物事思うように完璧じゃなくても良いと思う。ちゃんと自分にぴったり合った丁度良い道がある。そこを信じたらいい。
完璧を求めたら感謝なんか絶対できないし、悲観的な心しかでない。2歩進んで3歩下がるのだ。
例えばいつも、自分を肯定してくれる人もいるのだが、そこに疑心暗鬼な人も必ずある。自分の心と同じだ。全てOKが出ない。
最初は落ち込んだりしたが、逆に今はそこにも感謝できるようになった。
そのおかげでおごらずに謙虚な姿勢が保てたり、またそこからもたらされる学びもある。
別に自分を肯定してくれる人達だけでなくてもいいのだ、と思うと肯定してくれる人の言葉からも、否定してくれる人の言葉からも丁寧に自分の学びを見つめようという気持ちになれるものである。
傷つきすぎる事も無くなった。
”そういう事もある。感情的になる必要は一切ない。”
戦わなくて良いというのはそういう事だと思う。
逃げるのではなくて、受け止めていけば何も犠牲にする事がなく自分らしく調和も、ネクストステップも楽に進める。
希望への扉は泣きながらのほふく前進ではなく、歩いてドアを叩けるのだ。
周囲の道を信じるのは自分の安らぎの充電になる。
アロマテラピーいらずである。(あ!アロマは好きですよ?)
色々な話をしたり考えた時は、必ず最後”周囲や自分の幸せ、最善の道”を信じる。絶対やる。自分なりのクロージングである。禅を組んで祈りの時間を持つのである。
それは自分にも他者にも大きな力を渡すと思う。
また、間接痛にもいい。
熱血タイプやこうと決めたら命がけタイプは総じて間接や腰が悪い人が多い。リンパの流れも滞りやすい。
心に”コシ”がありすぎるのだ。
もっと”コシ”を無くしたらいい。ここは私も今意識してもっと定着。。習慣を作っている最中。
色々な状況、色々な考え方もある。そんなに怖がらなくても、戦わなくてもいいのよね。
人も世の中もそれぞれ個性的で丁度良い道がある。
肩を下げて笑顔を作る。”そういうこともあるよね”
そしたらもっとニュートラルで、エネルギーに満ちた自分を作る事ができる。
またその時、自分の笑顔を伴侶や友人の顔の中に見つけることができるのだから。
私も今日にも感謝である。色々な学びもあった。
皆の笑顔に救われてるし、楽しませてもらってるし、楽しい。笑顔は癒される。
そこに笑顔があるのも伊達ではない。”有難い事”である。
会ってくれて有難う。時間を作ってくれて有難う。私に付き合ってくれて有難う。私に関係してくれている人、皆にも感謝の気持ちである。このブログを読んでくれている皆にも感謝である。
その必然をもたらしてくれた天に感謝。
今日もまた素敵な1日だった。明日も仕事がんばろうっと!