オスカー・デラ・ホーヤVSマニー・パッキャオ | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

Dream Match デラ・ホーヤ×パッキャオの一戦を観た。


私が初めてデラ・ホーヤの試合を見たのは、96年のチャベス戦だった。老雄・チャベスを4回TKOで下したデラ・ホーヤは、ゴールデンボーイの異名の通りスター街道を驀進し、前人未到の六階級制覇を成し遂げた。対するパッキャオはフィリピンの貧しい農家に生まれ、家計を助けるために12歳でボクシングを初め16歳でプロデビュー。アジア人初の四階級制覇を達成したアジアの大砲だ。

デラ・ホーヤ35歳、パッキャオ29歳。年齢だけでなく、何と言っても今回は階級(体重)の異なる二人がウェルター級に揃えて対戦するという本来ならありえないような世紀の一戦。デラ・ホーヤが体重を下げ、パッキャオが上げてくる。試合前に紹介されたラスベガスのボクシング記者たちの予想では、体格に勝るデラ・ホーヤが勝つだろうという予想が大方で、パッキャオが勝つと言った人はひとりもいなかった。リーチ(腕の長さ)だけ較べても、デラ・ホーヤの方が13センチも長いのだ。二人とも好きな選手なのだが、今回に限っては、私は圧倒的に分が悪いパッキャオを応援していた。

試合直前、ボクシングの殿堂アメリカ・ラスベガスのリングでフィリピン国歌が独唱される中、バックステージでスパーリングするパッキャオの姿がカットバックで映し出された時は、ここまで懸命に登りつめて来たパッキャオの半生が思われるようで胸が熱くなった。一方、大観衆の中、リングに向かうデラ・ホーヤを見た時は、ボクシング界のスーパースターにとって、本来なら階級が下のパッキャオと戦うこの試合は、間違っても負けることが出来ない一戦なのだと息がつまる思いだった。

1ラウンド、二人がリングに飛び出した瞬間に、歴然とした体格の違いが目に飛び込んだ。一まわり大きいデラ・ホーヤがどんどん前へ出てくる。だがパッキャオはよく脚を使って善戦、やや軽いながら左がいくつかデラ・ホーヤの顔面にヒットする。このラウンドは、デラ・ホーヤが様子見をしている、と誰もが思った。

ところが2ラウンド以降、パッキャオの左が次々とデラ・ホーヤの顔面を捉え始める。デラ・ホーヤはいつもとは別人のように体が動かず、ジャブもでない。7ラウンドではロープに詰められ、8ラウンドでは前へぐらつき、コーナーに追い込まれてラッシュを喰らう。結果は8ラウンド終了後、デラ・ホーヤ側のセコンドが試合を止め、8回TKOでパッキャオが歴史的な勝利をものにした。デラ・ホーヤがウェルター級で対戦するために体重を減量したことが敗因だったと解説のジョー・小泉氏が仰っていた。


確かに、中盤以降、リングの上のデラ・ホーヤは、パッキャオと同時に『動かない自分の体』と闘っているように見えた。やらなければいけないことはすべて解っているのに、体がいうことをきかない。そんな風に見えた。試合後、解説の浜田氏が、デラ・ホーヤのトレーナーが試合を止めた事に関して、きっと試合前から何か予感があったのだろうと仰っていた。「普通、トレーナーは最後の最後まで諦めない。練習で少しでもいい所があれば、それが一発出れば勝てると最後まで思うからだ」と。そうであれば、デラ・ホーヤ自身が自分の体について何も気づいていなかったはずはないだろうと思う。おそらく誰よりも感じていながら、一層、厳しいトレーニングを積んできたのではないか。白熱し、集中した練習のさなかも、それは不安という形ではなく、なにか薄い翳りのようなものとして頭の後ろにつきまとっていたのかもしれない。

そんな風に感じながら観ていたせいか、この試合ほど、インターバルでコーナーに座っている時のデラ・ホーヤの顔が印象に残った試合はなかった。どう頑張っても体は動かない。だが、インターバルの1分が過ぎればまたリングの中央に戻っていかなければならない。あの時、大観衆と世界六十数カ国の人間が見つめていたたった一人のボクサーの、ただ前を見ているだけの横顔が、試合が終わった後もしばらく目に残って離れなかった。


最後になったけれど、デラ・ホーヤの敗戦のありようが強烈だったためにあまり言及できなかったけれど、この試合のパッキャオは素晴らしかった。とても勇敢で、かつ冷静だった。

ウエイトも契約も運も、すべてふくめてボクシングなのだと思う。パッキャオは賞賛に値する試合をしたし、その勝利を心から祝福したいと思う。


門外漢がダラダラと書いてしまったけれど、私の周りにはボクシングファンがいない……。

これはかなり寂しい。ボクシングが日本でサッカーなみの市民権を得てくれる日を夢見ている次第。