私は母と長らく問題がありました。
大人になれば、無難に付き合う事ができましたが、貴方は私の必要な愛をくれない!
私が必要な時、ちっとも役に立たない!
そう内心で怒っていました。
なかなか自らに両親への愛や感謝がありませんでした。口では言っていたけれど。
愛を出さない分魂は乾いていました。
愛を求めているウルフでしたが、愛はわかりませんでした。
激しい欲求や執着が愛なのかなとボンヤリ思っていました。
ですが、大人になれば、皆と一緒に幸せになりたいと思うようになりました。
安心、安全な愛が欲しかった。私のあるがままを愛して欲しかった。
でも、周囲には私のように愛を恨んでいる人や幼な子のような心が目につきました。
もしくは、私が、夫や周りに求める心が見えました。
更に言うと幼少期は、私の父は、私にいつも母への不平不満を言っていました。
私はそれを受けて、母は、だらしないダメな人。お父さんは可哀想と思いました。
離婚したらいいのにと思いました。
でも、今ならわかります。
父の不平不満を間に受けた私は、間違えていました。
母は、光であった。私が愛されている自信を失って、父の不平不満を真実だ!お母さんは悪い、ダメな人!と思いました。
お父さんの思う通り、もっとちゃんと働いて、思いやり作って、もっとちゃんとできないあなたはダメ!
母は酷い人!と烙印を押して彼女の上に立ってしまった。
(私は、人の話をジャッジの材料に二度と使う事が無いように、切に祈ります。)
私は母の上に立って、ボス猿、愛してないなら愛されてると思えない。
そりゃもう愛は乾くので、私は弱くなり、私らしくなくなりました。
私を愛すべき人なのに、怠惰!
でも、この世のどこに、私やあなたの完全なニーズを満たす人がいるのでしょう。
これは、たわいもない事では無く、立派な恨みです。
この世界に貴方の意図通りに完璧に動く人がいるのでしょう。
この世にいません。
私も、あなたも、周りのニーズを満たせない、迷惑をかけ続けているのです。
それでも、流れは、見捨てない愛はそこにある
今は、わかりました。
私は、本当に愛を知らなかった。
愛は、あるがままを受け入れる事。
大人の私になって、あの時代に戻ったら、母を抱きしめて、あなたは光
あなたは私の生きがい
あなたは私の喜びだから安心してと言うでしょう。
実家に帰ったらやります。
この世に出会う辛い相手はかつての私。
それを投影し続けて怯えて苦しんでいる。
胸は張り裂けさせる物じゃない。喜びに膨らませる物。
父も、母も愛にふさわしい。あるがままで愛される価値ある。
喜び、楽しさ 信心 安心立命
それが真の愛です。
真の愛を見つめ続けて、喜びを交換する事ができますように。
私も、あなたも、愛されるにふさわしい。
あなたの愛は、この世に必要とされています。
あなたの存在は、この世に必要とされています。
それが、私達です。
あるがままで、愛されているのです
神様は私達を許している。
そして私達は、罪悪感を超えて自分が幸せになる事を自分に許す必要があります。
罪悪感は、知らない内に震えながら自分の人生に罰や制限を求めます。
世界が私やあなたを、君はこの世では認証されない、罪がある、未来は酷い事になると誘惑が来たら
いつも私は、魂に戻り、安心、安全、守られていると伝えます。
皆様も、是非そうしてみませんか?