ブレイクスルーできた気がしました。
私は人に仕えると言う事が今までさっぱりわかっていなかったのです。
本当に仕える事は、相手に敬意を示して、無心で成功への応援、協力。よりそい。
人が私を認めてる、認めていないなんて関係無い。私は、本気で仕事をする事だけで幸せなのです。
自分の信念、成功、喜びだけを考え過ぎても、いずれその愛の循環の無さに周囲も自分も傷つく。
仕える事は、相手に喜んでいただく道、共に開く道を信じる事でした。
そして、真に幸せな空間を作れるよう、何があっても静かな良い心を差し出す事でした。
それが創造への糸口でもあります。
また、信じた相手の価値観に寄り添う事も、幸せ空間でした。
私の考えは横に置いても良いのです。自分を高く見せる必要はありません。
あるのは仕事だけです。
仕える事と用いる事は同じだから、仕える事が、用いる事がわからなかった。
だから、私は人とする仕事がうまくいかなかったのです。
小さい感傷的なりえちゃんをやめて、美しくなる事。
私が誰の隣に仕えても、相手が一番素晴らしい輝きになるよう、今を快適に過ごしていただけるよう、仕える。
苦しくなっても、本気で粘ればなんとかなる。
男女に悩んでいる人がいるなら、私は何も奪わず、あなたを安心させにきたと言いたい。
いつか、私が側にいっただけで人々が自分は素晴らしい光がある人間だと気づく
そんな光に私はなりたい。
相手や世界が良くなるなら、役割がなんであれ、真っ当する。
世に尽くして、良い世界を作れますように。
人に真に仕えるは、神様に仕えると言う事なのかもしれません。
今はまだ私の木は、神様から見たら粗野で無骨です。
穴が空いて節があって、どこかに
ひびが入ってる。
ささくれ立ち、虫も食っている木である。
命がけで生きてきた木である。
恥ずかしがる必要も無い。悔やむ必要もない。
たとえ変な枝を出し、変な花を咲かせているように見える私も、否定しない。
私は全てを受け入れる。
私は完全だからです。成功の神なのです。
そしてあなたも完全なのです。