政治とメタルと網膜剥離 -61ページ目

東京電力がこれまで原発で得た利益と原子力損害賠償法について

日本経団連の米倉会長(住友化学会長)が、福島原発事故に対する賠償について国が全面的に支援すべきと主張している。

経団連会長、「原発賠償は国の責任」 東電国有化論は一蹴(産経ニュース)

この中で米倉会長は以下のように語っている。

「原子力損害賠償法には大規模な天災や内乱による事故は国が補償するとある。国が全面的に支援しなくてはいけないのは当然だ」

この中で語られている「原子力損害賠償法」の条文の中に、以下の件があった。


原子力損害の賠償に関する法律

第二条  政府は、原子力事業者を相手方として、原子力事業者の原子力損害の賠償の責任が発生した場合において、責任保険契約その他の原子力損害を賠償するための措置によつてはうめることができない原子力損害を原子力事業者が賠償することにより生ずる損失を政府が補償することを約し原子力事業者が補償料を納付することを約する契約を締結することができる。

第三条  政府が前条の契約(以下「補償契約」という。)により補償する損失は、次の各号に掲げる原子力損害を原子力事業者が賠償することにより生ずる損失(以下「補償損失」という。)とする。

 地震又は噴火によつて生じた原子力損害
(以下略)

また、関連する以下の法律にも、天災地変時の事業者の免責について書かれている。

原子力損害賠償補償契約に関する法律

第三条  原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない
(以下略)

確かに地震によって生じた原子力損害については政府が補償を約するとある。この規定があるからこそ、民間電力会社が原発を運営できたと言われる。

しかし、この免責規定は甘すぎやしないか?原発による利益は享受しつつ、天変地異時の損害賠償は国が肩代わりしてくれるのであれば、こんな楽な事業はない。他の民間事業者は、地震による損害でも、地震保険で保証される額を除いては自腹で再建しなければならないのである。その結果潰れる会社すらある。

これまで安価なコストが喧伝されてきた原発による発電で、東電は累積でどれだけの利益を得ていたのか?その利益を吐き出すことなく、国が補償に乗り出すことが許されるのか?東電は原発稼動以降の事業収支を公開し、少なくとも得た利益は全て吐き出すべきである。

また、米倉会長は
『福島第1原発の損傷についても「原発は国によって安全基準が定められ、設計、建設されている」と指摘、国の安全基準が甘かったとの認識を示した。』
と語っているが、国の基準を守りさせすれば原発事故を起こしてもいいのであれば、経営者などいらない。そのような姿勢であれば、遵法闘争と称して列車を遅らせた国労と変わらない。想定されるあらゆるリスクに配慮して経営資源を分配し、企業を存続、成長させるのが経営者である。米倉会長の発言は、自ら民間企業の経営者としての矜持を放棄しているかのようにすら見える。

確かに東電の賠償を国が肩代わりする法律はある。我々がそれを見過ごしてきたのも事実である。しかし、だからといって東電が免責されることは許されるべきではない。それは「法律さえ守れば、経営者は免責される」という恐るべきモラルハザードを招きかねない。

東電だけではない。原発に群がった中曽根を始めとする自民党の政治家、原発の経済性に目が眩み、危険性を考慮しなかった電力会社、建設に際し莫大な収入を得たGE、東芝、日立など重電メーカーやゼネコン、東電のお抱えの犬のような東大の原子力研究者、住民を裏切って原発を推進した地方自治体の首長や議員、勝間和代など原発PRで多額の収入を得た品性下劣なる者、首都圏に原発を作れなどとのたまって金を稼いでいた大前研一など、本来身ぐるみ剥がしてでも補償の責任を負わせなければならない者は多くいる。

日本は歴史をうやむやにし、責任の所在をあいまいにしがちである。先の大戦についての分析の甘さなど最たるものである。だから過去を忘れ同じ過ちを繰り返す。

今回の事故はまさに「第二の敗戦」というべき事象である。過去60年まで遡った徹底した原因の追求が必要である。あいまいさはこの場合、罪である。