おかあさん 独り言長文。 | 中国伝統風水師相沢璃慧

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今日、なんで私は私なのかわからなくて、まとめようと思いました。

 

私は、東京で生まれ育ちました。父は自営業をやっていて、仕事も上々、羽振りもよく、沢山お小遣いをくれたり、小さい頃はとても誇らしく感じました。

 

 

話も上手で起承転結はしっかりしているし、話をしていてとても楽しかったのです。父は地球がひっくり返っても、自分の正しさを曲げない方でした。

 

ですが、お母さんは、仙台からここ東京に嫁いで、方言にも人間関係にも悩んで、お父さんにいろいろ言われて、叩かれて、蹴られていつも泣いてばっかり、悲しがってばかりでした。

 

覚えているのは、いつも母の泣き顔でした。母は私への干渉がとても強く、駅で一人待っている事も多くて、恥ずかしかったし、本当に嫌だなぁと思っていました。

 

父は、いつも僕はこれだけ仕事を頑張っているのに!どうしてお前は俺の考えをわからないんだ、恥知らず!!恩知らず!と怒っていました。自分の見ている世界がすべてでしたから、ほかの考え方は無いという信念を持っているようでした。

 

 

父は激高したら、家中破壊するくらい怒り狂っているように見えました。大声で怒鳴り、大きい声で叱咤していました。母は痣だらけでした。もしくは、常に努力が不十分であると咎められていました。

 

 

でも、父への尊敬の念も強く、また本当に素敵なところがいっぱいあったので、私は彼が大好きなのは大好きでした。父が安心していると、いつも楽しい話をしてくれました。

 

対して母には、

情けない人だな、強さも知性も無いと感じてしまう私がいました。でもお父さんが怒るのは仕方がないよ、お母さんが悪いんだから。と思っていました。

 

そして、兄は、父に付き従うように暴力的になってゆきました。

 

暴力と強さを同等に考えていたのかもしれません。私の考え方も近寄っていきました。私は兄に殴られながらも、何かが私が駄目だから怒られてる。ごめんなさいと思っていました。

 

 

でも、それでも、お父さんには幸せになってもらいたくて、あの手この手でアプローチしていました。癒したくて、心静かにしてほしくてたまらなかった。

 

だけど、当時は私の力で抑えることは出来なかった。皆の暴力やその正しさの剣をおろすこともできなかった。そこまでの圧倒的な愛に到達していなかった。知恵もなかった。

 

悔しさと怒り、絶望がありました。また、私も、絶対の剣を沢山持ちすぎていたので、周りと傷つけあってきました。

 

 

兄の暴力も、苦しみも最高潮に達していたあたり、私は世界に絶望しすぎていました。

 

 

そんな時、ふと神奈川にある弘明寺観音に行きました。顔はボロボロ、心もヤケクソの時に、なぜ行ったのかわからないですが。誰もかれも助けてくれない!!と叫びだしたかった。

 

そしたら、”りえちゃん、どうして人はわたしに花を咲かせてくれないのか!と言うだけではないのですよ、人にあなたの花を咲かせなさい”

とはっきり聞こえました。

 

”そこからあなたのしあわせがはじまる。””と。

 

その時、雲の隙間から光が私にだけ差し込んでキラキラしていました。そこからがターニングポイントでした。

私は、どうせ死ぬ事もできないから、全て変わろう、周りにいる人を幸せにしよう、照らそうと決心したのです。

 

 

それから月日が経って、兄は変わりました。素晴らしい女性と会って。。その彼女とは残念ながら離婚してしまいましたが、彼女が兄にしてくれた事ははかりしれません。今でも、私は、美しい彼女の幸せと喜びを毎日祈っています。

 

そして、父も本当に穏やかになり、母を守り、優しい、慈しむような姿勢を取り、柔らかくなり始めました。

 

 

DV被害者、パワハラ含め、その被害者は依存や、犠牲者、と言われる時があります。確かにその言葉も必要な存在意義があるのでしょう。

一旦離れる、引かなくては行けない時もあるからです。

 

でも、真の愛は、本当に犠牲なのでしょうか?依存なのでしょうか?その言葉はすべての意味をフォローしすぎて、勇気をくじけさせる事があると思います。

 

