政治とメタルと網膜剥離 -68ページ目

千年に一度の意味

今回の震災を語る際に、「千年に一度」ということばがよく使われる。原発についても、「千年に一度の地震、津波は想定できなかった」あるいは「想定すると工事費が莫大になり現実的ではなかった」などと語られていることがある。


しかし、千年に一度の自然災害に備えることを、特に原発のような広範囲の国土を毀損する恐れがある施設が免除されてよかったのだろうか?原発の耐用年数は3~40年、延命措置を施すと60年にもなるという。仮に40年とすると、0年目を起点として40年目までに千年に一度の災害に遭う可能性は40/1000で4%、確率は1/25である。


近所に来年原発が作られるとして、運転期間中1/25の確率で大事故を招く災害に遭います、などという説明をされてOKする住民がいるだろうか。例えば昨年の交通事故の死者数は4,800人でこれは総人口に対して0.004%である。仮にこの率が40年続くとすると、この間に交通事故で死亡する確率は0.16%となる。千年に一度の災害に遭う確率はこの25倍である。


しかも原発の場合、今回の事故のように余りに広い範囲が汚染の危険に晒される。また、封じ込め作業が無事に進むとしても数年に及ぶ工事が必要となる。その間周辺住民は危険に晒される上に、風評被害にも遭うことになる。場合によっては住むことすらできなくなる。


確率の話に戻ると、一万年に一度の災害には耐えられない、という程度まで安全性を確保したとしても、交通事故死の2.5倍の確率の危険となる。それでも納得がいかない方も多いと思うが、実際にはここまでの安全性を担保しようとすると、工事費が天文学的数値となり、経済的に成り立たないのではないだろうか。


大前研一は、原発の安全審査の厳しさを批判し、その安全性を自動車のアクセルとブレーキに例えて説明 しているが、事故の際の被害をあまりに軽く見た妄説である。

このような発想で原発が推進、設計された結果が今回の福島の事故なのではないか。特に国土が狭い日本において、原発事故は余りに致命的である。我々は今回そのことを思い知らされた。既に稼動している原発については早急に安全対策を施しつつ、絶対の安全が担保されない限りは徐々に廃止していくべきと考える。


なお、私がこのことを思いつく前に、既に同じような内容を書かれている方がいた。あわせてご覧いただきたい。


千年に一度の地震が30年の間に起こる確率は、およそ1/30である。これのどこが無視できるリスクなのか?(Alternative MediaE-wave Tokyoより)