お話を伺った方に
21歳から40歳まで難しい時期だったことを聞いて
あぁ、なんか納得と思ったし
実家に帰り、母の荷物を覗いて
写真を見た時に
わたしって子供の頃、子供らしい写真がなかなかなかった
 
なんというか、写真が嫌いだったのか
よくある子供らしい楽しそうな写真が見あたらなかった
いつもなんか不思議な顔をしてたことに気付かされた
 
普通の人たちが良かった楽しかったという時期が
わたしにとってはそんなにいい時期でもなく
特に学生時代は
結構憂鬱な時期だったなぁと
 
仕事を初めてからもいろんなことがあった
今回いろいろを伺ってなんかそうなんだよなぁと
過去の自分のいろいろが癒えた気がした

 

 
なんとなく感じたのは
わたしには自由がとっても必要で
誰にも制限されない時間とか物事がとても大事なんだなぁと
結婚ってとても大変なこと、という母のセリフを信じてたから
結婚って大変なんだなぁと思い続けて来たけど
 
適齢期を越えて結婚したわたしには
今のところ、ありがたいことばかりだ
オトメちゃんは本当にわたしにとって授かりものだなぁとしみじみ思う
 
 
広島時代にお世話になった友達に紹介してもらった
マヤ歴の方に観てもらった時
あなたの本当の人生は43歳からですよ、と言われて
当時は遠い先の話と思ってた
引っ越しする時に、観てもらったシートを見つけた時
おもしろいなぁとしみじみ思った
 
52年に一度の転機、一生に一度きり、と書いてあった
 
 
自由ってのもひとそれぞれで
自分ひとりで誰の事も気にせず生きていくとかがいい人もいれば
誰かがいても自由なひともいるだろうし
ひとそれぞれ
 
毎日をどんな風に生きていくかも自由だ
 
 
わたしたちの新しい旅も始まったのかもしれない
ゆっくりとゆっくりと動き出せばいい
 
誰と比べることもない
自分だけの時間を刻めばいいかなと思う