パワハラ、DV加害者も、生い立ち、キチガイで終了させる事は最も簡単ですが、私は、どうしてもその鬼の本質は神だと感じてしまうのです。愛を求めている、今ここ、道に限界を感じている神だと。愛されている安心を求めているんだと。

 

私は、最近父の気持ちも唐突に理解できました。

 

彼は、ただ警戒せずに安心すると言う事が難しかった。本当に安らぎを求めていた。だけど、自分は自分でOK、あなたはあなたでOKという世界を取り入れる事ができなかった。

 

それを取り入れたら、自分の王国と威厳が無くなってしまうと、違う恐怖が何かあったのかもしれません。

 

自分の仕事、人を背負っているという重圧もあったのかもしれません。一番彼が苦しかったのは、人の育み。

 

自分の考えが絶対の中で、相手に愛されていない、攻撃されているという考えを取り下げられなかったのかも知れません。

 

でも、彼は誰よりも安心と安らぎを求めて、また愛を求めていたんだとわかりました。でも、彼も本当に自分のビジョンを達成したいとする、また愛の光でした。

 

母は、誠意が無く、強さと自分の考えもなく、甘えだらけと私は、最近まで自分のものさしで考えていました。

自分の母が嫌で、苛々してしまい、尊敬しずらい私がいて、父の路線に寄っている考えが強いのを感じていました。

 

だけど、最近猛烈に気付きました。お母さんは本当に素晴らしかった。

 

お母さんは、犠牲になっていたわけじゃない。挑戦者でもあったのです。お母さんは、生活の為に頑張っていただけじゃない、お父さんを目覚めさせたかったのかもしれない。

 

そして、誰よりも、父を愛していたのです。そして、誰よりも、父の愛を信じていたのです。見る為に頑張っていたのでしょう。そして誰よりも、強い人だったのかもしれません。

 

そして、お母さんが黙っていた時は、お父さんの考えを抱擁しているように感じました。きっと悔しかったし、怖かったし、言いたい事もあったけれど、それでも止まって、お父さんを座においてあげていたのです。

 

彼女に意思ははっきりあった。不屈の挑戦者だったのです。そして、本当に、私達を守ってくれてもいたのです。自分の体を呈して守ってくれました。今思うと、元気な時は私達の為に戦ってもくれていました。

 

許しの力、忍耐の力は誰よりもあったのです。そして、慈しむ愛もありました。言葉では、後悔、後悔なんて言っていましたけど、行動は確固としていました。そして、生きていてくれた。

 

言葉はただの言葉。でも、本質は本質。そう感じました。

 

お父さんを見ても、有罪!なんて言えません。彼は死ぬほど頑張って生きていました。ジャンジャンバリバリ、ジャンジャンバリバリ!!

何かを目指して、創造しようとしていました。でも、そのプレッシャーも想像できます。その姿も、愛だったのです。

 

お母さんは、苦しみすぎた。でも、誰がそれを非難する事ができるのでしょうか。愛おしむ変わりに、私は責めてしまっていたのです。

 

 

自分以上の恩知らずや無知者はこの地球上にいません。自分の中にある愛に気づくと、大変切ない気持ちになります。

 

だからもう私は、誰も責められない。

 

今の私は責める代わりに、もっと良い絵を見せる事、また、成功に向けて、設計図を描く事をしたいです。

 

そして、私のお母さんは、神様です!!私を産んでくれた、最高の女性でした。彼女の若い頃の写真は、壮絶に美しく、涙が出ました。

 

お父さんは、創造者!自分の力でやり遂げる事ができると教えてくれた、素晴らしい男性でした。

 

お父さんに、お母さんに、愛されているんだ、安心していいんだと言いたいです。

 

お母さんの安心、喜び、お父さんの安心、喜び、そして、そのような女性達、男性達を真ん中で応援できたらいいなと思っています。

 

私のミッションは、全ての恐れを克服すること。

 

愛に気づかせてくれた、神様に心から感謝。そして狂気から救ってくれた、神様に感謝。全ての流れを作ってくれた、出会った全ての人に感謝。一緒に楽しく神開きしながら進みたい。

 

そのために、全ての神と共に生きます。

 

自分の記録用~~~だけど、パブリック!!笑